11-3
さして広くも無い一室。
晩餐会の会場となった部屋にアイリ達が入ると既に6人が部屋の中にいた。
部屋の正面にはサイヴァラス聖教国の司祭が3人。
そして左側にはアルザイル帝国の者であろう白髪混じりながらも精悍な顔付きの巨漢の男と黒髪を三つ編みにした女性らしき人物が既に着座している。女性らしきと思ったのは顔の上半分を覆う白磁の仮面の為に性別が定かでは無かったからだ。ただその口元と顎の形から女性ではないかとアイリは判断したのだ。
彼らの背後には侍女が1人控えているが、その立居振舞いから相当な戦闘訓練を受けているように見える。
「遅くなり大変申し訳ありませんでした。支度に少々時間が掛かりまして」
アイリの少女らしい可愛い笑みを浮かべてそう言われ、3人の司祭の内、真ん中の初老の司祭が少し頬を緩ませて「問題はありません」と答える。
実際には通路が寒くてなかなかアイリが部屋から出ようとしなかったのが遅れた原因なのだが、わざわざそんな事を口にする人間はいない。
「お初にお目にかかります。私はフォーガン王国第3王女、アイリッシュ・ミレイユ・ラ・フォーガン。そしてこちらが今回、我々を代表する操縦者のシンとアークスです。どうぞお見知りおきを」
アイリが丁寧に挨拶する。
「これは、これは。王女様直々にこんな所までご足労願うとは恐縮です。私はこの度の決闘の裁定役を仰せつかりましたサイヴァラスの高司祭、ミルスラと申します」
初老の司祭が代表をして挨拶をする。
「この2人は我が弟子であります。まだ聖名を授かっていません故、名乗る事が出来ず申し訳ありません」
左右の2人が頭を下げる。どちらも20代後半くらいの男女である。
サイヴァラス聖教では入信と同時に俗世の名を捨て、一人前と認められると法王より聖なる名を授けられるのが習わしであった。
つまり聖名を授かっていないこの2人はまだ見習いだという事になる。
「うむ。ではこちらも礼儀を逸してはいかんな。我らも名乗ろうか」
アルザイル帝国の巨漢の男が立ち上がる。
「私はドゥマノ。槍聖の称号を持つ帝国軍将校です。また本来であればこの場に我が国を代表してフォルテ殿下が参られる筈でしたが、火急の大事にて帝都へと急ぎお戻りになられました。代わりに副大臣殿が参られる予定ではありますが、何分、急であった為、今晩にならねば到着しないとの事。この場に間に合わぬ事、ご容赦頂きたい。そしてこちらは英雄の称号を持つシーナ殿。故あって素顔は晒せぬとの事でこちらもご容赦頂きたい」
ドゥマノの紹介にそれまで顔を伏せていたシーナが頭を上げた所で、その青年と目が合う。
シーナと同じ黒髪を持つ青年、シン。
その顔にはどこか見覚えがあった。
(そんなはずは無い。ここは私の居た世界では無いんだから……)
それに彼はもっと華奢で物静かで人をより付かせないような雰囲気を出していた。引っ込み思案でどこか浮いた存在だった。
こんな自信に満ちた表情など絶対にしないし、争いには絶対に関わらないような人物だ。
だから目の前の青年と彼は同一人物では無いはずだ。他人の空似だ。
(だけど…でも……もし本当に彼だとしたら………)
シーナの英雄としての仮面に亀裂が入る。
「くぅっ……」
突如シーナは頭を抱えて呻く。
「お、おい、どうした!」
隣でドゥマノが慌てた声を上げているが、シーナには聞こえない。
(もし…もし彼が彼だったなら……彼がいれば私は………私は…………)
「おい、彼女を連れて行け。英雄殿を部屋で休ませてやるんだ!!」
ドゥマノは背後に控えていた侍女に指示を出す。
青褪めた顔のシーナは侍女に寄り添われて部屋を出てゆく。
「大変失礼いたしました。元々体調が優れぬ様子でしたので」
ドゥマノが謝罪する。
彼自身が体調不良を理由に退席すれば良いとは言ったが、まさか本当に体調を崩すとは思いもよらなかった。
明日の決闘が始まるまでに体調が戻る事を祈るばかりである。
「うむ。元々、この決闘の勝敗方法は2対2での戦いという風に考えていたのだが、これは変えた方がよろしいかな?」
ミルスラが提案する。
「はい。こちらとしましても、もし数の利での勝利を得たとしても遺恨が残るのは必定と考えます。よって変更を許可致します」
この決闘は戦争の延長かもしれないが、戦争とは異なるのだ。
恨みを残しては再び戦争が引き起こされる可能性がある。その火種を摘む為には対等な条件で勝敗を決めなくてはいけない。
だからアイリは勝敗方法の変更を認める。
「ドゥマノ殿もそれでよろしいかな?」
「寛大な処置、感謝致します。ですが英雄殿の体調が戻られた場合は、変更はしなくて構いません」
「承知した。では引き続き、詳細を詰めてゆくとしよう」
ミルスラの進行で明日の決闘についての様々な事項が合意の上で決められていくのだった。
