表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

第一話 最も話しかけにくい女性と昼食をご一緒してください

 午前九時十七分。

 俺、厄神涼(やくがみりょう)がデスクでエクセルの数字を眺めていたとき、世界が終わった。


 正確には、世界が終わる音がした。


 ぴろりん。


 安っぽい電子音だった。スーパーのレジの音にも劣る、ファミコン時代の残党みたいなチープな音が、俺のスマートフォンから鳴った。通知だ。誰からとも書いていない。アプリ名もない。ただ白い画面に黒い文字が並んでいる。


 読んだ。

 読まなければよかった。


 平素よりお世話になっております。このたびミッションを発令させていただきます。本日中に所属職場において最も話しかけにくい女性従業員様とご昼食をご一緒いただけますでしょうか。なお未達成の場合は死亡となります。何卒よろしくお願いいたします。


 何卒よろしくお願いいたします、と書いてある。

 死亡する、と書いてある。

 同じ文章の中に。


 俺はしばらくスマートフォンの画面を見つめた。迷惑メールの線を検討した。しかしアプリ名もなく、送信者名もなく、URLもない。フィッシング詐欺にしては何も要求してこない。ただ昼食を食べろと言い、死亡すると書いている。


 次にいたずらの線を検討した。しかし心当たりがない。俺に対してこういう手の込んだいたずらをやる人間が、社内外を問わず存在しない。


 何かのバグ、という線も検討したが、バグが「死亡」という単語を生成するとは思えなかった。


 俺はスマートフォンを机に置き、画面を伏せ、コーヒーを一口飲んだ。苦い。いつもより苦い気がする。


「あの通知、読んだよね」


 声がした。


 俺は顔を上げた。デスクの右隣、さっきまで誰もいなかった席に、女が座っていた。


 ギャルだった。どう見てもギャルだった。金色に近い明るい髪、長い睫毛、光り物のアクセサリー。社員二十名の株式会社諸々企画にこんな人間は在籍していない。俺は一瞬、来客かと思った。しかし来客がなぜ他人のデスクの隣に座っているのかがわからない。


「……誰ですか」


「りり」


 名乗った。名乗っただけだった。


「社員じゃないですよね」


「うん、違う」


「どこから」


「地獄」


 俺は一拍置いた。


「地獄」


「そ。地獄から来た。ちゃんと正式な手続き踏んで来てるから、不法侵入とかじゃないよ」


 不法侵入でなければ地獄から来てもいいのかという話だが、今それを言っても仕方がない。俺は周囲を見回した。同僚は誰もこちらを見ていない。この女が見えていないのか、見えているが気にしていないのか、あるいは俺がデスクで独り言を言っているだけに見えているのか。どれも困る。


「その通知、うちから送ったやつ」


 りりが言いながら、膝の上の紙袋からポップコーンを取り出した。一粒つまんで口に放り込む。


「地獄が、俺にメッセージを送った」


「そ。ミッションね」


「昼食を食べないと死亡する、というミッション」


「そう。未達成だと本当に死ぬから、一応言っとく」


 あまりにも軽い。


「本当に死ぬのか」


「今まで一人も例外なかった。地獄は仕事が丁寧だから」


 丁寧という言葉の使い方がおかしい気がしたが、先に聞くべきことがある。


「なんで俺に送ってくるんだ」


 りりが少し間を置いた。ポップコーンを一粒食べた。


「……それがさ、ちょっと事情があって」


「事情」


「本来このミッション、女性を弄んで傷つけてきた男に送るやつなんだよ。恋愛で人を踏み台にしてきた人間に、同じ目に遭わせて制裁する、みたいな」


「それが俺に来た」


「うん」


「俺は女性を弄んだことはない。恋愛経験がほとんどないので物理的に不可能だ」


「知ってる」


「なんで来た」


 りりはポップコーンを食べた。今度は二粒まとめて。


「担当者がちょっと適当で」


「適当で」


「送り先、間違えた」


 俺は三秒かけてその言葉を処理した。


「誤配か」


「まあ、そう言えばそう」


「まあ、ということはそう以外の言い方もあるのか」


「ないね、誤配だね」りりはあっさり言った。「ごめんね」


 ごめんねで片付けるな。


「取り消せないのか」


「発令したミッションは取り消せない。地獄のシステム上。変なとこだけきっちりしてんだよね、うち」


 変なとこだけきっちりしている地獄、という概念を俺は理解しようとした。理解できなかった。ただ「死亡」という単語だけが頭の中に残った。


「おまえは何のためにここにいる」


「担当者。一応、サポート役」


「サポート」


「まあ、見てるのが主な仕事だけど」


 ポップコーンをまた食べた。観戦という言葉が頭をよぎった。


「最も話しかけにくい女性、というのは誰を指してる」


「それはあなたが一番わかってるんじゃないの」


 返す言葉がなかった。


 株式会社諸々企画は社員二十名弱の会社だ。業種は、入社して三年経つが今もよくわからない。社名に「企画」とあるが、何を企画しているのかについて誰も明言を避ける。それが社風なのか、業種の秘密保持なのか、あるいは誰も知らないのかも定かでない。ともかく俺は諸々担当として毎日出社し、諸々の仕事をして帰宅する二十八歳独身男性だ。


