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12-7.憶

 小屋の中は、砂塵と腐葉土の有機的な匂いが染み付いていた。

 手入れは行き届いているが、薄暗く土臭さい。

 当たり前に居住地のような温もりはなく、空気に混ざる鉄と油は、彼に不快な記憶を思い出させる。

 それは、懐かしさという穏やかな感情とは真逆の記憶。


 幼い頃、彼にとって屋敷の敷地にある畑は、遊び場の一つだった。

 暇を見つけては、年端も近かった使用人の子ロームと声を上げて駆け回った。もちろん、納屋に置かれた道具を物珍しさに探検しつくしたこともある。


 遠くない未来、リアフェスのあらゆる納屋は自分の身を隠し風雨をしのぐ場所に変貌する。

 過酷な現実とは無縁の幸福で恵まれた日々は、記憶の彼方。

 決して好きな場所とは言えないが、しかし慣れとは恐ろしいものだと実感する。

 今の彼は、この硬い床に平気で眠ることができるのだから。


(よほど几帳面な庭師だな。)


 初めてこの小屋に入った時、ギルはそう思った。


 これまで数々の納屋に忍び込んだが、ここは感心するほど掃除が行き届いている。

 壁に吊るされた道具は展示品のように磨かれて行儀よく並んでおり、木の板を重ねた簡素な棚には、丁寧に分類された種や球根、タグや名札等が箱に収められていた。


 手先が器用で頑強で、顎髭をたくわえた細身の真面目な老僕。

 自然と、誰かの面影が心に浮かんだ。

 かつて自分が暮らした屋敷には、確かにそのような風貌の良き庭師がいた。彼の名前は何だっただろうか。

 数少ない淡い記憶に、忘れかけていた感情が重なる。


 とはいえ、ここには庭作業とは無縁の、異質なものがないわけではなかった。

 小さな窓の側に佇む、布に覆われた不可思議な等身大の像。天井から吊るされた二枚重ねの透けた布から、どちらかといえば小柄な(確かに、ララよりは背の低い)人体を思わせる曲線が透けて見える。

 これが例の石化したララの友人だと気づくのに、さしたる時間はかからなかったのたが。


 あるべきではない、特殊な、一線を超えたもの。

 二日前の夜に初めて目にした時、彼はその覆われた物体に不思議な力を感じた。

 神秘的というよりは薄気味悪く、じっと見つめていると、布の内側の塊から息遣いのような妖しい気配が漂ってくる。

 それはさながら意思を持った微弱の電流で、時折チリチリと放電しながら、彼の肌ーあるいは等しく人の懐の奥底に眠るものーに触れようとするのだった。


(小屋を離れて正解だった。)


 ギルは、布の塊を見つめながら改めて思った。

 彼はハルとともにリビエラとララをイーリーベルへ運んだ後、一度ここを離れている。

 密かな行動をフォンウェールが把握しているとは思いたくはないが、おそらく誰にも気づかれてはいないだろう。


(あれだけ打ち込まれたんだ、やはりいくら智略の魔女でもすぐには目覚めない。)


 少しの間ここを離れても、状況が急変することはない。そう踏んで行動していた彼の見立てに間違いはなかった。満足はしていたが、真剣な面持ちは崩れない。


 あの晩のララは、いや、正確にいえば智略の魔女は、スクレピアダイの病室で何本の矢を受けただろうか。

 目に焼き付いた光景を思い返して、彼は背筋が少し震えた。

 アルバが放った黄金色の魔法封じの矢は、命中とほぼ同時にその形状を失う。

 素早い射手の動きにはっきりと確認する間もなかったが、感覚的には両手を合わせた指数を優に超えていた。


(俺は、たった一本で半日魔法が使えなかったんだ。)


 以前、アルバの矢を受けたギルは、その威力を身を以て経験している。


 彼は立ち上がり、布に覆われた像に歩み寄った。不思議と、波打つ薄い布をめくりたい衝動に駆られる。

 自分がそうしたいというよりは、誘導されているみたいだ。慎重に近づいて、足を止める。

 片腕を伸ばし、あと数センチ。布に指先が触れそうになったところでピタリと動きを止めた。


(この布…。そうか、そういうことか。これはあいつの仕掛けというわけか。)


