後日談5 水薔薇の姫君の願い
かつて毒花グラビュリアが封印されていたその地は、〈魔性の喚き〉との最終決戦の場所でもある。
記憶にある戦場は荒野だったはずだ。
しかし四年の時が経ち、今では戦いの傷跡なんて見当たらないくらいに和やかな空気が流れていた。
「わぁ、すごく綺麗」
流音は緑豊かな美しい広大な公園を目にして、ほっと息を吐いた。
七つの同盟国が協力して整備したという平和記念公園は、すっかり観光地と化していた。
慰霊碑、資料館、遊具、噴水、おまけにカフェや屋台、休憩スペースもいくつかある。
地元の人と思しき人々が散歩をしたり、観光客が興味深そうに見学したり、大道芸人が手品や曲芸を披露したり。
負の感情が見当たらない空間に、流音は嬉しくなった。
――キュリスは高貴なお姫様だったけど、本当は人間のことが好きだったもんね。ここならきっと寂しくない。
流音とユラとヴィヴィタは、かつての仲間であり友人である水薔薇の精霊姫・キュリスローザに会いに来た。
と言っても彼女は毒花グラビュリアと融合して眠りについてしまったので、直接会って話すことはできないけれど。
「キュリスローザの花園は公園の東にあります。天使像は西側ですね」
「……うん。先にキュリスに会いに行こうかな」
二人と一匹は入り口の慰霊碑に鎮魂の祈りを捧げた後、花園に向かって歩き出した。
途中、ユラが無言で手を差し伸べてきたので、流音も何も言わずにそっと手を繋ぐ。
恥ずかしいし、照れくさい。まだ緊張するけれど、触れ合えるのは素直に嬉しい。
繰り返し手を繋いだりくっついたり、いつかそんな接触が当たり前になってドキドキしなくなる日が来るのだろうか。
新鮮な熱に現在進行形で翻弄されている流音には全く想像できなかった。
「り、立派な公園だね」
「手を入れずに放っておくことはできなかったのだと思いますよ」
ユラの話によると、戦いの後、この地には緑が芽吹き、清水が湧き出て、魔力の循環も活発になったらしい。
環境が激変した様子は世界の再生を思わせ、サイカ王国をはじめとした各国は戦乱からの復興の象徴としてこの地を発展させることにした。
花園が近づいてきた時、ユラが空を仰ぎながら呟いた。
「怒らないで聞いてほしいのですが」
「うん?」
「一応俺は反対したんです。絶対にルノンが恥ずかしがると思って。ですが、大勢の人々の熱意を覆すことはできませんでした。その結果がこちらです」
開けた場所に出て最初に目にしたものの正体を理解して、流音は絶句した。
「なんで!?」
小声で叫ぶという器用な反応をしてしまい、流音は思わずユラの背に隠れた。観光客に怪訝な視線を向けられた気がする。
その小さな広場には十二歳の自分と思しき銅像が建てられていた。
右手にカードを持ち、左手に魔法の杖を持っている。かなり美化されているような気がするし、こんな毅然とした立ち姿をしたことなんてないはずだ。
それでも状況的に自分であることは察せられた。
「平和の象徴です」
「は、恥ずかしいよ。許可してないのに! こういうの、肖像権の侵害なんじゃ」
残念ながら、異世界にいつの間にか自分の銅像が建っていてもどうすることもできなかった。現代日本の法律は通用しないし、すっかり観光スポットとなっている今、撤去してくれとも言いづらい。
きっと多分、心を込めて造ってくれたのだろうし……。
「おいら、寂しくなったらたまにここのルゥに会いに来てた」
ヴィヴィタにきゅるるんとした瞳でこんな健気なことを言われたら文句を言えない。
「隠れなくても大丈夫ですよ。成長した今のきみとこの銅像が同一人物だと気づくのは至難の業でしょう」
「う、うぅ、でも早く離れよう」
ユラの腕を引いて、流音は花園に向かって突き進む。
胸の中は先程までとは別のドキドキでいっぱいだった。
懐かしい香りが鼻をかすめる。
瑞々しく高貴な香りは、記憶にある水薔薇のそれにとても良く似ていた。
今はもう燃えてなくなってしまった泉の縁の水薔薇の園を思い出してしまって、目頭が熱くなる。
広場を抜けた先、キュリスがグラビュリアとともに眠る花園には色とりどりの薔薇に似た花が咲き乱れていた。
繊細な美しさを誇っていた水薔薇とは違う、カラフルで活力の溢れた花々。
見る者の心を明るい気持ちにしてくれる。
女性の見物客が多く、画家らしき人もある。みんなその美しい花園を前に口元をほころばせていた。
――ただいま、キュリス。久しぶりだね。私のこと、分かるかな?
