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前編:いえ、これは殿下の有責による婚約破棄です

誤字脱字報告ありがとうございます。

大変助かります。

「クリスティーナ、すまないが、婚約を解消して欲しい」


王城にある、アラン殿下の執務室に呼び出されたと思ったら、挨拶もそこそこに婚約解消を告げられた。



——婚約解消?


王家との婚約証書には、双方が合意したうえで婚約を終えることを「婚約解消」。

一方の都合によって、一方的に婚約を終わらせることを「婚約破棄」とすると明記されていたはずだ。


これは、殿下の都合による一方的な申し出だ。

しかも、殿下が惚れた女性と新たに婚約するための‥。

つまり、これは「婚約解消」ではない。

殿下の有責による立派な「婚約破棄」だ。


きっと、殿下は私が何も知らないと思っているのね。舐められたものだわ。


——殿下は自ら破滅への道を選んだも同然。


私はそんなことを考えながら、給仕をしてくれていた侍女へ、さっと視線を向けた。

すると、彼女は小さく頷き、そのまま静かに部屋を後にした。これで、この話はすぐにお父様や国王陛下の耳に入るだろう。


私はそれから、紅茶をゆっくりと口に含むと、ひと呼吸置いてから、静かにカップを置く。

そして、真っすぐに殿下を見据えた。


とりあえず、言い分を聞いてみましょう。


「婚約解消ですか…?どういった理由でしょうか?」

「私たちは、根本的に性格が合わないと思わないか?」


アラン殿下は、さも当然のことのように、すました顔で告げてきた。


——なるほど。

たしかに、王家との婚約証書には性格の不一致を理由とした場合は、「婚約破棄」ではなく「婚約解消」にするという一文があった。


私たちが幼い頃に結ばれた婚約だったため、念のため大人たちが用意した逃げ道だった。


けれども…残念ですわね。そう簡単に殿下の思い通りにはさせませんわ。

私も負けじと、すました顔で言葉を返す。


「そうでしょうか…?

私は、そのように感じたことはございませんが…。

具体的には、どういった点でしょうか?」


私のその答えが気に入らなかったのか、アラン殿下は器用に片眉をくいっと上げ、私を見つめてきた。


「君とは、心を通わせられる気がしない」

「…ですから、具体的にはどういう点かをお尋ねしております」


すると、殿下はため息をついた。


「君と話していると、息が詰まるんだ。

私の妻となる者には、心を通わせ、安らぎとなる存在であってほしい」

「…なるほど。つまり殿下は、妻に心の安らぎを求めていらっしゃるのですね」

「そうだ」

「でしたら、愛妾をお持ちになればよろしいのでは?」


私はにっこりと微笑んだ。


「王妃にそれを求める必要はないでしょう?

それだけでは、婚約解消は認められませんわ」


これで話は終わりだという私の態度が気に入らなかったようで、殿下は不愉快そうな表情を浮かべた。


「たとえ君に求める役割が王妃だとしてもだ。

そもそも俺たちの間には愛情がない。

そんな関係のままでは、世継ぎの問題が生じる可能性もある。王家にとって、それは重大な問題だ」

「はあ…。それは、そうなったときに側妃を迎えるなど、考えればよろしいのでは?」


私は淡々と返した。


「残念ながら、それも今すぐ婚約を解消する決定的な理由にはなりませんわ」


私のその言葉に、アラン殿下は片手で顔を覆った。


「はあ…。これだから君は…」


アラン殿下は、呆れたように息を吐いた。


「君を傷つけたくないから、このことは告げたくなかったんだが…。一部から、君の王妃としての資質を問う声が出ている」



——私の、王妃としての資質を問う声。


確かに、それが事実なのであれば、私に非があることになり、婚約解消もしくは、私の有責による婚約破棄の理由にもなるだろう。

けれど問題は、いったい誰が私の資質を問うているかだ。

私は頬に手を添え、わざとらしいほど優雅に首を傾げてみせた。


「…一部、ですか?具体的には、どなたでしょうか?」

「それは…」


「王妃としての資質を問う声がある」と言えば、私が大人しく引き下がると思っていたのだろう。自分の不手際によって婚約破棄されるよりも、婚約解消という形で穏便に済ませるほうが、我が公爵家にも迷惑をかけずに済む。


