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13-2.襲雷

 6月、サリクスの月。

 イーリーベルの玄関前広場は、頭上の穏やかな空とは対照的に凍り付きそうなほどの緊張が走っていた。

 迫る王と制服姿の男たち。近づいてくる規則的な足音。背筋に流れる冷たい汗。

 今度こそ、逃げ場はない。


 -------


「おもてを上げろ。」


 足音が止み、声がした。

 顔をあげると、他者を見下すあの厳しい目がある。

 上王は私たち四人の顔を確かめるように眺め、最後にギルに言った。


「呑気に茶会とはいい度胸だ、ギリアム。

 娘を連れてこいと伝えたはずだが。」


 ドクンッ


 心臓が波打った。娘って、私のこと…だよね?


「…。」


 ギルは黙ったまま、表情は別人のように硬い。

 つまり、肯定を意味しているってこと。

 いつからそんなことを言われていたの…?

 私の疑問は声になるはずもなく、喉元に引っ掛かかる。


「命令違反が何を意味するか、分かってのことだろうな。

 …さっさと配置に戻れ。」


「!?」


 ギルの身体がゆらりと揺れて、足が半歩前に出る。彼の動きに、私は目を疑った。

 真意を確かめたくてギルを見るけれど、前に向かうその瞳はけっして私の視線と交わらない。

 飼い主の命令に犬が従うように、彼は場を静かに離れ、上王の元へ向かう。


 遠ざかる後ろ姿に、呆然とする。

 誰かに悪い夢を見せられているんじゃないか。そんな気すらする。

 ほんの数日前、自分の信念に従って私を助けたのだと笑って言ってくれたのに。

 刻の水底で、(エトラ)を悪い奴に引き渡したりしないと言ってくれたのに…!


「あいつはもともと、所謂貴族の出自だからね。」


 リビエラが、ボソリと呟いた。


「そんな…。」


 戻るべき場所へ戻る…そういうことなんだろうか。


「いい子だ。」


 上王はすれ違いざまにギルにそう呟くと、勝ち誇った顔でニヤリと私を見た。

 いちいち挑発するような仕草は本当に癪に障る。

 あの顔は、私が何もできないのを知ってやっているに違いない。


「前回のように得意技を使われては厄介だ。」


 彼女はそう言って、ギルの両手を縛り動きを封じるよう命じた。

 よく見れば後ろに控える一群はギルと同じ服装だ。さっき見覚えがあると感じたのはそのせいだった。


「さて…残るはたった三人、いや、二人だが…私は穏便に済ませたい。」


 彼女はそう言うと、ハルに向かって続けた。


「フォンウェールよ、(エトラ)の保護、大儀であった。

 以後は私が責任をもって管理下に置くとしよう。

 小娘を引き渡せ、これでお前も肩の荷が下りるというもの。」


 いかにもハルをねぎらう声色は、あからさまに柔らかい。

 そしてそれがどれほど私を苛つかせたか、上王の奸計だとしたら成功したと言わざるを得ない。

 身体の中で分厚いものが鈍い音を立ててちぎれ、不浄なものがまき散らされたような最悪の気分だった。


「陛下。」


 ハルは、上王を拒絶するでも怒りをあらわにしているふうでもなかった。

 けれど、その些細なことが私を射貫く一撃になった。

 抵抗しない。たったそれだけのこと。

 呆れるほどたったそれだけのことが、私を傷つけ心を折る。


 ああ、彼は上王に逆らわないだろう。いつものように…。

 そう考える自分がいた。


 蘇ってくるのは、ハルがネルフォーネでギルに見せた無慈悲な仕打ち。

 いつ帰るとも知れない突然の召集。

 彼はいつも、私のことよりも上王の命令を優先させてきた。 

 思い出したくもない苦い記憶と感情が、薄れかけていた心の傷をえぐる。

 そして傷口から疑心の鬼が顔をもたげ、耳元で繰り返し囁きはじめた。


 ”ハルはお前を引き渡す”と。


 彼は私を守ってはくれない。そう結論付ける以外、頭の中には何もない。

 今回も、きっと()()()()


