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8-3.装置

 

 リュイスの月が終わり、べトラの月、つまり一月がやって来た。


 この世界(リアフェス)にとって、一月は一年の始まりでもなんでもない。

 西の国コルマクの人々は粛々と暮らし、カレンダーは冬の風と共に過ぎていく。

 むしろ、新しい一年が始まる前の暗く長い季節。


 ハルはこの月、ほとんどイーリーベルに居なかった。

 早朝に出かけて、夜遅く戻る。そんな日々の繰り返し。

 私たちが顔を合わせたのは、数えるくらいしかなかったと思う。


 なんでそんなに急に忙しくなったのかって?


 理由はともかく、彼はリュイスの月に、ある依頼を受けていた。


 私がそのことを知ったのは、べトラの月の翌月、ティーネの月に入ってすぐのこと。

 東の国ランスターにある、ネルフォーネという街に行く前日だった。



 ---------



「週末は三人で仕事だ、ララ。」


 ティーネの月、つまり二月の良く晴れた朝食時。私は、ハルから唐突にそう告げられた。

 彼が自分の仕事について話すのは、すごく珍しい。


「うん。」


 朝食のスクランブルエッグを口に入れながら、私は反射的に返事をした。


「行先は、東の国ランスターのネルフォーネ。」


「うん、…三人?え?どこ?」


 驚いて顔を上げると、コーヒーを手にしたハルと視線が合った。


「ネルフォーネ。」


「三人?誰と誰?」


「オレとリビエラと、お前だ。」


「私も?何しに?…あれ?リビエラは学校…じゃない?」


 私は、カレンダーに目を向けた。

 リビエラは普段、ウィッスルにある医学学校の寮で生活している。校則は厳しくて、長期休暇以外は外泊できなかったはず。


「リビエラの外泊許可は、取ってある。

 ララは、…暇だろ。」


「む…失礼な。」


 私は、パンを引きちぎりながら言った。

 私を何かのおまけみたいに扱うのは、どうかと思うんですけど?


