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14-1.前進

「それ以上近づくな!そこは進入禁止区域だ。」


 風にたなびく四人の黒装束に向かって、最初にストライドの声が響いた。

 馬車から二人が滑空した時、戦闘が始まるんじゃないかと思うほど緊張が走ったけれど、彼は見た目に違わぬ理性を備えていたらしい。


「その規制がリアフェスのためになると思っているのか!嘆かわしい!」


 フードを被った四人は動きを止め、一人がゆっくりとこちらに顔を向けた。

 不自然だったのは、相手の言葉がストライドの警告に対してではなく虚空に向かって訴える叫びのように聞こえたこと。

 遠目にほとんど黒色だった長いローブは濃厚なブラックコーヒーのようなこげ茶で、裾や袖にはウィザードの正装とよく似た幾何学的な模様がある。

 あの人達はウィザードなの…?なんて考えていると、男は突然、両腕を天に掲げて叫んだ。


「あぁ、歓喜の涙よ!我らが耐えに耐え忍んだ日々は全て師に捧げられた!成就の時は迫りつつある!私には聞こえるぞ!」


「おおぉぉ。」


 男に付き従う三人が、一斉にどよめく。彼らは、ストライドに制止されたことなんてそっちのけで自分たちの世界に浸っていた。

 私はその行動に呆気にとられたけれど、すぐそばのストライドはそうじゃない。


「薄汚い茶番め。」と吐き捨て、小声で上王に下降するよう促した。


「陛下、霊廟へお急ぎください。」


 彼は上王を守るように不審者の前に立ち位置をとり、一団から目を離さない。決して簡単には砕けそうもない彼の強いオーラからは、高潔さと自信とプライドが漂う。


「おぉ、あなた方も一緒に祈りましょう。」


 フードを目深にかぶった一人が大きく手を差し広げる。相手の剣幕なんてお構いなしの穏やかな口ぶりが、私にはかえって不気味だった。


「共に師をお迎えする喜びは、他には代えがたい幸福。」


 男の声はいかにも幸せそうで、これはストライドが吐き捨てた通り私たちを欺くための茶番なのか、それとも心の底から信じて語りかけているのか、私は怪しいお菓子の家に誘い込まれる子供のような感覚に陥った。

 目の前にあるのは、甘くて美味しい誘惑。でも私はもう何も知らない子供じゃないから、悪い魔女が仕掛けた誘惑かもしれないと薄々感づいている。

 ハルの箒に乗っているせいだろうか、頭の中がチカチカした。


「無理をするなよ、スタン。」


「ご心配なく、無理をするほどの輩ではありません。」


「躊躇っているのですか。

 安心なさい、この喜びを広く民に知らしめることは我らの務め。さぁ…。」


 近づく男に向かって、ストライドは腰に下げた武器に手をかけた。


「進入禁止区域だと忠告したはずだ、速やかに離れろ。

 私は警告を無視する者に武力行使をいとわない。」


 ストライドの言葉に上王は箒を翻し、矛先を地上に向けた。


「長居は無用だな、ついてこい、フォンウェール。

 ここはスタンに任せる。」


「なんと!いたわしい、苦渋に刻まれたその顔つき。

 だが若者よ、貴方も救われる。

 苦悩の日々は終わりを告げ、誰しもがこの空の下に等しくなる。

 私はその到来をはっきりと感じるのです!」


「小賢しい!」


 ストライドの厳しい声に、私はハッとなった。

 ほんの一瞬、ぼんやりしていた気がする。


「我々はすべからく祝福を受ける権利がある。」


 (この人は何を言っているの?)


