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■ 第7話:仕組まれた経済崩壊と、政府の「Xデー」

 地下の第4会議室は、紫煙と、自らが国家の洗脳システムの一部に成り下がっていたという重圧によって、息を吸うことすら困難なほどの空気に満たされていた。

 無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、何かを急き立てるような不吉なリズムを刻んでいる。

 SNSの同調圧力が、実は「異世界教」の信者たちによる異端審問であったという最悪の事実。

 七海悠太は、自分のスマートフォンを見るのも恐ろしくなり、両手で顔を覆ってパイプ椅子の上で丸まっていた。

「……確かに、システムとしては完成しています。ですが、御子柴さん」

 氷室司が、割れんばかりの力でタブレットを握りしめ、冷え切った声で沈黙を破った。

 彼は銀縁眼鏡を押し上げ、曇りのない瞳でリーダーを真っ直ぐに見据える。

「国家のプロパガンダであるならば、その【スケジュール感】が異常すぎます」

 氷室はタブレットを操作し、巨大モニターに新たなグラフを投射した。

 それは、過去数年間における、政府からアニメ・出版業界への「助成金の投入額」の推移だった。

「先ほど轟さんが指摘した政府からの資金流入ですが、ここ2、3年で、その額が【指数関数的エクスポネンシャル】に爆発的に跳ね上がっています。まるで、何かに追われているかのように、異常なペースで『異世界転生モノ』の大量生産を急がせている」

 氷室の指先が、グラフの急激な上昇カーブをレーザーポインターでなぞる。

「洗脳が完了しているなら、あとは現状維持でいいはずだ。なぜ今になって、国家予算を限界まで削ってまで、若者たちへの『諦観の植え付け』を急ピッチで加速させる必要があるんですか? ……経済合理性が全くない!」

「……急ピッチでの、加速」

 轟大吾が、分厚い両腕を組みながら、地を這うような低い声で唸った。

 彼の巨体を包む黒のタクティカルジャケットが、呼吸のたびに軋む音を立てる。

「氷室、軍事作戦において、前線への物資投入やプロパガンダ放送が急激に最大化されるタイミングがいつか、分かるか?」

「それは……大規模な作戦の直前、つまり【開戦前夜】です」

 氷室が、怪訝な顔で答える。

「ああ。……俺も、軍と公安の極秘データベースから、ある『最悪の予測データ』を引っ張り出していて、背筋が凍っていたところだ」

 轟は、自らの端末を操作し、巨大モニターに真っ赤な警告色で彩られた財務省と日銀の内部資料を割り込ませた。

「これを見てみろ。現在の日本の国債発行残高、そして円の通貨信用度の限界点レッドラインだ。……氷室、お前は『経済合理性がない』と言ったが、それは平時の話だ。もし、この国の経済が【間もなく完全に終わる】としたらどうだ?」

「……終わる!? まさか、国家破綻デフォルトですか!?」

 氷室の顔面から、スッと血の気が引いていく。

「予測じゃない。すでに『確定』している未来だ」

 轟が、長机を両手でバンッ!と叩きつけた。

「少子高齢化による社会保障費のパンク、歴史的な超円安、そして国債の暴落。……政府のトップ連中はとっくに気付いているんだ! あと数年、いや、早ければ来年にも、日本の経済システムが完全に崩壊し、ハイパーインフレが襲い来る【Xデー】がやってくることに!!」

「Xデー……国家の、死……!」

 七海が、ごくりと生唾を飲み込む。

「ええ。歴史は繰り返すわ」

 密室の空気を撫でるように、烏丸玲奈のひんやりとした声が響いた。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、長い黒髪を指先で弄りながら、モニターの前に歩み出る。

「平安時代の末期、貴族の政治が腐敗し、武士たちが血で血を洗う争いを始めた頃。民衆の間で爆発的に広まった宗教的概念があるわ。……【末法思想まっぽうしそう】よ」

「末法思想……お釈迦様の教えが正しく伝わらなくなり、世も末になるという……」

 氷室が、震える声で呟く。

「そう。現世が完全に地獄と化すという終末論。その絶望の中でこそ、『死後の極楽浄土』を説く仏教が、民衆の心を完璧に支配したのよ」

 烏丸は、透き通るような白い指先で、モニターに映る『Xデー』の文字をそっとなぞった。

「現代の権力者たちは、間もなく【経済的・社会的な末法(Xデー)】が訪れることを知っている。だからこそ、その日が来る前に、急ピッチで『新しい極楽浄土(異世界)』の教えを、一億人の国民に叩き込もうとしているのよ」

