AIの再現性
江戸時代、明治大正時代の美女や内外の有名人のモノクロ写真を、AIでカラーにして、静止している人物を動かす動画などが配信されていますね。
その技術は凄いとは思いますし、見るだけなら楽しいのですが、
やはりそれでも、それはファンタジー、フェイクに過ぎないかなと感じてしまいます。
色彩は、季節や天候にも左右されますし、光源は何かでも違いますよね。
自然光なのか、白熱灯、蛍光灯の種類でも微妙に違って来ます。
あと、風土によっても違います。
北国と南国では陽光の明るさや湿度が違いますよね。
パリはピンク色の空なんて言われているように、青みや黄色み、黒のシャープさなんかも国によって違って見えることもあります。
そこを無視して均一化されてしまうと、違和感を感じてしまうこともあります。
それから、昔の日本人や深窓の令嬢などは歯を見せて笑わないような気がします。
そして動きももっも緩やかなのではないかなと。
きっと本物はもっとはにかみながら微笑むのではないのか?
現代のお嬢さんならそれで良くても、昔の人は違うのでは?
私の明治生まれの亡き祖母達は歯を見せて笑うことはありませんでしたよ。
どんなに楽しく笑っていてもです。
それに、人には個性があるので、日本人でもそれぞれに動作や仕草には差があると思います。
時代によって習慣も違いますからね。
現代を基準に再現してしまうと、せっかくのものが嘘っぽくなってしまいます。
あれは想像の域を出ないものであって······
と、なぜか逆に寂しい気持ちになります。
AIの再現性は素晴らしいとは思うのですが
均一化、画一的だと萎えてしまいます。
それは生身ではなくてゾンビ、幻影に過ぎないのです。
だからこそ、まだ人間はAIに負けない、追い越されない余地があると思います。
AIを人間以上にするもしないも、それは人間の在り方次第ですよね。
思考し続け、観察を怠らず、感覚を麻痺させずにいれば
それは可能ではないでしょうか。
人間には人間独自の蓄積された情報があります。
それはDNAによって無意識にでも連綿と引き継がれたものが、人間にはあります。
人間の直感、肌で感じとるような感覚を失わないようにしたいものです。
自分という「個」であることを謳歌しよう。
人間、頑張れ!




