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芸人マルハの絶対に笑えない異世界転生(仮)  作者: ロナルド愛


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MANZAI王グランプリ

袖にはけた瞬間、膝から力が抜けて崩れ落ちそうになった。今更ながら緊張が襲ってきて、足が震える。


 舞台の上ではまだ、司会の極東エンジェルズの山城――(通称)山ちゃんが次の挑戦者の登場まで場をつないでいる。さすがは一流芸人だ。たかが合間のトークだけなのに、客席からは拍手と笑い声が混ざった熱気が波のように押し寄せてくる。


 しかし、俺には、そのトークに耳を傾ける余裕なんてなかった。


 終わった――


 たった今。俺、吉井マルハと、相方・藤崎レンジの漫才コンビ、コットンパラダイスのネタが、終わったのだ。


 たった4分。人生を変えるかもしれない4分。あれほど稽古したのに、本番が始まったら一瞬だった。最初のツカミで会場がドッと揺れた。相方のレンジがいつもの低い声でボソッとツッコミを入れた瞬間、笑いのトーンがさらに一段上がった。その笑いを聞いた時――


 これは絶対に行ける。


 俺はそう確信した。


 そこから先は、俺の声も、間も、動きも、全てがうまくハマった。相方のツッコミも絶好調だった。普段は謙虚で、生真面目で、前に出たがらないレンジだが、大喜利みたいな一言を言わせると、同じ言葉を言っても俺なんかよりずっと笑いを取ってしまう。今日もそうだった。俺が散々かき回して、最後にレンジがサラリと置いた一言で、会場がドンと爆発した。


 最後の礼をして、客席を見た時、俺は心の中で叫んでいた。


 絶対に勝った――


 いや、まだ結果は出ていない。そんなことは分かっている。分かっているのに、俺の中で優勝は決定事項になっていた。


「お疲れさまでした!」


「コットンパラダイスさん、こちらです!」


 袖に戻ると、スタッフたちが一斉に動き出した。マイクを外され、背中を軽く押され、次の段取りのために廊下へ流される。照明の熱が急に消えたせいか、汗が冷えてきた。そして喉もカラカラだった。けれど、今はとにかく誰かに感想を聞きたかった。


 レンジは俺の隣で、静かに呼吸を整えていた。


「……どうやった?」


 俺が小声で聞くと、レンジは少しだけ首を傾けた。


「悪くはなかったと思う――」


「悪くはなかった、やあらへんやろ。めちゃくちゃウケてたやんけ」


「確かにウケてはいたな。今までにないぐらいに」


 相変わらずだ。こいつはこういう時でも浮かれない。腹が立つほど落ち着いている。だが、今日はその横顔を見て、俺は安心した。レンジも普段は見せないぐらいに、満足げな表情をしていたからだ。


 その時だった。


「良かったよ〜、吉井ちゃん」


 甲高くて軽い声が、廊下の奥から飛んできた。


 振り向くと、派手なジャケットを着た男が、両手を広げるようにして近づいてきた。ディーノ藤巻。MANZAI王グランプリのプロデューサーで、テレビ局の人間なら誰でも知っている、最先端のお笑い仕掛け人だった。年齢は謎。若作りなのか、元々こういう顔なのか、やけに人懐っこく、それでいて薄っぺらい笑顔が印象的な男だ。


「いやあ、良かった。会場、ドッカンドッカン言ってたねぇ。吉井ちゃん、今日すごかったよ。藤崎ちゃんも良かった。あの最後の一言、あれ反則だよねぇ」


「ありがとうございます!」


 俺は反射的に頭を下げた。レンジも隣で丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます」


「いやいや、ほんと良かった。ああいうのよ、年末のお茶の間が見たいのは。勢いがあって、でもちゃんとした技術もある。いいねぇ、コットンパラダイス」


 ディーノさんは、軽い仕草で俺の肩をぽんぽんと叩く。でも、俺はその軽さの裏で何かを探られているような気がして、思わず背筋を伸ばした。


「ところでさ、吉井ちゃん」


「はい?」


「ちょっと聞いちゃったんだけど――吉井ちゃん、シンドバッド建設のご令嬢と付き合ってるんだって?」


「えっ? どうしてアリサのこと知ってるんですか?」


 思わず声が上ずった。


 隣でレンジが、ほんの少しだけこちらを見たのが分かった。レンジは俺にアリサという彼女がいることは知っている。けれど、そのアリサがこの『MANZAI王グランプリ』のメインスポンサー、シンドバッド建設の令嬢だということまでは知らなかった。だからだろう。何か言いたそうな気配はあったが、レンジらしく口を挟むことはなかった。