 二十人の会社で、最も話しかけにくい女性。答えは一人しかいない。


 ただ、認めたくなかった。


「……柚木(ゆずき)さん、か」


「誰それ」


「知らないのか担当者が」


「名前までは把握してない。顔見せてくれる?」


 りりが首を伸ばして社内を見回す。俺はやむなく、総務のデスクの方向へ視線をやった。くすんだ栗色のふわっとした髪の女性。穏やかそうな横顔で書類を見ている。


「あー」りりが言った。「普通じゃん」


「普通じゃない」


「え、怖いの?あの子全然普通じゃん。たぶん。」


 たぶん、というのが引っかかった。



 情報収集を試みた。

 といっても手段は限られている。同僚に「柚木さんについて教えてくれ」と直接聞くのは目立ちすぎる。会社の規模が二十人というのはそういうことで、なんとなく誰かに聞いたことが昼までに全員の耳に入る環境だ。


 なので俺はさりげなく、自然に、業務の流れの中で情報を集めることにした。


 まず経理の鈴木さんに書類を持っていった際、自然な流れで「そういえば柚木さんって最近どうですか」と聞いた。


 鈴木さんの顔が微妙に曇った。


「……まあ、頑張ってるんじゃないですかね」


「なんか噂とか」


「厄神さん、柚木さんに何か用があるんですか」


「いや、特には」


「それなら、あんまり関わらない方が……」言いかけて、鈴木さんは口を閉じた。「いや、なんでもないです。書類ありがとうございます」


 撤退した。


 次に営業の田中に声をかけた。田中は俺と同期で、情報通として知られている。


「柚木のあさんって知ってる?」


 田中が振り返った瞬間の顔を、俺は生涯忘れないと思う。哀れみと警戒と「こいつは何もわかっていない」という混合感情が、見事に一つの表情として結晶化していた。


「……厄神、お前マジで言ってんの」


「うん」


「やめとけ」


「なんで」


「前の部署でな」田中は声を落とした。「男が三人、やられてんだよ」


「やられた」


「そう。あの子と関わった後、三人とも。一人は会社辞めた。一人は異動願い出た。一人は……まあ、しばらく休んだ」


 俺は咄嗟に振り返って、総務のデスクの柚木のあ(ゆずきのあ)を見た。

 ふんわりした栗色の髪。穏やかそうな横顔。書類を眺めて、小さく首を傾けている。まったくもって普通の女性に見える。


「本当に?」


「本当。何したかって聞いたら、みんな『何もされてない』って言うんだよ。本人も悪くないって言うんだよ。でも全員ダメになってんだよ」


 それは怪談だ。怪談として処理したい情報だが、生死がかかっているので処理できない。


「どんな話し方をする人なの」


「普通に話すよ。普通に。ただ……なんか、言われたことが刺さるっていうか。無自覚に」


 無自覚に刺す女性と昼食を食べなければ死ぬ。


 デスクに戻ると、りりがポップコーンを食べながら俺を待っていた。


「なんか顔色悪くなってんじゃん」


「情報を集めた結果だ」


「どうするの」


「行くしかない。死にたくない」


「それが正解」りりはにこりと笑った。「でも一個だけ教えといてあげる。あの子、本当に悪意ないから。地獄側でも別に問題人物扱いじゃないし」


「じゃあなんで本来のミッション対象になりうるんだ」


「ならないよ。あくまで今回のミッションが『最も話しかけにくい女性と昼食』ってだけで、あの子自身は関係ない」


「俺が無関係なのと同じか」


「そう。あの子も被害者っちゃ被害者。ま、気にしなくていいと思うけど」


 気にしなくていい、と言われても気にする。ただ死はもっと気にする。


「罪悪感はないのか、おまえは」


「ないよ」りりは即答した。「地獄基準では普通の仕事してるから」


「地獄の基準で俺の人生を語るな」


「まあでも頑張って」


 ポップコーンを差し出された。食べなかった。



 昼、俺は立ち上がった。

 その瞬間、体感として心臓が二倍の速度で動き始めた。分析型の人間が緊張するとこうなる。冷静さは維持しているが内部はパニックだ。


 柚木のあは、一人でデスクに向かったままだった。弁当を取り出していない。外食するつもりか、あるいはまだ決めていないか。


 俺は歩いた。社内の全員が俺の動向に気づいた気がしたが、気のせいだと思いたい。


「柚木さん」


 声をかけた。

 彼女が顔を上げた。


 近くで見ると、確かにふんわりしていた。雰囲気というものがふんわりしている。目が丸くて、少し驚いたような顔をしている。怖くはない。怖くはないはずだ。


「……厄神さん、ですよね」


「そうです。あの、よければ昼食一緒にどうかと思って」


 間があった。一秒か二秒かの間だったが、俺には三時間に感じられた。


「いいですよ」


 柚木のあは、ごく普通に言った。嬉しそうに、少し。



 近くのランチ定食屋に入った。

 席に着いて、メニューを開いた瞬間、俺は奇妙な感覚を覚えた。


 直感、と呼ぶしかない何かが来た。


 この人は今日、生姜焼き定食が食べたい。


 根拠はない。ただそう思った。なぜかはわからない。でも確信に近いものがあった。


 俺がメニューから目を上げると、柚木のあはメニューをぼんやり眺めながら少し困った顔をしていた。


