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桜花さんの拳脚商売奮闘記  作者: 岸本ひろあき
天使の殺人鬼捕り物編
9/14

第一話




 天高く馬肥ゆる秋。


 それを実感できる涼しい秋風が吹き抜け始めた頃に、その依頼人はやってきた。


 からん、からん、とドアチャイムを鳴らしながら、外套に付いているフードを目深に被った妙齢の女性――アデリナがガーヴァン古書店に入って来る。


 文庫本を片手に店番をしていたナッシュは、その客をちらりと見やる。


 一目で上質な毛織物と分かる外套といい、身のこなしといい、滲み出る艶やかな雰囲気といい。

 この店に来る客層とは言い難い客だな、と思った。


 この古書店に置いてある書物は、タンポポの種子のような性格をした店主が世界中を放浪して手に入れてきたブツで、どれもこれもマニアックな物だった。そうすると必然的にここの本を求める客層は決まってくるもので、学者か重度の本好きである。


 となると、十中八九、何がしか依頼があって来た人物なのだろうと当たりをつける。


「ねえ、坊や」

「はい、いらっしゃい。何をお求めで?」

「ごめんなさい、本が欲しくて来たのではないの。店主はご在宅?」


 ビンゴ。


「申し訳ないがウチの大将は重度の放浪癖があってね。現在進行形で失踪中ですよ」

「それは……困ったわ。とても。何とかお会いする方法はないかしら?」

「それは難しいですよ。とても。お姉さんが本気で大将に会いたいなら方法は唯一つです。うちの隣に引っ越して、何時になるか分からない帰りを待つだけです」


 アデリナは押し黙った。

 そして絞り出すように口を開いた。


「ふふ、そう……それは……本当に困ったわ……本当に……」


 それ以上は言葉が続かなかったのか、古書独特のバニラのような甘い芳香が漂う店内に静寂が落ちる。


 ナッシュはその様子をじっと見詰めていた。


 眼前の女性は目深にフードを被っているので覗える表情は口元くらいだ。

 だがそこからでも、心情がありありと読み取れる。


 とても大きな落胆と焦燥。


「……ありがとう。おかしなことを尋ねた迷惑料よ。受け取って頂戴」


 これまた上質な手提げバッグから取り出したのは皺ひとつない新札の100レグ紙幣。

 それを差し出した。

 そこにはもう、先ほどの感情は見えない。


 代わりに垣間見えたのは――不退転の覚悟。

 何を覚悟したのかは、当然本人にしか分からないことだ。

 だが、これだけは察せられた。


 藁にも縋る頼りが断たれても絶対に諦めない、ともすれば命を懸けてでも成し遂げようとする強い意志だ。


 それを見てナッシュは確信した。


――この人は、俺の依頼人に相応しい人物だ。


 100レグ紙幣を受け取ろうと手を差し出したナッシュは、まるで悪戯小僧のように不敵な笑みを浮かべ口を開いた。


「お姉さんのその覚悟――ビンゴだよ。<笑う門には福来る>」


 ナッシュはまだ紙幣を手に取っていない。

 紙幣を受け取るか受け取らないか微妙な位置で止まっている。

 アデリナは紙幣を差し出したままの格好で、突然投げかけられた秘密の合言葉に激しく動揺していた。


――何故こんな少年が、その言葉を。もしやこの少年がガーヴァン? いやそれは可笑しい、先生が懐中時計に残したメモは二十年も前のこと。この子の見た目と辻褄が合わない。関係者であることは間違いないだろうが、ならこの少年はいったい何者なのか。


