episode10-2
「……ヴァルジールが処刑?」
ヴァルとの会話の後、廊下で、椿姫は役員の噂話を聞いてしまった。
これは一体どういうことなのか、父に問いたださなければ。
彼女は興奮冷めやらぬまま、父のいる理事室へと向かった。
…………。
……。
「お父さん、“彼”の処刑が決まったそうですが、それは本当ですか」
「…………事実だ」
「処刑は重すぎませんか、しかも明日だなんて、早急すぎます」
「そうかもしれん。だが、既に決まったことだ」
「内輪でごたごたやっている暇はないと思いますが」
「【雷龍】は“ウチ”には入らない、という事だ」
きっぱりと隆源は言う。
奇しくも、椿姫は牢のヴァルと今の隆源が重なって見えた。
「仮にも一緒に戦ってきたというのに、ですか?」
「ヤツが正体を偽ってここに潜入した、という見方も出来る」
「事実だけを見れば、そうかもしれません。……ですが!」
「言っただろう! これは、既に決まったことだッ!!」
肌を打ち震わせる隆源の怒号が部屋に響いた。
ここまでの感情の噴出は、椿姫も滅多に見たことがないものだった。
椿姫は圧倒されて思わず押し黙ってしまい、部屋が沈黙に包まれる。
「……もう遅い、帰りなさい」
自分でさえ驚いたのか、隆源は申し訳なさそうにそう言った。
椿姫もこれ以上言っても無駄だと悟ったのか、部屋を後にした。
「…………」
隆源は沈む夕日を見ながら、窓ガラスに手を当てる。
ガラスに映る彼の表情は何処か鬱々としていた。
残酷にも時間は過ぎて、朝。
青年のいる牢の扉が開かれる。
扉を開けたのは、眼鏡を掛けた女だった。
着ているスーツや立ち振る舞いから、それなりの地位にいそうだ。
眼鏡の向こうの瞳からは敵対心より、野心的な何かを感じさせる。
どちらかと言えば、青年そのものにはあまり興味がないように見えた。
「出なさい」
「朝から随分と凄い剣幕だな」
「御託はいいから、さっさと出なさい」
「……分かった」
自身の命を奪おうとしているのは、青年も解っていた。
【雷龍】や“隆一”としての経験がそう告げてきている。
まず間違いないだろう、しかし、敢えて青年は彼らについて行く。
無論、それは牢から逃げ出すことが目的だった。そして、同じく幽閉されているであろうクロエや【轟焔】も、この場から連れ出しておきたい、という目論見があってのことである。
「……」
「……」
青年は目隠しを付けられ、何処かへと歩かされる。
ここはAPCOのビルとは言え、滝上重工の敷地でもある。
命を奪う場所などというものが、早々近くにあるはずもない。
恐らく人目につかないスペースを、代用として使うのだろう。
「……」
自身の背後に少なくとも二人、銃を構えた人間がいる。
目の前ではヒールの音が鳴っていて、恐らく眼鏡の女のものだろう。
彼女は武装もしておらず、かつ、あまり警戒していないように感じる。
青年が反攻するなどとは露にも、いや、すぐに殺せると思っているのだ。
警戒心のなさに呆れさえするが、これはもう好都合と喜ぶほかないだろう。
「?」
……などと思っていると、ヒールの音が急に止まる。
歯ぎしりをする音がした辺り、何か不足の事態があったのだ。
「何故、貴女がそこにいる、の……」
「貴様ッ! ……」
「グッ…………」
それはまさに、一瞬の出来事だった。
瞬時に青年を取り囲んでいた者たちが倒れた。
目の前の女は恐らく、鳩尾に一発、強い衝撃を受けて倒れた。
この分だと恐らく意識だけを精確に刈り取ったはずだ。
後ろからは微かに、雷が弾ける乾いた音が聞こえてきた。
そして、このような事をやってのける人物たちには心当たりがある。
「大丈夫、ですか……お父様」
「ありがとう。クロエ、椿姫も」
「……このまま逃げたいですが、行かないといけない所があります」
そう言って、椿姫は持っていた機械的な刀で空を切る。
APCOの第三ドックへと続く連絡路にて。
「何事だ!」
「荒城班長! 何者かが侵入した模様です!」
「それは分かっている! 他に情報はないのか!」
APCOのビルでけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
これは、何らかの襲撃があった時に鳴るはずのものである。
武装した装甲機動隊のメンバーは、唐突な敵の襲来に汗を流した。
