表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

後編

****



 ナサニエルの留守が長期化したとき、ほこりをかぶらないよう大きな白い布をかぶせられて、倉庫に入れられた。

 月に一度使用人がやってきて、家財の目録と一致するか一点いってんを確認していく。私もその中のひとつ。失くしたり盗られでもしていたら大事だから。

 珍しく使用人が人を連れてきたと思えば、ひとつの家財の布を取り払った。ピアノだった。その人は調律師だったらしく、弦の調子を整えて帰った。

 私はつい懐かしくなって、その夜に昔習った曲をおぼろげながら弾いた。

 翌日にはピアノを弾く幽霊が出た、と屋敷内で騒がれた。使用人たちは私をあくまで魔法で動くだけの彫像であって、意思のある人間だとは信じていない。


 (自戒しますわ。)


 ナサニエルが家を長く空けるときには私は倉庫に入れられた。その度に彼は怒って私を部屋に連れ戻す。

 私はこんなことで傷ついたりしないのに。

 伯爵と夫人は渋い顔をしていたが、さすがにナサニエルに断りもなく私を売り飛ばしたりはしなかった。良識のある人たちだった。


 私がなんども倉庫に入れられてしまうので、ナサニエルも父母に抗議した。


「彼女が僕の部屋にいて、なにがよくないのですか」


「ナサニエル、あなたが結婚できる状態にあるのにしないのが『よくないこと』です。この像こそがそれを招く『よくないもの』です」


 その通り、私にこだわらずにナサニエルは素敵なお嬢さんを探して結婚するべきなのだ。


「プレゼントを贈るのは、現実の女性になさい」


「僕はちゃんと現実を見ています」


 ナサニエルに見えているものは真実かもしれないが、悲しいことに現実ではない。

 真実は、私は人間だけれども、現実としては、私は彫像なのだ。彫像を口説く青年などと口さがなく言われてナサニエルの女性人気が落ちていないことを祈る。


(とくに彫像の私をベッドに寝かせたことは、一生涯黙っていてほしいです。どんなに心が広いお嬢さんでも幻滅されてしまいますよ。)


 動かない心臓なのになぜか痛覚が走って、自分を諌めた。

 彼の幸せを願っているのに、彼が大切にする人を作るのが嫌だなんて、矛盾している。

 ナサニエルが他の女性と親しくしている姿から目を逸らすことすら許されずにその場に置かれるくらいなら、倉庫に閉じ込められているほうが気が楽だ、なんて。



****



 あれから私は長いこと倉庫の中にいる。ナサニエルが帰ってこないのだろう。もしかしたら、結婚して私のことなど忘れてしまったのかもしれない。


 彼を幼少期より知る私。毎晩治癒魔法をかけて、失くしたはずの情を取り戻してしまった。だから、いまの時間がうら寂しい気がしている。


 誰かに運ばれている、とは思ったが布は被せられたままで景色もわからない。いよいよ売りに出されるのか、でもこの持ち方、腕の感じはナサニエルだ。お別れの挨拶くらいはさせてもらえるだろうか。


 ゆっくりと布が取り払われ、青の双眸がそこにあった。


「モナ・ウーリー」


 力強い声で呼ばれた。

 初めて息をした心地がする。心臓が主張するように動いている。


 目の前に張られた透明な膜が取り去られて世界が変わった。顔を上げれば、私の横髪が揺れる。まぶたを閉じて、開くことができる。自分の意思で。


「モナ・ウーリー。 それが、きみの名前だろう?」


 私はとっくに、人間に戻ることへの希望を捨てていた。呪いの解き方は、見当がついていたのにも関わらず。解くための二つの鍵は同時には揃わないと諦めていた。

 愛を持ってして本名を呼ばれること。そう、鍵は愛と名前。公爵夫人のもったいぶったヒントから、この推測が正しいとナサニエルによって証明された。


「ドレスの型は古典的だ。袖の形、フリルの量や使い方、刺繍の特徴なんかは歴史書に載るからはじめのとっかかりになった。ファッションは繰り返すみたいだから時代を特定するのは多少厄介だったけれど。それからきみを彫像として所有していた家を辿って、過去の貴族名鑑を当たった。闇市(ブラック・マーケット)が絡んできたあたりできみが人間だって強く確信したよ。さらに魔法を使える家系は少ないから、だいぶ絞れたけれど昔はそれなりにいたものだね。マードック・アンゴーヴの手記が見つかったものの、当時を生きる人は残っていないがために裏をとるのに時間を食ってしまった。さすがにきみの名前を素直にそのまま載せることもしてなくって。ほんとうに待たせてごめんね」