——私なら、そう選択すると。


ふふふ。残念でしたわね。アナタの望み通りに、事が運ぶと思ったら大間違いですわよ。

そう心の中で思いながら、私は涼しい顔で殿下を見つめていた。


アラン殿下は、一瞬だけ言葉に詰まると、気まずそうに私から視線を逸らした。

すると突然、殿下の背後から声が飛んできた。


「我々です」


殿下の背後に控えていた、側近候補たちだった。

ああ、また破滅の道を進む者が増えたわと心の中で呟く。

まだ家を継いでもいない彼らに、私の王妃としての資質をどうこう言う権利はない。


…この者たちは、それすら分からないのか。


私は呆れて、言葉を返すことすらしなかった。

それを、私が観念したと勘違いしたのか、側近たちは言葉を続ける。


「公衆の面前でこの話をすれば、クリスティーナ様が恥をかくことになる。だからこそ、殿下はこうして執務室で話すというお心遣いをなさっているのです」

「そのお心遣いを、無下になさるおつもりですか?」

「さあ、もうお分かりでしょう?婚約解消に同意してください」


何だか色々言っているが…。

そもそも、彼ら個人の意見なのか、それとも家としての総意なのか。

そこは、はっきりさせておく必要がある。


「それは…皆様のご当主様の総意でしょうか?」


さすがに、勝手に当主の意見を代弁するのはまずいと分かっているのだろう。

側近候補たちは、気まずそうに視線をさまよわせた。

…そこまで馬鹿ではない、ということか。


「それは…」

「では、私の資質を問うことでの婚約解消は無理がありますね」

「…しかしっ!殿下の側近として…将来は国王陛下をお支えし、執政を務める者として、そう判断したのですっ!」

「…そうですか。でしたら、正式に決裁権限をお持ちになってから、改めて私の資質を問うてください。今のあなた方には、その権限がおありではないでしょう?」


私がすいっと流し目を向けると、彼らは悔しそうにこぶしを握り締めた。

けれど…返す言葉はないようだった。

…本当に残念な者たちだ。



——では、今度はこちらの番ね。


「そもそも、婚約を解消したとして…次の婚約者は、どなたになさるご予定なのですか?」


その言葉に、アラン殿下の表情がほんの一瞬だけ強張った。

けれど、そこはさすが王太子。

次の瞬間には、何事もなかったかのようにいつもの冷静な表情を取り戻した。


けれども、後ろに控えている側近候補の皆様は、まだまだね。

アラン殿下とは違い、視線を彷徨わせる姿から、動揺が手に取るように伝わってきた。

…ふふ。まだまだ、王族の側近を務めるには修行が足りないようね。


「目ぼしい高位貴族の令嬢たちの婚約は、ほぼすべて調っております。

近隣諸国の王族も同様です。

まさか…下位貴族から、王太子妃を迎えるおつもりですか?」


その瞬間、アラン殿下の指が、ピクリと動いた。

…ふふ。私が何も知らないとでも思ってるのかしら…。



ピンクブロンドの髪に、庇護欲をそそる愛らしい顔立ち。平民だったにもかかわらず、突然、男爵令嬢になったという少女。


パール・ディーシー男爵令嬢。


——彼女と殿下の出会いは、運命的なものだったそうだ。


まだ彼女が平民だった頃、市場視察という名目で城下へ降りていた殿下は、暴漢に襲われていた彼女を、颯爽と救い出したのだという。


そこから交流を重ね、想いを通わせたそうだ。


——しかし、彼女は平民。


王国の歴史を見ても、王太子が平民と結婚したという前例はなかった。

そこで殿下たちは、彼女の系譜を辿った。

そして、ようやく彼女の高祖母が、かつて男爵令嬢だったことを突き止めたのだ。

それを理由に、彼女を無理やり男爵家の養子にした。


すべては、殿下の思い通りだった。


——ここまでは、ね。

殿下は初め、彼女を側妃にするつもりだったらしい。