「用事があるのか?」


 ヴァイオレットの瞳が、私を見る。

 感情は映さないけれど、私の用事を気にかけているわけじゃないことは、理解できる。


「ないけど。」


「だよな。

 出発は明朝、旅程は三日間。

 目的地は東の国ランスターの街、ネルフォーネ。

 これは仕事だから、報酬が出る。」


「報酬!私もお金がもらえるってこと?」


「ああ。」


「わお!…でも、ちょっと待って。

 変な仕事じゃないよね?」


 都合がいい話には、裏がある。私は、ハルに疑いの視線を送った。

 ヘタレセンサーは、こういうことに敏感だ。


「午後、リビエラがここに来る。

 詳細はその時に話そう。

 それまでに、ネルフォーネについて簡単な知識を頭に入れておけ。

 必要なものがあれば、町へ行って買ってくるといい。」


「うん…わかった。」


 微妙に的を得ない彼の返事は、私の不安感を煽らなかったと言えば嘘になる。

 私は、キッチンダイニングをあとにするハルの背中を見送った。



 ---------



 朝食後、私はまず、クレアモントホールに向かった。

 目的の場所は、館の書庫。

 実は、ここに来ればたいていの情報が得られることを最近発見したのだ。


 書庫の膨大な資料は、リアフェス全土の情報を網羅している。そのうえ、なんでも答えてくれる時雨までいるんだから、わざわざ町へ出かける理由が見つからない。


 私は出迎えてくれた時雨と一緒に書斎に入ると、書庫へ続く左側の壁のドアを開けた。


「ネルフォーネで、ハルさまのお手伝いをなさるのですか、旦那さま?」


 時雨が、書庫の明かりをつけながら言った。


「うん。

 どんな街なのか調べておけってハルが言うから、ここならいい資料が見つかると思って。

 時雨は、何か知ってる?」


「そうでございますね、ネルフォーネは水の都と呼ばれる歴史ある街。

 今月でしたら、カーニバルが有名でございます。」


「カーニバル?お祭りがあるの?」


「はい、いにしえからのお祭りでございます。

 確か、この辺りに本が…。」


 時雨はぷかぷかと浮遊しながら立ち並ぶ本棚の一つに近づき、下段を見つめた。


「ああ、…こちらでございます。」


 彼女が取り出したのは、東の国ランスターの風土記。私はそれを机に運び、広げた。

 目次に印されたページをめくり、文字を指で追う。


「…ネルフォーネは、東の国ランスターの北部に位置する歴史ある街。

 北の国ノウルドに近い高緯度にありながら、地形と水質の影響により積雪がない。

 街の至る所に湧水や滝の水が流れる水路があり、水の都の異名を持つ。

 水の都…ベネチアみたいなところかな。」


「はて、そのような名前の街は聞き覚えがございません。

 ベネチアとはどちらの街でございますか?」


「ベネチアは、私がいた世界にある街よ。

 その街も、水の都って呼ばれてるの。

 町中に水路があって、そこを船が通ってて。」


「そうでございますか。

 面白い偶然でございますね。」


 時雨は言いながら、私にいつもの緑茶を差し出した。

 香ばしい香りと湿り気が鼻をくすぐる。


「ありがと。

 人間は、水のそばで暮らすのが好きなのよ、たぶん…。」


 私は誰に語るでもなく、無意識に呟いた。

 流し込んだお茶が喉元を過ぎるのを感じながら、再び文字に視線を落とす。


「…ネルフォーネのカーニバルは、リアフェス五大祭の一つ。

 毎年、ティーネの月最初の満月の日に行われる。

 ふーん…今月最初の満月は、いつかな。

 もう終わった?」


「今月最初の満月は明後日でございます、旦那さま。」


「明後日?私たち、祭りの日に仕事するの?」


 私は、本に向かって首を傾げた。

 お祭りなら、仕事じゃなくて遊びで行くほうが絶対に楽しいのに。


「…移動距離と時間…首都国家ミースから列車で…五時間?結構遠いのね。

 ここからだと、どのくらいかかるんだろ?」


「さぁ…どのくらいでございましょう。

 列車なら、半日以上はかかると思います。」


「半日!ちょっと、なんでそんなに時間がかかるわけ?リアフェスに飛行機はないの?考えただけで、行く気が失せるんだけど。」


 私は机に両手を伸ばし、倒れるようにバタンとうつ伏せた。


「ウィザードしか空を飛べないんて、ほんっと、おかしなルール。

 せっかく皆魔法が使えるのに、宝の持ち腐れじゃない。」


 私は掌で机を叩きながら、下がりきったテンションのまま呟いた。


「はて、旦那さま、ヒコウキとは何でございましょう?」


「んー、空を飛ぶ大きな乗り物。

 翼があって、すごく早いの。」


「では、翼がついた空飛ぶ馬車のようなものでございますね。

 私め、旦那さまは空を飛ぶ乗り物は苦手なものと思っておりました。」


「別に、苦手じゃないわよ。

 乗り物の種類にもよるけど…。

 空を飛んで移動するのが一番早いって言いたいだけ。

 さっさと行けるなら、陸でもなんでもいい。」


「おお!陸でもよろしいので?」


「うん、そうね。」


「旦那さま、それでしたら良いものがございます。」


「どこに?」


「あちらでございます。」


「あちらって…あれは私たちが入って来たドアだけど?」


 私は、時雨が示すドアを見た。


「ええ、ですから、あのドアの向こうの、書斎の向こうにあるドアの向こうでございます。」


「ごめん、何言ってるのかわからない。」


「ご案内いたします。」


 時雨はそう言うと、宙に浮いた身体をスッと移動させた。



 ---------



「あちらのドアでございます。」


 時雨が案内してくれたのは、書庫の出入口の真向かいにある、同じ装飾が施されたドア。


 書斎の中央にある長いすと背の低いテーブルを通り過ぎ、私は反対側の壁に近づいた。

 時雨に促されるままドアノブに手をかけ、恐る恐る部屋の中を覗く。


 ひんやりとした冷たい空気に、書庫とも書斎とも違う匂いと雰囲気が漂う空間があった。

 室内の広さは、書斎三つ分ほど。


 蜂蜜色の艶のある木製の壁に墨色の不思議な幾何学模様が描かれていて、何に使われるのかわからない奇妙な物が、あちこちに無造作に置いてあった。


 私はその中の一つの、大きな装置に引き寄せられるように近づいた。

