第69話 身を焦がす
「どけぇ!!」
突如現れた女性に気が付いたのか、叫びながらタックルを仕掛けたイエティ。
しかし、彼の攻撃は彼女を取り巻くように現れた大量の雪によって、阻まれた。
まるで、濁流に飲まれていくように、雪の流れに沈んでゆくイエティ。
完全に沈む前に、何かを叫んだように聞こえたけど、もうすっかり気配が消えてしまった。
その様子を見て、思わず「すげぇ」と呟いた俺に、ふっと笑みを見せた女性は、口元を手で隠しながら歩み寄ってくる。
「お怪我はございませぬか? ダレン様?」
「え? あぁ、うん。怪我はしてない。助けてくれてありがとう。ところで、どうして俺の名前を?」
「私のことが分かりませぬか? それはなんとも、寂しゅうございます」
「え、あ、いや、それは……」
白い吐息と共に視線を落とす女性の様子に、俺は動揺してしまう。
なんていうか、彼女の持つ雰囲気はどことなくロネリーに似ている気がした。
儚げで、か弱そうに見えるけれど、とても強い女性。
見た目は全然違うんだけどなぁ。
そう思いながら、俺は改めて女性の姿を観察する。
身に纏っている衣服は、俺が見たことのない物で、すごく上品な印象を受ける。
肌は白く、長くて艶のある黒髪は、大人の女性を感じさせる。
その端正な顔つきで見つめられたら、なんか鼓動が速くなるなぁ。なんて考えていた俺は、女性と目が合っていることに気が付いた。
「そんなに見つめないでくださいまし……恥ずかしゅうございます」
「あ、ごめん。そんなつもりは無かったよ。それにしても、不思議な服だな。なんていう服なんだ?」
「これですか? これは着物という服ですよ。触ってみますか?」
「良いのか?」
そう言って俺の目の前にしゃがみ込んだ女性は、そっと右手を前に差し出してくる。
そんな彼女の衣服に触れようと、俺も手を差し出した瞬間。
まるで狙っていたかのように、女性が思い切り俺を抱きしめて来た。
「おわっ!?」
「ふふふっ。感触はどうですか?」
顔面に柔らかな温もりを感じる。
その感触があまりにも心地よくて、そのまま身を委ねてしまいそうになった時、ペポの声が響き渡った。
「何してるチ!?」
直後、俺の顔面を覆い尽くしていた柔らかな感触が、一瞬で消え去ってしまい、俺は顔から雪の中に落ちてしまう。
「かはっかはっ!! ……な、何が起きたんだ?」
「ダレン、大丈夫かい?」
すぐ傍に駆け寄ってくるサラマンダーに視線を投げた俺は、さっきの女性が居ないことに気が付く。
どこに行ったんだろう。と、思わず彼女の姿を探そうとした俺は、しかめっ面のまま頭上を旋回するペポを見つけた。
「ペポ? どうしたんだ?」
「何をしてたチ? って言うか、さっきの女は誰チ?」
「何って、俺も突然のことで何が何だか」
「ダレン、さっきの白いお姉さんに抱きしめられてたんだよ。少しずつ抵抗しなくなってたから、きっと意識が飛びかけてたんだね」
サラマンダーの言葉を聞いて、俺はようやく何が起きていたのかを理解した。
そして、さっきまで顔面を満たしていた柔らかさの正体も。
理解すると同時に、顔が引きつっていくのを感じた俺は、サラマンダーのありがたい解釈に乗っかることにする。
「そ、そう! 思ったよりも強い力で締め付けられたから、意識が飛びそうに……」
「私、それほど強い力で抱きしめてはいないと思うのです。ふふふっ。もう一度確かめてみます?」
不意に背後から聞こえた声に、勢いよく振り返った俺は、いつの間にか姿を現していた女の姿を捉えた。
「また現れたチ!!」
女に向かって急降下して、攻撃を仕掛けるペポ。
しかし、彼女の攻撃が当たる直前に白い粉となって霧散した女性は、少し離れた位置に再び姿を現す。
「ど、どうなってるチ?」
「ふふふっ。鬼ごっこします? 私、得意なのですよ? 鬼ごっこ」
攻撃が当たらないことに困惑している様子のペポと、この状況を楽しんでいるらしい女性。
鬼ごっこって、どっかで聞いたな。
ふと、そんなことを考えた俺は、彼女の首元に巻き付いているキツネを見て、思わず声を張り上げる。
「あぁぁぁぁぁ!! あんた、もしかして、あの白い奴か!?」
「白い奴だなんて、無粋な呼び方は嫌ですね。ユキコとお呼びくださいませ。ダレン様」
「やっぱりダレンの知り合いチ!?」
「敵なのかな? だとしたら、流石に僕らの方が不利だよね」
「いや、違う。少なくとも、俺が皆とはぐれた後も生き延びることができたのは、彼女のおかげ……だ? そうだよな? 彼女達って言った方が良いのか?」
「どちらでもあっていますよ。あの子たちは私でもありますので」
「ワケが分からないチ……」
困惑するペポとサラマンダーに、詳しく説明しようとした俺は、サラマンダーの言葉を聞いて現実に引き戻されることになる。
「皆、話は後にしよう。イエティはまだ倒せてないみたいだよ!」
彼の言葉に反応した俺達は、こんもりと積もっている雪の小山に目を向ける。
と、次の瞬間、その雪の小山の中から、大きな腕が突き出してきた。
「ぶはぁ……ったく、ムカつくぜ」
そう言いながら、雪をかき分けてノシノシと出て来たイエティは、少しだけ目を見開いた後、ユキコをマジマジと見始めた。
「ほう、良い女じゃねぇか。オレ様に対する不敬は、その身体で償ってもらうとするか」
「ふふふっ。面白いことをおっしゃいますわね。貴方に私の相手が務まるとでも?」
「試してみるか?」
「試すまでもありません。既に冷たさで小さくなっているのは確認済みです。私は雪の精。貴方が先ほど埋もれていたのが何だったのか、お忘れかしら?」
「……」
冷めた目でユキコがそう告げると、辺りに沈黙が流れた。
なんでか分からないけど、ペポや周囲にいる魔物達が、イエティを見ながら笑いを堪えている。
すると突然、怒りに顔を赤らめたイエティが、叫び出した。
「仕方がねぇだろうが!! 冷えたら小さくなるのは生理現象なんだよ!! このクソ女がぁ!! ズタズタに引き裂いてやる!!」
両の拳を握りしめて怒りを顕わにするイエティ。
そんな彼の様子を見て、ユキコはまた楽しそうに笑うのかなぁ。
と思った俺は、しかし、イエティよりも顔を真っ赤に染めている彼女の表情を目にする。
そして、イエティとは違い、恥ずかしさに駆られるように目をつぶったユキコが、叫んだのだった。
「ち、違います!! そのような下品な話をしているのではありません!! 私が求めているのは、身を焦がすような愛情の事です!! あなたにはそのような物が備わっていないと言いたいのです!!」




