58 民からの信頼は一筋縄ではいかない
――下町の祭りから一週間が経った。
魔塔の大広間に陽光が斜めに差し込んでいた。
ティアナ達の目の前には、長机の上に試作品の羽ペン魔道具がいくつも並べられている。
ティアナは顔を上げると、ルカスに向き直った。
「ルカス様、私はお祭りで羽ペン魔道具を買った人達の反応を見て確信しました。この羽ペンは立ったままでも記録が取れる事が最大の魅力です。先ずは、忙しい仕事の方々にこの羽ペン魔道具を無料で配って便利さを実感して貰う事が良いと思います」
ティアナの脳裏に前世での記憶が蘇っていた。
記憶の中にある日本でも、立ったまま急ぎのメモを取る人々は大勢いた。
工事現場の監督。
商品の仕入れの人。
市場の人々。
屋外で取材をする記者。
――同じ様に、この世界にも立ち止まる暇もなく文字を必要とする人達は大勢いる筈だ。
初めて目にする新商品を無料で便利だと思う職業の人に試供品として配る事は前世ではよくある風景だった。
ティアナの発言にバートが仰天する。
「えっ……? タダで配るの? それはいくらなんでも大胆過ぎじゃない? 勿体ないよぉ」
「でもさぁ、僕らも魔道具を創る時にどれが使い易いかいくつか試供品を何個も試すじゃない?」
バートの意見にテリーが口を挿んだ。
「――なるほど。試供品か……」
ルカスは指先で羽ペンを転がしながら、思案する様に目を細めた。
「確かに、下町のジャガバター屋での反応で実証済みだな。便利さを体感させれば、評判は自然に広まる。宣伝の記事を新聞に載せるよりもよほど効率がいいだろう」
ルカスは続けて、机に並んだペンの1本を取り上げ、さらりと羊皮紙に字を書きつけた。
インク壺を使わずとも、滲みなく線が走る様子に満足気に頷く。
「よし。行商人、巡回兵、学舎、商店の店主……。そういう連中から配っていくのがよさそうだ。実際に使えば、一番宣伝効果は高いな」
「はい。それに、王都での評判が貴族層に届けば、庶民でも愛用する魔道具に興味を持って頂けるかと」
ティアナの声は熱を帯びていた。
前世で培ってきた日本人の知識が今この場で形を持ち始めている。
ルカスは腕を組み、ニヤリと笑った。
「ティアナの発想はやはり大胆で面白いな。常識に囚われない。よし。試供品の提供をすぐに始めよう」
テリーが手を挙げた。
「ちょっと待ってよ。簡単に言うけど、祭りの露店とは違って僕らがタダで配る怪しげな魔道具を警戒される可能性もあるよ? ほら。タダほど高い物はないって言うしね……」
「――っ……それは……そうかもしれませんが……」
ティアナの顔が曇った。
これまで民の生活に魔法が直接関係する事は殆ど無かった。
せいぜいルカスが、ボランティアで教会や孤児院の修復を魔法で手伝うくらいの事だ。
民にとって魔法師は雲の上の存在で、王族貴族が莫大な金を払い、魔法を依頼する存在なのだ。
その魔法師がタダで魔道具を提供するなどあり得ないと思われても仕方ない。
「――私から一つ提案なんだが……」
魔塔の広間に漂う緊張した空気に一石を投じたのは見習い魔法師のアンリだ。
長机の羽ペン魔道具を手に取ったアンリは、ティアナを見つめ微笑んだ。
「商売というものは、確かに便利さだけではなく、信頼があってこそ根付くものだと思う」
ティアナが小さく瞬きをすると、アンリはゆっくり言葉を続けた。
「我ら魔法師の試供品を、ティアナの実家であるウェズリー男爵家に任せるのはどうだろう。ウェズリー男爵家は取引を重ねている商人も多いと聞く。商人達も、ウェズリー男爵家からの試供品だと知れば、安心して使ってみようとするんじゃないかな」
「――確かに!」
ティアナは思わず手を叩いた。