*
晩餐会という名の調印式が終わった後、シンはあてがわれた部屋の机の上で突っ伏していた。
「どうした?あの仮面の女の事を考えていたのか?」
アークスの言葉に顔を上げて頷く。
「シン殿を見た途端、急に苦しみ出したように感じたが……」
シンもそれには気付いていたが、実際に言葉にして言われると自分の顔を見たせいで具合が悪くなったような気がするので、ちょっとばかりショックを受ける。
「確かシンは記憶喪失だと聞いていたが、それと何か関係があったりするんじゃないか?同じ黒髪だし同郷の者だとか、実は、昔の恋人だったとか生き別れの兄妹だとか……」
確かに普通なら失った記憶に何か関係すると訝しむだろうが、記憶喪失はシン自身の捏造であり、本当の記憶は失っていない。
女性と付き合った経験が無いので恋人という線は消える。
元の世界に姉はいるが、いくら仮面で顔を隠していても、口元や顔の輪郭等で彼女が姉とは違うというのははっきりと分かるので、その線も消える。
そしてシン自身がこの世界の人間では無いので、同郷の人間というものはいない。
「けど、どこかで会ったような気がしないでもないんだけど……」
この世界では黒髪は珍しい。
金髪、銀髪をはじめ、赤、緑、青など異世界らしく様々な色の髪や目をした人物が多い。
そんな中にあってシンのように黒髪黒目というのは、存在しないわけではないが、あまり見かけない珍しい部類に入る。
シンがこの世界に来て既に2年半。
その間に出会った人物の中に黒髪の女性は含まれて居ないので、顔見知りでもないはずだ。
いや、仮に知り合いだったとしても、顔を見ただけで具合が悪くなるようなトラウマを植えつけるような真似をした記憶も無い。
だから知り合いではないはずだ。
けれどシンの心に何かが引っかかっていた。
それはアークスの言った“同郷”という言葉。
この世界においては確かにシンと同郷の者は存在しない。だが、ただ一つだけ例外がある。
シンと同じくこの世界に飛ばされて来た存在ならば同郷と呼べなくもないだろう。
だがそもそもシンのように別の世界から来た人間というのは、かなり特殊で、黒髪黒目なんかよりも更に珍しい存在だ。いや、そもそも大部分の人間はその存在さえ知らないだろう。
ここ最近の文献漁りから、シンは自分だけが異世界からの来訪者では無いという事を知っている。
だから自分以外の来訪者が居てもおかしくは無いと考えてはいた。
だがいくら違う国とはいえ、同じ時期に異世界からの来訪者がそう何人もいるものだろうか?
ましてやそれが出会うというのは偶然を通り越し奇跡に近い。
シンはかつて感じていた違和感を再び感じる。
偶然を装いながらもどこかへ導こうとしているような感覚。
それは何かに操られて踊らされているような感覚に似ている。
いくら考えても、いくら文献を漁っても出て来ない答え。
シンの中にまた1つ答えの出ない問題が降り積もっていく。
「シン殿?」
アークスの声にシンは我に返る。どうも考えに没頭してしまっていたようだった。
「ああ、ゴメン。仮面女の方は考えても仕方ないし、まぁ、話が出来るような状態になったら聞きに行けばいいさ」
「確かに。これまでは一触即発の状態であったが、この決闘が決着すれば、国交の回復も見込めるかもしれない。そうなれば話しをする機会も出来るだろう」
あまり実感は無かったがこの決闘は代理戦争である。
勝利した方が利権を得るというものだ。
正直に言って戦争の経験など無いシンには、何故憎くも無い相手と命のやりとりを行う必要があるのか分からなかった。
先程の調印式での内容を振り返れば、アルザイル帝国が欲しているのは恒常的な食糧供給であり、それに対するフォーガン王国側は鉱山の採掘権である。
食料と鉱石の交易で済みそうなものである。
まぁ、ここに入出荷量やら政治的なものが絡んでくるのだろうが、その辺りは更に分からないのでなんとも言えない。
この辺りにもシンには計りしえない何かしらの力が働いているように感じる。
「そういえばさ、向こうの相手が英雄とか槍聖とか称号を貰ってるとか言ってたけど、なんか有名な人だったりするの?」
更に1つ答えの出せない問題を心に溜めつつ、話題を変える。
「英雄という称号の方は噂程度にしか知らないな。確か1年くらい前にどこかの国をたった一人で攻め落としたとかなんとかで英雄扱いされたって事だ。で槍聖はその名の通り、槍を扱わせたら誰にも負けないという手練だ。20年以上、彼に勝てる者が出ていないという話は王国内でも有名だ」
「ってどっちも一騎当千じゃんか!俺達とは雲泥の差だな」
「何を言っている。俺はともかく、シン殿は救国の英雄ではないか。胸を張るが良い」
アークスはそう言うが、シンの称号は分不相応で実力が伴っていないのが実情だ。
