#3-1 第三話 「キズアト」
今回は少し残酷かもしれないです。そういうものが苦手な方はもしかしたらやめておいた方がいいかもしれません。それでもよろしい方、どうぞ。
「とりあえず分からずじまい、か」
時刻は既に午後十時を回り、いい加減に帰宅をしなければいけない時刻となった。響也とソフィーヤはそんな時間帯にやっと帰路に着くことができた。
「響也、今の時点で特に問題になるような点って?」
「問題点? 敵戦力の増強の可能性を除いてで唯一考えられるのは、無差別事件だろうか」
「無差別事件……それってどういうこと?」
「……」
「響也?」
「――ん? あぁごめん、聞いてなかった。なんだって?」
「もういいよ、面倒だから。皆の退屈な話ずっと聞いてて疲れちゃった」
両腕を後頭部に回してあからさまにつまんなさそうに歩くソフィ。響也には一体このソフィの変わりようがなんなのか、全く理解することができなかった。
「なぁ――」
その理由を再度尋ねようとしたその時、そう遠くではないところから女性の断末魔のような金切り声が響く。反射的に胸を強く掴んで耐えようとしてしまうくらいに大音量で。
「響也、行こう!」
「あぁ! エリィ、今のは何か分かるか!?」
「ウィルス! 警報が鳴るギリギリ範囲外で起こ――え?」
今さっき発生した事件らしきものにウィルスが関与した可能性を踏まえ、エリィに確認を取る。とはいえ、アラートが鳴らない時点で多々おかしい部分はある。念を押して投げた質問が、余計におかしさを増していく結果になることを、一瞬で理解した。
「どうした?」
「おかしい……範囲内!?」
「なにやってるの響也、早く!」
「お、おう!」
とりあえずは肉眼で確認すること、それが先決であることは確かだった。前を白銀の髪をなびかせて走るソフィのあとを追うように、暗くなってきている地面を響也も駆けて行った。
妙に人が固まっている大通りに出ると、ある輪が出来ていた。輪というよりも、ポッカリと丸い穴が空いていると言ったほうが分かり易いだろうか。
「すいません、通ります!」
人の壁をくぐり抜けて中心を目指す。さっと躍り出たところで状況を視認する。
――中心には電灯で照らされた、白目を向いて失禁を起こしている女性が転がっていた。
生きているような感じはしない。個々で乱れた方向を向いている肢体、泡を吐き出す口元。ほんの少し前にはちゃんと動いていたであろう身体は、激しく痙攣を起こしていた。
「ウィルスの脳波干渉による……脳死――V・Rを付けている人は早く外して!」
ソフィが隣で呟く。ハッと顔を上げて次のウィルスの凶行を抑えるべく、起動中のV・Rを停止させるよう指示をする。
しかし抑えきれずに今度は少し遠くで男性の断末魔が響く。この瞬間に人垣は恐怖に顔を歪め、悲鳴を上げながらその場から去っていった。
「響也、早くウィルスを――」
「――」
共に進もうとしたところで、ソフィは響也の異変に気が付く。棒立ちで視線を第一被害者に向けたまま一切動かない。その顔は怯えを通り越した何かを感じさせた。
「響也?」
「――」
「響也! どうしたの!?」
「――」
「響――もういい!!」
何度も呼びかけても反応はない。ここで響也に構ってウィルスに逃げられては、余計に被害者が出るかもしれないと踏んだソフィの選択肢は限られていた。
「ソフィ!」
「あれ、エリィちゃん!? 響也のV・Rにいたはずじゃ!?」
V・Rを装着して[A]を起動させ、センサーによるウィルスの反応を頼りに走っていると、不意に視界の端に本来いるはずのないエリィの姿が映った。しかし走る足は止めない。
「響也がどうして動けないこと、理由分かる!?」
焦りからか、怒りからか。とりあえず何かしらの焦燥感を感じ、柄にもなく本当に大声を上げてエリィに質問を投げかけた。エリィは一切を気にせずに回答する。
「分からない、でもあの女性の姿を見た途端に異常な精神の乱れを感知したの! 考えられること……」
過去のデータをエリィは自身の脳の記憶を高速で振り返った。その間にソフィは新型ウィルスを視認していた。
「お前が元凶か!」
即座にベックをインストールし、射程距離内にアバターがいないことを確認して間髪を入れずにトリガーを引く。
「――え?」
しかし、背中を向けて完全に無防備であったろう敵は、仁王立ちのまま消えはしなかった。
「なん――」
言葉を紡ぐ前に、視界を奪われる。正確にはウィルスに殴られた。次に前を向いた瞬間、何があったのかを理解する。
そのウィルスの左腕には、盾が装備されていたのだ。
「ソフィ、あのウィルスの盾は情報量がそこいらのウィルスの装甲の比じゃないです!」
エリィがいつの間にかデータを収集したのだろう、そんな情報を投げかけられた。しかし、マンポイント(人間の域で成せる行動力のこと)を超えた座標移動が行われたためにV・Rの読み込みがついて行けず、脳波座標の更新をしている最中で、実質的にソフィには届いていなかった。
「嘘、治ってる……?」
掠れるレンズ越しの視界には、信じられない光景があった。きっと初撃で打ち抜いたであろう銃痕のような痕が残っていた両足が電子的な泡を噴くように消えたと思ったら、次に瞬きをした時には既に完璧に治っていた。
「ソ――、気を――っか――って!」