 アデリナは思わず、何のひねりもない疑問をぶつけた。


「……坊やはガーヴァン氏とはどのような関係なのかしら? ご家族?」

「いいや大将は独り者だよ。敢えて言うなら店主と店番の関係かな。まぁ、それは別にいいよ。大事なのは、お姉さんが大将に飛び切り厄介・・・・・・な依頼をしに来たことだ。そうだろう? だが大将が近日中に帰ってくることを期待するのは絶対に止めて置いた方がいい。あの人の放浪癖は本当に筋金入りなんだ。半年音信不通なんかザラだよ。だから――そんな当てにならない大将に代わって、その厄介ごとは俺が引き受けさせてもらうって寸法さ」


 そこで一端言葉を切り、ナッシュは真剣な眼差しで言った。


「さあ、お姉さん。続きの言葉を言ってくれ。そうすれば、ガーヴァン古書店店主ジョン・ガーヴァンから正式に【代行者】と認められた俺――ナッシュ・ハイドバーグがその依頼を請負うよ」


 アデリナはフードを降ろすと――顔をあらわにした妖艶な美貌をもってナッシュを睨み付け、静かに恫喝した。


「……冗談でも大人をからかうのは止めなさい、坊や。この世にはね、想像もつかない暴力と、悪意と、狂気が蠢いているのよ。そんな世界ではね、興味本位で首を突っ込んだ愚か者の末路は決まっているの。生かさず殺さず地獄行きよ。坊やは――生きたまま生皮を剥がされ腸を抉り出される末路がお望み?」


 アデリナの迫力は凄まじかった。

 それもその筈、本気で怒っていたからだ。

 アデリナからすれば、まだ年若いナッシュなど門前の小僧と大差ない。恩師からの希望にすがり来店しみれば店主は不在という絶望、そこに店番に過ぎない小僧が『ガーヴァンの認める男だから俺に依頼しろ』など笑い話にもならない戯言を抜かす。

 アデリナでなくとも怒ろうというものだ。


 特に最後の台詞は、一般人なら大の大人でも許しを請うほどの迫力であった。

 ともすれば、お前を今すぐ同じ目に遭わせてやろうか、と錯覚させるほど。


 だがその程度の迫力でビビるほど、ナッシュは生温い人生は送っていない。


 零細に落ちぶれ依頼数が激減したとはいえ、そこは超大国アメリカ合衆国である。

 基本、忍者の依頼料は高いのだが、それでも里の者たちが困窮しない程度には大小様々な仕事の依頼があって、その多くにナッシュは関わり完遂してきたプロフェッショナルである。


 そこで大国の闇というものをゲップが出るほど見てきた。


 人間の持つ底知れぬ悪意も、救いのない気性も、理解しがたい狂気も、今更の話である。


 ナッシュは恫喝に一切動じることなく口を開く。


「ご大層な忠告をありがとう。だけどお姉さん、他にアテはあるのかい? 言っとくけど大将の代行者なのは真実だぜ?」


 アデリナの本気の怒りを向けられて動じない当たり、なるほど唯の少年ではないかも知れない。だが、若さゆえの弊害か、それだけでアデリナを納得させるには説得力が足りなかった。


「話にならないわ。それを保証する証拠がどこにあって? 三流の詐欺師でももう少しまともな詐称を語るわよ? さようなら坊や。それと忠告をもう一つ。その生意気な口をつぐまないと貴方、早死にするわよ」


