14-3.巡合
何もない石の通路のはずなのに、鳥のさえずりが聞こえた。
目をあけると、私は無人の改札口に立っている。柔らかな風の匂いが鼻先をかすめて、その先に、アスファルトで固められた一筋の道があった。
私は、それがどこへ続くのか知っている。
「見えたわ。」
声がして振り向くと、隣にキャスがいた。
いつの間にこんなところまで来ていたのかと不思議に思いながら、青い瞳の先を追う。
見えているのは、灰色の城門の一部。小さいけれど、手にしている地図には「城」と記されている。
「あれは…?」
私は、相手を確かめるような聞き方をした。
「あれ?あれが、そうなんでしょ?」
キャスが、私を見て目を細める。
「うん…。」
なんでこんな会話をしているのか、よく分からない。
「思い出せない?」
「そんなことないよ。
あれは、お城の門。」
「誰のお城の門?」
「だれの…?」
「しっかりして、ララ。
あなたが来たいって言ったんだよ。」
歯切れの悪い私に、キャスがため息をついた。
「ほら、あの日もこうやって、この門を抜けたでしょ?」
彼女に手を引かれ、私たちは城門をくぐり抜けた。視界がパっと広がって、見覚えのある建物が目に飛び込んでくる。
古い小さな館。角ばった目印のような塔。そしてその後ろに、緩やかにのびる丘。
記憶を覆う霧が、晴れていく。ここはキャスの言う通り、私が来たいと言った場所だ。
「何があなたをここに導いたの。」
「?…そんな高尚なものじゃないよ。」
突き放すように聞こえたかもしれない。でも、これはありのままの気持だった。
「そんな顔しないで、ララ?」
キャスが私の顔を覗き込み、この時一瞬、自分の時間が止まったようにハッとなった。
なんという白昼夢。これは、私の後悔が作り出した夢だ。
「ごめん、私のせい…。」
ずっとわだかまっていた気持ちが、三文字の言葉に乗って口から飛び出した。
「変なの!ララが謝る理由なんてあった?」
キャスが怪訝な顔をする。その表情も、息遣いも、目の動きも、夢とは思えないほど精緻。
「あるよ、お城に行っちゃだめ。
私は、一人で来るべきだった。
ねぇ、ロンドンに帰ろう。
キャスはここに来ちゃいけなかったの。」
「あら酷い。
今更取り返しのつかないのに。」
青い瞳から、笑みが消えた。まるで私が間違っているとでも言いたげな表情。
「…そうか、これは夢…怒ってるよね、ごめん。」
「さぁ、どうかな。
でも、私には知る権利がある。
一緒に行かないかと誘ってくれたのに、どうして一人で来るべきだった、なんて言うの。」
「だって…。」
私の脳裏に、あの丘の上での出来事がフラッシュバックする。
「…私が石にされちゃったから?」
「!」
それは、誰を責めるでもない淡々とした声だった。
刹那、私の頬を生ぬるいものが濡らした。哀しいとか悔しいとか、どんな言葉でも言い表せない別の自分がいる。
「私が石にされるとわかっていて、私を誘ったの?」
「違う…。」
「じゃあ、ララには何の責任もないじゃない。」
「そんなことない。
あの夜丘に登らなかったら、こんなことになってないもの。」
「登ったのは、ララのせいじゃないでしょ。」
「ううん、ホワイトステラの店員におかしな話を聞いたからだよ。」
「ホワイトステラ?」
「忘れたの?お城のお土産屋さん。
お城に来なかったら、あの店に入ることはなかった。
だから全部、私のせい。」
「…そう、あれはお城に来て知ったことだった。
だけど、本来の目的は別にあった、そうよね?起きてしまった悲しみのために大切な想いをないがしろにするのは良くないわ。
だから、もう一度教えて。
ララがここに来たかった本当の理由。
言葉にするって大事なことだわ。」
青色の瞳がじっと私を見つめる。この惑星と同じ、吸い込まれるように美しい青色。夢の中の彼女はいつものキャスそのままのようでいて、別の面影が重なっているようにも見える。私はその不思議な余韻に吸い込まれるかのように口を開いた。
「…おばあちゃんが生まれたお城が見たかった…それだけ。」
これは小さいころに聞いた話。私の祖母はあの城で生まれ、二歳になる頃、一家でこの土地を離れた。私たちの一族は、曽祖父が城と領地を永久に保護される未来に託すまで、この土地をずっと守り続けていたのだと。
「そう…それから?」
キャスの声が、術師のように私を導く。
お城の維持管理には、いつの時代も多額の資金が必要だったという。あいにくこの古城は時代の変化についていくことができず、曽祖父の時代、国の遺産保護に積極的なとある非営利団体に譲渡された。一族の歴史が刻まれた場所は今、観光シーズンにだけ期限付きで公開されている。
この国に暮らしていながら、帰国を目前にしてふと思い出した記憶の中の場所。
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「これはレプリカ、本物は家族の肖像画と一緒に今もお城に飾られているわ。」