「決まらないですか」


「んー……なんかこれっていうのがなくて」


「生姜焼きはどうですか」


 間があった。


「……なんでわかったんですか」


「なんとなく」


「すごい。ちょうど生姜焼きにしようかなって思ってたんです」


 二人で生姜焼き定食を頼んだ。


 料理が来るまでの間、柚木のあは特に沈黙を気にする様子もなく、ゆったりと店内を見回していた。話しかけにくいというよりは、こちらが緊張しているだけかもしれない。


「厄神さんって、私に声かけるの勇気いりましたか」


 来た。来るのが早い。


「……なんで」


「なんか、緊張してそうだったから。さっき声かけてくれたとき」


「そんなに出てましたか」


「出てました。わかりますよ、なんか」


 悪意はない。ただ正確だ。


「まあ、少し」俺は認めた。


「怖い人だと思われてましたか、私」


「……噂は聞いていました」


 柚木のあは、少し困ったような顔をした。困ったような、でも慣れているような。


「そうですよね。前の部署の人たちも、私と話した後みんな元気なくなっちゃって。私、何かしましたか?」


 何かした自覚がない。本当に、何の悪意もなく聞いている。


「……聞いた限りでは、していないと思います」


「よかった。ただ、みんな避けるようになっちゃって。悲しいですよね、仲良くしたかったのに」


 それを俺に言うか。今日初めて二人きりで昼食を食べている相手に。


 生姜焼き定食が運ばれてきた。


「厄神さんって、なんでそんな地味なネクタイしてるんですか」


 刺さった。


「……これは普通だと思いますが」


「あ、そうなんですか。なんか、選んでもらったのかなって思って」


「選んでもらった」


「彼女とかに。ごめんなさい、違いましたか」


「違います」


「そうですよね、なんかわかります」


 また刺さった。フォローのつもりだと思う。思うが刺さる。


 俺は生姜焼きを食べた。


 柚木のあもしばらく食べていた。静かだった。静かだったので少し安心していた。


「厄神さんって、前から気になってたんですよね」


「……なんで」


「なんか、いつも一人でいるから。お昼も一人ですよね、いつも」


「そうですね」


「寂しくないですか」


 刺さった。深く刺さった。痛みはないが深い。


「……まあ、慣れています」


「慣れちゃったんですね」柚木のあは少し困った顔をした。「それはそれで、なんか」


 言いかけてやめた。言いかけてやめた方が刺さる場合がある。これはその場合だった。


 俺は相槌を打ちながら、この状況が自分に何をもたらしているかを分析しようとした。


 うまくいかなかった。


「……あの」


 柚木のあが、少し恥ずかしそうに言った。


「厄神さんって、もしかして女性と話すの慣れてないですか。なんかわかります」


 刺さった。今日四本目だった。


「……まあ、そうかもしれません」


「そうですよね。なんかわかります。全然悪いことじゃないですよ」


 フォローも来た。フォローがあるせいでかえって正確に伝わる。


「それ、前の部署でも言いましたか」


「え?言ったかな……あ、言ったかもしれないです。みんなに」


 そういうことだ。

 男を三人潰した伝説の実態が、今ここで俺の中で完成した。



 昼食を終えて会社に戻る途中、ぴろりんと音がした。


 お疲れ様でございます。ミッション達成が確認されました。報酬スキルを付与いたします。当該スキルの内容は「相手が今日食べたいものが直感でわかる能力」でございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 今後ともよろしくお願いいたします、と書いてある。続きがあるらしい。


 生姜焼きを当てたのはスキルではなく、スキルが付与される前に既に働いていたということか。地獄のシステムは確かに仕事が丁寧だった。変なとこが。


 デスクに戻ると、りりがポップコーンの袋を折りたたんでいた。


「どうだった」


「死ななかった。体は。心はボロボロだけどな」


「きっとあまりにも正直な人なんだよね、あの子」


 また刺さった。りりに刺された。五本目だった。


「そういえばスキルをもらった。相手が今日食べたいものがわかる能力らしい」


「あ、見た見た」


「これ何の役に立つんだ」


 りりは少し考えた。本当に少しだけ。


「コンビニで迷ってる人に声かけるとかじゃない?」


「それは余計なお世話ってやつじゃないのか」


「地獄のシステムそういうとこあるから」


 俺はコーヒーを飲んだ。さっきより苦くなかった。


 窓の外を見ると、柚木のあがちょうど総務のデスクに座るところだった。何かに気づいたのか、俺の方を見た。そして、少し笑った。ふんわりと。


 俺は会釈をして、エクセルの画面に戻った。


 これがミッションなのかと思った。こういうミッションを、これからも続けるのかと。


 答えは出なかった。ただ昼食は美味かった。


 生姜焼きは、俺も嫌いではない。



第一話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