 そうして踵を返そうとして、


「でも、依頼料はこうして・・・・貰っちまったからなぁ。依頼主に仕事内容を言ってもらわないと、本当に三流以下の詐欺師になっちまう」


 ナッシュの手には、100レグ紙幣があった。

 二本の指で挟み、札をピッと立てて持っている。


 アデリナはハッとして紙幣を持っていた手を見ると、そこには何もなかった。

 暗黒街の住人ということもあり、アデリナは犯罪者に対する嗅覚が鋭い。

 その外したことのないアデリナの嗅覚をもってしても、目の前の少年は度胸があっても犯罪とは縁遠い人畜無害な子供である、としか認識できなかった。

 だが現実は、見事に金をスラれていた。

 その擬態能力には、舌を巻く思いだった。


「……訂正するわ。坊やは一流のスリ師よ。度胸もあるのだから、もう少し言葉を覚えれば詐欺師にもなれるわよ?」


 ナッシュは苦笑いを浮かべた。


「冗談。そんなしょぼい転職先なんてこっちから願い下げだよ。第一、そんなことしたら相棒に頭カチ割られちまう」


 アデリナの恫喝に怯みもしない胆力に、高度に擬態された手癖の悪さ。

 その事実に、少しだけアデリナは心変わりをした。


 この子には得体の知れない何かがある――


 アデリナは妖艶に微笑み、合言葉の続きを言った。


「いいわ、坊やに依頼するとしましょう。<地獄の沙汰も笑え>」

「OK。依頼承認だ。期待には絶対に応える。誓っても――」

「ただし、依頼の前に坊やの腕をテストさせて貰うわ。テスト内容は腕っぷし自慢のバカを叩きのめすこと。自信満々な坊やなら簡単な内容でしょう? 本題はそれをクリアしてから。よろしい?」

「――そいつもOKだ。ところでお姉さんは忍者って存在を聞いたことはあるかい?」


 アデリナは小首を傾げた。聞いたこともない単語だった。


「さあ、知らないわ」

「そうかい。忍者ってのは簡単に言えば、戦闘に秀でた密偵のことだ。俺はこう見えて――」


 手首のスナップだけで投擲された100レグ紙幣が、カンッという甲高い音を立てて、壁に突き刺さった。


 鉄板のように変化した紙幣。

 その形状は物の数秒で元の柔らかい紙に戻り、ふにゃりと萎れた。


 だが先端が壁に突き刺さったままであった。


「ペットの迷子探しから敵対勢力の破壊工作まで何でも熟す、凄腕忍者なんだ」


 結果から言おう。

 そのテストは満点の内容で果たされることになる。

 それを見たアデリナが、


――この少年は本物だわ――


 と感じ取ったのも、ナッシュの腕前ならば当然の結果であった。







    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★







 ナッシュと桜花は今、ファラン商店街にある喫茶店【ランラン】にきていた。

 わざわざ河岸を変えたのも桜花にホステスになってもらう理由を含め、ナッシュの請け負った依頼内容を、腰を据えて説明する為だ。


 ナッシュの請け負う依頼には二種類ある。

 一つは、ナッシュを頼りにした個人依頼。

 もう一つが、ガーヴァン不在時に請け負う代行依頼である。


 カーヴァンという男性は謎の多い、見た目初老の年齢不詳の男だ。


 魔法世界バルバロード出身だと本人は語っていたが、それ以外に自身のことは多くは語らず殆ど経歴不明。どこで磨いてきたのか明かさなので謎だが、その腕は恐ろしく立ち、何があっても何をしても死ぬイメージが湧かない、本物の強者である。

 そんな彼を頼りにした依頼は大抵がブッ飛んだ内容が多い。

 桜花が珈琲を啜りながら聞いた今回の代行依頼の内容は、その例に漏れず中々にブッ飛んでいた。


「天使の殺人鬼の捕縛と、歌姫アニーの護衛、ですか」

「そういうこと。巷を騒がすだけあって殺人鬼の野郎も中々に曲者だが……それと同じくらい厄介なのが古参組織どもの動きだ。俺は基本的に、サイコ野郎を捕まえるのに奔走することになる筈だ。だがその間にお姫様が悪党に攫われて傷物にされた、なんざ片手落ちもいいところだ。だが古参組織も本気だ。一人二人ならともかく、手練れが徒党を組んで来られたら、どうにもならない」