 受け入れたくない現実を受け入れたとたん、喉が息苦しくなった。

 胸が軋んで吐き気がする。

 悔しさと悲しみといろんな感情がごちゃ混ぜになって一気に押し寄せ、胃のあたりが熱を帯びた。

 私が泣き崩れる?そんなわけない。絶望よりも強い憤りが完全に勝っている。


「冗談っじゃっないわよっ!!」


 私の声に、皆が注目した。


「大儀だの肩の荷だの、都合のいいことばっかり言わないで!私はあなたの管理下になんか置かれないわよ。

 ハルがそうしろって言ったって、全力で抵抗してやる!!」


「口を慎め、ララ。」


 さっきとはうって変わって厳しい声。

 咎めるヴァイオレットの瞳に、私の感情は追い打ちをかけるように激しく揺さぶられた。


「うるさいっ!ハルの薄情者!裏切者っ!!私だってあなたみたいな人の助けは要らないんだから!」


「なん…だと?」


「私にはフィアルーがいる!誰の手も借りずに、一人でリアフェスの果てまで逃げ続けてやるわ!」


「ララっ。」


「触らっないでっ。」


 パシッ


 私は、ハルの手を思い切り叩きはらった。


「ほぅ、本性が出たな。

 …魔女を取り込んだとは聞いていたが、真だったか。

 ならばここで証明して見せるがいい。」


「!」


 上王は不敵な笑みを浮かべ、仕留めた獲物を弄ぶような視線を私に向けた。

 これから起きる余興をじっくり堪能しようとする冷ややかな目は、氷の女王にそっくり。


「いやよっ、そんな安請け合い伝説の魔女がするはずないでしょっ…。」


 精一杯の強がりだった。

 フィアルーが自分の中にいるのかすらわからないのに、魔女の証明なんてできるわけがない。


「だろうな。

 お前からは、微塵も魔力が感じられん。

 取り返しのつかぬ大ぼらを吹いたものだ。ククッ。」


「うぅっ、、嘘じゃないし!」


「時間がない、余興は終わりだ!リアフェスの王として命ずる、そこを動くなよ、フォンウェール。

 小娘を取り押さえろ!」


「いやっ!」


 万事休す。上王の指示が鬨の声となって、制服の男たちが一斉に動き出した。

 彼らは私を捕まえに、囲い込みながらこっちへ走ってくる。

 それを見た私は、無意識に後ろへ逃れようとした。

 とにかくどこかへ逃げなきゃと思ったとき、目に飛び込んだのはイーリーベルの玄関口。


「よせっ!シルキィ!」


 ハルの叫び声と同時だった。


「きゃぁぁっ!…うぅっ…。」


 さっきキッチンダイニングから聞こえたよりも長い、激しい破裂音が一斉に響き渡る。

 私は砂埃と一緒に地面に転がりこんだ。


 身体中に巡る痺れと痛み。皆の鈍い断末魔の叫び。全部が同時に起きた次の瞬間、今度は嘘のように辺りが静まった。そして砂塵に紛れ、あちこちで低いうめき声がもれはじめる。


「大丈夫か、ララ。」


 重なるように地面に伏していたハルの声。


「怪我は?」


「う…。」


 私は、うつ伏せていた顔を動かした。

 ハルが叫んだ声が残響のように耳に残っている。何が起きたのか、想像はついた。

 あの激しい破裂音と痺れは、例の雷。

 家から遠ざかるように体が投げ出されたおかげか、ひどい痛みも怪我もない。けれど、大地に触れる手が震えている。


「ない…。」


 私の言葉は、そこで途切れた。

 息を殺して、固く握りしめた左手を右手で抑え込む。

 身体が無意識に怖がっているのか、雷の影響なのか、震えが止まらない。

 早く逃げなきゃならないのに…!


