中編
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ナサニエルはそれが決められた行事のように、定期的に熱を出した。
暑くて寝苦しいと、ソファの上に移動してようやく眠れたようだ。胸を押さえていた手は腹の辺りに下がり、横たわるテレンスの影と重なる。髪も瞳もテレンスのほうが明るかった。肌の青白さだけが同じで、赤い幻像が見えた。あの方は腹を突かれて私の治癒魔法が間に合わずに絶命した。
(もう一度テレンスさまを失ってしまう。)
足が勝手に動いた。
「がんば……て。生きて、ください」
思わず治癒魔法を二度だけ重ねがけしながら声を出してしまい唇を噛んだ。質の悪い紙を擦り合わせた、かさかさした風のような音でしかなかった。女性の声だなんて、誰が思うだろう。
ベッドから羽毛布団を引っ張って、彼に被せる。私には抱えきれないほどふわふわで大きいので、足を取られてソファに辿り着くまでに一度こけた。ばさり、と風を起こしてしまいヒヤリとしたが、彼の眠りは深い。
枕も頭の下に敷いた。朝になって体を痛めたり冷やしたりしませんように。
起きたとき、ナサニエルは枕も布団も手にしていたことを、夜中に家の誰かが世話してくれたのだと納得したようだった。本物の使用人が来たならば、ベッドに寝かし直しているはずなのに。
私は手を組んで目を閉じている姿で固まっていた。
「悲しいことが、あったの?」
ナサニエルが私の額を撫でた。眉間にしわが寄っている。
「熱を出すといつも体が重くて辛い。悪い夢ばかりを見るのに、昨日はなんだか明るい夢を見た気がするんだ。きみを見た気がする」
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マーシャル伯爵家嫡男の私室に置かれた彫像の私は、のんびりゆったりと少年の成長を見届けた。
数ヶ月ごとに熱が出る回数が減り、処方される薬が減った。今度は食事の量が増え、体重が増え、起きていられる時間が増えた。
椅子にも長時間座れるので、彼は勉強の傍らに私のデッサンを描いた。描いた作品を見せてはくれなかったけれども。
座りっぱなしの勉強も熱心にして、恥ずかしそうに歌もダンスも習っていた。乗馬の練習で馬から落ちて泥だらけになって帰ってきた日もあり、「マーシャルは『馬に愛される者』という意味なのに」と悔しそうにしていた。就寝前の読書が習慣だったが、幾度となく寝落ちする姿は私の外見年齢に彼が追いついても可愛らしく、私はつい本を片づけて布団を掛け直してしまう。ナサニエルは毎日なにをするにも楽しそうにしていた。
「きみが僕の部屋に来てから調子が良くなる一方だ。雨から救った恩返しのつもりなのかな?」
ナサニエルは元気になった要因を私に見出しているようだったが、周囲はそうですねと言いつつ認めてはいない。
「どうやら石膏ではないのだから、雨から守るなんて意味のなかったことかもしれないけれど、きみがこの部屋にいてくれると見守ってもらっている気分になるんだ。なんだか頑張れって言われてるみたいで」
(ええと、はい。それは言いましたね。でも一度だけ、です。ナサニエルさまが寝ているときに。)
万が一にも聞こえていたとは思えない。
日中に庭に出て父親から剣の手ほどきを受けられるようにもなって、ナサニエルに怪我が増えたことは気がかりだった。始めるには遅い年齢だったのもあって、体力づくりからして苦戦しているようだ。たまにひとりで私の前で弱音を吐く。それでも組み込まれた日課をやめようとはしなかった。これまでと違って、努力したぶんその身についたから。
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ナサニエルが寝入ってから今夜もまた、治癒魔法をかける。
活動的になった彼は夜には疲れてぐっすりだ。
彼は十代後半、青年期へ差し掛かろうとしていた。骨と皮ばかりだった体には筋肉をまとい、いまとなっては寝込むことのほうが珍しい。
治癒魔法は、とっくの昔に必要なくなってしまったのかもしれなかった。
それでも彼が骨折したとなればつい治癒魔法を重ねがけし完治予定日を早めてしまったし、少し深い切り傷や紫のあざを見れば我慢ができなかった。
決して彼の相貌が、初恋の人に似ていたからではない。
むしろ成長したナサニエルはテレンスとは似ても似つかないことをまざまざと知った。なぜあのとき長椅子の上で彼らを重ねて見てしまったのか、妙に思えるほど。テレンスは柔らかい性格と違わず、剣は苦手で詩や歌に明るかった。元気になったナサニエルは外で過ごすことを喜びとした。
その晩に治癒魔法をかけた直後、ナサニエルのまつげがふるふるとした。私はとっさに床にうつ伏せるように倒れる。それでもう体が動かなくなってしまった。彼が起きて目を開けたのだ。
