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閉じた本の、その先に  作者: 日木西 暁


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第一話 西へ

ペンネームは

ひぎにし あきら です。

よろしくお願いします。

 


 故郷を出た。

 夢があったわけじゃない。

 目標があったわけでもない。

 ただ、そこにいたくなかった。


 離婚してからというもの、街そのものが変わってしまった。

 いや、変わったのは街ではなく、自分の方だったのかもしれない。

 駅前を歩けば思い出がいる。

 スーパーへ行けば思い出がいる。

 信号待ちで立ち止まるだけでも、過去が肩を叩いてくる。

 どこへ行っても、あの日までの自分がいる。

 息苦しかった。

 街は何も変わっていない。

 店も、人も、季節も、昨日と同じように流れている。

 なのに俺だけが取り残されていた。


 休日は特に駄目だった。

 家にいても落ち着かない。

 外へ出ても落ち着かない。

 気分転換に車を走らせても、結局見慣れた景色しかない。

 この街には思い出が多すぎた。

 楽しかった思い出もある。

 笑った思い出もある。

 だから余計につらかった。

 幸せだった時間まで、全部痛みに変わってしまう。

 そんな場所に、これ以上住み続けることはできなかった。


 だから逃げた。

 逃げるように求人誌を開き、逃げるように履歴書を書いた。

 幸い、仕事はすぐに決まった。

 住む部屋も見つかった。

 荷物なんて大した量じゃない。

 段ボールをいくつか業者に渡せば、それで終わりだった。

 何年も暮らした街を離れるというのに、引っ越しは拍子抜けするほどあっさりしていた。


「じゃあな」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。

 返事をする人はいない。

 それでよかった。

 見送りもいらなかった。

 未練まで置いていける気がした。


 西へ向かう新幹線の窓から景色が流れていく。

 窓の外の景色は、思っていたほど変わらなかった。

 街があり、田畑があり、山がある。

 日本中どこへ行っても、きっと似たような景色なのだろう。

 変えたかったのは景色じゃない。

 あの街で生きていた自分だった。


 これで終わる。

 そう思いたかった。

 でも、本当は分かっていた。

 記憶は荷物より軽いくせに、一番重かった。

 それでも動くしかなかった。

 他に選択肢なんてなかった。

 遠い西の街に知り合いがいなかったわけではない。

 SNSで知り合った人が一人いた。

 会ったことはない。

 声も聞いたことがない。

 それでも、地元の友人より本音を話せる相手だった。

 不思議なものだ。

 何年も顔を合わせてきた人間には言えないことが、画面の向こうの誰かには打ち明けられる。

 文字だけの付き合いなのに、不思議と距離は近かった。


 もちろん、その人が俺を助けてくれるわけじゃない。

 引っ越しを手伝ってくれるわけでもない。

 部屋を契約するのも俺。

 生活用品を買い揃えるのも俺。

 翌日から働くのも俺だ。

 ひょっとすると、西の街を選んだ理由のどこかに、その人の存在があったかもしれない。

 ただ、人生は自分で運ぶしかない。


 夕方、新しい街へ着いた。

 駅を出る。

 人が多い。

 知らない言葉が飛び交う。

 歩く速さまで違って見えた。

 誰も俺を知らない。

 それが少しだけ心地よかった。

 不動産屋で鍵を受け取り、新しい部屋へ向かう。

 六畳ほどのワンルーム。

 小さな流し台。

 古いエアコン。

 お世辞にもいい部屋とは言えない。

「俺には、お似合いだな」

 そんな事を思った。


 それでも、この部屋には俺の過去を知る人間が誰もいない。

 それだけで十分だった。



 段ボールを一つ開ける。

 箱の底から湯飲みが出てきた。

 深い緑釉に白の模様。

 旅行先の焼き物市で、一目惚れして買った物だ。


「これなら毎日使っても飽きないね」


 あの時、そう笑った声が一瞬だけ蘇る。


 ……しまった。


 思い出さないために来たのに。


 買った当時は、この湯飲みを何十年も使うものだと疑いもしなかった。


 ………あの日までは。


 少しだけ考えてから、棚の奥へしまった。


 今日はまだ使う気になれなかった。

 カーテンの隙間から夕日が差し込んでいる。

 部屋は静かだった。

 静かすぎるくらいだった。


 その静けさを壊すように、小さく呟く。

「ここからか」


 新しい人生なんて言葉は似合わない。

 希望に満ちたスタートでもない。

 俺はただ、逃げ切りたかっただけだ。

 あの街から。

 あの日の自分から。


 だけど、そのときはまだ知らなかった。

 逃げた先にも、人生は続いていた。

 良くも悪くも。


 その日の夜、荷解きは途中で諦めた。

 体が鉛のように重かった。

 長距離移動だけが疲れの原因では無いことは確かだ。

 日が沈んだ頃には荷解きを諦め、早めに布団に潜り込んだ。


 その時、枕の横でスマートフォンが震えた。

 画面には、見慣れた名前が表示されていた。


『西へ来たんだね。知らないうちにすれ違ってたりしたら面白いね。』


 その短文が、この街で最初に交わした言葉になった。

処女作、初投稿、震えながら操作してます。

時間予約投稿ってこれどうやんだ……。


初日、第四話まで30分おきに連続投稿します。

されます。されてて。

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