第36話 刻み込まれた希望
夕日が地平線に沈み始めた頃、樹海の上を西に向かって飛んでいたリューゲは、眼下に湖を見つけた直後、急降下した。
すっかり暗くなってしまった樹海の中、木々の合間を縫って着地した彼は、足元に広がる闇に向かって両手を掲げる。
「さぁ、そろそろ出てきてください」
彼の呼びかけに答えるように、暗い地面の中から、2人のゴブリンがヌーッと姿を現す。
まるで闇の中から引っ張り出されたように直立したゴブリン達は、目をパチクリとさせた後、リューゲに気が付いて口を開いた。
「リューゲ様……ゴブ?」
「あれ? オラ達、何してたゴブゥ?」
混乱に苛まれているように、辺りを見渡すベックスとケイブ。
そんな彼らを見やったリューゲは、小さくため息を吐いた後、説明を始めた。
「まさか、もう忘れたというのですか? はぁ……仕方がないですね。私は親切な男ですので、教えて差し上げましょう」
「それよりも、お腹空いたゴブゥ」
「腹を満たす必要のない体にして差し上げましょうか?」
「ご、ごめんなさいゴブゥ!!」
「よろしい。ではまず簡潔に、あのノームが『ワイルド』に目覚めてしまいました」
「あの、リューゲ様。その『ワイルド』って、なにゴブか?」
「あなた方も見たでしょう? 植物を操るノームの姿を。あれこそが、『ワイルド』に目覚めたノームなのです」
「『ワイルド』に目覚めたノーム……って、なんか、カッコいいゴブね」
「……無駄口を叩けないように、舌を引っこ抜いて差し上げましょうか?」
「じょ、冗談ゴブ!! 許してくださいゴブ!!」
「そうですか。残念ですね。話を戻すとしましょう。ノームが『ワイルド』に目覚めたということは、私達も本腰を入れる必要があるということです」
「確かに、あのノームは強かったゴブゥ。でも、リューゲ様なら、勝てるゴブゥ?」
「もちろん!! わたくしの手に掛かれば、あのような子供の1人や2人。造作もなく始末できるのです!! ですが!! 忌々しいことに、それですべてが解決するという訳ではない!!」
「どういう意味ゴブ?」
「奴が操っているのは、単なる岩ではない。そして、植物ではない」
そこで一度言葉を区切ったリューゲは、短く端的に告げた。
「生命エネルギーです」
「せいめいえねるぎー? って、何ゴブゥ? ベックス、知ってるゴブゥ?」
「いや、俺も知らんゴブ」
小刻みに首を横に振って知らないと主張するベックス。
そんな彼らを見下ろしているリューゲが、半ば諦めたような口調で告げた。
「生命エネルギーとは、この世界の全ての生命の源のことです」
「ってことは、オラ達もその生命エネルギーから生まれたってことゴブゥ?」
リューゲの言葉を聞いたケイブが、少し思考を巡らせた後、そう問いかけてきた。
その問いを聞いたリューゲは、驚きと喜びが混ざったような表情で声を上げる。
「その通り!! ケイブ、私は今、君の呑み込みが早くて関心してしまいました」
「そ、それくらい、俺だって分かったゴブ!!」
「そんな力を扱えるようになったノームの存在は、非常に危険です。したがって、速やかに排除しなければなりません」
首を大きく横に振りながらそう言ったリューゲは、おもむろに懐から笛を取り出した。
それは、遺跡の中でノームに追い詰められた際に彼が吹いた笛だ。
そんな笛を前に差し出したリューゲは、恐る恐る手を出すケイブに手渡すと、再び口を開く。
「この笛は魔寄せの笛です。この笛を探して、あの遺跡に潜ったことは、2人も知っているでしょう。少々もったいない気もしますが、これをあなた方に差し上げます」
「こ、こんなすごいものを、オラ達が使っても良いゴブゥ?」
「この際仕方がありません。出し惜しみをしている場合ではないのです。私は一旦、魔王様の元へ向かい、事情を説明してきます。ですので、2人に2つほど、命令をしておきましょう」