 とその時、焦る私の手に別の手が重なった。

 逃れようもないほど強く、けれど優しく私の手を包み握りしめるハル。


「っ…。」


 晴天の霹靂とはこのこと。私は混乱し、抵抗もできず、大きな彼の手を見つめるだけ。ただ、強引とも言えるほどに伝わる体温が、心の嵐を消し去っていく。


 時間にしてみればほんの数秒のこと。不安と緊張は雪解けのもろい氷のように跡形もなく溶け、気づけば震えは治まっていた。

 さっき暴言を吐いたばかりだというのに、不謹慎にもずっとこうしていたいと願う自分がいる。


 だってこの温もりは、まるでハルの心。

 強く温かく、いとも簡単にどこかへ行ってしまう。

 重ねられた手がそっと離れようとするのを感じ取るや、私は自分の額を押し当てた。


「…いやだ…離れたくない…。」


 祈りにも似た想いが、引き抜こうとする手に抗う。


「お願い…さっきの言葉、謝るから…。」


 少しの間をおいて、ハルのため息が聞こえた。

 聞き分けの悪い私に呆れている。

 あんな酷いことを言った後だもの、許してもらえなくても仕方がない。

 それでも、上王に引き渡されるくらいならシルキィの雷に打たれて死ぬほうがましだと思った。


 頑なにうずくまる私の髪に、彼の息が触れる。


「恐れるな、ララ。

 …オレはここにいるだろ。」


 それは、いつもと変わらないハルの声だった。



 -------



 この砂埃に紛れて移動する。

 私たちはとにかく、その場から逃げなければならなかった。

 だからハルは先ず、なにものも刺激しないよう注意しろと私に告げると、次に林へ逃げ込めと急かした。

 乾いた砂は雷の刺激で結構な範囲に舞い上がっていて、誰がどこにいるのか、敵も味方も区別がつかない。


「ふぅ…。」


 誘導されて安全圏の林へと移動を完了する。

 幹に触れたとたん、私は滑るように地面に座り込んだ。

 そして気づいた。今ここには、ハルと私の二人しかいないということに。

 嫌な予感に血の気が引く。


「ねぇ、リビエラは…?」


 心臓の鼓動を抑えつつ、私はハルを見た。


「心配ない。行くぞ。」


「え?なんで?」


 私は理解できなかった。

 いくら彼女が頑丈だとしても、唯一無二の友を他人のようにあしらうなんてあり得ない。


「ねぇ待って、、まだあそこに…!」


 私は先へ進もうとするハルの服を掴み、広場を振り返った。

 良くも悪くも視界のはっきりしない向こうは、騒々しい。さっきから何回か鋭い稲光がさして、悲鳴だって聞こえた。

 リビエラが彼らの巻き添えをくっていたとしたら…?

 混沌とした状況で大勢に取り囲まれたら、いくら彼女でも逃げ場はない。


「ひゃっ!あれはっ?」


 突然、どこからともなく力強い指笛が聞こえた。


「リビエラだ。

 心配ないと言っただろう、こういう時のあいつの機転はずば抜けているんだ。

 音の方向からして反対側の林だな、上々だ。」


 上々?いったい何が?


 ハルの呟きが何を意味しているのか、状況についていけない。

 勝手に方向を決める彼の背中を追いかけ、イーリーベルの裏手へと進む。

 といっても、家屋からは随分と距離を取っているみたいだ。

 普段、裏の林に足を踏み入れることはあまりないから、いつもと違う角度から見るかの家は、他人の場所のような趣がある。

 つい感傷に浸って、シルキィのことを思い出してしまう。


「ねぇ、シルキィ…だよね?さっきの…。」


 私は、迷いなく歩みを進めるハルの背中に言った。


「ああ。」


「彼女が私たちを襲うなんて。」


 家屋精霊は自分が憑りついた家を守るというけれど、裏切られたのとは別の意味でショック。


「あの状況で家人と敵を区別しろというのは無理な話だ。」


「ずっと一緒に暮らしてきたのに?シルキィが私たちを忘れちゃったみたいで悲しくない?」


「いいや。」


「あっさりしてるのね…。」


「精霊と暮らすとはそういうことだ。

 彼らは彼らの性に従って生きている。

 別に、シルキィに限ったことじゃない。」


 思わず、ため息が漏れる。彼に()()()()シルキィへ愛着を求めることは、やっぱり無理な話。


「オレの言っている意味は分かるよな?」


「うん…。」


 私は小さく答えた。もちろん曖昧に返事したわけじゃなく、ハルの言っている意味を理解しているつもり。ただ、彼のように割り切れないだけで。


「ならあまり気に病むな、ほとぼりが冷めればあいつ(シルキィ)も落ち着く。」


 悲しいけれど、ハルの「気に病むな」という言葉は、ここで暮らしていくために大切なことだ。

 そしてこの土地がすごく特殊な場所だという裏返しでもある。


 イーリーベル周辺は、他では考えられないほど普通に精霊が存在している。

 家に憑りついたシルキィ、庭師のザム、そして林にいるピクシー。

 ピクシーたちはよくイーリーへと続く道沿いに群れているけれど、実際はこの家を取り巻く林のあちこちに居ついている。

 彼らに言わせれば、ここはもともと妖精の領域だったのだとか。


 見渡す限りの雑木林は、イーリーベルに付属している土地。そしてあの家を所有する者は、この土地の所有を自分たちから許された者。

 私からすれば間借りの分際でなんて態度が大きいのって思うけれど、ピクシーからすればそういう認識。


 姿形は人間とよく似ていても、精霊は決して人間のようには生きない。

 私だって、少しは学んだ。

 ブリシュカの件ではザムに散々振り回されたし、プライドが高くて自由奔放なピクシーにも最初は苦労した。世話好きで甲斐甲斐しいシルキィのことも、決して怒らせてはいけないことを知っている。


 とはいえ、関われば多少なり愛着や情を持ってしまうのが普通の感覚じゃない?