心の中で問いかけても返事はない。
だけど、不思議と悲しくはなかった。キュリスは今ここにいて、自分のことをきちんと見つけてくれているような気がする。
「ヴィヴィタ、少し離れてルノンを見ていてください。俺は飲み物を買ってきます」
「え」
「キュリスローザと話したいことがたくさんあるんじゃないんですか? いつも俺に隠れて内緒話をしていましたよね」
「そ、そうだったっけ。……そうだったかも」
キュリスと話していた主な内容は、ユラのことだ。
森の家に住んでいた時も、旅に出てからも、キュリスはずっとそばにいてたどたどしい恋の話を聞いてくれた。
「思う存分、話すといいですよ」
ユラは淡く微笑むと流音を花園に残して踵を返す。ヴィヴィタも「女の子同士の話は邪魔しちゃダメだってスピカとレグメリーも言ってた!」と離れていった。
一人花園に残された流音は、彼らの厚意に甘えて一人で花々を眺める。
――ユラが……優しい。どうしよう。これ以上好きになるの怖い!
ゆっくりと深呼吸をして花の香りを吸い込み、気を取り直す。
せっかくユラとヴィヴィタが時間を作ってくれたのだ。無駄にはできない。
それに、ずっとキュリスに会いたかった。
――キュリス、本当にありがとう。あの時、『初恋を大切にしろ』って言ってくれて。そのおかげでわたし、頑張れたの。
できればもう一度会って、直接話したかった。
キュリスは出会ってから最期の時までずっとずっと、優しい気持ちで包み込んで見守ってくれた。
数えきれないほどの感謝の気持ちも、ふがいなさから出てくる謝罪の言葉も、他にもたくさん、他愛のない日常の話やファッションの話もいっぱい聞いてほしいし、聞かせてほしい。
――キュリスとお友達になれて良かった。いつか、どんな形でもいいから会えるといいな。
いつの日かそんな奇跡が起きることを流音は目を閉じて祈る。
「――――」
その祈りが通じたのか、広場の方から弦楽器の調べが聞こえてきた。
◆
二人の花の精霊は世界に溶けて揺蕩いながら、花園を訪れた黒髪の少女を見守っていた。
「いいの? 応えてあげなくて。あなたに会いに来たんでしょう?」
グラビュリアからの問いかけに、キュリスローザは微笑んで首を横に振る。
もちろん流音との再会は嬉しい。
広場の銅像とは比べものにならないほど美しく成長した。
この世界に戻ってきて、愛しい人と一緒に歩んでいくだろう彼女の未来が眩しい。
会って直接祝福を贈れたらどれほど良いか。
しかしこの世界に再び顕現するには花々に蓄えた魔力を使う必要がある。もはや自分一人だけのものではないそれを軽率に使うのは躊躇われた。
「今はよい。とても幸せそうじゃからな。そのような日が来ぬことを祈るが、もしいつかルノンが悲しい気持ちを吐き出しにここに来たら、その時こそ今日我慢した分の力を使おうぞ」
「……別にいいのに」
「ふふ、わらわはいつだって、ルノンのピンチに駆けつけてきた。今後もそうするというだけじゃ」
流音は最も記憶に新しい人間の友人であり、愛しい隣人だった。
その幸せを心から祈ろう。
「うん?」
ふと広場から聴こえてきた弦楽器の旋律が、キュリスの心にさざ波を起こした。
どこか懐かしく、少しだけ違う音色。
弦をつま弾く少年が、とある物語を詠み始めた。
遠い昔、吟遊詩人の旅人が泉の縁に暮らす精霊の姫君に命を助けられた話。
旅人は姫君と友誼を結び、ともに歌い、別れの際は美しい水薔薇を一株もらい、恋人の待つ故郷に帰った。
静かな湖畔に水薔薇を植えて、その近くに家を建て、家族と幸せに暮らし始めた。
不思議なことに湖の水薔薇は歌を好んだ。
だから旅人とその子孫たちは、毎日水薔薇のために歌った。
感謝と友情の念を込めて。
年老いたかつての旅人は死期を悟り、最後に精霊の姫君に会って直接礼を言いたがったが、体の自由が利かずその願いは叶わなかった。
子孫たちは湖の水薔薇を見るたびにその話を思い出し、いつかその願いを叶えることを後世に誓った。
もう水薔薇の泉がどこにあったのか、誰にも分からないけれど、いつか訪れる奇跡を信じて歌い続けよう。
その願いが叶う日が今日であれ。
あなたがここにいてくれることを願っている。
吟遊詩人の少年は、精霊の姫君の慈愛を称え、感謝の言葉でその詩を終わらせた。
拍手の音が聴こえる。
流音はその詩を聴いて泣いていた。
「……そうか」
キュリスもまた、泣き出したい気分になっていた。
やはり人間は愛おしい。途方もない奇跡を叶えてくれる。
かつて助けた旅人が、愛した男の子孫が、会いに来てくれた。
「素敵な詩ね。今年はたくさん新芽をつけられそう」
「ああ、美しく咲き誇ろう」
負けてられない、とキュリスは思った。
自分に会いに来てくれる者たちに、自分がどれだけ幸福でどれだけ出会いに感謝しているかを伝えるために、この地を繁栄させることを改めて誓う。
異世界の少女が大人になり、花園への来訪を幾度となく重ねても、二人が再会することはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
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