前世の日本でも、大手メーカーや、老舗商会の『お墨付き』がどれほど強い信用となっていたか思い出したのだ。
ルカスも腕を組み直し、深く頷く。
「魔塔が後ろ盾となり、更にウェズリー男爵家の名を前に出す……。これなら評判の広まり方は一気に加速するな」
アンリは持っていた羽ペンをひらりと回し、机に置く。
「この魔道具は間違いなく民の生活を変える力になるだろう。けれど、最初の一歩は安心して手に取れるかだ。ティアナの家名はそれを保証するに足る」
ティアナの胸は高まった。
――魔塔の実力とウェズリー男爵家の信用。
この二つが重なれば、羽ペン魔道具は民の生活の中に必ず広がっていく……。
そう確信出来る瞬間だった。
***
――その日の夜。
私とルカス様は早速フレデリカお義姉様に羽ペン魔道具の試供品についてお願いをする事にした。
窓の外に広がる星々が光を放ち、私達の部屋では魔法の鏡『シリウス』が月光を受けて淡く煌いている。
ルカス様が片手を翳すと、鏡の縁に刻み込まれた紋章が青白い光に包まれた。
「おい、『シリウス』ウェズリー家のフレデリカを呼び出せるか?」
魔法の鏡『シリウス』はルカス様の言葉にすぐに反応した。
『畏まりました。今フレデリカお嬢様を呼び出しますわ!』
鏡の中から鈴を転がした様な美しい声が響く。
やがて水面の様に鏡面に波紋が広がり、フレデリアお義姉様の姿が現れた。
榛色の優しい瞳のフレデリカお義姉様がにこやかに笑みを浮かべ、思わず私の心も自然と和む。
「あらあら。ティアナとルカス様が、急にお呼びするなんて。珍しいですわね」
「あの……。フレデリカお義姉様、実はお義姉様にご相談があって……」
私は深呼吸をすると、羽ペン魔道具について説明を始めた。
王都での評判を広げる為、先ずは人々に安心して手に取って貰えるよう、ウェズリー家の名前を借りて試供品を配りたい――。
私の拙い説明にもフレデリカお義姉様はニコニコと頷きながら聞いてくれていた。
「フフ……。わたくしの可愛い妹はやはり面白い発想をしますわ! ティアナ、大丈夫よ。お母様も大賛成するでしょう。ウェズリー家の名が民の信頼に繋がるのならそれは喜ばしい事ですものね」
お義母様はウェズリー家を守る当主として、決して無駄使いをしない方だ。
そんなお義母様がお金よりも大事にしているのが、商談相手からの信用だ。
「そうですよね。お義母様は今どちらに?」
「お母様は港町に商談に出掛けられていて、お戻りになるのは三日後なの。わたくしからお母様には伝えておくから大丈夫よ?」
「あっ……そうだったんですね。お義母様は……」
――その時だった。
フレデリカお義姉様の背後の扉が勢いよく開き、蒼白な顔のアンジェリカお義姉様が駆け込んで来た。
「フレデリカお姉様! 大変よ!」
アンジェリカお義姉様は鏡越しの私達には気付かず、必死の形相だ。
私は嫌な胸騒ぎがして、隣りに坐るルカス様の手を思わず握り締める。
「まぁ。アンジェリカったらどうしたのです? 先ずは落ち着いて……」
フレデリカお義姉様の言葉に、アンジェリカお義姉様は首を振った。
「――っこれが落ち着いていられて? 偽の羽ペン魔道具が粗悪品として王都中にばら撒かれているの! 魔塔の魔法師達はペテン師だと、王都中で噂になっていますわ!」
――胸の中が凍りついた。
さっきまで私の心の中を照らしていた未来の希望が、一瞬で不穏な影に覆われていく。
ルカス様が私の手を握り返し、険しい顔を見せ、鏡の向こうのフレデリカお義姉様も言葉を失っていた。
読んで頂きありがとうございました(^^♪
ウェズリー男爵家に協力して貰ってこれから、という時に不穏な空気になりましたね( ゜Д゜)
次回、ルカス達魔法師の逆襲が始ります。
お愉しみに(⋈◍>◡<◍)。✧♡