 忍者らしく、ナッシュは分身の術――正式には【忍具法:現身の術】という忍具札に霊力を込めることで、もう一人の自分を生み出す高等忍術を行使できる腕前がある。


 だがそれはあくまで分身でしかなく、本体と比べれば数段に実力は劣る。


 徒党を組んだ魔法使い、それも手練れとなれば、如何にも分が悪い。


「なるほど。つまり私の役目は、護衛対象の近くにいても不自然のないようホステスに成り切り、事が起これば如何な脅威からもお姫様を守り通すこと、ですね?」


「そういうこと。組織がそこまで踏み込んできたとなれば、事ここに至りってやつだ。捕縛うんぬん護衛うんぬん言っている場合じゃない。陰でこそこそ動き回る殺人鬼も怒り心頭、表に出る可能性が高いと俺は思っている。そうなりゃ殺人鬼と組織の大乱闘、街を挙げてのお祭りだ。もう残された手段は護衛対象を連れて安全地帯まで逃亡するしかない。そういった諸々の事情も含めて、完遂するには桜花を頼る以外に思いつかない」


 その明るい性格と、腕の確かさから、ナッシュを頼る人は多い。

 そういった経緯で数々の依頼を熟し、そうして知り合った人脈の中には、腕の立つ強者も多いと聞く。

 こういった目まぐるしく状況が変化するような仕事であれば桜花のように脳筋一択の武人より、オールラウンダーな人に頼めばいいものを、それでもあえて桜花を選ぶナッシュに、桜花はくすぐったい思いだった。


 そこまで信用してもらえるのは武人冥利に尽きるというものだ。


 桜花は上機嫌で微笑む。


「そうまで言われては確実に期待に沿わなければなりませんね。是非ともお任せを」

「ああ、是非ともお願いするよ」


 そう言ってナッシュも悪戯小僧のようににやりと笑った。

 この笑みは、彼が機嫌がよいときにする笑みだ。

 本人はニヒルに笑っていつもりらしいが、年若いせいか、やはり悪戯小僧のように見えてしまう。

 それを指摘すると少し落ち込むので言わない。

 だがそれとは別に、ナッシュを若干気落ちさせることを言わなければならなかった。


 桜花は少しだけ眉根を下げて、唯一の懸念を口にした。


「まぁ、護衛に関しては誇りに賭けて成し遂げますが……それよりも私に、仮初とはいえホステスが務まるでしょうか。そちらの方が問題のような気がします」


 ナッシュは少しだけ気まずそうな顔付きになる。


「あー、まぁ、そこはあれだ。桜花は別嬪だし愛想も悪くない。さえ出なければ問題ない、はずだ。多分。きっと。それに要は姫様を守ればオールOKなんだ。少々の失敗は俺もフォローするし、それに本職じゃない。何とかなるよ」


 そうは言いつつ心配だらけのようで、その浮かんだ表情を見れば、一抹どころか大量に不安があるのがはっきり分かる。

 まぁ、地元で有名なマンドゥル女だ。そう思われても仕方ない。


 だが実を言うと、そのホステス嬢というのも、少なからず興味があったりした。


 何故なら、生家にいた頃は【武神に至る】ことが至上命題であり、それ以外は一切選択の余地のない窮屈な生活を送ってきたからだ。それが今や職業選択の自由が許された身である。色々な仕事に挑戦したくなるのも人情であろう。