 これだけ一度に話すナサニエルを見たことがなく、彼の興奮具合が伺える。私に行き着くために、彼はどれだけ手を尽くしたのか。


「大変だった。きみのその茶色がかった緑の瞳とミルクチョコレートの髪の色がわかってればまだ楽だったと思うのだけれど。なんて綺麗なんだ」


 ことさら優しい目つきになって、声はため息混じりだった。


「私の瞳は、ヘーゼル色と呼ばれていました」


「ああ、そちらのほうが素敵だね。失礼ーーって、やっと答えてくれた!」


 私は顔を下げた。ナサニエルの笑顔がキラキラ満開で、直視できなかったので。そして彫像の呪いが解けたいま、声は自由に出せるみたいだ。


「……レディ・モナ?」


「はい」


 そろり、とまた目を合わせる。


「いろいろ聞きたいことはたくさんあるのだけれど。第一にこれを聞こうと思う。

 僕、ナサニエル・マーシャルがきみに結婚を申し込んでもいいかな? きみが好きなんだ」


 彼の告白に覚悟をしていなかったので動揺を隠せない。


「ですが、私は彫像です……でした、し。過去に消せない罪を……」


 公爵家での騒動は私の責とされていた。記録にもそう残っているはずだ。二世紀も前のこととはいえ、貴族同士のいざこざだったので詳細はわからずともだいたいは把握できただろう。


「それはほんとうに、きみがやろうとして犯した罪?」


 私は回答にためらった。それだけで伝わっただろう。

 アンゴーヴ公爵家には私が提案して兄とテレンスを招き入れたわけではない。けれど私の存在が原因となり結果としてマードックは彼らを害し公爵夫人はウーリー家とマレスカル家を潰した。思うのだ。もし私がいなければ、ふたりは生きて幸せを見つけそれぞれ家系は現代にも続いていたのではないか、と。


「そうでなくとも、きみはじゅうぶん償ったと思うけれど。彫像でいた間は辛かっただろう。ゆうに二百年経っている」


 償っていたのではない。私はただ心を失くして移ろっていただけ。ナサニエルに出会うまでは。


「なぜ、私の呪いを解こうと思ったのですか?」


 そのまま彫像として私を利用しようとすればできたはずなのに。私はナサニエルのためなら、治癒魔法を惜しむつもりはなかった。


「きみの献身に応えたかった。おかげで僕は生きている」


「私はなにもしていません」


「治癒の魔法をかけてくれていただろう? 死に損なっていた僕に毎晩、何年もの間」


 彼はもう真実を知って受け入れていた。いつも彼が病気や怪我をする度に私が心配していたこと。治癒魔法をかけていたこと。それは人間である私の意志の上で行われていたこと。