「誰かいるのか」
衣擦れの音からして、布団をめくったのだろう。
「人の気配がしたと思ったんだが……、うわっ」
ベッド脇にあるはずのない彫像があったら誰だって驚く。しかも珍妙な体勢で。仮にも乙女の姿なのに。
いうなれば打ち捨てられたカエル。
隠れられるわけないとわかっていたのに、とっさに逃げようとしてしまった。
(ナサニエルさまは剣の修行の過程で、お父さまと同じく生き物の気配の察知などもできるようになったらしいです。素晴らしいですね。)
こうなっては夜も迂闊に動けない。
「彫像も眠気に耐えきれないなんてことがあるんだろうか」
ナサニエルの手が私の髪の先を引っ張ろうとする。折れることもないが、弾力もない。私の体を持ち上げて、あろうことかベッドに置いた。彼の、隣に。
ベッドはとても大きいので、私と彼の間にはじゅうぶん隙間があるけれども。
(心臓に悪いです……、どんな人間も彫像となった私をベッドに置くなんてことはしたことなかったので。)
視線が合わないことが救いだった。
「きみは……、魔法で動くのではなくて、本当は生きているんじゃないか? いまの気配は生きた人間のものだったのに、消えているなんて」
どきり。開きたかった目はかたくなに閉じている。だから動揺が伝わることはない。
ナサニエルはしばらく体を横にして私を見ていたが、そのうちに長椅子に移動して寝入ってしまった。
私は時間をかけ、慎重に慎重を重ねてベッドから抜け出し、彼と正反対側の部屋の壁に張り付いた。朝に彼を起こしに来る使用人を怖がらせたくない。彫像を寝台に連れ込むような性癖があるのだと、若い主人の将来に不安を抱かせるわけにはいかなかった。
まだぬいぐるみのほうが言い訳が立つ。
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ナサニエルは私を寝室ではなく、趣味部屋に置くことが増えた。ごくプライベートに近い空間で、主に趣味の時間をひとりきりで過ごしたいときに使われる部屋だ。以前から私をデッサンするときの場所。
あれ以来夜に寝るには私の気配に敏感になり落ち着かないのだろう。
少し寂しい。治癒魔法をかけてあげられない。とっくに丈夫になったナサニエルには無駄な心遣いだろうとしても。
夜には台座のそばに筆記用具が用意されていた。
ーーきみの名前を教えてほしい。
紙の上部にそう書かれていた。明らかに彫像の私を人間と想定し、回答を求めるメッセージだった。
私はそれに触れることなく、その晩動くこともなく終えた。
ナサニエルの甘い誘惑攻撃が始まった夜だった。
その週を通して、メッセージカードは入れ替わり置かれ続けた。
ーー好きなものは? 瞳と髪の色は? 趣味は? お気に入りの場所は? これからやってみたいことはある? なにをしたらくつろげる?
人との交流に飢えていた私にとってこれらを無視することは辛かった。ペンを手にしたこともある。インクもつけず戻すしかなかったけれど。その昔、兄とテレンスと過ごした休日を思い出して、苦しくなったりもした。
翌週には、毎晩お菓子が置かれていた。
チョコレート、キャンディ、パイ、ケーキ、ゼリー、プディング、トゥリフル。お腹は空かない体だけれども、見目の美しさから味の良さも予想できる品々。耐え難きを耐えた。
お菓子が効かないとなると、花を一輪ずつプレゼントされるようになった。
パンジーから始まって大ぶりのスナップ・ドラゴン、小ぶりのスウィート・アリッサムまで、花言葉は関係なく庭から手当たり次第といった様子だった。コーンフラワーは青が鮮やかで、ディアシアはくすんだ赤。シクラメン、ベゴニアも一晩私を楽しませた。
(中にはテレンスさまがお好きだったお花やお菓子も混じっていて、その夜は思い出して泣いてしまいました。)
「若旦那さまは彫像に恋をしている」ともっぱらの噂になった。これは伯爵と夫人を極めて悲しませた。大事な一人息子がようやく健康を取り戻し人生これからだというときに、歪んだ恋でそれを棒に振ろうとしている。
(どうかやめてください。)
伝えたいけれど、伝えたらそれこそ私が人間であることの証とされてしまう。
せっかく健康になった彼にはかわいいまともな人間の恋人を作って、幸せな人生を歩んでほしい。
私はその障害になってはいけない。彼を狂わせたくない。
雨から庇う優しさも、丸くなった頬のえくぼも、手を替え品を替えの贈り物も、たくさんもらったからそれでいい。
あとは彼が穏やかに年老いていく過程を眺めていけたなら。その前に私は売られてしまうかもしれないが、健やかに過ごす穏やかな毎日を見れただけでも、満ち足りた気持ちになれた。
だがその次には、“Yes” “No”とナサニエルの手で書かれた小さなカードが並べてあり、彼の質問に対応できるようにしてあった。
ーー僕のしていることは迷惑?