 腑に落ちたー。そう言わんばかりの顔をしたギルは、誘惑に持っていかれそうな心に一つ深呼吸をすると、近づけた腕を引き戻した。


 コツコツ


 小さくガラスを叩く音がした。

 振り向くと、窓枠の角からひっそりと顔を突き出すアルバがいる。


「どうした、目を覚ましたのか?!」


 ギルはガラス越しに訊ねた。もちろん、ララのことである。

 使者は、ギルの問いに対して仮面の向こうから軽く頷くと、続けて何やら指図をした。

 その内容に、今度はギルが窓越しに肩をすくめ、ため息をつく。


「言われなくても当然だ。

 お前も任務があるだろ、さっさと行けよ。」


 彼が独り言のように返すと、使者はそれを合図のように俊敏に飛び去った。

 行く先は、ミースの王城。

 アルバは、ララが目覚めたらすぐさま王城に報告するよう命じられていたのだった。


(さすが歴史に名を刻む魔女。予測以上に早い。だが、どの程度復活したんだ…。)


 彼は背中を窓に預け、静かに両腕を組んだ。

 何処ともなく宙を見据え、思案するのは上王メイヴが放った言葉の数々。

 これまでの彼女の発言に見え隠れしていた違和感が、幾つかの疑問となってギルの脳裏を巡る。

 上王はいったい何を企んでいるのか。一言でいえば、ギルは理解に苦しんでいるのだ。


『お前を極刑に処するつもりはない。

 むしろ日陰の身になったとなれば好都合、私のために働け。

 リアフェスの空を仰いで生きられる道は、今のところそれ以外にないのだからな。』


 数か月前にネルフォーネで拘束されたとき、上王の口から出たのはそんな科白だった。

 拒否すればどこぞの辺境の塔にぶち込まれて幽閉生活。父の汚名を晴らす機会は、この先巡ってくることはなかっただろう。

 何年も父オーリズを探し続け、ランバールの一族を根絶やしにまで追い込んだ人物の口から出た言葉としては、驚くべき処遇だったといえる。


 つまり上王の目的は、国賊とされた父を見せしめとして極刑に処することでも、ランバール家秘伝の透明魔法を断絶させることでもなかった、ということだ。

 そして二日前の夜、一度ミースに帰還したアルバがギルに伝えた上王の言付けは、彼女が明らかに、何らかの矛先を父オーリズではなく、ララに向け替えたことを示唆していた。


『娘が目を覚ましたら、生かしたまま私の前に連れてこい。

 そうすれば、そなたの父オーリズ・ランバールの罪は今後一切問われることはないと約束する。

 ランバール家再興も与太話にはなるまい。』


 上王は何を欲しているのだろうか。

 ランバール家嫡男として父から受け継いだものであるなら、この特殊魔法以外には考えられない。

 しかしそれが上王の本心でないということは、如実になった。


 故郷に立てば、忘れているかもしれない何かを思い出せるかもしれない。彼は二日前にそう考え、かつて自分が暮らした場所に立ち戻る決断をした。これはある種の賭けだったのだが、結局は徒労に終わる。


 六年を長いとするか短いとするかはさておき、彼はランバール家の跡地に赴くことをずっと避けていた。

 放置されたままの館に再び立てば、一瞬であの日に引き戻される。

 焦げた惨状とそれを取り巻く景色は、家族の無残な死を目の当たりにすることと同じだ。

 古傷をえぐるだけの場所で、期待するような"記憶の欠片"が蘇ってくるはずもなかった。


 消えない胸の痛み。悔恨という名の自責。決して引き返すことも変えることもできない過去への無念。

 この国の頂点に君臨する絶対的存在には敵わない。わかってはいても、上王を恨む心を抑えきれない。

 とぐろを巻いてギルを締め付ける、抗いようのない感情がありありと蘇るだけだった。


 宿命(ほし)の守護者ステラの与える試練は、未だ彼を解放する気配がない。この頃は、辛い記憶を思い出す出来事が続く。


 しかし、悲しみに沈むギルを勇気づける再会が、一つだけあった。

 ランバール家の墓地は、なぜか当時と遜色ない姿を保っていたのである。

 探りを入れると、六年前、ピリウス祭の日に近衛隊に拉致され、自分の代わりに命を落とした使用人の息子、ロームの家族が誰に強要されるでもなく、心を込めて手入れを続けていたからだということが分かった。


 ギルは彼らの忠誠と寛容な心に胸を打たれ、一家の前に姿をさらした。

 どんなに罵倒されても当然だ。そう腹をくくって頭を下げた。

 しかし彼らはギルを罵るどころか、我が子が生き延びていたかのように喜び、さめざめと涙を流したのである。

 大切なものを奪われ、ある日突然悲しみの縁に突き落とされたのは自分だけではなかった。ギルはこの時、初めて気づいた。


「いつかアーリッド坊ちゃまが、胸を張ってこの土地にお戻りになりますように。」


 彼らはそう言って深々と頭を下げ、ギルを見送った。



(ランバール家再興も与太話ではない…か。)


 上王の思わせぶりは、今更ながらギルの心をくすぐる。

 孤独になって以来、家名を負うプライドも意思も失った。しかし、一族の墓地を守り続けてくれているあの一家を思い出すと、少しでも彼らの想いに報いることができないだろうかと欲が頭をもたげる。