「だって君たちの仲――業界で結構有名だもん」


 ディーノさんは、からかうように笑った。


「有名って……いや、そんなはずないですよ」


「あるんだなぁ、それが。こういう話って、本人たちが思ってるよりずっと早く回るからねぇ」


「勘弁してくださいよ。まだそんな大っぴらにする話じゃないんですから」


「分かってる分かってる。僕だって、別に言いふらすつもりはないよ。ただね――」


 ディーノさんは、そこで少し声を落とした。


「あのさ、これ絶対に言わないでって言われたんだけど――じつは会場にお嬢さんが見に来てるのよ」


「えっ、まさか。だって今日は家で見るって……」


「来てるよ。だって僕、さっき挨拶してきたし――」


「マジですか?」


「マジマジ。あそこのお嬢さんはお笑い好きで有名だからねぇ。毎年会場に来てるんだよ」


「あいつ、絶対に会場に来るなって言ったのに……」


「いいじゃない。こうやって良い結果を残せたんだしさ。それに彼女だって、会場で応援したいよ。自分の彼氏が人生を懸けた舞台に立つんだから」


「いや、それは……まあ、そうかもしれませんけど」


「それに、聞いちゃったんだよねぇ」


 ディーノさんは、にやりと笑った。


「吉井ちゃん、MANZAI王でグランプリを獲ったら、結婚するって約束してるんでしょ?」


 レンジが小さく息を飲んだのが分かった。


「いや、それは……まあ、その……」


 言った。


 確かに言った。


 酒に酔って自分の部屋に戻ってきた夜。遅くまで寝ないで待っていたアリサに向かって――


「なぁ、結婚しようや。俺がMANZAI王で優勝したら――」


 自分でも、その言葉がどれだけ本気だったかは分からない。けれど、嘘だったかと言われると、それも違う。俺はこの女を愛していたし――何より彼女と結婚すれば、俺はもっと上に行ける。バックにシンドバッド建設がついていればテレビ局も俺のことを無視できへんようになる。そしたら全国のレギュラー番組やって何本も持てる。


 そんな打算があったことは認める。


 でもそれは、俺にとって夢にまで見た未来だった。


「だったらさぁ、言っちゃいなよ。今日の最後に」


 ディーノさんが笑いながら言った。


 最初は、言っている意味がよく分からなかったけど、それが結婚発表のことを言っているのだとすぐに理解できた。


「ちょ、待って下さい。まだ俺たちがグランプリを獲るかも分からないですし……」


 俺は慌てて言った。


 さすがに全国ネットの生放送で結婚発表は大きすぎる。それに、約束はMANZAI王のグランプリを獲れたらの話だ。


 しかし、ディーノさんは、事もなげに笑った。


「心配しなくても大丈夫だって」


「いや、大丈夫って……」


「もう司会の山ちゃんにも話通ってるからさ」


「山城さんにまで話が通ってるって――それってもう俺の結婚報告が決まってるってことやないですか」


「人聞きが悪いなぁ。僕は君にチャンスをあげようと思っただけじゃない。あとは吉井ちゃんがどうするか――」


 俺はディーノさんの顔を見た。相変わらず笑っている。だがその笑顔は、さっきまでより冷たく見えた。今のディーノさんは、こちらの返事を待っているのではない。もう決まったことを、俺に確認しているだけなのだ。


「吉井ちゃん、こういうのはタイミングだから。人生で日本中から注目される瞬間なんて、そう何回も来ないよ。優勝して、結婚発表。最高じゃない」


「……アリサは、それでいいって?」


「お嬢さん、喜んでたよ。もちろん、彼女のお父様もね」


 お父様。その言葉が、俺にとって最後の一押しになった。


 シンドバッド建設の社長。番組スポンサー。アリサの父親。俺にとっては、これから先の芸人人生を大きく変える人物。


 ここで逆らう理由があるのか。


 いや、ない。


 俺はほんの一瞬だけ、レンジの方を見た。レンジは何も言わなかった。ただ、いつものように静かな目で俺を見ていた。


 喜んでくれているわけでも、反対しているわけでもない。だが、その複雑そうに俺を見つめる目には少しの戸惑いが見えた。


「レンジ……ええか?」


「俺に聞かれても困る」


 レンジは小さく言った。


「お前のことやろ。自分で決めたらええ」


 そう言われると、かえって逃げ道がなくなる。


 俺は、覚悟を決めた。


「……分かりました。山城さんが話を振ってきたら、俺、言います!」


「さすが吉井ちゃん。持ってる男は違うねぇ」


 ディーノさんは満足そうに笑い、また俺の肩を叩いた。


「じゃ、結果発表までスタンバイよろしく。今日、MANZAI王の歴史変えちゃおうよ」


 そう言って、ディーノさんは別のスタッフに呼ばれて去っていった。


 残された俺は、しばらくその場に立っていた。汗がまた背中ににじんできた。ネタを終えた直後とは違うこの汗を、俺はなんと呼んだらいいのだろうか。


「マルハ」


 レンジが呼んだ。


「なんや」


「大丈夫か?」


「大丈夫や。むしろ最高やろ。優勝して、結婚発表して、俺たちは明日から大スターやで」

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