 そう思いながらも、倍音がかかった男の声に聞き耳を立ててしまう。

 地上に矛先を向けられたハルの箒。

 声だけになった男の言葉に、私はハルを押しのけて勢いよく後ろを振り返った。


「危ない、ララ!」


 箒がバランスを崩し、大きく揺れる。でも、そんなこと構わない。

 心に響くあの声を、聞かずにはいられない。だって彼は、正しいことを言っている。


「リアフェスの夜明けは近いのですぞ、真の平和が訪れるのです!この喜ばしい瞬間を目の当たりにする誉!何という喜び!迷うことはありません!」


 一陣の風が吹き、突然男のフードが浮いて顔が露わになった。


「きゃっ!」


 私は失神しそうになった。

 なぜって、大きく見開かれた両目が、白目もなく真っ黒だったから。

 ううん、それは錯覚だったのかもしれない。私が悲鳴をあげたと同期に、彼らの周囲はストライドを飲み込むように黒煙に包まれて見えなくなった。


「黒いっ、煙が…!」


あいつ(ストライド)は大丈夫だ。」


 ハルの落ち着いた声の外側で、私は高まった鼓動を整えようと必死になった。

 たとえ錯覚だったとしても、自分が何を見たのか考えちゃいけない。かき消さなきゃいけない。あのおぞましいものが記憶に刻まれる前に。

 何度も深呼吸して、ごちゃごちゃになった頭の名を制御する。


「落ち着いたか。」


「うん…。」


(あれは何…?私、自分を抑えきれなかった…?)


 平常心を取り戻すにつれて、心に湧き上がる我を忘れたような感覚が後味の悪い余韻を残していることに気付いた。


 なんで男の声を聞きたいと思ったのか。なんで振り返らずにはいられなかったのか、説明がつかない。


(あ…頭、、治ってる。)


 頭の中のチカチカは、嘘のようにおさまっていた。

 痛みが消えてしまえば、原因がなんだったのか、なんて気にならなくなる。だから私は、ハルが落ち着いたかとたずねた本当の意味を理解していなかった。そしてこの時彼が何を思っていたかなんて、知る由もない。



 -------



 公園に降り立つと、地上は地上で厄介なことが起きていた。

 黒装束の仲間と兵士たちが争った形跡がありありと残っていて、拘束されたり、共倒れになっている者が散らばっている。

 警備についていた兵士の多くは眠らされていて、かろうじて起きている者も、酩酊してまともな報告ができない。

 霊廟を護る結界はまだ保たれているけれど、かなり弱まっていた。それがどの程度なのかというと、「内側からでも外側からでも、力ある者なら難なく壊せる。」ってことらしい。


「そんな遠回しな言い方しなくても、黒の魔術師がいつでも出られるっていう解釈をしたらいいの?でも不思議ね、あの四人が霊廟に侵入することなく空に向かったのは何のため?」


