19-2
ガイアはグランダルクとランドールを軽くあしらいながら、完全に悪夢化したシルフィロードに視線を向けてほくそ笑んでいた。
その死神のような姿は、正しく絶望の権化というに相応しい。
目の前の2人は何かをしようと必死になって攻撃を繰り出し、足止めしていたようだが、それも徒労に終わっている。
鎧甲に遮られ2人の顔が見えないのが残念だが、その表情は絶望に歪んでいる事だろう。
それを想像するだけでも愉快で、喜びを抑える事が出来なかった。
『あ~っはっはっはっ。お前らが縋る希望とやらはこの通り、絶望に沈んだ!これでこの国は、この世界は絶望に包まれる!!あ~はっはっはっ!!!』
ガイアに答えるかのように悪夢が背筋も凍るような雄叫びを上げ、世界を絶望に満たしていく。
逃げ遅れていた観客の一部が恐怖に顔を引き攣らせ、腰が砕けたようにその場でへたり込む。
真の絶望の前に人間は抗う事など出来ない。
絶望を乗り越えたガイアのような人間以外は。
悪夢は飛べるようには到底思えない骨格だけの翼を羽ばたかせ、ゆっくりと上昇していく。
『くっくっくっ、始まるぞ!さぁ、世界を絶望に満たすドデカイ花火を打ち上げろ!!』
悪夢が胸の前で漆黒の球体を生み出す。
それは絶望を凝縮した力の塊。
それが弾ければこの国程度ならば全てを絶望に満たす事が可能だろう。
悪夢は絶望の塊を両腕で掴み、頭の上へと掲げる。
そして振り下ろす…と思われた瞬間、悪夢はその動きを止める。
そして異変は起きた。
『なんだ?!あの輝きはっ!?』
悪夢の真紅のコアから光が漏れ出る。
白き光に緑色の輝きが足され、青い輝きと共に赤き閃光が奔る。
それを黒い光と金の光が包み込み、何かの模様のようにコアを覆い、輝きを増していく。
その輝きはコアだけに限らず、徐々に悪夢の全身に染み渡り、覆い尽くしていった。
その光景にガイアは目を奪われる。
いや、ガイアだけでは無い。
ユウもアークスもソーディもシンイチロウもミランダも、そして悪夢に恐怖し、絶望に打ちのめされた人々もその不思議な光景から目を離せなかった。
悪夢の全身が様々な色の輝きに満たされ、まるで太陽のように輝く。
その眩しさに人々は目を細めながらも、その輝きを見つめ続ける。
光の中で悪夢はその姿を変えていく。
黒かった全身は白く、いや白銀に塗り替えられ、枯木のようだった腕も足も腰もその太さを取り戻していく。
それは悪夢の基となったシルフィロードに似ている。
滑らかでスマートなまるで女性のような手足。
それを支える腰と胴は引き締まった男性のよう。
真紅のコアがあった場所には金色に輝く球体が収まり、髑髏のようだったその顔はシンプルな白いマスクに覆われる。
光が集まり、全身に西洋と東洋の鎧を融合したような洗練された鎧が纏われ、死神の鎌は元の日本刀へと姿を戻す。
頭部を覆う兜の額には転移の魔動陣を模した飾り角が飾られる。
そして最後に背中から生えていた骨格だけの翼からはまるで天使の如き羽根が生える。
右からは白き羽根が。そして左からは黒き羽根が。
「天使……?」
誰かの呟きが聞こえる。
確かにそれは天使を思わせた。
光が一際輝き、絶望の闇に満たされかけていた世界を照らす。
世界が希望に満たされてゆく中、その天使は降臨した。
*
シルフィロードの操縦席より僅かに広い光輝く空間の中、シンはその中心に立っていた。
その彼に寄り添うように4人の女性がいる。
全員、何も身に付けていない裸身だったが、恥ずかしさは微塵も感じていなかった。
むしろ愛しい人の体温を直に感じ、肌を重ねている実感に嬉しさが込み上げてくる。
「皆、ありがとう。4人の愛を感じたから今、俺はここに居る」
4人を優しく抱き締める。
「いえ、いつも助けて貰っているのは私達でしたから、シンの助けになる事が出来て嬉しいです」
クレスがにっこりと微笑み、キスをする。
