12.魔界跡地と野営準備。
【魔物】とは、魔力に飲まれ、魔力と同化し、本来の容から変質を遂げた生物を指す。【魔物】となった生物は、肉体だけでなく精神も変質。例外なく狂暴化し、人間にとっての脅威となる。
では、【魔界】とは?
それは、魔力に飲まれ、魔力と同化した世界そのもの、異界。迷宮、溶岩、氷獄、樹海。
通常ではありえないような場所を形づくり、通常とは異なる理を示す。膨大な魔力により凶悪に変質した【魔王】の名を冠する【魔物】が支配する、人間の侵入を拒む、濃密な魔力に満たされた【魔物】たちの世界。
かつては、ここもそんな【魔界】のひとつだったという。
「うーん。本当に、何度見ても不思議な光景よね?」
「ん」
プレサは、その境界線をまたぎながら赤いポニーテールを揺らして首を傾げた。近くに立つイニアが無表情で相づちを打つ。
背の高い木々が立ち並ぶ森を抜けて少し先。
そこには草の生い茂る地面がしばらく続き、そしていまプレサが立つ一点でぱったりと途切れていた。まるで、そこが見えない線で区切られているかのように。
「こ、ここが、魔界……?」
知識としては、たしかに知っていた。だがそれでも、初めて目にする異質な現実感のない光景に、僕の口から思わずつぶやきが漏れる。
「正確には、跡地ですけどね? イニア。いま少し探ってみましたが、やはり魔力がほぼ枯渇していますね。これでは、おそらくほかの魔物はとても棲めないでしょう。こんな魔力のない死の大地で生きていけるのは、自らの身によほど大量の魔力を溜めこんだものだけです」
「ん。どうやら情報どおり、まちがいなさそう。ここに竜種、たぶん赤竜がいる」
祈るように閉じていた目をシャルティーが開いた。イニアはとんがり帽子のつばを手でおさえ、遠くへと目をすがめる。
いつものイニアたちとは違う、張りつめたような空気。
ふたりの視線の先。境界線の向こうには、荒涼とした荒野が広がっていた。遠くには岩山がぽつぽつと点在している。もし本当に竜がいるのなら、あのあたりだろうか。
「で、でも、なんでわざわざこんなところに竜が? 最強種なら、もっといい住処がいくらでも見つかるんじゃ?」
緊張のあまり黙っていられなくなった僕は、思わず思ったままを口にしてしまう。
「いいえ、ロシュ。それは逆です」
その僕の問いにシャルティーがゆっくりと首を振り、イニアがうなずいた。
「ん。おそらくだけどこの魔界跡地にいる以上は、ほぼまちがいない。今回の竜種は、限界まで魔力をその身に吸収し続けた結果、さらに高次元の魔物への変質を遂げようとする――【進化の極北】に到達した可能性が高い。けど無事に進化するためには、今度は逆に状態を安定させる必要がある」
「はい。そのために適しているのが大気以外の魔力が枯渇した場所、ここのような魔界跡地というわけですね。かの竜はいまここで静かに身をひそめ、進化の時を待っているのでしょう」
「そうね。ただ、逆にもし進化に失敗して、その身に蓄えた膨大な魔力に飲まれてしまえば、今度はもとの容を保つこともできずにドロドロの不定形になってしまうわ。まあ、それはそれで厄介なんだけど」
「ええ。ですがいずれにせよ、いまが好機であることには変わりありません」
「ん。完全に進化しきる前に、わたしたちで竜を討つ」
ごくりと喉が鳴った。
冒険者ギルドの中でも一度も聞いたこともないような魔物に関する知識を当然のものとして語り、魔物最強種の竜を討つと平然と口にするイニアたち。
3人立ち並び、魔界跡地のどこかに潜む竜へと向けられた決意を秘めたまなざし。そこには、まぎれもなくA級冒険者、みんなや僕があこがれた【流星の矢】の姿があった。
「ん。それはそれとして、そろそろ準備」
「えー? 本当にここで? 大丈夫なの?」
「問題ないのでは~? さっきもいったとおり、ほかの魔物の気配はありませんし、かの竜にしてもこんな表層にはいないでしょう~。むしろ、ほかの魔物がいる森の中よりもよっぽど安全かと思います~」
「ん。じゃあ決まり」
と、イニアのそのひとことをきっかけに一気に空気がゆるみだした。
いつもの調子でなにやら話しあいをまとめると、イニアはこっくりとうなずいた。
「ん」
続いて懐から魔法収納の、ひときわ豪奢な装飾が施された小箱をとり出した。開いたそこから何か――【球】のようなものをつかむと、トン、と魔界跡地の荒れた地面に置く。そして、少し離れると杖を向けて唱えはじめた。
「其は零と一の間。いま再び時を刻み、その姿を顕せ。【解凍】」
詠唱が終わると、【球】の周囲の景色がまるで蜃気楼のように歪み始める。じっとそれを見つめているとなんだか気分が悪くなってきて、僕が立ちくらみのような感覚に襲われた次の瞬間。
「――え?」
さっきまでなにもなかったはずの魔界跡地の荒野。
そこに、天幕が建てられていた。
天幕といっても、冒険者が使うような布一枚で立てる簡素な野宿用のものとはまったく違う。
何人もの人間を使わなければとても建てることができない、豪商や貴族しか所有できないような、しっかりと骨組みが組まれたドーム状の広々とした天幕。
優に10人は入れるだろう、まるで布製の家ともいえるような代物が荒涼とした魔界跡地に忽然と出現していた。
「ん。王家秘匿魔法【解凍】。対の秘匿魔法【超圧縮】で小さくした任意の物体を、状態を維持したまま元に戻すことができる。かなりの魔力を使うから、多用はできないけど。ロシュ、今夜は、ここに泊まる」
一瞬で終わった野営準備。
たったいま僕の目の前であり得ない光景を起こしてみせたイニアは、さらりとそういってのけた。
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