 私はじっくり考えた。


「呪いを解いてくださって感謝しています。ですが、私はこの時代に存在してはいけないモノです」


 彼に相応しい身分も、結婚するための戸籍も持ち合わせない。


「……僕は、振られてしまったのかな」


 悲しい笑顔に突かれたように胸が痛む。私が彼の告白に感情を持って返さなかった、つまり私も好きだと言わなかったことがショックなのだろう。

 だって、どうしてそんな身勝手が言えただろうか。


 扉が開かれ、バタバタと人が入ってくる。驚愕している伯爵と伯爵夫人。


「まぁ……! あの彫像が本物の人間だったなんて。なんてこと……!」


「いやはや、これは信じ難い。お嬢さん、これまで私どもが貴女にしてきた全ては……どうお詫びをすればいいやら」


「私はモナ・ウーリーと申します。マーシャル伯爵、伯爵夫人にはご機嫌うるわしく。

 どうぞ、私が彫像だった間のことはなにも気になさらないでください。みなさんは私によくしてくださいました」


 伯爵は口を閉ざし、夫人は許しを請うように頭を下げている。

 彼らに恨みもなにもない。むしろいままでの持ち主のなかでは大変丁寧に扱ってくれた部類だ。

 もう一人、奥にいた。アーキバルドが悔恨を滲ませている。


「ナサニエル! ああ、……すまない。彼女は」


 問われたほうは否定するために首を振ったが、否定とともに別の意味があったのではないか。まさかナサニエルが私に告白する予定も知っていたとか。


「わかった。後は俺に任せてくれないか」


 親友の進言にナサニエルはうんともいいえとも言わず、私に憐憫を誘う目を送った。私も涙目だった。


「ご令嬢。俺についてきてくれ。君の意見を尊重した上で、これからのことに協力を惜しまないから」


 良いところで小金を持たされて、市井に落とされるくらいが妥当だろうか。小間使い程度の働きはできると思うので、頼めば仕事の斡旋くらいはしてくれるかもしれない。

 お世話になった伯爵一族に一礼をして、アーキバルドとともにマーシャル家を離れた。



****



 ムーリッシュ邸に連れてこられた私は気が沈んでいた。私は彫像だったからこそ価値があった。物としての金銭的価値

であろうと、私には正当な居場所が与えられた。人間になってしまったら行く先も帰る場所もない。

 ナサニエルと言葉を交わせたことは幸せな瞬間だったけれども、私には実家も後ろ盾もない。貴族の彼と結ばれるなど、望むだけ無駄だ。


「ナサニエルから逐一君のことをきいていたよ。ナサニエルと、君を信じていなかったことを謝罪しよう」


「いいえ、彫像が人だったなど信じられないのは当たり前です」


「我が親友の信頼を裏切り、君を不当に扱った償いをしたい」

 だから、とアーキバルドは提案した。


「俺の義妹にならないか? ムーリッシュ家で君の身上と生活を保証させてくれ」


「私の素性もご存知ないのにですか?」


「君のほうが俺に信用がないだろう。俺はナサニエルが惚れた女性を今度こそ信じる」


 (私は、もう一度人間の娘として生きてもよいのでしょうか。)



 半年も経てば、私は朝に起きて夜に眠る習慣をつけられた。みんなが人として接してくれることに戸惑うことも減った。人に見られて体を固まらせるのではなく、微笑むことを覚えた。

 アーキバルドに背中を押されて、私はムーリッシュ邸宅でもお気に入りとなった部屋に足を踏み入れる。


「君は俺の自慢の義妹だ。彼と幸せに」


「ありがとうございます、お義兄さま」


 久しぶりに会うナサニエルは明るいサンルームに似合わず、憔悴している。私が部屋に入っても反応がない。目の前に来てようやく存在に気づいた、といった体で焦って立ち上がった。


「ヘーゼルの瞳のきみは……」


「モナ・ムーリッシュでございます」


 青の瞳が一気に輝きを取り戻す。シャキリと背筋が伸びた。


「レディ・モナ。僕はナサニエル・マーシャルです。知り合えて光栄に思います。どうか、今日残されたぶんのきみの時間を僕にください」


「光栄なのは私のほうです」


 出会いをやり直した私たちは手に手をとって、誰にも邪魔されることなくティータイムを楽しんだ。



****



「モナ!」


 婚約者は青の瞳を迷うことなく私に定め、抱擁を求めて腕を広げる。私がぎゅうと抱きつく。さらにナサニエルに隙間なく抱きしめられる。


「おかえりなさい、ナサニエル」


「ただいま、モナ」


 ここはナサニエルの家ではないが、仕事を終えると必ず私を訪ねてくるのでそのやりとりが普通になってきた。アーキバルドが半目になっているせいでせっかくの美貌を減らしている。


「ナサニエル、君が毎日そうやってうちに来て義妹の作業を中断させるから一向に式の準備が進まないのだが?」


 私はムーリッシュ家で日中はムーリッシュ夫人についてまわり伯爵夫人となるべく勉強をしながら、夜には自分とナサニエルの式の準備をしていた。ナサニエルが会いに来ると私もそわそわを抑えきれず相手をしてしまい手が止まるので、遅々としてしまっているが。


「それはすまない。だが僕はモナに会うのを我慢できない」


「週一に減らせとは言わないが、そう日参せずともいいだろう。結婚した後に好きなだけやってくれ」


「だって、今日のモナには今日しか会えないじゃないか!」


「意味のわからない屁理屈を言うんじゃない」


「こうして目の前でモナが動くんだぞ? 質問したら答えるんだぞ? こんなに可愛いのに、見逃すなんてできない」


 ナサニエルは女性に慣れず奥ゆかしいと思っていたので、こんなに積極的になるだなんて私も予想していなかった。私にしたら嬉しい誤算だったけども、義兄は彼の襲来と惚気にあからさまにうんざりして見せている。