「抜け駆けは駄目ですよ、クレスさん」
クレスが唇を離した所で今度はアイリがキスしてくる。
「あっ!抜け駆けといえば、ボクもシンの赤ちゃん欲しいなぁ~」
「あ!そうですそうです!私も欲しいのです!!」
フィルとアイリが上目遣いでシンに身体を擦り寄らせる。
「えっ、あ、いや…ほら、2人は年齢的に色々とある訳で……」
「私達だってもう成人してるんですよ!」
「そうだそうだ!!」
この世界では既に2人とも成人を迎えているので問題は無いのだが、シンとしてはどうしても元の世界の倫理観に捉われてしまうのだ。しかし、この2人にそんな事が通じるはずも無い。
「ああ、もう!分かった、分かったよ!後でな!!」
もう、そう言うしかない。
「シンく~ん」
これまで黙って聞いていたシーナがジト目でシンを見つめている。
「えっ、あっ、うん。ほら、シーナも一緒に可愛がって上げるから」
思わず言った言葉にシーナはボッと顔を真っ赤にする。
「え…あ…その……う、うん………シンくんが望むなら………べ、別に私が子供を欲しい訳じゃなくて……あの……その………」
その可愛らしい仕草にシンは笑みを浮かべて抱き寄せてキスをする。
「ところでここって何処なんですか?」
このままラブラブな状況に陥りそうな雰囲気にクレスの言葉のおかげで現実を思い出す。
「ここは……」
そう言い掛けた所で周囲を映していた光景の一部が変わり、俯瞰するように天使のように生まれ変わった機体の姿が映し出される。
「これってシルフィロード…なの?」
額の飾り角を見たフィルが問い掛ける。
「こいつはシルフィロードでありシルフィロードじゃない。シーナの時のように一度悪夢化して、そして皆の希望を力に変えて生まれ変わったんだ」
その姿をシンはよく知っている。
爆走機鋼ガンフォーミュラの第2部の途中でライバルが手に入れたシルフィロードの後継機。
天使のようなウイングブースターはシンのお気に入りだった。
恐らく、この姿になったのは新たに再構築される際にシンの意思が反映された結果なのだろう。
「こいつの名前はルシフィロード。生まれ変わったシルフィロードの新たな名前だ!」
シンの言葉に応えるようにルシフィロードの瞳が力強く緑色の輝きを放つ。
「ってわけで、そんじゃ、早速あいつとの決着を着けに行こうか」
シンは表情を引き締め、眼下のイルミティを見据える。
絶望を受け入れた者と絶望を乗り越えた者。
両者の戦いが今始まろうとしていた。
*
シンとは対照的にガイアは酷く狼狽していた。
「馬鹿なバカな莫迦な…………完全に悪夢になったというのに戻って来たというのか!?完全に絶望の底に落ちたというのに何故這い上がれる?!」
絶望を乗り越えた自分でさえ、一度は命を断とうとしたのだ。
いや、命を断ったのだ。
自分の心臓にナイフを突き立てた感触が今でも手に残っている。
どういう理由かは分からないが、自害したはずのガイアは無傷でこの世界に居た。
そして絶望の記憶が自分の感情から切り離されている事に気が付いた。
だから自分は絶望を乗り越えて、この世界で新たに生を受けたのだと思ったのだ。
「絶望に屈した弱い俺は前の世界で死んだんだ。今の俺は…絶望を乗り越えた存在なんだ!!」
ガイアは急降下して迫り来るルシフィロードを迎え撃つ。
『絶望に屈したはずの貴様が何故ここに居る!何故悪夢とならない!!何故絶望に沈まない!!!』
ルシフィロードが振り下ろしたカタナをイルミティが大剣で受け止めながらガイアは叫ぶ。
落下の力と空を駆る力が合わさった一撃にイルミティが押し込まれる。
『絶望がなんだって言うんだ!!何を持って絶望って言うんだ!!』
イルミティを弾き飛ばし、ルシフィロードがふわりと大地に降り立つ。
『絶望は心の死だ!どんなに身体が健康でも絶望に染まれば死んだも同然となる!!心が死ねば、それは肉体の死と同じ。死こそ絶望の果てであり、真の安らぎなんだ!!!』