側妃であれば、男爵家の令嬢でも十分だった。



——しかし、ここで一つ問題が生じた。


肝心のパールが、「愛する人を誰かと共有するなんて嫌だ」と言い始めたのだ。

どうやら、平民として育ったパールには、正妻がいる男に嫁ぐことが、我慢ならなかったらしい。


パールが養子になる前に、この問題が明らかとなっていればまだよかった。

しかし、タイミングが悪すぎた。


優秀な(?)側近候補たちによって、パールを男爵家の養子にするための費用が、既に支度金として公費から男爵家へ支払われていた。そのうえ、男爵家には、養子にする見返りとして、王家との繋がりを保証する旨まで書面で約束していた。



けれども、パールは「側妃になるために貴族になった」のではなく、「大好きな人と結婚するために貴族になった」のだ。


だから、支度金がどうとか、男爵家との書面がどうとか、そんなことは知ったことではない。


「そんなの知らない!私はアランと結婚するために貴族になったのよ!

私だけを愛してくれるって約束したじゃないっ!嘘つきっ!」


そう言って、殿下に嫁ぐことを拒否したそうだ。



——そこで、完全に殿下の計画が崩れた。

すでに公費から支払われた支度金。

そして、男爵家との間に交わしてしまった、王家との繋がりを保証する契約書。


パールを王家に迎え入れないとなれば、公費の横領や文書偽造などの問題に発展しかねない。そうなれば、アラン殿下の王太子としての立場にも大きな傷がつく。


…というか、最悪の場合、王太子の地位そのものを剥奪される可能性すらある。



つまり、殿下は、パールを王太子妃として王家に迎え入れる以外の道が、なくなってしまったのだ。


私は紅茶をゆっくりと口に含むと、表面上は冷静を取り繕っているものの、内心は焦りでいっぱいであろう殿下の顔を、真っすぐに見据えた。


——さあ、アラン殿下。

殿下の有責で、婚約破棄いたしましょう。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



俺は、未来の国王になるべく、必要な知識を身に付け、何事にも励み、努力を重ねてきたつもりだ。


そんな俺には、クリスティーナという婚約者がいる。

冷静沈着で、勉学にも秀でている。人心掌握術にも長けた、素晴らしい女性だ。

互いに愛情はなかった。

けれど、俺たちは確かな信頼関係で結ばれていた。

彼女が俺の婚約者であることに、特に不満は無かった。


家臣たちからも、「お二人の時代は安泰だ」と太鼓判を押されるほどだった。


——しかし、今はそんな彼女と、何としても婚約を解消しなければならない。


俺は、冷静を装ってはいるものの、内心ではかなり焦っていた。



パールに出会い、俺は初めて恋を知った。

彼女と過ごす時間が愛おしく、離れている時間さえ、彼女のことを考えてしまう。

誰かと心が繋がることが、こんなにも幸せなことなのかと…。

俺は「誰かを愛する幸せ」を知ったのだ。



俺が王太子であることを打ち明けると、パールは初めこそ戸惑っていた。

けれども、最後には俺のもとへ嫁ぐことを了承してくれた。


王妃には、信頼できるクリスティーナ。側妃には、心から愛するパール。

二人が俺を支えてくれたら、これ以上ないほど、完璧な人生を歩めると思った。



——なのに。

パールは、俺に婚約者がいることを知らないまま、俺の妻になることを了承したという。


王太子に嫁ぐということは、当然、すでに婚約者がいる。

ましてや、平民から下位貴族となったばかりの者が王妃になるなど、誰も認めないだろう。

少なくとも、貴族社会ではそれが当たり前だ。

だから俺は、パールも当然その程度のことは知っているものだと思い込んでいた。


——しかし。


「そんなの知らないわ!

