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18 チェスター

 チェスターが辺境伯の館に戻ったのは昼をかなり過ぎていて、森から直接来たにしては少々遅いと言えた。多少躊躇った後、オルサの部屋をノックする。


 「オルサお嬢様、大事なお話があります」

 「…チェスター、何の用でしょうか?」

 「落ち着いてお聞きください。先程、エルリク様といつものように狩に出かけたのですが…、そこで多量に発生した魔物に襲われたのです」

 「なんですって!」

 「そこで、懸命に戦ったのですが、多勢に無勢で…」

 「何てこと…」

 「今から他の騎士と共に魔の森に向かいますが、あの様子ではもう助かりますまい」

 「あなたは、あなたはお父様を見捨てて逃げてきたのですか!」

 「止むを得なかったのです。お嬢様、この上は領のことをまずお考え下さい」

 「領のことを?」

 「この後は、お嬢様が家督をお継ぎになるのです。そのとき、わたくしがお支えします」

 「こんなときに何を言っているのですか!」

 「こんなときだからこそです。わたくしの気持ちは分かっているはずだ…」


 「…こういうの何て言うんだい、『拙速』?」

 「『…に過ぎる』というのでしょうか」

 「こんなので、心が動かされるとでも思っているのか?」

 「いやいやアルス、結構効果的なのよ。ショックを受けて思考力が鈍っているところに畳み掛けて、反論を封じるのね。相手の事を一番良く分かっているのが自分で、なおかつ他に味方がいないと思わせるのがコツね」

 「ユーカは詳しいなあ、さすが女神サマ」


 チェスターの後ろから、わざとらしく楽しそうに話す。


 「お、お前等、いつから…」


 と、言いかけたチェスターは、私たちの後ろに辺境伯が立っているのを見て息を呑んだ。


 「いつからというなら最初から。そもそも最初から第三者視点じゃなくて私の視点だったから」

 「第三者視点?」

 「こっちの話よ」


 アルスの疑問は置いておこう。


 「チェスター…」


 黒熊が赤黒熊になってる。その後ろにいるカールも、怒りで手が震えているようだ。


 「お前には問い質したい事が多々あるが、今は顔も見たくない。自分の屋敷に帰り謹慎しておれ!」


 転がるように逃げていったチェスターが見えなくなると、辺境伯は怒りを静めるように、二度ほど大きなため息を吐いた。


 「まったく、すぐに騎士を集めて森に向かうならともかく、その前にオルサに言い寄るとは…呆れて物も言えん」

 「しかし、おじさんはともかく、俺たちの中の一人でも戻ってきたら、と考えないのかな。俺たちが証言すれば終わりだろうに」

 「そこは、貴族の力でどうにかなると思ったんじゃないか?あたしらに罪を擦り付けるとか」

 「あるいは全滅すると見越していたのかもしれません。辺境伯、これはやはり、チェスターが何らかの方法で魔物を操った可能性も考えるべきではありませんか?」

 「その可能性も考慮の上、しっかりと調査しよう」


 フレアの問いに辺境伯がしっかりと答える。これでチェスターもただではすまないだろう。


 「しかし、オルサ、前もって俺たちが助かったのを知っていて、さっきは良く笑わなかったな」

 「アルス様、いえ、私はもう呆れてしまって」

 「それにしても、ここに来るまでこんな時間が掛かるなんて、アイツは何をやってたんだ」

 「家でお昼をゆっくり食べてたとか…」

 「ユウカさん、それはいくらなんでも…」


 「いや、わからんぞ」


 辺境伯が言う。


 「チェスターは、少し前から若い女魔術師を家に留めておってな。魔術の研究のためにパトロンを求めていて、チェスターがそれに応えた形なのだが…。まあ、それなりの爛れた関係だと見ておるよ」