イルミティがその膂力を生かして滅茶苦茶に大剣を振るう。
振るう毎に地面を割り、壁を穿つ。
だがルシフィロードは速いとも思えないゆったりとした最小限の動きで、その全てを避けていく。
『…あんたの絶望の記憶を垣間見たよ。確かにあんなのが自分の身に降り掛ったら絶望してもおかしくない。けどそんな中でも僅かな希望を感じていたはずだ!!』
死んでいるのも同然のような姿だったとはいえ、自らの手で最愛の存在である姉を殺す事がどれ程のものか。
シン自身にも姉が居る。
記憶を共有した事もあり、その絶望する気持ちは痛い程理解出来た。
『だから苦しむ姉を解放する為に死を与え、自殺を選んだんじゃないのか!?』
ルシフィロードのカタナがイルミティの右の回転盾を根元から断ち斬る。
ガイアは絶望と死を結びつけて考えている。
それはあの絶望が起因しているのだろう。
大切なものを守る力も無く、1人で生きていく力さえ無かった弱い子供が、あの絶望から脱する為には死を選ぶしかなかったのだろう。
だがシンは思う。
その方法こそが絶望から逃れる唯一の希望であったのだという事を。
『どんなに絶望を感じて、どんなに絶望の底に沈んだとしても、必ずどこかに希望は宿るんだ!!』
左の回転盾が弾け飛ぶ。
ルシフィロードが一太刀振るう毎にイルミティの鎧甲は剥がれ落ちていく。
『この世に希望なんて存在しない!!全ての望みが絶たれるから絶望なんだ!!絶望は死であり、死は絶望なんだ!それが全てであり世の中の摂理なんだ!!』
シンの言葉の全てを否定するようにガイアは叫ぶ。
それはどこかシンの言葉を認めたくないだけのようにも聞こえる。自分自身にそれが正しいのだと言い聞かせるようにも聞こえる。
その姿はまるで駄々をこねる子供のようだった。
『……あんたは勘違いしてるんだよ。絶望だって1つの望みなんだ。絶望したいっていう希望なんだ。死にたいっていう希望なんだ!絶望も死もそれを想い望めば希望になる…つまりこの世界に絶望なんてものは存在しなかったんだ!!』
ルシフィロードの一撃がイルミティの大剣を持つ右腕を斬り飛ばす。
そしてイルミティがガクリと膝をつく。
カタナによって腕を斬り飛ばされたダメージでは無い。シンから発せられた言葉による精神的なダメージがそうさせたのだ。
「……絶望が希望だと?!絶望も希望も同じものだと?!絶望が存在しないだと!?……そんなものは信じない。姉さんは絶望を感じていたから、俺が絶望のままに殺したんだ。俺はあの女に絶望したから殺したんだ。俺は絶望していたから自分で死を選んだんだ……」
ガイアは自分に言い聞かせるように、何度も何度も繰り返す。
そこに希望などありはしなかったはずだ。
なら、なぜ自分は自殺した時に微笑みを浮かべていたのか。
そうだ。
あれはあの女の絶望する顔が可笑しかったからだ。
いや、違う。
あの女が血と肉の塊に成り果てた時も何の感情も湧いていなかった。
笑みなど浮かべていなかったはずだ。
自分の心臓にナイフを突き立てた時に自然とその笑顔が浮かんだのだ。
何故ナゼなぜ何故何故ナゼナゼなぜなぜ何故何故何故ナゼナゼナゼなぜなぜなぜ何故何故何故何故ナゼナゼナゼナゼなぜなぜなぜなぜ…………………
何度問い掛けてもその理由を思い出せない。
それは当然だ。
ガイアの心の中でその時に感じた想いはあの絶望の記憶と同時に隔離し、封印の鍵を施したのだから。
「ああ、そうか。なんだ、簡単じゃないか。自分の記憶を確かめればいいんじゃないか。そうすれば……」
その疑問を解決する為、長い間、隔離し封印していた絶望の記憶を心の表層に浮かび上がらせ、そして固く閉ざしていた錠を外す。
その瞬間、ガイアの心は闇に覆われた。
次回、12/6(日)0:00に更新します。