平民の私に、そんな貴族の常識なんて分かるわけないじゃない!」

「…………」


俺は、言葉を失った。

俺たち貴族にとっての常識と、彼女たち平民にとっての常識は、あまりにもかけ離れているのだと思い知った。


だが、彼女をすでに男爵家の養子にした今となっては、そんなことに気づいたところで、もう手遅れだ。


俺は、やむを得ずクリスティーナとの婚約を解消し、パールと正式に婚約を結ぶことにした。

クリスティーナを失うことは、確かに痛手だが、その穴は側近候補たちが埋めてくれるという。彼らがそれぞれ自分の婚約者とともにパールを支えてくれるのであれば、何とかなるだろう。


——これが、今の俺にとっては最善の選択だと思った。



そんなことを考えていると、クリスティーナが、まるですべてを知っているかのような表情で、静かに口を開いた。


「アラン殿下、婚約破棄ではなく、婚約解消にこだわるのは…新たな婚約に、瑕疵をつけられたくないからですよね?」


パールのことを知られていたというだけでなく、図星を突かれ、心臓がどくりと嫌な音を立てた。


王家との婚約証書には、婚約を終える際の条件について、いくつかの項目が定められていた。

その中で、二つの条項が今回の話に関係する。


一つ目は、一方的な都合によって婚約を破棄された場合、慰謝料として、婚約を破棄された側が求めるだけの金貨や領地などを譲渡すること。


そして、二つ目は、婚約を破棄された側に非がないことを、声明文として公表すること。


ただし、双方の合意による婚約解消…性格の不一致などを理由とした婚約解消については、この条項には該当しない。



——つまり。

俺は、自分のせいで王家に損失を出すことも、自身の心変わりによって、婚約者を挿げ替えたと貴族たちに知られることも避けたかった。


だからこそ、俺は「婚約破棄」ではなく、「婚約解消」にこだわったのだ。



「…クリスティーナ、いったいどこから…」


思わず問い返した俺に、彼女はふっと微笑んだ。


「あら、殿下。その発言は、肯定と捉えますが…よろしいですか?」

「…………」


俺は何も言い返せなかった。口を開けば、負けが確定する気がしたのだ。

その瞬間、執務室の扉が、ゆっくりと開いた。


「…もう、よい」


低く、重い声が響く。

弾かれたように扉へと視線を向けると、そこに立っていたのは、国王陛下である俺の父上だった。


「…父上」


父上は、険しい表情のまま、俺をじっと見つめていた。


「アラン…。そなたの王族としての傲慢さが、今回は仇となったな」


父上は、深いため息を吐きながら、静かにそう告げた。


「自分が望めば、周囲がそれに合わせてくれる。自分が決めたことならば、皆が支えてくれる…そう思っていたのだろう」

「…………」


何も言い返せなかった。まさに、その通りだったからだ。


「クリスティーナ、ここまで付き合わせてしまって、すまなかった。

息子の傲慢さは、王族として長所になることもあれば、短所になることもある。

それに気づく機会になればと…そう期待していたばかりに、そなたには無駄な時間を過ごさせてしまったな」

「…勿体ないお言葉です」


クリスティーナは、静かに頭を下げた。


「追って沙汰を出すので、今日のところはゆっくり休んでくれ」

「…はい」


そう答えると、クリスティーナは優雅なカーテシーをした。

そして、一度もこちらを振り返ることなく、執務室を後にした。


——その後ろ姿を見つめていると、まるでクリスティーナに捨てられたような気分になった。


そんな俺の様子を、父上は深いため息をつきながら見つめていた。

けれど…俺は、そのことに気づきもしなかった。


ここまでお読みいただきありがとうございました!


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