 私はそれをハルと分かち合いたかったのだけれど。

 同じ土地に暮らしながら「私たちの根っこは違う世界にある」ってことをハルは心得ている。

 大切なこと、だけどちょっと寂しい。そう思ってしまうのは私だけだろうか。



 -------------



「ねぇハル、私たちこれからどうするの?」


 私は頭を切り替えようと、彼にまた質問した。

 ハルが考え事をしているのは背中を見ていれば分かる。そもそも私たちは、上王が来るまで今後について話している最中だった。それにハルの話も、まだ全部聞き終えていない。


「上王と交渉する。」


「こうしょう??」


 私はハルの後ろで一人、金魚みたいに口をパクパクさせた。


 いやいやいや…

 何を交渉するの?どこに交渉の余地があるっていうの?

 上王は強引で我がままで、人を征服することを当然だと思っている人。

 これまでのことを考えたら、また彼女の良いようにされるに決まっている。

 ギルもハルも、誰も彼女に逆らわないんだから。

 リアフェスの人は皆、生まれながらの支配者に毒されているんじゃないだろうか。


「あんな意地悪な人と交渉して何になるの?」


「さぁ、なんだろうね?」


(え?)


 私は驚いてあたりを見渡した。

 姿は見えないのに、リビエラの声がする。


 ザザッ


「ひゃっ!」


 不意に上から音がして、リビエラが木から飛び降りてきた。


「やぁ、ララ!無事だったね。」


 琥珀色の瞳がぐっと近づいて、私は思わず彼女の頬に手をあてた。


「ああ、良かった!それはこっちのセリフよ、心配したんだから!」


「あっはは。ありがとう、でも心配はいらないよ。

 これでもウィザードの助手だからさ。」


 彼女は、軽快に笑う。

 腕にできたかすり傷なんて、気にもしていない。


「助手っていうより、ロビンフッドだわ。

 こんなふうに林の中を自在に動くなんて。」


「ロビンフッド?何だい、それは?」


「シャーウッドっていう林の英雄よ。

 私がいた世界の、だけど。」


「ララがいた世界の英雄かぁ、強い奴なら悪くない。

 木登りは昔から得意だし。

 僕の指笛、聞こえたんだね?」


「うん、ハルがすぐに気が付いて。」


 リビエラは満足げにウィンクをして見せ、続いてハルに報告する。


「上王一行は、今イーリーベルから距離を取ってる。

 まだ僕たちを探しているみたいだよ、ハル。

 ピクシーたちが悪戯をしないといいんだけど。」


 彼女は、少し憂鬱気な表情をした。

 合流できてホッとしたはしたけれど、私たちは追われている。

 ピクシーの悪戯を心配するなんて優しい。


「ララ、ピクシーの悪戯を心配をしてる僕を不思議に思ってるだろう?」


「えっ?なんでわかったの?」


「顔に書いてある。」


「やっ。」


 私は、思わず両手で頬を覆った。


「ははっ。

 あいつらは、招かれざる客には厳しいんだ。

 大事になる前におさめなきゃ。」


「だな…。」


 相槌を打つハル。どうやら彼も、同じことを考えていたみたいだった。

 まったく、誰が誰の心配をしているのかよくわからない。


「それからさ…。」


 とリビエラは一つ気になることを言った。


「あの制服、金の枝だよね?」


「ああ。」


「あいつら、穀潰しと揶揄されているって君から聞いていた割には動きが実践的で俊敏なんだ。

 僕がこの土地に馴染みがなかったら、ちょっとヤバかったかな。

 なるべく鉢合わせしないように進んだ方がいい。」


「制服はギリアムを除いて五人。

 方々へ散ったとしてもストライドは陛下の傍を離れないだろう。

 戻るなら、今だ。」


 ハルはそう言うと、いつもの銀色の球を取り出した。

 球は細長いスケートボードのように変化し、そこ足をかける。


 まさかまさか、一人で飛んでいく気じゃないよね?


「ちょっとハル、どこに行くの?!」


「ララはリビエラと一緒にゆっくり来い。」


 ゆっくりって、どういうつもり?!ピクニックじゃあるまいし!


 彼は金の枝に見つかっても決して抵抗するなと言い残し、風のように空へ飛び立った。

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