そして、第三ドックへと繋がる部屋の一角に、それは現れた。
「全員武器を捨てて、壁に這いつくばってください。抵抗は無駄です」
「滝上ッ!? それに君たちはッ!」
荒城たちは目に見えて狼狽した。
入ってきたのは、椿姫と青年、そしてクロエだった。
出来ることなら、これが何かの間違いであって欲しいと思う荒城。
だが彼女の目を見れば、彼女が至って正気であることが分かってしまう。
「そこを通してください」
「それは無理な相談だな」
「そうですか。では少しの間、眠って頂きます」
「本気という事だな。……総員、殺しはするなよ」
戦いの火蓋が切って落とされる。
乾いた弾ける音とともに、ゴムの弾が椿姫たちに降り注ぐ。
しかし、椿姫たちは平静を保ったままで、各々の得物で弾を弾いた。
弾は常人が避けられる速さではないが、総て地面に叩き落とされた。
「っ!」
椿姫は近くにあった花瓶を投げつけると同時に走る。
椿姫の視界がまるでスローモーション映像のように映る。
空で回る花瓶や水の飛沫の一粒一粒さえくっきりと見える。
極度の集中力や彼女の内に眠る異形の力がそれを為させるのか。
とにかく、今日の椿姫のコンディションは平時よりも良かった。
彼女はまさに一瞬のうちに装甲機動隊との距離を詰めてしまう。
「はぁぁっ!」
椿姫が目にも留まらぬ速さで剣を振るう。
反応すら出来ずに隊員たちは次々と倒れた。
「安心してください。峰打ちです」
そう言って、椿姫は剣を鞘に納める。
「な、何故、だ……っ」
荒城がぱたりと床に倒れ込む。
武装していた人間は、彼を最後に全員気絶した。
「ま、こんなものよね」
「気の良いものではないな」
クロエと青年も特に怪我をした様子もない。
「他の班が来る前にさっさと行きましょう」
「この先は初めてだな」
「待ち伏せされてないと良いんだけど」
「行ってみないことには何とも言えませんね」
「椿姫ちゃんって案外出たとこ勝負なところあるわよね……」
椿姫と青年は薄暗い廊下を突き進む。
クロエは内心で呆れと不安を覚えながら後をついて行く。
程なくして、倉庫の中に止まる黒いトレーラーが見えてきた。
椿姫は素早くトレーラーに近づくと、用意していた鍵を差し込む。
しかし、ここで一つ問題がある。
「そう言えば、誰が運転するのよ」
「あ」
「あ」
二つの間の抜けた声が倉庫に響く。
そう、誰も免許など持っていないのである。
書類上は三人とも一八に満たない未成年なのだ。
車の運転免許証など当然持っているはずもない。
「お困りのようね!」
「あ、貴女は!」
「え、誰?」
「分からん」
椿姫は仰々しく驚いたが、青年とクロエはバッサリと言い放つ。
二人にとっては全く見た覚えがない顔だった。
女は自嘲気味な表情を浮かべつつ口を開く。
「初めまして水崎でぇす」
物凄く嫌味が籠った自己紹介だった。
「私が戦っている時にオペレートしてくれているんですよ」
と、椿姫が苦笑いをしながらフォローを加える。
青年とクロエは一先ず納得する。
「運転手が必要なんでしょ? 私がやるわ」
「マジっすか!」
「お父様は随分とこっちに染まったわね……」
「水崎さん、一つ聞かせてください。何故私たちに協力を?」
「“あの樹”がかなり不味い代物で、貴女たちなら、それを何とか出来る。何となくそう思ったからかしらね。…………椿姫ちゃん、後でそこのところ、お願いね?」
「ええ、そこの辺りは安心してください。……保証は出来ませんけど」
「マジかー」
水崎が言う、そこのところ、とは今後の立場に関することだろう。
椿姫自身が反旗を翻しているのだがら、保証が出来ないのも確かだった。
しかし、実際はそんなことはどうでもいいのだと言わんばかりに、水崎は笑顔を作ったまま、トレーラーの運転席に向かって歩いた。
「よし、行きましょうか」
椿姫の言葉に他の三人は深く頷いた。
程なくして、トレーラーは倉庫を抜け出して行く。
そして、それを追う者は誰一人としていなかった。
同時刻、APCOの理事室にて。
「……理事、彼らを行かせてしまって、よろしいのですか?」
「問題ない。後でどうなるかは、考えたくはないがな」
走り去る黒いトレーラーを見ながら、隆源は溜息を吐いた。
そして彼は思い立ったように、秘書らしき男に声を掛ける。
「行くところがある」
「どちらへ?」
「留置所だ」