「ククク……ハハハハハ!!!」

 突如、御子柴健が天を仰ぎ、狂気と歓喜が入り混じった高笑いを爆発させた。

 彼は咥えていた煙草を携帯灰皿に吐き捨て、よれよれのスーツのポケットに両手を突っ込んだまま、ホワイトボードの前に立ちはだかる。

「見事だ、轟! 烏丸! これで政府が焦っている本当の理由が完全に暴かれたぜ!!」

 御子柴は黒のマーカーで、ホワイトボードに『Xデー(経済崩壊)』と書き、そこから巨大な矢印を引いて『暴動・革命』と書き殴った。

 そして、その『暴動・革命』の文字を、赤いマーカーで激しく、何度もバツ印をつけて塗りつぶす。

「氷室! お前はさっき、暴動が起きる前に怒りをガス抜きしていると言ったな! だが、Xデーが来て預金が紙屑になり、その日のメシにも困るようになれば、いくらガス抜きしても国民は必ず牙を剥く! 権力者どもを引きずり出して、ギロチンにかけようとするはずだ!!」

「……当然です。飢えた群衆ほど恐ろしいものはない……!」

 轟が、顔面を蒼白にしながら呻く。

「そうだ!! だから奴らは、Xデーが来る【前】に、国民の死生観を完全に書き換えておく必要があったんだ!!」

 御子柴が、ホワイトボードをドスンドスンと激しく叩きつける。

 ダンッ、ダンッ、という乾いた音が、地下室の壁を震わせる。

「『現世はクソゲーだから諦めろ』! 『死んだら異世界でチート能力がもらえる』! この洗脳が完全に仕上がった状態で、経済崩壊(Xデー)が起きたらどうなると思う!?」

 御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜く。

「国民は、政府に怒りを向けねえ!! 政治家の責任を追及することもしねえ!! なぜなら、彼らの脳内ではすでに【現世リアルに見切りをつける準備】が完全に整っているからだ!!」

「……っ!!」

 氷室の眼鏡の奥の瞳が、限界まで見開かれた。

「そうだ!! 経済が崩壊し、明日生きる希望がなくなった時! 洗脳された若者たちは、暴動を起こす代わりにこう思うんだ!! 『あーあ、やっぱりこの世界はクソゲーだった。早く俺もトラックに轢かれて、異世界に転生しねえかな』ってな!!!」

「暴動のエネルギーを……【集団的な現実逃避】へと、完全にすり替える……!」

 轟が、タクティカルジャケットの胸ぐらを強く握りしめ、戦慄に声を震わせた。

「泥舟が沈む時、救命ボートの数は限られている……。特権階級の連中が自分たちだけ助かるために、下層の乗客たちがパニックを起こして一等客室に雪崩れ込んでこないよう……『死んだらもっと良い船に乗れるぞ』という【致死量の麻酔薬】を打って、船底で静かに溺れ死ぬのを待っているというのか!!」

「そうだ!!」

 御子柴が悪魔のような笑みを浮かべて咆哮する。

「エンタメ産業への異常な助成金! それは、間もなく沈没するこの国で、国民を大人しく飢え死にさせるための【最期の鎮魂歌レクイエム】の制作費だったんだよ!! 奴らは、一億人の国民に、笑顔で死を受け入れさせる準備を急いでいるんだ!!」

「ああっ……! ああああああっ……!!」

 七海悠太が、両手で自分の頭を強く抱え込み、床の上でのたうち回った。

「俺たち……! 沈みゆく船の中で、政治家に抗議もせず、ただ『早く死んで転生したい』ってヨダレ垂らしながら、大人しく死ぬのを待つだけの【家畜】にされてたって言うのかよ……!!」

 未来を奪われ、財産を奪われ、最後には命を奪われる。

 それなのに、誰一人として怒りの声を上げず、むしろ「救済だ」と喜んで死を受け入れる。

 それこそが、権力者たちが到達した究極の愚民政策であり、完璧なディストピアの完成形だった。

「俺たちの命は……! 俺たちの人生は、特権階級が逃げるための『時間稼ぎの生贄』だったって言うのかよおおおっ!!」

 迫り来るXデーと、その日に向けて仕上げられていく一億人の洗脳完了。

 七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない地下室の壁に叩きつけられた。

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 無機質な空調のモーター音が、まるで沈みゆく泥舟の船底で、若者たちに死を促す薄気味悪い子守唄のように、低く、重苦しく回り続けていた。

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