 今更、骨身に沁み込んだ武人の生き様は捨てられないが、副業気分ならばホステス嬢をしてみるのも面白い体験になりそうである。


 やばそうなら、ナッシュもフォローしてくれるのだし。

 そう思い、今度こそ曇りのない微笑みを浮かべた。


「ふふ、フォローを貰えると言って頂きましたが、そうならないようホステスの件も万事お任せを。誇りに賭けて取り組みますから」


 その綺麗な笑顔を見ても、やはり一抹以上の不安が拭えなかった。

 ナッシュには、手癖の悪い客が現れないことを、ただ祈るしかなかった。









    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★









 世の中には往々にして守秘義務というものがあり、そういった職業倫理はここバルバロードでも根付いている。


 ナッシュ曰く、『協力は可能な限り早い方が助かる』とのことだったので、喫茶店を出た桜花はすぐにマウラの元に戻り、


「ナッシュから大変手間のかかる助っ人を頼まれました。つきましては長期休暇の許しを願います」

 と依頼内容は一切伝えずに切り出した。


 この手の仕事は直接関係する者以外は口にしないのが常識で、マウラもナッシュのやっている仕事がどんなものかよく心得ているので、内容に関しては特に聞いてこなかった。


 素っ気なく、

「好きにしな」

 と即答した。


 何とも愛想がないが、これは誰が相手であっても同じなので特に気にすることもなく、了承を得られたので出かける為の準備を行う。


 といっても身軽な桜花に、大仰な準備は必要ない。

 財布と各種ポーションが入ったショルダーバッグを持っていくくらいだ。

 手早く準備を終わらせ、古書店に向かう。


 古書店ではちょうど準備が終わったナッシュがいた。

 マウラから許可を得たことを伝えて、さっそく依頼主であるアデリナの元に向かうことにする。


 アデリナの元といっても、歌姫のいるクラブ・マイドレドではない。

 オレナ繁華街にある、とある酒場である。


 その酒場でアデリナと今後の打ち合わせをする予定を組んでいるので、ついでに桜花をアデリナに紹介することにする。


 アデリナと相対した桜花は、軽く頭を下げながら口を開いた。


「一番合戦 桜花と申します。どうぞよしなに」


 それを見たアデリナは、



――なんてすごい逸材なの!



 とその存在感に衝撃を受けていた。

 ここホロノア大島は異世界人の持ち込んだ文化の影響もあり、バルバロード由来の文化とは一線を画す物珍しい服飾で溢れているのだが……


 桜花の袴姿は物珍しいが地味と言えた。

 それに化粧っ気もなくスッピンである。

 だがその地味さを吹き飛ばす大きな魅力があった。



 清楚。



 その一語に尽きる人品卑しからぬ気配に満ちていた。


 アデリナの店で働いている嬢の中には、没落した貴族の元お嬢様なんていう変わり種もいるのだが……その子とも比べ物にならない、格の違いを感じる。


 ともすれば時折訪れる王侯貴族に連なる方々にも引けを取らないのでは、と思わせるだけの存在感が桜花にはあった。


 繁華街に軒を連ねて20年。

 他店に負けない高級クラブとして高い自負を持つアデリナであるが、これだけの上玉が店に転がり込むなど早々にないことだ。



――こんな極上の素材を着飾れるなんて! ああ興奮するわ!



 最高の原石を前に、内心舌なめずりをした。


 その気配を漠然と感じ取った桜花は、少しだけ身震いをする。

 じっとこちらを凝視するアデリナに、恐る恐る声を掛けた。


「あの……マイドレドさん? 私に何か問題でも?」


 桜花には相手に不信がられる粗相を働いた覚えはない。というか短く挨拶をしただけだ。粗相もクソもない。残るは見た目から護衛が務まるかどうか怪しんでいるのだろうか、と思い出した頃にアデリナが口を開いた。


