第二十五話
「マスター、何か隠していませんか?」
家に帰ってきた俺を、クロエはそんな言葉で出迎えた。
「いや? そんなことないぞ」
「瞳孔がわずかに散大しました。それに、現在口を手で触れています。この二つから、マスターは嘘をついています」
口元に触れていた手を下げる。
「いや、違うんだって。今度の修理のために、参考としてちょっと買ってきただけなんだよ」
買ってきたポータブルコンロを取り出して、カウンターに置くと、クロエが少し驚いたような顔をした気がした。
「マスター、いい買い物をしましたね」
「えっ?」
「こちら、見たところ米国企業のソニック社が発売したポータブルコンロです。この製品は既に製造が終了しており、輸入もほとんどされていないため、日本では非常に希少です。また、性能も非常によく、内部にも採算を度外視した部品が多数使用されています。現在ネット市場では、定価の倍以上の価格で取引がされています」
「おっ、おう」
何か気になって買ったこのコンロは、何かいいものらしいということだけは理解できた。
「そっ、そうだ。修理の依頼、どうなった」
「はい、マスター。返信が来ています。要約すると、承諾していただき、今日明日を目安に送るとのことです。なので、修理品の到着は三日後以降となります」
「りょーかい。それじゃあ、それまでは粛々と、依頼されてる修理をしますかね」
いつも修理をしている作業台に座って、修理道具を取り出す。
修理依頼を受けた製品の外装を外すためにドライバーを持つが、手が動かない。
「……クロエ、この修理っていつまでだっけ?」
「はい、マスター。そちらの修理は来週までです」
「そうか」
ドライバーを机の上に置き、スマホからある男に連絡を取る。
「あっ、坂口? 急にすまん。今日飲みに行けるか?」
「いきなりどうした? この後打ち合わせがあるから、すぐには無理だけど……」
電話の向こうで、カチカチと言う小さい音が聞こえてくる。
おそらく、予定を確認してくれているのだろう。
「そうだな……大体九時だったら行けるけど、いつものとこでいいのか?」
「助かる。それで頼む」
「OK、じゃあまた後で」
「ああ、サンキューな」
そう言って、電話を切った。
今回は俺が無理を言ったんだから、奢らないとな。
財布の中身を見ると、札がない。
ポータブルコンロを買ったことを、一瞬だけ後悔した。
「クロエ、ちょっと坂口と飲みに行ってくる」
「マスター、あまり飲み過ぎないように気を付けてください」
いつもクロエは酒を飲むなと言ってくるが、今日は止めてこない。
疑問に思っていると、クロエが続ける。
「マスターの表情から、何か重要な案件があると推測しました。可能ならば酒を飲まないことが望ましいですが、飲んだからこそ言えることもあると思いますので、今回は、飲み過ぎないよう注意しました」
そんなに顔に出ていたのか。
少し恥ずかしい。
「分かった。ありがとう、クロエ。それじゃあ行ってくる」
「マスター。感謝は不要です」
その声を聞いてから、いつもの店に向かった。
店内に入って見渡すと、さすがに坂口はまだ来ていないようだ。
「お好きな席にどうぞ」
カウンターの向こうから、スキンヘッドの男の低く響くバリトンボイスが聞こえてくる。
スキンヘッドの店主がいるなら、今日は当たりの日だ。
同僚たちと話していたが、前提として、この店はどの料理もうまい。
だが、あの人がキッチンに入ると、なぜかいつもよりうまかった。
そこで、俺たちで通いつめ、店主がキッチンに立つ日を検証したが、店主が店に出る日に法則性はなく、一週間で一回いればラッキーという結論が出た。
「どうしました?」
店主に言われて、なるべく端の席に腰を下ろした。
壁にかかっているメニューを見ていく。
黒板には、春野菜の天ぷらが今日のおすすめとして書かれている。
店の壁にかかっている時計は、まだ八時過ぎで、坂口が来るまで時間はありそうだ。
夕飯も食べていなかったので、ちょうどいい。
「すみませーん。春野菜の天ぷらと焼きめし、あとビールと……鳥皮ポン酢もお願いします」
「天ぷら、焼きめし、ビールに鳥皮ポン酢ね。少々お待ちを。石川さん、ビールと鳥皮の提供をお願いします」
「はーい」
そうして、数分もしないうちに、ビールと鳥皮ポン酢が提供される。
「ごゆっくりどうぞ~」
そう言って、石川と呼ばれた女の子は戻っていった。
鳥皮を刻んだネギと一緒に口に入れると、柑橘のさわやかな風味と、ネギの香りが鼻から抜けてくる。
鳥皮の柔らかい食感と、ネギのシャキッとした歯ごたえ。
そこにビールを流し込む。
この一瞬だけのために生きているといっても過言ではない。
そのとき、店の入り口が開かれて、坂口が顔をのぞかせた。
時計を見ると、まだ八時半を少し過ぎたくらいで、約束の時間よりも早い。
「よっ、今日はどうしたんだ? そっちから誘ってくるなんて珍しい」
「そんなことないだろ。五回に一回ぐらいは、こっちから誘ってるだろ?」
「いや、これまで十数年一緒に働いてたけど、誘ってもらったのなんて、両手で数えるくらいしかなかったぞ」
「まぁまぁ、それよりも座れよ」
「ケッ、まあいいけどさ」
少し不服そうな顔をして、坂口は前の席に座った。
「お待たせしました」
その時、店員さんが焼きめしと天ぷらを持ってきた。
そう言えば、前に飲んだ時、ボディビルの大会が近いって言ってたな。
「坂口、ウーロン茶でいいか?」
「いや、生で」
坂口は壁にあるメニューを見ながら、そう告げた。
あれ? ボディビルの大会があるんじゃなかったっけ?
「すみません、生二つお願いします。それと、取り皿ってもらえますか?」
「はい、生二つに取り皿ですね。他に何かありますか?」
「あっ、じゃあ、串盛りと手羽先お願いします」
「今日はお前のおごりでいいんだよな?」
メニューを見終わったのか、坂口が俺に聞いてくる。
「……ああ」
「よっしゃ、じゃあ刺身の五点盛りとニンニク焼きめし、それに……」
坂口が呪文のように、料理の名前を唱えていく。
「……分かりました。少々お待ちください」
店員さんは注文を聞くと、戻っていった。
「……ボディビルの大会はいいのか?」
「いや、先月にもう大会終わってるからな。もう何食ってもいいんだよ」
正直、食事制限があると思って、あまり食わないと高をくくっていたが、当てが外れた。
財布の中の大きいお札が、一枚は確実に消えそうだ。
自分の財布の心配をしていると、坂口が真剣な顔でこちらを見ている。
そして、ゆっくりと口を開く。
「十……いや、二十までなら何とか貸せるぞ」
十? 二十? それに貸す? 何を言っているんだこいつ?
「……独立して金が必要なんだろ?」
「ちげぇよ! 一ノ瀬について聞きたいことがあるだけだよ!」
こうして、本題に入っていく。