 「んげっ」


 イルダがあからさまに嫌な顔をして変な声を上げた。


 「オルサ様に懸想しているというのに、そんなことを…」


 カールが呻く。ちょっと言葉遣いが変だ。


 「一人娘だからな。虫の類には注意しておるよ。夜な夜な森に連れ出すラッパ吹きとかもな」

 「んぐっ」

 「ひぇ」


 今度はカールとオルサ嬢が変な声を上げる番だった。


**********


 「ああ、くそっ!」


 屋敷に戻ったチェスターは、思い切りテーブルに当り散らしたが、右足を痛めただけだった。顔を顰める。

 あの何とかという女神を標榜する連中がやってきてから、計算が狂いっぱなしだ。別に尊敬もしていない辺境伯のご機嫌を取っていたのも、うまく取り入って気に入られ、娘とうまくいけば、色々と旨みがあると思ってのことだ。辺境伯の地位を手に入れることだって不可能ではなかったはずだ。

 それなのに、あいつらのせいで辺境伯が助かってしまうだけではなく、顰蹙を買ってしまった。今までの苦労が水の泡だ。せめて辺境伯が死んでいれば、他の連中が生き残っていても、貴族の力でどうにでもなったものを。今度は左足でテーブルに当たったが、右足と同じ結果だった。


 「どうしたのです?そんなにお荒れになって」

 「レイミアか…。昼食の時間には家にいなかったようだが、どこかに行っていたのか?」

 「ええ、新しい術の実験でちょっと町に出ていましたので。それよりチェスター様は、今日は夜まで帰らない予定だったのでは?」


 返事の代わりに、手でテーブルを叩いてため息を突く。


 「予定通りエルリク様と魔の森に行ったのだがな。そこで魔物の群れに襲われたのだ」

 「…まあ、それでご無事でしたの?」

 「…見た通り俺はな。お前のくれた、この『退魔の首飾り』が役に立ったのだろう。魔物は明らかに俺を避けていた」

 「お役に立って良かったですわ。辺境伯は?」

 「魔物にあっという間に取り付かれて、倒れた。毒を持つ魔物に噛まれ、もう助からないかと思われた」

 「まあ…、それであなたはどうなさいましたの?」

 「…俺は、俺は魔物が恐ろしくて逃げ出した。襲われないと理屈ではわかっていても、恐怖の感情は抑えられるものではなかった」

 「…」

 「辺境伯はもう助かる見込みがないと思われた。それで一度家に戻ってきて、落ち着いてからエルリク様の屋敷に行った。それで…」

 「…それで?」

 「娘と話していたら、エルリク様が戻ってきたのだ。あれだけの魔物に襲われていたのに、冒険者に助けられて」

 「…まあ」

 「あの、女神気取りの女とエルリク様の古い友人の息子とやらだ。あの連中さえいなければ」

 「…」

 「レイミア、俺はもう駄目だ。今まで苦労してエルリク様に気に入られるようにしていたのに」


 チェスターは、母親に甘えるようにレイミアの胸に顔を埋めた。叱責を受けるだけではすまないだろう。何らかの処分、爵位を剥奪される程はないだろうが、二度と浮かび上がれることはあるまい。


 「…呆れた」

 「…え?」


 明らかに声色の変わったレイミアの顔を見上げる。いつも自分に対して優しく、色々な意味で甘えさせてくれた彼女が、今までに見たことのないような冷たい目で見ている。

 さらに、女性とは思えないような力で、荒々しくチェスターを体から引き剥がした。


 「レイミア?」

 「自分は襲われないんだから、ベアードの奴を助けて恩を着せるとか、いっそのこと止めを刺すとか、いくらでもやりようがあったろうに、魔物が怖くて逃げ出したぁ?馬鹿か、お前は。ここまで使えないとは思わなかったねぇ」

 「な、何を…」


 胸を掴まれて、体ごと持ち上げられ、床から足が離れる。それでもレイミアの顔の方が自分の顔よりも上にあるのに気が付いて、足元に目をやったチェスターは情けない悲鳴を上げた。

 彼女の下半身が醜く変貌している。まるで蛇だ。


 「ひっ、ば、化け物…」


 チェスターは、レイミアに片手で放り投げられて、床に尻餅をついた。固い床でなく、変に柔らかな感触に周りを見廻す。自分が大きな蛇の上にいることに気付き、大きな悲鳴を上げようとしたが、間に合わなかった。


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