「ああ、ごめんなさい。何も問題はないわ。貴女ほどの器量ならすぐにでも店に出てもらって結構よ。それと敬称不要、呼ぶのも名前でいいわ」

「そうですか。なら私も桜花と。貴女と呼ばれる柄ではありませんので」

「ええ、分かったわ。宜しくね桜花」

「こちらこそ宜しくお願い致します」


 アデリナに浮かぶ表情は満面の笑み。

 何が彼女の琴線にふれたのか、と内心小首を傾げた。

 そこでナッシュが口を挟んできた。


「なぁ、アデリナ姐さん」

「なぁに? 坊や」

「それだよ、それ。俺は坊や扱いなのに、何で桜花は名前呼びなんだ?」

「男は何時まで経っても子供だからよ」

「いや意味分かんねえよ」


 本当に意味が分からない。

 だがそれよりも気になることがあった。


「まぁそれはいいや。それよりも、俺のときは腕前を見る為にテストをしただろう? 桜花にはいいのか? 俺の依頼主はもっと慎重だと思っていたんだが」

「む」


 アデリナは片眉を器用に上げた。

 近年稀に見ぬ逸材に、いささか興奮しすぎた。

 確かに、器量は満点だが、腕っぷしに関してはナッシュの言のみである。


 アデリナは再度、桜花を見やる。


 スレンダーな子である。


「手を見せてもらって構わないかしら?」

「はい、どうぞ」


 その手を取ると、傷一つない白魚のような美しい手指だった。

 しかもその柔らかさと滑らかさは極上の手触りと言えた。


 どう考えても、荒事を熟す手ではない。炊事もしたことがない箱入り娘と言われても納得する美肌である。

 こんな柔肌で思いっきり人を殴ろうものなら、皮膚は破れ骨折しかねない華奢な手だ。


 さすがに眉根を顰め、桜花に問うた。


「桜花。貴方、聞けば腕が立つという話なのだけれど。魔法使い? それとも暗器使い?」


 アデリナはその美貌と生まれた環境がゆえに、悪徳の街であっても自分の身は自分で守れる程度の魔法を修めている。



 魔法が使えるのであれば、見目など関係ない。



 例え見た目が人畜無害の子供でも、実態は恐るべき魔法の使い手である、というのは珍しくはあるが探せばいるものだ。

 あとは暗器使いである可能性だ。

 暗器使いは武器の隠匿こそ真骨頂とする武術だ。その為に目に見える箇所、特に手足は綺麗であることが最上で、鍛錬の傷跡が残るのは三流以下である。


 桜花の綺麗な手を見るに、暗器使いであると考えるのが妥当であった。拳銃や本格的なナイフや刀剣でなくとも、アイスピック一本あれば容易く人を殺せることは心得ている。それであれば確かに軟な女手でも相手は殺せるだろう。

 しかしその予想に反して、


「いえ? 私は異世界出身です。魔法を操る素養は一切ありません。生まれは武家でしたので暗器の類は嗜んでおりますが……生家は無手を得手とする家でして。一般の方とは比べ物にならない練度で武器や暗器は操れますが、それでもやはり、十八番は無手による戦闘術です」


 という答えだった。


 この手で。無手の戦闘術。


 傷もタコもない肉体労働など無縁のような美しい掌をじっと眺めて、無言になった。

 にわかに信じがたい話である。


「確かに私の体は、近接戦闘を得意と豪語するには些か信用に欠ける見た目です。ですので、ナッシュの時と同じテスト内容で結構ですよ? 腕っぷし自慢とやらを伊達・・にすればアデリナも納得するでしょう」


 アデリナは桜花の手を離しながら、聞き返した。

「伊達? なぜ男前にするの?」

 意味が分かっていないアデリナに桜花はさらっと、


「私のような武家の者が語る伊達は額面通りではありません。道場破りに来た愚か者を生かさず殺さず二目と見られない顔・・・・・・・・・にして追い返すことを指します。それが武威を示すのに良い宣伝になるのです。私もよくやりました」


