第1話 始めて見るもの
物心ついてから今日この日まで、俺はずっと山の中で暮らしてきた。
年月にすれば、15年にもなる。
流石に、初めの数年間の記憶は無いけど、それ以降はある程度のことを覚えてる。
一緒に暮らしてたガスと言う名の男が、俺を育ててくれたんだ。
ガスは、俺に色んなことを教えてくれた。
山の危険な場所や武器の扱い方、獲物の取り方、そして様々な道具の作り方まで。
山での生活に必要な知識は、殆ど彼に教わったと言っても良い。
だけど、彼が俺に教えてくれなかったものがある。それは、山の外のことだ。
どうして俺達が山に住んでいるのかも、山の外の世界に何があるのかも。
ガスは頑なに語ろうとはしなかった。
だから俺も、それ以上しつこく聞くことをやめることにした。
だって、ガスと喧嘩したら俺が負けるのは分かり切ってたから。
そんなガスが死んだのは5年間。それからの5年間、俺はたった一人で生活を続けた。
いや、正確には1人じゃないかな。俺には、大切な相棒がいる。
「ダレン!! 右の方に追いやったぞ!!」
「任せとけ!!」
俺に向かってそう呼び掛けて来るのは、俺のバディのノームだ。
ガスが言うには、人間が生まれた時に一緒に生まれてくるのがバディという存在らしい。
見た目は人それぞれで、その証拠に、ノームが三角形の赤い帽子をかぶった小人なのに対し、ガスのバディは犬型だった。
俺の頭の上で髪の毛を掴んでいるノームから、眼前に意識を戻した俺は、勢いよく駆け出す。
鬱蒼と茂っている茂みの中を、右の方に駆けてゆく獲物。
そんな獲物を逃さないように、全力で足を動かしながら、背負っていた弓を構えた俺は、少し先の1点に狙いを定める。
そうして、一呼吸置いた後、俺は矢を放った。
風を切って飛んで行く矢は、まっすぐに狙いを定めた個所に向かう。
直後、まるで何かに驚いたかのように跳び上がったウサギに、俺の放った矢が突き刺さる。
「よっしゃ!!」
「上手く行ったな、ダレン」
「そりゃあな、俺とノームの手に掛かれば、これくらい簡単さ。だろ?」
「あぁ、当然だな」
言いながら地面に転がっているウサギの元に歩み寄った俺は、その耳を掴んで掲げてみる。
「旨そう。今日の夕飯はウサギのシチューにするか」
「賛成だ。なぁ、ダレン。今日の働きからして、オイラの肉を少し多めにしてくれるよな?」
「は? 何言ってんだ? 俺の方が多めに食うに決まってるだろ?」
「なんだって? どう考えてもオイラの方が役に立ってただろ?」
「馬鹿なこというなよ、ノーム」
「馬鹿はお前だ、ダレン」
今にも喧嘩が勃発しそうな、ピリピリとした空気が俺達の間に広がりかけたその瞬間。
甲高い悲鳴が山中に響き渡った。
「ん? なんだ?」
「さぁ? 鳥でも鳴いたんじゃない?」
「いや、鳥の鳴き声じゃなかっただろ? やっぱりノームは……」
バカだなぁと言おうとした俺の耳に、更なる声が届く。
「イヤッ!! ヤメテッ!! 放して!!」
「ほら、落ち着けよ!! 大人しくしねぇと、痛い目合わせるぞ」
やたらと甲高い声と、逆に野太い声。
それらの声を聞いた俺とノームは、互いに顔を見合わせると、一言も喋ることなく声の方に向かって走っていた。
この世界に、俺達以外の人間が存在していること自体は知っている。
だけど、俺達はこの15年間で1人たりとも、ガス以外の人間を見たことが無い。
どうして誰も来ないのか、ガスに聞いた時、彼はたった1つだけ教えてくれた。
曰く、外の世界に住んでいる人間は、殆ど死んでしまったらしい。
だとしたら、今の声は外の世界からやって来た人間の可能性が高い。