祖母が自宅の小さな額縁(といっても、40インチのテレビサイズくらいはあったと思う)を見つめ、話していたのを覚えている。
耳に残るそれらの言葉は、確かに彼女の声だった。
「ほら見て、ララ。」
懐かしい声に促され、見上げるとそこに、あの肖像画がある。
右手に感じる温もりは、私の手を握る祖母のもの。
「わぁ…。」
時代を象徴する大きな車輪とひさし。美しいレースに飾られた豪華な乳母車。その中に眠る赤ん坊の構図。幼いながらに、なんて古めかしくて乗り心地が悪そうなんだろうと思った。
そして、飾られた絵の大きさに圧倒された。
「本当だ、お家のよりずっと大きいね?おばあちゃん。」
蘇る思い出のなか、気づけばそこは、城内の一室。
しまい込まれた記憶が、祖母の声に誘われるように光を受け、流れ出てくる。
彼女は私の手を引き、城内に飾られた肖像画を一枚一枚説明してくれた。古めかしく並ぶ知らない顔は、私にとっては他人。けれど、同じ血を受け継いだ人々。
どうやら私は、幼いころに少なくとも一度、祖母とこの城を訪れていたようだ。そして、あの丘も…。
その日は曇り空だった。私たちは、二人だけで丘の上の塚にやって来た。そして祖母は、ここはお城の中で最も大切な場所なのだと教えてくれた。
「ねぇ、おばあちゃん、あの大きい石はなぁに?」
「ふふ、これはね、妖精の国へ続く入口なの。
私はそう教わったわ。」
「妖精?!すてき!ララも妖精さんに会いたい!」
期待に胸を膨らませ、無邪気に隙間を覗いてみる。けれどその先は真っ暗で、冷たい風がヒュウッと吹き抜けてくるだけだった。
「真っ暗だよ、こわーい。
おばあちゃん、妖精さんは本当にこの向こうにいるの?」
「さぁ、どうかしら。」
祖母は優しく笑うと、続けてこう言った。
「いつか会えるかもしれないわね?宿命の導きがあるとすれば。」
「ホシノ…チビキ?」
「むかしむかし、大おじいさまがそう言っていたわ。」
「それって、、お友達になれるってこと?」
「妖精が呼びに来るということかしら。
でもそれは、悲しいことね。」
「なんで?」
「…家族や大切な人たちと二度と会えなくなるのは悲しいことだと思わない?
ここを通り抜けた人が、誰一人戻ってこなかったとしたら。」
「パパとママやおばあちゃんに会えなくなるってこと?それなら悲しい。」
私はそう言って、祖母の膝にしがみついた。すると彼女は、私の髪に触れながら言った。
「見てごらん、ララ。
美しいわね、あの城も、この丘も。
私たちのご先祖はこの土地に住み、城を築き、この塚を守り続けてきたの。
どんな理由があったのかも忘れてしまうほど昔からね。」
幼かったあの頃の私に、祖母が語った言葉の意味を理解できていたかと言えばそんなはずもなく、そして彼女も、期待はしていなかったと思う。
だからあの日のことは、すっかり記憶の底に沈んでしまっていた。
今思えば、祖母はあの塚を死の国への入り口だと捉えていたんじゃないだろうか。
あの辺りには、妖精が人間の子をさらうという迷信が根強く残っていたらしいから。
私は、キャスを見た。すると彼女は言った。
『理解したぞ。』
その力強い声は、キャスのものじゃなかった。私の目の前で金髪の虹色の瞳が姿を現し、構築されていた世界がゴムのようにグニャリと変形する。
「フィアルー!酷い!私の記憶に割り込んだのね!」
私は薄れてゆく少女、フィアルーに向かって叫んだ。
『おかげで千年の謎が解けた。
ララ、代わりに私の記憶を見せてやろう。』
フィアルーの声が響くと、今度は世界が暗転して全く別の景色が現れた。気が付けば、私は闇夜に冷たい風を感じている。
「ええっ?くっ、空中?」
私は、空高く浮いていた。横と背後にはたくさんの人影があり、今までに感じたことのない強烈な緊張感が辺りに満ち満ちている。
不思議と既視感がある。けれど、ここがどこなのか、どんな状況なのか、思い出すには少し時間が必要だった。だって、前に私が見た時には全てが黒い影絵だったんだもの。
けれど今、この目に映っている景色は、薄暗い中にもちゃんと色がある。
「シャノンモイ!」
私は叫んだ。このだだっ広い平野は、黒の魔術師の一団と金の枝が対峙した戦場だ。
『いかにも!』
「きゃぁっ!」
また視界が急変する。私の身体は超高速で空を裂き、夜の闇を飛んで雲を突き抜けた。
頭の中がグワングワン揺れて、電光石火の衝撃が私を掴み上げる。刻の水底でギルの箒にしがみついていたのとは比べ物にならない速さに振り回されながら、頭の中に二つの声が渦巻いた。
「こざかしいスズメバチ!私を潰せるわけなどないのに!」
「笑わせるな!地の果てであろうとお前を逃しはせんぞ。
本気で成せると思っているのか!メラース!」
(メラースと、フィアルーの声…?)