イエスでもノーでも答えることが問題だ。
このカードに少しでも触れて動かしてしまったなら、私に生きた意志があると知られてしまう。彫像ではないとわかったらどんな大騒動になることか。
ーーきみは人間だね。
その一枚のカードでなにもかも終わりだった。私以外に見られることなく、朝早くナサニエルの手で燃やされた。プレゼントは届かない。メッセージもお菓子も取りやめになった。
確信を持って置かれた、その言葉が脳裏にこびりつく。
ナサニエルは家を空けることが増えた。
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「今日は友人が来るんだ。紹介するよ」
ナサニエルは朗々とした声を意識せずとも出せるようになっていた。
しばらくぶりに趣味部屋から移動させられた。デッサンをするときはこうやって抱っこで部屋から部屋へ動かされたけれども、移動自体が久しぶりだ。
ナサニエルは私を抱えても、もうよろめいたりしない。
(たくましくおなりですね、坊ちゃま。)
もう「坊ちゃま」ではなく「若旦那さま」と呼ぶにふさわしい威徳さえ兼ね備えはじめていた。
「アーキバルド・ムーリッシュ次期伯爵だよ。彼にきみのことを調べさせてほしい」
ひとりの男性と向き合わせられた。細めの目は吊り上がり気味だったが、雰囲気は怖くない。髪はやわらかい茶色で、瞳が緑色だったからかもしれない。
「えーと。はじめまして……?」
で、いいのかい? とナサニエルを振り返る友人。
(はじめまして。やはり、人間扱いはできませんよね。どこからどう見ても彫像ですもの。)
「君がこの彫像に人間として接したくなるのも、わからなくはないよ。色さえつければ生きた少女に化けるだろうね」
アーキバルドの手は私の頬を包み、親指の根元が唇にも触れそうだった。それをナサニエルが咎める。
「できるだけ彼女に触れないでいてくれるか」
「悪いが俺は触れないと見れないのでね。そういった意図はない」
両手を上げて無罪を主張する。
「他人にまで彼女を人間だと思ってくれとは言わないよ。貶めるような態度をとらなければね。
それで、見た感じはどうなんだ?」
「どうかな。我が家だって、魔法を実用として使える先祖は五十年も前に途絶えた。俺だって対象に魔法が使われているかどうか、鑑定することがせいぜいだ」
「それでもわかることがあるなら些細なことでも全て教えてくれ」
アーキバルドは私の肩に触れた。沈黙は長かった。彼は大変集中している。
「魔法は魔法だが。よくないものの気配がする……」
「彼女はよくない存在だというのか?」
「いや待ってくれ。よくない気配が圧倒している。が、さらにその奥に、別の存在があるのはわかる。小さくて弱い……。これ以上は、俺には難しい」
アーキバルドは悩ましげにため息をついた。
「そうか。彼女こそが、君が婚約を断り続けている理由なのだろう?」
(あら、まぁ。ナサニエルさまも十代の終わりですからね。たまに悩んでいるご様子だったのは、そういうことでしたか。ですが、私が原因だなんて。話すどころか人前では動くこともできず、なにも邪魔なんてしたことありません。……できませんから。)
「剣の鍛錬と魔法の研究が楽しくて他に裂く時間がないだけだ」
「君は真面目だし、人当たりもよくて欠点が少ないとは思っていた。それが……他人の性癖にいちゃもんをつけたくはないが、この少女によからぬ思いを寄せているわけではあるまい?」
「……わからないな。よからぬ思いとはなんだ」
「魅了系の魔法には見えないが。外部に影響のある魔法じゃない。どうしてこの……娘さんに執着する?」
ご友人はとても気遣い屋のようで、「この像」と私を呼ぶことを思いとどまった。
「僕はずっと病弱で、友達もいなかった。彼女が家に来てからというもの、体質も体調も改善されるようになった。ずっと側にいてくれるから思い入れがある。恩があるように感じているのかもしれない」
「だからって、人間扱いするほどか? イマジナリー・フレンズだって十代になる前に卒業するだろう。体だって成長期に合わせて丈夫になっただけなんじゃないのか? 現実の女性を見てもいいじゃないか」
「彼女はここに実在している」
「けど、心や魂はないだろう」
その一言で空気が張り詰めた。
「……ある、と言ったら?」
「どうしてわかる。君のメッセージ作戦にもプレゼント作戦にも乗ってこなかったんだろう?」
(そんなことまで相談できる仲なのですね。信頼できる友人がいるというのはよいことです。)
「僕が体調を崩している日は、悲しい顔をする。彼女に楽しい話をすると、翌日に笑っているときがある」
無機物にいつも話しかけてるのか、とアーキバルドの表情が物語っている。
(……そうでしたかしら。そうだったかも、しれません。偶然と片づけるには無理があるほど、合致しているでしょうから。私も考えなしに振る舞いすぎましたね。)
「この子に魂が宿って動いていると仮定しよう。もし意識があった上で、君の問いかけもプレゼントも無視していたのならなおさら、諦めるべきだと思うがね」
ナサニエルの耳に痛い助言だった。私の思いを代弁してくれた。
アーキバルドが帰った後で、ナサニエルは深く考え込んだ。
「やはり僕はきみを、『よくないもの』から解放したい」
青い瞳はどこまでも真っ直ぐに、迷いを捨て去っていた。
解説
ケーキ(cake)
小麦粉、卵、砂糖を混ぜて焼いたもの。21世紀でいうケーキの土台、スポンジ(ケーキ)に値するもの。
トゥリフル(trifle)
カスタードクリーム、フルーツ、スポンジケーキ、ジェリー、ホイップクリームを層にして重ねたもの。