 本当に不可解だと思った。こんなに派手に荒らすのなら、ついでに霊廟を占拠するなり侵入するなりして「師」とやらを奪取すればいいのに。


「侵入が目的ではないんだろう。

 奴らは、黒装の魔術師の復活を広く知らしめるためにこんなことをしている。」


 私の問いに、ハルが答えた。そして、上王が続ける。


「そうする以外に手段がないことを認めているともいえる。」


「手段がない…?」


 意味深にこちらを見る彼女を、私は見つめ返した。


「そうだ。霊廟を占拠したところで真の目的は果たされない。

 侵入を試みるなり、占拠するなり、ここまで大胆に行動できる者ならばとうにやっている。

 だが、たとえあの建造物を破壊するという暴挙に出たとしても、棺の安置場所に侵入することなど不可能。

 あやつらはそれを知っているのだ。

 唯一無二の、あの鍵がなければ何人たりとも触れることすらかなわぬとな。

 まぁ、今となってはその結論は正しいとは言えまい。

 我々にはお前がいる。」


「私…?」


「まったく、そのような間抜け面で私を見るな。

 おい、フォンウェール、私は魔女を呼び出せと命じたはずだが?それとも、」


「いずれ陛下にもご理解いただけると思いますが、魔女を呼び出せば彼らに余計な情報を与えかねない。

 むやみに存在をざわつかせるのは避けた方がいいでしょう。

 呼び出すなら、霊廟内での方が穏便かと。」


「ふん、もったいぶるのだな。」


 上王は不満げに言葉を吐くと、そのまま踵を返して霊廟へと歩き始めた。

 二人の後を追って、私も小走りに続く。そしてふと足を止め、空を見上げた。

 ストライドは無事だろうか。


「案ずるな、ララ・ミドリカワ。」


 振り向きもせず、上王が私に声をかける。


「そうですね。

 屈強そうな方でしたけど、色んな意味で。」


 私は彼女の背中に向かって言った。このまま霊廟に向かわなくても、今なら助けに行くことだってできる。そんな不満を少しだけ抱えて。


「当然だ。あの程度の術に惑わされるようでは守り人は務まらぬ。」


「あの黒い煙幕のことでしょうか…全然晴れませんが。」


 やっぱり彼が鍵の守り人だったのか。私は上王のさりげない言葉を聞き流した。


「…やはり気づいていなかったのか。」


 私の横で、ハルが呟いた。


「え?」


「そのようだ。」


 二人の間にいるのに、私は置いてきぼり。


「わ、私だって気づいてるわよ、そのくらい。」


「あれは使役魔法の一種だな?」


「はい、規制ぎりぎりの。

 ララがかどわかされる前に離れて正解でした。」


(なんですって!!)


 私がかどわかされる?一体誰に…?

 驚きと怒りが混ざり合った直後、私ははっと言葉を飲んだ。

 つまりあの余韻はそういうことだったのかと、腑に落ちた瞬間に背筋が凍る。

 抗えない欲求、ほんの一瞬飛んでしまった意識、何故か男の声を聞かなければと思った全ての原因は、知らないうちにかけられた術のせいだったのだ。

 ということは、ストライドはそれを見越して上王に下降するように言ったというの?


「彼は、、私のために…?」


 私は、もう一度空を見上げた。


「馬鹿も休み休み言え、あれは私の部下だ。

 その愚かな台詞、間違ってもスタンの前で口にするなよ。」


「わっ!す、すみません…。」


 失礼なことを口走った自分を反省し、私は即座に謝った。そうよ、ストライドは上王の側近。間違っても私のためにそんなことを言うわけがない。


「だから早く魔女を出せと言ったのだ。

 …おい、今笑っただろう、フォンウェール。」


「うそっ?!」


 私は驚いて横にいるハルを見上げた。彼が笑う?こんなことで?そもそも、笑うハルなんて、記憶にある限り覚えがないのだけど?


「いいえ。」


 ハルは口角を一ミリも上げることなく否定した。


「隠しても無駄だ。」


「…陛下は相変わらず、ストライドのこととなると容赦がない。

 そう思っただけです。」


「いちいち含みのある言い方をするな。

 まったく、どうしてお前たちは…。」


 と、上王はあからさまに辟易した声になった。でもその後ろ姿は、刺々しさが欠片もない。


 我がままで、嫌味の塊みたいな欲深い支配者。

 第一印象からずっとそう思ってきたけれど、気がつけばほんの短い間のうちに、私の彼女に対する印象は変わりつつある。


 断言的で棘のある言い方も、冷酷に思える考えも、相手が一番痛みを感じるところに土足で入り込んできて、痛めつけて出て行くことに容赦がないことも、平凡な私には理解しがたい。

 けれどリアフェスを愛し、その小柄な体に全てを背負って守り抜こうとする姿はまやかしじゃあない。


 そしてストライドは、上王の理想を理解している。彼女が確かな信頼を寄せていることは、二人の交わす言葉や態度、雰囲気に垣間見えて、私はもしかすると、彼女はハルに対しても同じくらい心を許しているんじゃないだろうかと思った。