私は状況を理解しようと懸命になった。声は聞こえるのに、二人の姿はどこにも見えない。
魔法なのか武器なのか、何かがひっきりなしに高速でぶつかり、弾く音がする。
それらは止まない耳鳴りのようで、私には気が狂いそうなほどの強烈な音だった。
(だめだ…耐えられない…。)
と、意識を失いそうになったそのとき、鋭い風が頬をかすめ、紙で切ったような切り口から鮮血が散った。
「仕留めましたよ。」
メラースの勝ち誇った声が聞こえて、瞬く間に四方八方から黒い極細の糸が群がってきた。
「ぐわっ!」
苦痛に耐える叫びとともに、今度は強烈な眩暈に襲われた。黒いものに、身体が持っていかれそうになる。
メラースの姿は確認できないけれど、どうやら私はフィアルーの感覚を共有しているようだ。
「ふふっ、どうしました、最強の魔女?さすがの貴女も、真界の力を手に入れた私には敵わない。
認める気になったでしょう?」
「真界の力…だと?お前…。ぐぐっ…。」
息苦しかった。目の中に、喉の奥に、身体中に黒糸が侵入して力をはぎ取っていく…そんな感じがした。
「どう抗おうと無駄です。いかほどの魔力をもってしても、私の力を断ち切ることはできない。
いいえむしろ、強い程好都合なのですよ。
貴女は己の魔力で、自分を絞め殺しているも同然なのですから。」
フィアルーは、鈍い音を立てて血の混じった体液を吐いた。喉と体が熱い。
「ペラペラと無駄口を叩きおって…ふっ、私に勝ったつもりでいるのか…?」
「無様な負け惜しみは美しくありませんよ。」
「お前の語る美意識には反吐が出るよ…。」
気力ともいうべき底力が、締め上げられて身動きの取れないフィアルーから蒼い焔となって立ち上がる。
「往生際の悪い!魔力の行使は自殺行為だと忠告したでしょうが!」
焔が、振り払おうとするメラースにとぐろを巻いて襲いかかった。
「いいかげん、納得しなさい!その焔で闇の王リアルの力を焼き払うことは不可能!」
「それが、どうした!」
フィアルーは力技でメラースをからめとる。二人は互いに互いを縛り上げ、とうとう身動きが取れなくなった。けれど、フィアルーの小柄な体格はメラースに対して明らかに分が悪い。
「私を道連れにするつもりですか、ふははっ、良いでしょう!それほどに苦しみたいのなら、貴女を直々にリアフェスの大地に叩きつけて差し上げますよ!」
二つのとぐろは再び雲を突き破り、絡み合ったまま急降下する。フィアルーがメラースに押し倒され、地面と挟み撃ちにされてしまうのは必至だった。
「貴女の部下が、全魔法使いが貴女の最期を刮目していますよ!さぁ、無残に砕け散るがいい!夜明けとともに世界は私のもの!あの美しい黒妖犬も、このリアフェスも全て!はははっ!」
「そうは…させん。」
フィアルーは呪文を唱え、彼女のブロンドの毛先が意志をもって動いた。
そしてその先は、強い光で目の前が真っ白になり、私は何も見えなくなった。
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気が付くと、私は真っ白な中に仰向けになっていた。
金髪の少女が目の前に現れる。
「なんで、あんな記憶を…?」
私は体を起こしながら尋ねた。
フィアルーが最後に唱えた呪文が何を引き起こしたのか、そしてその結果何が起きたのか、言葉にしなくても今は手に取るようにわかる。
『お前が来るべくしてリアフェスへ来たのだと示すために。』
「来るべくして来た?ただの偶然でしょ。」
『あれを祖先が守りし道だと知ってもなお、言い張るのか。』
私は答えなかった。彼女の意地悪な言い方も好きじゃないけれど、こういうやり取りは辟易する。
『重要なのは、各々が役割を全うすること。』
「私に何かさせるつもり?」
『真界の門を開けろ。
そこにメラースを追放する。』
「ちょっ…真界の門ってなに?話が飛躍しすぎ!