 それは、壁の色と同じ蜂蜜色の金属で作られた、屋根と椅子がないゴンドラのような箱。多角形の底面の周囲に沿って、柵が巡らせてある。


「これは…?」


 柵に手をかけ、身を乗り出して観察する。


「移動用の魔道具でございます。」


「魔道具?…この大きい装置が?」


 私は、柵の途切れた入り口から中に踏み込んだ。

 一部には、コクピットの盤面みたいに複雑な計器やダイヤルが並んでいる。


「もしかして、これが空を飛ぶの?」


「いいえ、旦那さま。

 こちらに手を乗せて移動先の名前を唱えると、この多角形の床にある全ての物が、任意の場所に瞬間移動するのでございます。」


 時雨が、計器の傍にある飛び出た半球を指した。


「ここに触れて、唱えるだけで?わお!それって、一瞬でネルフォーネに行けるってことよね?」


「そうでございますね。

 ただ、ネルフォーネも大きな街ですから、もう少し具体的に言葉にする必要がございますよ。

 ネルフォーネだけですと、ほぼ間違いなく水路に落ちることになります。

 町中、水路だらけでございますから。」


「なるほど…。

 気の利いた瞬間移動はできないのね。

 それじゃ、ここにある沢山の計器はなに?操縦席みたいに色んなのが並んでるけど?」


「それは、ただの飾りでございます。」


「ただの飾り?でも…。」


「ララ!」


 私の言葉をかき消すように、突然、室内に別の声が響いた。

 驚いて視線をやると、ドアの傍で青みがかった翡翠色の髪が楽しそうに揺れている。 


「リビエラ!お帰り。」


 私は、彼女に手を振った。

 午後にはイーリーベルに来ると思っていたけれど、予想していたよりもずっと早い。


「ただいま。

 書庫にいないから、驚いたよ。

 ここはなんの部屋?やあ、時雨。」


 リビエラは時雨に声をかけ、好奇心色にキラキラと輝かせた瞳で近づいてきた。


「お久しぶりでございます、リビエラさま。」


 時雨が、恭しく挨拶する。二人は、ジュールの頃に私が引き合わせて以来の再会になる。


「これを見て、リビエラ。

 魔術道具だよ。

 いろいろな所に瞬間で移動できる装置らしいの。」


「瞬間移動?すごいな。

 どうやって使うの?もしかして、これでネルフォーネに行けるのかな?」


 彼女は珍しそうに、計器の盤面に軽く触れた。


「うん、行けるみたい。

 これを使えば、半日も列車に揺られなくてすむ。」


「半日?何の話?」


 リビエラがふと顔を上げ、不思議そうに私を見る。


「イーリーから、ネルフォーネまでの移動時間…違う?」


「ああ…そういうこと。

 昔はそのくらいかかってたけどね、今は駅から駅まで瞬間で移動できる。」


「そうなの?」


「うん。

 でもそのチケット…ゴアティエパスっていうんだけど、すごく高いんだ。

 だから、本当にこの魔術道具が使えるなら、これを使った方がいいと思うな。

 ハルに相談しよう。

 僕、ララを連れ戻すように頼まれてきたんだよ。

 仕事の話をするって。」


「そうなの?もうそんな時間?ここにいると、いつもあっという間に時間が過ぎちゃうのよね…。

 リビエラ、ハルをここに連れてこよう。

 絶対に興味持つと思う。

 時雨、私、いったんイーリーベルに戻るね。」


「かしこまりました、旦那さま。」


 私達は時雨を残し、慌ただしくこの不思議な部屋をあとにした。



 ---------



「瞬間移動できる魔術道具?」


 私の予想通り、ハルの眉が明らか反応した。

 私とリビエラは、ハルの書斎に入るなり、彼よりも先に口を開いていた。


「そうなの。

 書斎の隣の部屋に、そんなすごい魔術道具があったの。

 わざわざ列車に乗らなくても、簡単に行けちゃう!」


 私は、興奮気味に言った。

 続いてリビエラが、私の隣で嬉しそうにはしゃぐ。


「あの装置でネルフォーネに行くことができれば、ゴアティエパスの代金が丸々浮くよ、ハル。

 実入りは多い方がいいだろ?」


 私たちは、ハルを見た。そして、彼が興味を示していることは一目瞭然だった。



 ---------



 移動用魔術道具の発見で、私たちの計画は少しばかり変化した。

 ハルの判断で、出発の日を明朝から今すぐに変更。荷物を持って、書斎の隣の部屋へ直行することになった。


 ハルはとにかくその装置に興味を持っていたし、リビエラは、必要経費が節約できることに本気で浮かれていた。


 というのも、リアフェスの空域は上王の権限下にあって、空を自由に移動することができるのは、上王から特別の許可を与えられた者の他、ウィザードと翼を持つ生き物だけ。

 私とリビエラは、箒に乗って移動することができない。


 空は等しく私たちの頭上にあるのに、なんで皆、そんな窮屈なルールに文句を言わないんだろう?と私は不思議だったけれど、これには理由があった。


 リビエラによると、ウィザードの空域利用という特権には、有事の際、何よりも優先して上王のもとに集結しなければならない義務が付帯されているらしい。

 ウィザードは、リアフェスを守る盾。軍隊のような枠割も担っている。


 勿論、ハルは私たちを連れて空を飛ぶことができるけれど、一度に三人の移動は魔力の消耗が激しく、賢明な方法とはいえない。


 というわけで、一般の人の移動は陸路一択。

 私たちは列車を使うか、特別に整備された魔法仕様の交通網を使うしかない。それが、ゴアティエパス。

 このパスを使えば、西の果てだろうと東の果てだろうと、リアフェス中に設置された駅から駅へ、瞬間で移動できる。


「ゴアティエパスは便利だけど、値段は距離が遠くなるほどべらぼうに高くなる。

 それが難点。」


 リビエラが、クレアモントホールの廊下を歩きながら不満げに口を尖らせた。


「今回は、金の心配は無用だ。」


(ん?今回は?)


「え?」


 どうやらリビエラは、私と同じようにハルの言葉に反応した。

 私は、二人の会話を黙って聞いている。


「もしかしてこの仕事、()()()()の依頼?」


「ああ。」


 リビエラの質問に、ハルは短く答えた。

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