「なんでよ……コイツは、何なの――?」
掠れて聞こえないエリィの叫びに反応できずに、理解できないとばかり呟くソフィに向けて、ウィルスが右手に剣のような武器をインストールして突きの構えを取る。
あぁ、死んじゃうんだ。
ソフィは漠然と、そう感じた。ウィルスが右腕を前に動かし、ソフィが諦めて目を閉じる。構えていた武器がソフィを貫く。
「――え?」
そう思っていても明らかに意識が持ちすぎていることに違和感を持ったソフィは、両目を見開いた。
「響――也?」
先程まで使い物にならない、そう思っていた人間が、今目の前に立っている。その人間の横には、鋭利な武器の一部が転がっていた。両手に握られたベック両方がダガーであることは確かだった。
「もう……だ」
「え?」
何が起きているか分からないパニックに陥っているソフィは、響也の呟いたことが全く聞こえなかった。
ウィルスが折れた武器を捨てて、再度新品の武器をインストールし、響也を縦に切ろうとする。しかしそれもまた当たらずに、使い物にならないものと化した。また同じように折れた武器を捨てて薙ぎ払おうと横に剣を振るうも、響也は棒立ちのまま、それすらも軽々と壊してしまった。
在庫が切れたのだろうか、今度はソフィにしたように、盾で殴りかかってくる。
「もう……たくさんだッ!」
――スッと一歩前に出たと思ったら、盾を持つ腕を二の腕の関節から切り落とし、体を捻って見事に人間で言うみぞおちに蹴りを入れていた。
きっと盾は製造に手間がかかって量産はできなかったのだろう、腕はないままだった。痛みを感じないのであろうウィルスは器用に両腕のない状況で身を起こし、足のみで響也に襲いかかった。しかし、五体満足であった状況ですら簡単にあしらわれていたのだ、結果は容易に分かるだろう。
冷酷に、冷淡に、残虐に。
響也は両足を切り落とし、ウィルスをだるまの形に整えた。胴体と首のみで繋がったウィルスは、地に伏した。しかし、響也は一向に止めを刺さない。
「響也、何を――」
ソフィは理由を訪ねようとして言葉を紡ぐことを止めた。
音はない。悲鳴もない。犯罪ではない。
しかし、この瞬間に響也に恐怖を感じた。
ウィルスが逃げるためだろうか、足を復活させようとしてインストールを図るも、響也はその足を一気に切り落とした。
また復活させようとして、またそれを斬る。また復活させ、またそれを斬る。
「お前らが……お前らが……お前らが……お前らがいなきゃッ!」
かつてウィルスが保管していたであろう足のデータの元が切れたようで、再生が静かに止まった。一分もしない内に、周りは[A]で確認する限りではウィルスの残骸で溢れていた。既に回復しているV・Rの視界で確認するも、ウィルスは沈黙していた。
「響也……いつもの響也と、違う――うっ!」
ソフィは響也の凶行に吐き気を覚えた。恐怖感を吐き出し、ここで実際に血などが流れていないことが幸いに思えた。動かなくなったウィルスをまたいで二丁のベックの銃口を向けて動かない響也の背中を見て、ただならぬ威圧感を感じずにはいられなかった。
「響也には、あるトラウマがあるのです」
「トラウマ――?」
「それは……本人が口を開くのを待つべきでしょう」
「――そう」
まるで本当の人間のように顔を伏せて負の感情を隠す仕草に、ソフィは人間らしさを感じていた。そして、目の前に立つ響也は――。
「消えろ……消えろ消えろ消えろッ!!」
逆に機械的な印象を受けた。構えた二丁のベックのトリガーを、響也はウィルスの姿が完璧に消えるまで引き続けた。
一般の警察が駆けつけたのは、そのすぐあとだった。
◇ ◇ ◇
「響也、一体何があったの……?」
「関係ない、聞くな」
警察からの事情徴収が終わってから帰宅するときには、既に日付が変わっていた。ソフィは特にウィルスに感染したような部分もなく、正常だったことに安堵していた。暗い中でも響也の顔はげっそりとしている姿は誰が見ても分かる様だった。
「ソフィ」
「な、何?」
そんな姿も、あのウィルスとの戦闘の姿も印象深く残っており、ソフィはつい身構えてしまった。それを一切気にしない様子で言葉を紡ぐ。
「僕が、その……怖いか?」
「――ッ!」
ソフィはまるで考えていることを読まれているような錯覚に陥った。響也は返答が来ない内に更に言葉を続けた。
「普通に考えたら虐殺と同類のことをやっていたんだ。ソフィはそんな姿を間近で見たんだよな。はは、そりゃ怖いよな」
「……」
何かを言ってあげたい、支えられるような言葉を言いたい。ソフィは自分でも分からないうちにそんなことを思っていた。しかし、上手く喉は何も通してはくれない。
「――ごめん」
「あ……」
響也はそう言い残し、全力でマンションに駆けていった。しかし、ソフィは確かに響也の顔に一筋の涙を見た。
ポツンと暗い外に取り残されたソフィは、痛烈な拒絶を受けたような感覚になった。
「そんなことない……そんなことないよ……っ!」
ソフィはしばらくその場にへたり込み、訳の分からない感情に従順に、思うままに涙していた。
正直この話は自分で書いていて心が痛かったです。実際書きながら心が痛くて泣きそうになりました。それでも頑張ります。これが、エレクトリック・ワールドにEWSPがある意味なのですから。今後もどうかよろしくお願いします……。