「命令ゴブ?」
「私が魔王様の元に行っている間、あなた方はその笛を駆使して、奴らの足止めを行いなさい。可能であれば、殺しても構いません。これが1つ目です」
「足止めと、殺し……難しそうゴブゥ」
「そのための魔寄せの笛です。はなから、あなた達2人に期待はしていません。次に2つ目の命令です。奴らがサラマンダーと接触することを防ぎなさい」
「サラマンダーゴブか? でも……」
「オラが知る限り、まだサラマンダーは見つかっていないって聞いてるゴブゥ」
「その通り!! だからこそ、奴らもサラマンダーを探しているはず。なればこそ!! ありとあらゆる妨害を施して、探す暇を与えないことこそが、我らの為すべき事!! 魔王様への忠義を示す方法に他ならないのです!!」
「流石はリューゲさまゴブ!!」
「オラ、感動したゴブゥ!!」
「褒めるでない。これは、魔王軍の幹部として至極真っ当な考え方です。それでは、私はそろそろ出発する。2つだけ助言をしておきましょう。この先に大きな湖があります。奴らは恐らく、そこに向かうでしょう。それと、笛には使用回数に制限があります。1度使っていますので、残りは2回と言った所でしょう。気を付けて使いなさい」
それだけ言い残したリューゲは、颯爽と空へと飛び上がり、そのまま西の空へと姿を消した。
去ってゆく姿を見送ったケイブとベックスは、互いに顔を見合わせた後、西に向けて歩き始める。
「なぁケイブ。その笛持って、逃げ出さないゴブか?」
「何を言ってるゴブゥ!? ベックスは、リューゲ様が怖くないゴブゥ?」
「もうあのくそ悪魔は居ないゴブ!! 逃げるなら今のうちゴブ!!」
「オ、オラ、何も聞いていないゴブゥ」
「大体、あのくそ悪魔はゴブリン遣いが荒いゴブ!!」
「そ、それはそうゴブゥ。でも、オラ、さっきの話で少し気になったことがあるゴブゥ」
「ん? 気になったことゴブか?」
「うん。生命エネルギーとかの話ゴブゥ」
「ん? あんなの、あのくそ悪魔の戯言に違いねぇゴブ!! 命を操って、どうやって根っことか岩を操るゴブか!?」
「そこじゃないゴブゥ。オラが気になったのは、オラ達が生命エネルギーから生まれたってことゴブゥ」
「は? それの何が気になるゴブ?」
「オラ達も、あの人間達も、同じように生命エネルギーから生まれたんだとしたら……」
そこで言葉を区切ったケイブは、少し言いづらそうに顔をしかめながら、小さく告げた。
「どうしてオラ達には、バディが居ないゴブゥ?」
「どうしてって……それは……ゴブ」
ケイブの言葉を聞いたベックスは、小さく言葉を漏らしながら、足を止めてしまった。
まるで、何か気が付きたくないものに気が付いてしまったかのように。
そんな彼に追い打ちをかけるように、ケイブが話を続ける。
「オラ、ずっとバディが欲しかったゴブゥ。それはベックスも同じはずゴブゥ」
「ケイブ……やめるゴブ」
「やめないゴブゥ。ベックス、ノームは生命エネルギーを操るゴブゥ。ってことは……」
「やめろ!! やめろゴブ!!」
話をやめるつもりのないケイブに、ベックスは叫んでみせる。
しかし、そんなベックスの叫びを聞いたケイブが、口を閉ざすことは無かった。
「もし、バディも生命エネルギーから生まれてるなら、オラ達もバディを持てるかもしれないゴブゥ」
真っ暗な樹海の中に、ケイブの言葉が溶け込んでいく。
まだかすかに聞こえる鳥のさえずりと、木々のざわめきの中に溶け込んでいったその言葉は、一瞬で消え去ってしまった。
それでも、ケイブとベックスの脳裏にその希望が刻み込まれたことは、言うまでもない。
そうして、しばらく黙り込んだまま立ち尽くしていたベックスは、何も言葉を発することのないまま、西に向かって歩き始めたのだった。