 ピリウス祭の日、彼らは愛する息子ロームを失った。これは紛れもない事実である。

 彼の両親がギルを諭したように、不運が重なっただけ。


(不運が重なった?あれは本気で言ったのか?いいや、俺を慰めるためにそう言わざるを得なかっただけだ。ましてや俺自身が、それを言葉通り受け入れていいわけがない。)


 ギルは穿った。彼らの穏やかな顔を思い出し、あの言葉が本当に本心だったのかと疑心暗鬼になる。


『ご立派になられたアーリッド坊ちゃま、あなた様がご存命であられることを我が息子は心から誇りに思うことでしょう。

 私どもに再び生きる希望を与えてくださったのです。

 これからも毎夜、宿命(ほし)の守護者にお祈りいたします。

 どうかどうか、心穏やかにお過ごしくださいますよう。』


(いいや、受け入れることが弱者に課せられた宿命ではないぞ!俺の悲しみとお前たちの悲しみが同じなら、ロームの死も、俺の家族が亡くなったことも、俺が全てをあの女に奪われたことも、不運という二文字で片付けられはしない。せめてお前たちは、もっと幸せになるべきなのに。そのために俺にできることがあるなら…。)


 アーリッドは、ふと考えた。

 ララを引き渡せば、父の件は不問となる。自分は再び公にランバールの姓を名乗ることが認められ、ランバール家に仕えていた彼らもまた、今よりはましな希望をもって生きていくことができるのではないか、と。

 ララを引き渡したところで、今更上王は彼女を乱暴に扱うことなどできはしない。なんせ、中には()()魔女が居座ってる。取って食おうなどというのは論外だ。


 無力なララを売り飛ばすわけじゃない。アーリッドは自分に言った。

 大袈裟でもなんでもなく、今の彼女はリアフェス指折りの魔力を内に秘めている。加えて上王のことを嫌っているから、懐柔されることはまずあり得ない。


(あながち悪い方向に転がる話じゃあない。)


「そうだな、意外と都合よく面白い展開になるんじゃないか。」


 彼は無責任に独り言ちた。

 最強の魔女を宿した()を虐げることなど、誰にもできはしない。


 彼はしばらくじっと考え込み、微動だにせず心のうちに様々な思いを巡らせた。

 悪い話ではない。そう言い切るものの、何故かフォンウェールの冷ややかな顔が現れては消える。


「ちっ。情報だ、とにかく情報が要る。

 これは一つの案にすぎないということだ。」


 彼は無意識に声を荒らげ、小屋の戸口に向かうべくもたれていた背を起こした。


(待てよ…?取って食う…。もしやあの女、エトラを手に入れたがっているのか?)


 ふと、さっき呟いた自分の言葉に引っ掛かった。

 しかし、すぐに大きくかぶりを振る。


(何を考えているんだ、俺は。そうだとするならあの女が俺の親父からララ(エトラ)に狙いを変えた理由は何だ?)


 縁もゆかりも面識すらない二人に、微かな共通点すら思いつかない。


「はぁ~!まったく。」


 ギルは舌打ちした。静かな小屋に八方ふさがりな声が響く。


 ん…?


 ふと、自分以外に誰もいないはずの小屋の中で、何者かが聞き耳を立てているような気配を感じた。

 彼は素早く周囲に視線を配ると、誰もいないことを確認する。そして布に覆われた像のところで目をとめた。


「ふっ、まさかな。」


 一瞬よぎった考えがあまりにも馬鹿馬鹿しく感じられたので、姿勢を正して小屋の戸口へと向かったのだった。



 -------


 ペールグリーンのドアを開けると、彼の目の前には小さいながら活き活きとした庭が広がっていた。

 数段しかない小さな階段の上から、全体が見渡せるほどのこじんまりとした土地。その向こうに、イーリーベルが見える。

 ギルはトントンと子気味良く階段を下りた。


「おっと。」


 石畳に足をかけたところで、何かが足元にぶつかった。ような気がした。


(気のせいか。)


 納得しつつも、やはり足を止める。

 軽く仰げば無人の庭に風がそよぎ、草花が揺れた。空は明るく、陽はこの季節にしては柔らかい。一見何の変哲もない穏やかな日中。だが、どうも居心地が悪い。


(薄気味悪いな…。家に入ろうとすれば雷が降って来るし、フォンウェールは本気で俺を歓迎していないってことか。)


 この居心地悪さは、フォーンウェールの自分に対する意思の表れだどギルは考えた。

 無関心を装い常にすました顔をしながらも、執念深い。そんなハートルード・フォーンウェールという男の生態に辟易とする以外、理由が分からなかったのである。

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