第一話
カシュッと、いい音が鳴る。
泡が飲み口からあふれ出すのを口で受け止め、そのまま一気に中身を飲み干す。
ビールの味が口いっぱいに広がり、疲れた体に水分が染みわたっていく。
「ぷはっぁー」
空になった缶をぐしゃりとつぶし、コンビニの袋に入れる。
俺は目の前の建物を見上げた。
そのビルはガラス張りで、他の建物と比較してもセンスが良い一棟だ。
確か、有名な建築家がデザインしたとか。
4、5年……いや、それより前だっけ?
社内報で見た気がするが、忘れてしまった。
初めてこのビルに入るときは、不思議な緊張感があったなぁ。
今日は空気が良く澄んでいる。
その時、ふいに体が震える。
確か立冬までは一か月はあったはずだが、上着を一枚持ってくればよかった。
それにしても、そのせい……いや、そのおかげでこのビルがきれいに見える。
その姿を目に焼き付ける。
もう、ここに来ることは無いのだから。
「マスター。後悔していますか?」
そんな声が俺の耳に届いた。
そんなの決まってる。
俺は――
俺、伴 宗一はこのビルに入っている会社で働いていた。
世間でこの分野と言えば、最初に名前が上がるほどの会社だ。
その分野というのが――魔法だ。
魔法が発見されたその年、人々は熱狂した。
だが、熱しやすいものは冷めやすい。
その熱も長くは続かなかった。
魔法と言えば、炎を飛ばしたり、水を出すといった万能の物だと皆考えていたが、実際に見つかったのは、ただの魔法陣だった。
すごい発見なのは変わらないが、世間の反応はイマイチだった。
それでも、企業だけは色めき立った。
電気に代わるエネルギー源になることを見抜いたからだ。
そんな不確かな現象に、新興企業から老舗の企業までそのブルーオーシャンに飛び込んでいった。
俺たちの会社も、その波に乗った一社だ。
俺はこれまでの経験を買われ、魔法についての業務に従事することになった。
それから年月が経ち、そんな生き馬の目を抜く世界で、俺たちの会社はトップに立った。
俺も一人のエンジニアとして微力ながら貢献できたことは、今も誇りに思っている。
だが、そこから何かが変わってしまった。
この数年、このビルの外見とは違い、濁り、淀んだ空気を毎日感じていた。
そしてある日、上司から現在取り組んでいるプロジェクトの製品に、ある設計変更をしてほしいと命じられた。
内容は、この製品の魔法陣に減衰機構を追加するとのことだ。
長年エンジニアとして仕事をしてきたのだ。
その設計変更が何を示すのかはわかる。
製品の寿命を短くしろと言っているのだ。
指示してきた上司の目をまっすぐ見るが、上司は申し訳なさそうに手元の資料に目を落とす。
「買い替え需要創出のための仕様変更だってさ。魔法陣にこんなもん取り付ければ、見る奴が見ればわかるってのにな……」
上司は口を引き絞って、資料もぐちゃぐちゃになっている。
その顔を見て、もう何も言うことはできなかった。
俺はその機構を製品に追加した。
会社に物を言うには、力がなかった。
そこで俺は、会社を見限った。
上司は、俺が辞める少し前に退職していた。
声をかけると、力のない笑顔で「田舎に行ってゆっくり過ごすよ」と言っていた。
その顔を見て、俺もやめる決心がついた。
――後悔なんて、していない。
そう言い切りたかった。
けれど、この退職を後悔していないと、どうしても言い切れなかった。
特に、退職前までよく相談に乗っていた後輩が、目に涙を浮かべながら引き留めてくれたときは、心が動きかけた。
けれど、あんな淀んだ空気の中で仕事をしている方が、体には毒だ。
そして、これまでの毒を抜くためには、やっぱりアルコールが一番だと、俺の缶が告げていた。
そんな酸いも甘いも混じった思い出の建物を見ながら、コンビニの袋に入っている二本目のビールを取り出す。
ヴヴッと、ポケットが震えた。
ビールを開けようとする手が止まる。
今日は寒いからな。
体が震えたんだろう。
早くアルコールを体に入れて、温めなくては。
一度、開けようとする。
ピー――ピー――
防犯ブザーのような音が、ポケットの中から鳴り始めた。
それもかなり大きな音だ。
急いでポケットの中からスマホを取り出す。
音に反応した周りの人たちが、こちらを見ているのがわかる。
そして、スマホのロックを解除し、何とか音を止めることができた。
申し訳なさそうな笑顔を浮かべて、周りに軽く頭を下げておく。
「こんばんは、マスター。この時期にしては少し寒い夜ですね。心拍数が少し高いですが、救急車を呼びましょうか?」
スマホを見ると、銀髪で切れ長の目。
氷を思わせるような雰囲気を持つ美少女が、そこには映っていた。
「……いや、その必要はない」
「そうですね、マスター。アルコールの摂取による血管の拡張。及び、アラームが周りから注目を集めたことによる精神的負荷による心拍数の増加のようですので、救急車は不要でしたね」
画面上の彼女――『Cognitive Learning & Observation Engine』、通称『クロエ(C.L.O.E)』は、俺のスマホの中で不敵に微笑んでいた。




