畏怖が失われている
熊出没で、熊への単なる恐怖だけが募り、人間以外の生き物への畏怖が損なわれてゆくように思います。
畏怖とは怖れる心以外にも敬う心があるわけですよね。
駆除された熊の遺体を見ると、こんなに大きな動物が山にいるということに戦きますが、
以前は人間と熊は住み分けができていたことが改めて凄いことだなと感じてしまいます。
山を守る人の手が減って、人も熊も住み処のバランスを崩してしまったということでもありますよね。
自然へ畏怖を持てなくなってしまうと、機能不全に陥るのかもしれませんね。
頭数が増えた鹿が熊の餌となる物を食べてしまうことでも熊を飢えさせてしまうのですが、それならば鹿の頭数を減らすしかないのか?
人によって不自然な環境で飼育された肉よりも、野生の肉、ジビエの方が自然で健康的かもしれないなと思ったりします。
エネルギーというか、それこそ波動が違うのでは?(笑)
自然な肉が食べたい人は、自分で狩りをして食べたらどうでしょう?
狩りたい(食べたい)動物の餌が減ったら困るから、人が手を打ってそれを食い止めるので、それによって生態系がむしろバランスを取れるようになるかもしれません。
自分で狩ることも食べもしない人が会議室で適当に生み出した効果の薄い対策よりも現実的ではないですかね?
自然や動物への畏怖心すらも無いでしょうし。
私は小学生の頃に道を歩いていたら、お肉屋さんの裏から出てきた屠殺前の黒い大きな生き物と出合い頭にぶつかりそうになったことがあります。
もうね、恐れ戦いたのなんの(笑)
思わず車道側に飛び退きました。
まだ子供だったので、黒豚なのか、猪なのか区別がつかなかったのですが
動物園以外で初めて見た、自分よりも大きな動物に、度肝を抜かれました。
柵越しでも檻越しでもない、生の大型の野生動物に、心臓が止まるかと思いました。
多分あれは猪かな?野性味というか、荒々しさの迫力が違ったので。
人に育てられたのではない、生き物の凄味みたいなものに圧倒されました。
あの生き物はあの後殺されたのか?それとも食べられてしまったのかが、しばらく気になりました。
猪は今に至るまで食べたことは無いのですが、あの生き物を食べるって······。
生き物を殺して食べることへの戸惑いを初めて感じた体験でもありました。
食卓に並ぶ肉はスーパーや肉屋で買って来たものがほとんどですが、新鮮ではないのだろうな(笑)
時間を置いた方、熟成させた方が美味しいものもあるのでしょうけれど。
最近ではジビエを売る肉屋もありますが。
自分で食べる物を育ても収穫もせず、自分で狩ることもなくなった人間は、自然への畏怖が損なわれているのかも?
そして熊達も、森を守らなくなった人間を畏怖しなくなったのかもしれませんね。
人間同士ですらお互いの住み処、互いの境界線を尊重できないのですから、実に困ったものです。
容易く人の命を奪う事件が相次いでいるのは、人間への畏怖、他者の命への畏怖を失っているのではないでしょうか。