メラースは闇の王リアルの力を持っているんでしょ。
本気で私にそんなことができると思って言ってるの?」
『さすがにかの王の名は知っていたか。』
「サウィーンの夜に現れるんだってことは知ってる。」
『リアルとは、真界の統治者の名だ。
リアフェスとは古からの因縁がある。
自由に往き来できる場所ではないが、刻の水底に真界へと通じる場所があってな。
それが真界の門だ。
通常、こちらから開けることはできないのだが。』
「開けられない?じゃぁ意味な…。」
『境界渡りが可能なお前は例外だ。』
「いっ…そう言うことね…。」
私は一気に肩を落とした。深く長いため息がでる。
「ほんと、軽々しく言ってくれちゃって。
そんな器じゃないって知ってるくせに。」
『…自分が外れくじを引いたと機嫌を損ねているのか。』
「違うよ、違う…けど…。」
『けど?』
「何の取り柄もない、他人の足を引っ張ってばかりの私にリアフェスの未来を託すなんて、無謀としか言いようがない。
意味不明よ。」
『私にはお前の虫けら並みのプライドの方が意味不明だよ。』
「ひどっ!」
『これは望む望まないの話ではない。
お前の言う”偶然”はお前を選んだのだ。
その現実に背を向け続けることは、許されない。』
「そうっ、かもだけど…。」
『まだ食い下がるか』
私たちは、まんじりとにらみ合った。
私だって、フィアルーの言っていることが全然分からないわけじゃない。けれど、能力以上のことをしろと言われたら、誰だって怖気づく。失敗したらどうしようとか、普通に考える。
メラースの力を見せつけられた後にあんなものに立ち向かえだなんて、エトラは不死身だとでも思ってるんだろうか。
『お前は、自分が何者であるかを理解していない。
唯一無二の力を持つ者の代わりは何人も務まらないことを忘れるな。』
「だから、それが重いって言ってるの!私はあなたのような英雄じゃあない!」
『英雄?英雄である必要などない。
今の現実はメラースが霊廟に眠る限り、お前は鍵として生きることを強いられ、あの男を追放しない限り、クレアモントの主としての責を負う。
それだけのことだ。』
「…そういう運命だって言いたいの?」
『友を助けたいという思いがお前を動かし、今がある。
全てが偶然で済まされるのなら、意志など必要ない、ということにならないか?私は、お前に私と同じ轍を踏ませるつもりはない、それが私の意志だ。
お前はこの先の未来に何を望む。』
彼女はそう言うと、私の頬に触れた。
”お前の望みはなんだ?”
ハリオデスの森で息も絶え絶えだったハルの言葉が蘇る。
圧倒的な森の力に取り込まれながら、彼は最後まで私を気に掛けた。
千年の戦いは、まだ終わっていない。負ける未来など見てはいない。自信に満ちた神秘的な虹色の瞳は、そう語っているようだった。
『千年の答え合わせは、全てが終わった後でも遅くはないぞ。…何を恐れている?』
「私…なんかに、務まるかなって…。」
『ふんっ。愚かなことを。
お前が今その手に有しているのはいったい誰の力だ?ん?言ってみろ。』
「誰って…貴女の力よ。」
『貴女、とは何者だ?どれ程優れた人物だ?』
「リアフェス史上最高の魔力を誇る智略の魔女。」
『だろう?お前はいわば史上最強の盾と矛を手にしているのだ、何を恐れることがある?』
「あなたの魔力は、私にとっては暴走と紙一重、諸刃の剣よ。
あの黒い糸がほんのちょっとでも私の血に触れたらと思うと、恐ろしくて身体が動かなくなる。」
『お前には信頼のおける有能なウィザードと、異種族の援護者がいるではないか。』
「?」
『あののっぽは、口は悪いが申し分ない。
あいつはドゥリヤールが書き残した書を読んでいる。
完璧にその意図を汲み取っていることだろう。
それに、風の』
「え?ちょっと待って、いつハルと話したの、フィアルー?」
私は彼女を遮った。さらりと告げられたけれど、これは聞き捨てならない。
『いつ?…ふむ、いつぞやに二言三言、交わしたまでのことよ。
些末なことだ、気にするな。』
いや、気にするよ。大いに気にする!
「気になるっ、ちゃんと思い出して!一体いつどこで、何を話したの??ハル、私のこと何か言ってた?それともフィアルー、あなた余計なこと、言ってないでしょうねっ?」
『余計なこととはどういう言い草だ。
まったく、さっきまでの子犬のような態度はどこへ行った!無駄口はしまいだ、さっさとメラースを片付けてこい!』
感覚的には、まるで障子がピシャリと音を立てて閉ざされたかのようだった。
「あっ、ちょっと!」
私は、フィアルーの領域から文字通り放り出されたのだった。