 と、さも当たり前のように恐ろしいことを言った。


 思わず桜花の顔を凝視する。

 そこに偽りはなく、本気で言っているようだ。

 次にナッシュを見るが、こちらも特に驚いたりした様子もない。

 どうやら言葉に偽りなし、のようである。

 清楚な風貌からは想像できないエゲツナイ台詞にアデリナは若干引きながら口を開く。


「そ、そうなの。なら丁度良かったわ。今いる酒場なのだけど」


 アデリナの懇意にする酒場【酒樽の森】

 地位の高い権力者も利用するその高級店の二階にはVIPルームがあり、そこに三人は居た。


「店主から相談を受けていてね。三日ほど前から看板娘に度を越した粗相をする客が来るそうなの。看板娘は店主の一粒種でね、どうにかしたいけど、店主の雇った用心棒は悉く返り討ちにあって、お手上げだそうよ。この酒場は中々の高級店よ。沢山のお偉いさんも懇意にしているから、そんな馬鹿が現れてもお偉いさんのお供が気をきかせて処分してくれるものだけど……今は街がこんな状況でしょう。この酒場もその客以外、基本的に閑古鳥が鳴いているわ。お偉いさんの威光も当てにならず娘の貞操の危機。店主はそのバカに娘を差し出すくらいなら酒場を閉めざるを得ないと頭を抱えている状態なの」


 桜花は思い出した。

 そういえば、この部屋まで案内した壮年の男性の顔は腫れ上がっていた。

 きっと娘を助けて負った傷なのだろう。

 その際に何かを懇願するかのような視線をアデリナに送り、アデリナはそれに無言で頷いていた。


「ここまで言えば分かるわよね?」

「それはもちろん。つまりそのバカを――」


 桜花はにっこりと微笑んだ。


「伊達にすれば良いのですね」







 夕方に差し掛かろうとした頃合い。

 五人の客が酒樽の森に入って来た。


 高級店の名に恥じない高価な、それでいて店の雰囲気を壊さない調度品が揃った酒場にはそぐわない、何ともガラの悪い連中だった。


 それを見た店主は、さっと奥へと消えた。


 店内の中央に桜花が一人。

 桜花から斜め後方のカウンターに、アデリナとナッシュが並んで立っている。


 その三人を見た男――五人組の中でも特に背が高い大男が口を開いた。


「ああ? んだテメェら。フィーナはどこだ?」


 フィーナとは看板娘の名前だ。

 桜花は背後にいるアデリナに声を掛けた。


「アデリナ。この男がそうですか?」

「身の丈2メートルを優に超える人族の大男。額から頬まで縦一文字の切り傷。間違いないわ。それよりも取り巻きは二人と聞いていたのだけど増えているわね。大丈夫?」

「何ら問題ありません。それよりも――」


 高価な酒、調度品、椅子、テーブルなどは奥に退避させている。

 だがさすがに動かせないモノはどうにもならない。


「床やカウンターが破損する恐れがありますが、それは?」

「いいわよ、それくらい。私が全額面倒見るから修繕費など気にせず徹底的にやって頂戴」

「分かりました」


 大男は額に青筋を浮かべた。


「おい、なに無視しt」



 ごしゃり。



 弾丸のように飛び出した桜花は、5メートルほど先にいた大男の顔面に飛び膝蹴りをぶち込んだ。そして流れるように片足を首に引っ掛け、体を回転させながら、大男をぶん投げる。