 そもそも人に対して好き嫌いのはっきりしているハルが、嫌いな相手と必要以上に関わろうとするはずがないのだ。


 ハルと上王の付き合いは魔法科の頃から。年月という私には覆せそうもない時間に養われた賜物なのか、上王は、私には気づけないハルの感情の機微を汲み取っている。

 それが統治者という仮面の下の、巧妙に隠された本当の姿なのだとしたら、そんなことができる彼女が素直に羨ましい。


 未熟な頭で考察する限り、こんなふうに受け入れられるようになったのは、私自身の彼女を見る目が変わったから…なのかな。



 -------



「もうすぐ結界に触れる。」と、上王は歩みを止めることなく言った。


「私が手をかざしたら、小さな入り口が現れるはずだ。

 開門時間は数秒しかない。

 余計なことを考えず走り抜けろ、いいな?ララ・ミドリカワ?」


「わかりました。」


 私が大きく頷いたのを確認すると、彼女はすかさず結界に手をかざした。

 これは、緊急事態に結界を抜ける非常手段。普段は、こんな手荒なことはしない。

 そして私はなぜか息を止め、言われた通りに、何も考えず走りこんだ。


「ぷはぁっ!」


 大きく息を吐き出して、吸い込む。振り返ると、うっすらと見える透明な薄ピンクの結界は、既に閉じていた。

 そして眼前に佇むのは、美しい箱型の霊廟。壁を流れる優しい水音は、相変わらず清楚で心が洗われる。でも、改めて驚いたことが一つだけあった。


「おっ、おっきい…こんなに大きかったんだ?」


 私は、霊廟の顔とでもいうべき正面の両開き扉を前に圧倒されていた。

 この石の扉の大きさは、オルガンド王国で見た赤い廊下に並んだ扉のサイズに匹敵すると思う。

 最初に目を引くのは、大きな三人の女神像。そして背景の、美し曲線の幾何学模様たち。

 埋め尽くすように彫られた植物の花や葉、ドレープがその陰影で奥行きを与え、全体を華麗に引き立てている。


「まさか、この扉を開けて入るって言うんじゃ…?」


 思い出されるのは、かの王国の巨大な扉の感触。重厚な木製だったけれど、あの時は結果的に猫族のラグレールが怪力だったから開いたわけで、それもようやく人が一人通れるくらいの隙間だったと思う。

 普通に考えて、この石の扉が人力で開けられるはずがない。


「まさかと思っているならわざわざ聞くな。

 入口は別にある。

 その扉は儀礼の時にしか開かない。」


「ですよね…。」


 思ったことがすぐに口に出てしまうこの性格を恨みつつ、私は上王に相槌を打った。

 彼女は、慣れた足取りで大きな右扉に近寄る。そこは遠目だとカモフラージュされて全く分からないのだけれど、まるで勝手口のような小さな扉があった。おまけに鍵は簡単な仕組み。手元はよく見えなかったけれど、彼女が何かを押すと、石材特有の鈍い擦れ音がして扉が開いた。


「わ…。」


 内側に足を踏み入れた時、自然と小さな感嘆の声が漏れた。そこは想像していたよりもずっと狭い通路で、天井がとても高い。全てが石で囲まれているのに、十分な自然光があって松明が要らないのだ。

 一歩フィアルーに近づいたような、彼女の懐に足を踏み入れたような、不思議な感じがする。

 この建物のどこかに彼女の身体が眠り続けているのだと思うと、黒の魔術師に対峙するのとは別の感情が湧きあがって来た。


「この路は大扉からの経路とは別の、いわゆる迂回路だ。

 少し歩くぞ。」


「はい。」


 上王の説明では、この経路だと柩が安置されている部屋に至るまでに二つの部屋を通るらしい。

 私たちが今歩いている細い路はしばらくすると階段になり、数メートルの高さに昇ったところで平行になる。そして歩き続けていくと、最初の何もない部屋。この部屋から地下へ続く階段を下り、再び平坦な道になると、その先が二番目の部屋。


「二番目の部屋は、直接棺の安置場所、つまり本来の霊廟に続いている。

 お前が必要になるのはそこだ。」


 コツリ…


 石畳に、足音が響く。

 上王は姿勢を正して改めて私の正面に立ち、真剣な面持ちで深いサファイア色の瞳を私に注ぎ込んだ。

 これは神妙な空気。彼女が次に発する言葉を待つべきか、それとも自分から何か言うべきか。戸惑いが頭をよぎった瞬間、彼女が言った。


「お前の望み通り、霊廟内に入った。

 約束通り魔女を呼び出してもらおうか、フォンウェール。

 この期に及んで御託を述べるなら、私は躊躇いなくこの娘を斬る。

 私の剣術の腕前、当然お前は知っていような?」

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