「とりあえず訪問は数日置きにしてくれ。式が年単位で延期になってもいいのか」


「わかった……結婚は一日一秒でも早くしたい。ごめんねモナ、会えない日には手紙を書くよ」


「私も返事を書きます」


「その調子だとナサニエルは自分で手紙を届けにきそうだな」


 そして結局私に毎日会う、と。ナサニエルはパチンと指を鳴らした。


「アーキバルド! その手があった!」


「ダメだやめろそんなことしてみろ式当日までモナに会わせないぞ」


「くっ……」


 アーキバルドの先勝ちだった。


「わかったら帰ってくれ」


「お義兄さま、でも夕食はいつもの通り用意してますし」


 ナサニエルと私の婚約が結ばれてからというもの、料理長は何も言われない限り、ムーリッシュ家の家族分よりも余分に量を作ってくれる。私がそう言い訳をすると、アーキバルドが不服ながらもナサニエルの滞在を許した。


「……夕食が済んだら帰るんだ」


 帰りに見送ると、ナサニエルは私にチーク・キスを両頬に四回ずつしてくれた。多くてもチーク・キスは二回が通常、アーキバルドはこれにしつこいと眉をひそめて彼をしっしっと犬のように追い払ってしまった。ナサニエルがいなくなってから、アーキバルドがやっと私に向かって笑う。隠してはいるが、彼も彼で、幸せそうな親友を見るのが嬉しいのだ。


 こうして義兄の努力で準備は進み、私とナサニエルの結婚式はなんとか予定通り挙げることができた。


 私は残りの人生を平穏に甘やかに愛する夫と過ごしている。



****


The end.

****

なんとなくおまけ。

再会〜婚約前のできごとです。

****



 ナサニエルと私の初デートといえば墓参りだった。兄とテレンスの最期も承知だった彼は二人のお墓の場所を知っていた。ウーリー家のお墓の前で動けなくなってしまった私のことを私の気がすむまで黙って隣で待っていてくれた。次はテレンスのお墓へ、となる前にナサニエルは聞いてきた。


「マーシャル家のお墓も行っていいかな?」


「ええ、もちろんです」


 馬車で移動し、二人でマーシャル家へ花を供えた。ナサニエルは私の手を引いて、数歩隣へ歩く。


「ごめんね、先に我が家を済ませてしまったけれど。こちらがテレンス・マレスカル殿のお墓だよ」


「マーシャル家のお隣に……?」


「うん」


 こんな偶然があるものか。


「テレンスさまのご実家は、公爵家に潰されて……」


「一度平民になった。そこから盛り立てたのが僕の直接の祖先なんだ。テレンス殿の家名『マレスカル』と僕の家名『マーシャル』は語源が同じだよ」


「『馬に愛される者』と?」


 ナサニエルはにっこりとした。乗馬が上手くできなかった少年時代にぽろりと零した愚痴を私が覚えていたのが嬉しいらしい。


「そう。僕にもテレンス殿の血が流れている。これはきみのことを調べるのにも、ちょっぴり助かったよ。マーシャル家を遡ればマレスカル家に繋がってテレンス殿の名前も見つかったから」


 テレンスの縁戚の子孫がナサニエルだったとは。


「なんの因果でしょう……」


「僕は縁に感謝したよ」


 私は彫像に戻ったように口がきけなくなり立ち尽くした。ナサニエルはただ寄り添う。

 それでなんだか、私は二人に許された気がする。ナサニエルの手が私の髪を撫でてくれて、自分で自分にかけた「幸せになってはいけない」呪いを打ち破れたように思えるのだ。





****





最後までお付き合いいただきありがとうございました!

またお会いできると嬉しいです。


登場人物の名前英語表記とか引用


モナ・ウーリー*Mona Urry

ナサニエル*Nathaniel Marshall

テレンス*Terence Mareschall

(マーシャルのバリエーションに"Marechal, "Mare - schalks", “Marciall”, “Mareschall” 馬丁、馬医者、など馬関係の職業の人につけられた名字。「馬の恋人」とも言われた。)

アーキバルド*Archibald Murrish

マードック*Murdoch Angove


 テレンスが死の間際に「モナ」と呼んだけれど、フルネームではなかったので呪いは解けませんでした。


マーシャル語源

https://www.houseofnames.com/amp/marshall-family-crest/Scottish


題名引用

“Love is the ultimate expression of the will to live.” – Tom Wolfe



All Rights Reserved. This work is created by 枝野さき. 2022.

Copy and reproduction are prohibited.

I will not accept to make profits through my work without my permission.

Thank you very much for reading my work.


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