そう判断した俺は、なるべく見つからないようにするため、気配を消して木の上に上ることにする。
枝から枝へ飛び移りながら声の方へ近づいた俺達は、そうしてようやく、その姿を捉えることに成功した。
5人の男が、1人の女を取り囲んでいる。
ガスと同じような犬型のバディや、鳥型、小人型などのバディを引き連れている5人。
それに対して、取り囲まれている女の傍には、バディの姿を確認できなかった。
まぁ、取り囲んでいる5人のせいで見えてないだけかもしれないけど。
なぜか両手を地面に押さえつけられているらしい女を、男達が見下ろしている状況だ。
組み伏せられている女は、金色の長い髪を持っていて、やたらと目立つ。
対する男達は、全員が短い黒髪だったので、ぱっと見て区別がつかなかった。
この様子から察するに、女は5人から逃げてたらしい。
藻掻き、呻くような声を上げている女を見た俺は、確かめるように、頭の上に乗っているノームに尋ねる。
「さっきの甲高い声は、取り押さえられてる女の声だよな。俺、女を見るの初めてだよ」
「そうだな。で、ダレン。ここで様子を見るつもりなのか?」
「ガスがいつも言ってただろ? 見たことのないものを見つけた時は、細心の注意を払えって」
「まぁ、そうだな」
「で、あいつら何やってるんだろう?」
頭の上に乗っているノームと言葉を交わした俺は、改めて6人の様子を眺めた。
「さぁ、もう逃げられないぞ」
「放して!! イヤッ!! 痛い!!」
「少しは黙れよこの女!!」
そう言った1人が、女の顔をものすごい勢いで叩いた。
流石にやりすぎだろうと俺が思った時、頭の上のノームが、小さな声で呟く。
「おいおい、あれ、大丈夫か? 助けてやった方が良いんじゃないか?」
「おんなじこと思ってたところ。ノーム、準備は良いか?」
「当然だ!!」
小さくも力強いノームの返事を聞いた俺は、意を決してその場に立ち上がろうとした。
その瞬間、俺は勢い余って枝の上から足を滑らせてしまう。
「おわっ!!」
変な声を上げながら落下し始めた俺は、咄嗟に体をひねることで、木の幹を蹴り、その勢いを利用して地面を転がった。
転がれなかったら、落下の衝撃を全身で受けてただろう。危ない危ない。
そんなことを思った直後、俺は多くの視線を全身に感じる。
恐る恐る視線を上げると、5人の男が俺の方に視線を向けていた。
「……えーっと。は、初めまして。ん? この場合は、こんにちはって言うんだっけ?」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ……」
髪の毛にしがみ付いていたらしいノームが、そんなことを言う。
彼の言葉に賛同するように、5人の内の1人が俺の元に歩み寄って来ると、乱暴な手つきで、胸倉をつかんできた。
目の前で見ると、この男達は思っていたよりも体格が良いみたいだ。
軽々と持ち上げられてしまった俺は、胸倉を掴まれて息苦しさを覚えながら、眼前の人物に問いかける。
「あの、何をしてたんですか? その女の人が、痛そうに見えたんですが」
「おい、ガキ。てめぇなんでこんなところに居やがる?」
「あれ? 言葉通じてないのかな?」
「通じてねぇのはおめぇだよ!! 嬲り殺されてぇのか!!」
「そんなわけないでしょ。死にたくないし」
言った直後、俺は眼前の男の頭を左手で掴むと同時に、男の顎に右手で掌底を放った。
頭を突き上げられるような衝撃を受け、耐え切れなかったらしい男は、白目を剥いて失神する。
そうして、バランスを崩して倒れ始める男の胸元を蹴った俺は、少し後退しながら着地して、残りの男達に視線を向けた。
「ごめん。この男が威圧してくるから、思わず失神させちゃった」