 変則首投げ。



 大男は頭から床に叩き付けられた。

 余りの事態に硬直する取り巻き四人。

 その隙を見逃す桜花ではない。


 ぐしゃ、どっ、ぼぐ、ごっ。


 顎に掌底、鳩尾に回し蹴り、喉に一本貫手、側頭に裏拳。


 まるで演武のように振る舞われた手足は、取り巻き四人を一撃のもとに昏倒させる。


「ぐ、が、ああああああ!!!」


 床に叩き付けられていた大男が、起き上がりざまに腕を薙ぎ払う。

 しかしそんな見え見えの攻撃に当たる桜花ではない。

 ひょい、と軽やかに避けると間合いを取った。


「テメェぇぇぇぇ! ぶち殺してやるっ!!」


 猛る大男に桜花は努めて冷静に言う。


「御託はいいですからさっさと本気になりなさい。でないと――」



 心肺機能と心臓を強化する【内氣功:鬼神門】

 神経と脳機能を強化する【内氣功:羅刹門】

 全身の骨格、表皮、靭帯、筋組織を強化する【内氣功:夜叉門】



「死にますよ?」


 外気を震わせる氣の奔流に、大男は頬を引き攣らせた。

 だが曲がりなりにも、高級と名乗れる酒場が雇った用心棒を叩きのめす男である。

 大男が最も得意とする魔法――肉体強化に特化した元素魔法を解き放った。


「【上級:元素魔法:自己強化】ぁぁぁ!!」


 大男はこれ以外の魔法の適性がまったくなかった。

 だがそれで十分だった。

 身長225センチメートル。人族としては突き抜けて高い身長と豊富な筋肉量を誇る恵まれた体格。それが上級クラスで強化されれば、それだけで恐るべき脅威となる。


 巨人族が現れたかのような錯覚を覚える猛烈な威圧感。

 だが、それでも桜花は動じることはなかった。


「来なさい。伊達にするついでに、手心を加えた達磨・・にしてあげます」

「キェァァァァァ!」


 裂帛の気合いと共に放たれる右拳。

 ごぅっと音を切り裂いて迫る拳を、ぎりぎりで躱す。

 そして腕が伸びきったところで、大男の手首を掴むと、肘に掌底を叩きつけた。


 めきゃり、と嫌な音を立てて大男の右腕の関節は砕け、曲がってはいけない方向に折れ曲がる。


「ぎぃぃぃぃぃ!!??」


 一気に戦意喪失する。

 だが桜花は止まらなかった。


 流れるように大男の右膝に、前蹴りを叩き付ける。

 ぐしゃり、と関節が砕け、大男はバランスを崩す。

 そして倒れ切る前に左腕を掴むと、肩の関節の稼働率を越えるよう、上に向かって捻じり上げ砕き、丁度いい位置に顔面が落ちてきたので、そこに膝蹴りを叩き込んで顎を粉砕。

 トドメに、倒れた所に左膝の裏に、下段踵落としで踏み砕いた。



 血と泡と小便を撒き散らして大男は完全に意識を手放した。



 まさに瞬殺。あっという間の出来事であった。

 呆気に取られるアデリナを他所に、


「ふう」


 と一息ついた桜花は常在戦場の証、鉄皮面のままナッシュに言った。


「すみません、ナッシュ。小刀を貸してもらえませんか?」


 桜花の余りの戦闘力にドン引きしていたアデリナが疑問をぶつけた。


「どうして刃物がいるの? 殺す必要はないわよ?」

「違いますよ? 耳は手でむしってもいいのですが、鼻はさすがに刃物がないと削ぎ辛いですから。やはり両耳と鼻も綺麗に削ぎ落とさないと伊達とは言えません」

「あー……まぁ、これ以上、血で床を汚すと掃除が面倒だから、もういいわよ」


 アデリナは暗黒街の住人だ。これ以上に凄惨な現場など腐るほど見ているし、いざとなれば自分も残酷になれる。だが進んで人を痛めつける趣味はないし、何よりもやり過ぎは良くない。その加減を誤ると相手も引くに引けなくなり死に物狂いになる。


 これだけ痛めつければ上等だった。

 この男も取り巻きも、もう二度とこの酒場には現れないだろう。


「そうですか? 分かりました」


 戦闘モードを解いた桜花は表情を取り戻した。

 その立ち姿は清楚そのもの。

 豹変するとはこのことを言うのだな、と胸中で呟きながら、ふと思い出した。


「そう言えば手心を加えたダルマにする、とか言っていたようだけど。意味は何かしら」


「ああ、あれはですね。私の生まれた国にはダルマという丸い形の置物があるのですが、この元ネタになったのが大陸から伝わった達磨大師という大昔の偉人なのです。この方は9年にも及ぶ座禅の修行の結果、手足が萎えて腐り落ちたという伝説がありまして、そこから転じて四肢が根元からない者を達磨と表現するのです」


 つまり、四肢は砕いたが切り落としてないから、手心は加えていると。


 アデリナは確信した。


 この子は本当に武家の出だ――それも凶悪な犯罪組織も裸足で逃げ出す一等武闘派の。





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