「生身での強さと魔動機兵の操縦技術が直結しないのはシン殿が一番良く分かっているだろう」
不安が顔に出ていたのか、考えていた事がアークスに見透かされてしまい、フォローまでされてしまう。
「いや、それはそうだけどさ」
生身であれば頭で考えている動きに身体が追いつかない事の方が多い。
だが魔動機兵には最初から最強の身体が与えられている。
自分自身では到底無理と思える動きをいとも簡単に実行出来る。返して言えば人間の肉体の限界を超えた動きが可能なのだ。
だが自分の肉体の限界を知っている者が魔動機兵を操縦する場合、どうしても心の中で無意識に歯止めを利かせてしまうのだろう。肉体の限界を超えた動きというのを出来ないのだ。
だから生身で強いと言われる人間程、魔動機兵の操縦技術の可能性の範囲を狭めてしまう。
とはいえそれが弱いかと言えばそう言う訳でもない。
生身としての基本能力が抜きん出ていて、その技に熟達していれば、それに対応して魔動機兵の基本的な強さも当然増す。
基本的な強さだけならアルザイル帝国側、特に槍聖のドゥマノにシンもアークスも例え2人掛かりだとしても敵わない。だが彼らの柔軟な発想と可能性の広さで補う事で対等以上の戦いが出来る事だろう。
フォーガン王国が年若い騎士を操縦者に任命したのは、まだ己の限界を知らない発展途上だからという理由が大きい。
「国を代表する程の凄腕って事には間違いない訳だし、注意するしか無いか」
「うむ。相手がどうであれ、俺達は俺達の全力を出すのみ」
アークスの言う通りだった。
最近のシンは並列思考の弊害か、深く考え過ぎて動けなくなる事が多い。
アークスのように単純に考える方が良い時もあるのだと、つい最近も彼女達の件で思い知ったばかりでは無かっただろうか。
「そうだな。サンキュー、アークス」
全力を出せないうちに負けてしまうよりも、まずは全力を尽くして戦う事。
結果はその後についてくるものだ。
相手を過大評価をして萎縮しても、過少評価をして侮ってもいけない。
そしてそれは自分達に対しても同じ。
自分達の力を過信しても卑下しても実力を発揮出来ない。
代理戦争であるとか政治的なしがらみとか関係無い。
相手の実力だとか噂だとかも関係無い。
自分達がどう言われていようと、どう思われていようと関係無い。
対等の立場で、自分に出来る最適な事をする。
ただそれだけ。
深く考えて動けなくなるより、単純に考えて、他に何も考えずに動く。
今のシンにはそれだけが分かれば十分だった。
*
アルザイル帝国の副大臣がノルウェストの町に辿り着いたのは深夜であった。
既に周囲は寝静まり、ただ唯一、アルザイル帝国に宛がわれた一角だけが煌々とライトの輝きを放っている。
「で、英雄殿のご容体はいかがなのだ?」
副大臣はシーナの侍女に案内されながら尋ねる。
「精神的な物のようで現在は安定しています。ですが恐らくは皇帝陛下のお力が衰えている事が要因と思われます」
その説明が終わらぬうちに、シーナの眠る部屋へと辿り着く。
部屋の中には4人の侍女が表情も無く控えている。それだけならば彼女が眠るのを護衛しているようにも見える。
だがそこは寝室にしては異様だった。
4人の侍女達はシーナのベッドの4隅を囲むように立っている。その背後には小型の魔動力炉が設置され、稼働している事を示すように魔動力の淡い光を放っている。
「陛下の制御が弱まっているということか。まったく。殿下がもう少し上手くやってくれればこのような事態にはならなかったものを……」
副大臣は目の前のベットで眠るシーナを一瞥しながら苦い顔をする。
「一先ずは明日の決闘が終わるまで保てば良い。無理をしてでも調整を行え」
副大臣の言葉に部屋の中にいた侍女が静かに頷き、眠るシーナの顔に仮面を被せる。
4人の侍女がシーナの周囲に集まり、全員で仮面に手をかざすと背後にあった魔動力がさらなる輝きを放つ。それと同時に侍女達の掌から仮面へと魔動力が流れ込んでいく。
魔動力に呼応して仮面の額の部分に魔動陣が浮かび上がる。魔動陣は徐々にその輝きを増していく。
「この決闘を勝利に導き、今後の帝国の発展の為には英雄殿の力が必要なのだ」
副大臣の声に更に魔動陣の輝きが増す。
「それまでは帝国の為にしっかりと尽くして貰わなければな」
そう。これは全て帝国の為なのだ。
英雄としての価値しかないこの少女にはアルザイル帝国がこの世界の覇者となるまで働き続けて貰わなければいけないのだ。
魔動力の光が渦巻く中、副大臣は声を殺して笑う。
強固となった魔動陣がシーナの被る仮面に吸い込まれていくのを眺めながら。
さぁ、次回からはきっと多分バトル展開…のはず。
次回は6/28(日)0:00に更新の予定。




