それはやりたいことではない
自分のやりたいことがわからない
というようなことを言う人はたまにいます。
「私、わからないんですぅ」
とか
「○○○をやりたかったんですけど、△△△でできなくってぇ」
と、やりたいことと、それをできない理由をいつも必ずセットで言う人っていますよね?
やりたいことがわからない
とか
やりたいことはあるけど、かくかく然々でできない
と言う人というのは
自分のやりたいことがなくても、やりたいことができなくても、実は平気な人なんです(笑)
だから何年、何十何でも同じことをずっと言っていて、多分一生そう言ってるのではないかな?(笑)
やりたいことがわからない、やりたいことができないのは本当は辛いものですよね。
でも、わからな~い、だからできないんですぅというのを兎に角言えればそれでいいわけです。悩んでるフリ、困ってるフリさえできていたらいいのですから。
だからそれは本当にはやりたいことではないのですよね。
本当にその状況が嫌なら、止める筈ですから。
また、かつてやりたいことを挫折したり、中途半端なままで中断せざるを得ない状況になって、今はそれができない等で、でも自分の中ではまだやり足らずに燻っていたりする人もいると思います。
そのような人はやりたいことを自分で自覚できていますし、チャンスやきっかけがあれば、また再開するのではないかなと思います。
できないことを、心理的なブロックのせいにするとか、自己肯定感が低いことを言い訳にしている人もいますが
それも結局、できないままでいい、できなくてもいい人と同じではないのかな?
本当にやりたいなら、自分でチャッチャッとブロック外すし(笑)
本当にやりたいことは、自己肯定感の低さなんて無視してでもやりますよ(笑)
そういうものではないですか?
そうしないのは、理由や言い訳があればできなくても良い人なわけですよね?
やりたいことをやれなくても平気なわけです。
できない理由を盾にして逃げているだけの人もいるのかもしれませんが、
スピリチュアル的な意味や理由に当てはめないと何も動けない人のやりたいなことなんて
所詮その程度、そんなのは本当にやりたいことでも無いんですよね。
誰かに言われたからとかじゃないと動けないなんて、そんなのは本当にやりたいことでは無いのでは。
夢を叶えるとかも
その自分の夢さえも、誰かにお世話されて引き出してもらわないとできない、やらないなんて
何もかも誰かにパッケージングされたものしかやらないできないなんて
それは本当にやりたいことでは無いのでは?
やりたいことがあるなら
人はどんな状況になってもやる
と、私は思います。
家事や子育て、仕事などで時間がなくても、必死に時間を工面してやるでしょう。
自分のやりたいことなのに、誰かになんとかしてもらわないとできない
自分では工夫や努力も何もしないなんて
それは、本当にやりたいことではないのでしょうね。
そのやりたいことを一生できなくてもいいのかな?
ポイントはそこですよ。
本当にやりたいことなら、人はやりますよ。
成功できるかできないかではなくて
誰かに勝てるかどうかとかではなくて
誰かに褒めてもらえるならとかでもなく
自分がやりたいかどうか
それだけですよね。
自己満足でもいいのだから、やればいいと思います。
私はできない言い訳ばかり延々してくる人の相談には乗りません。
初期にアドバイスしても動かないなら、先送りばかりするなら、後は放置ですね。
口ばっかりで、できなくても平気でいるからです。
ああ、この人はできなくてもいいんだな
と判断するだけです。
相談するフリ、悩んでいるフリしかしない人との付き合いは無益なので距離も取ります。
やりたいことをできない可哀想な自分への同情を引きたいというのも、それも実はフリなのですから(笑)
だって、やってもいないし、やろうともしていない人に同情なんて湧きませんからね。
実際に起きていない状況をでっち上げて、他者から構ってもらいたいだけですよね。
やりたいのにできないのぉ
ということを延々言って来る人は虚言癖でしかないので。
虚言癖の人には、本当にやりたいことはまずありません。
他人からエナジーもらえれば、エナジー吸い取れればいいだけですからね。
欲しいのはそれでしかないよね?(笑)
エナジーバンパイア気質の人は、本当にやりたいことはないのでしょうね。
あるようなフリをしているだけですよね。
誰かに気にかけてもらうことしか眼中に無いですから。
自分のやりたいことに他人を巻き込んで振り回す人も迷惑ですけど
ないのにあるフリして他人を振り回すのも迷惑です。
そのような迷惑行為をやらなくなったら、もしかしたらやりたいことが見つかるのではないですかね。
いつまでもフリばかりをしいると、見つからないのでは?




