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エピローグ ~館長の解説~

 歴史のあるおしゃれな町の小高い丘に、一軒の、人形をテーマにした小さな美術館があった。

 2階建ての、青い壁に黄色い柱というなかなか奇抜な配色を、上手に色調を合わせて、メルヘンの世界から引っ越してきたような、可愛らしい館だった。

 館内には100体以上の、現代作家の手による、ちょっと気味が悪いくらいにリアルな仕上がりの少女の人形たちが、おしゃれに着飾ってあちこちに座っていた。

 縦長のステンドグラスから日の差す白い階段にも人形たちがいて、2階に上がって、奥の部屋に行くと、そこだけちょっと雰囲気が変わって、いかにも古いアンティークの家具がコレクションされ、南京錠のぶら下がった鎖に巻かれたガラスケースが置かれていた。

 ケースの中には、これまた鎖に巻かれた、焼けこげた一体の人形が立っていた。

 髪の毛がチリヂリに巻き上がり、ゴージャスだったドレスは半分以上焼けて茶色くなり、露出した肌には黒いタールのようなカスが付着し、顔は、左半分肉がはがれ落ち、骸骨が覗いていた。残った左目は半分に割れて、上下にずれていた。

 ケースの置かれた机の前に、座り心地のよさそうなアームチェアに腰掛けて、この美術館の館長が語った。


「ヨーロッパの暗黒の歴史である魔女狩り。

 そのバイブルとなったのが1487年ドイツで出版された『魔女に与える鉄槌』という本です。

 この本が神学的に魔女の実在を証明し、魔女というものを定義しました。


 この本の登場以前、どういう人たちが魔女と呼ばれていたかと言うと、

 占い師やまじない師、自然の精霊や祖先の霊を呼び出すシャーマンといった人たちが広く魔女と呼ばれていました。


 『魔女に与える鉄槌』が定義した魔女は次のようなものです。


 魔女は、

 自身の体内に超自然の魔力を宿している、

 悪魔を崇拝し、悪魔に捧げるサバトを開き、性的乱交を行う、

 子どもをさらって悪魔に捧げ、

 人間を獣に変え、

 男性を性的不能に女性を不妊症にし、男性の性器を奪い、

 空を飛ぶ。


 魔女裁判における魔女判定の方法は、


 川や沼に石を縛り付けて放り込み、浮いてきたら魔女、沈んだら無罪。

 悪魔の護符を隠し持っていないか調べるため全身の毛を剃り、

 魔女は体に悪魔の刻印があり、その場所は刺されても痛みを感じず出血もしないので、その場所が見つかるまで何度も全身に針やメスを突き刺して確認する。

 体を器具で張り付けにし、大量の水を飲ませる。

 脚のすねに角材を当て、縄で締め上げる。


 といったものでした。

 現代の感覚ではとても正気の沙汰とは思えません。


 『魔女に与える鉄槌』を著したクラマーとはどういう人物だったのか?

 クラマーはカトリックの名門ドミニコ会の修道院長という、当時トップの超インテリ学者でした。

 ドミニコ会は清貧を重んじるストイックな気風で、神学の研究に励み、多くの優秀な神学者を輩出し、カトリックの教義に反する者を裁く異端審問会の、教皇勅命の異端審問官に多く任命されました。


 著作以前、若きクラマーも異端審問官としてローマの各都市へ赴き魔女裁判を開催しています。

 しかし、そこでの裁判の勝率は低いものでした。

 独立性の高かったそれら自治都市では一般市民の常識が強く、クラマーが魔女として告発した女性たちにも公平な弁護が行われ、しごく常識的に、彼女たちの多くが無罪放免され、むしろ地区の司教はクラマーを危険な狂信者と見なし、裁判の再開を頑固に求め続ける彼に対し、教区から立ち去るよう再三に渡って勧告しています。


 魔女狩りの初期において、キリスト教会は、

 魔女などというものは迷信で、そんな物は存在しない、

 と、民衆を抑制していたのです。

 それがどうして、ヨーロッパ全土で数百万人とも言われる犠牲者を出した魔女狩りが横行することになったのか?


 裁判に敗北した彼は、その後猛勉強し、『魔女に与える鉄槌』を書き上げました。

 クラマーは熱心に働きかけて名門ケルン大学とローマ教皇の正式な認定を受け、この本は大ベストセラーとなりました。

 そうなると教会も抑制的な態度を改め、厳しく魔女裁判を行うようになり、暗黒の魔女狩りの時代が訪れました。


 クラマーが『魔女に与える鉄槌』を書き、熱心に魔女裁判を推進したのは、エリートであった彼が裁判の敗北という地方で味わわされた屈辱に対する仕返しで、世間も教会もまんまと彼の個人的な復讐に乗せられてしまったのでしょうか?


 それにしても魔女狩りの残虐性は常軌を逸しています。


 そこで思うのですが、若きクラマーの敗北は、単に裁判の上ではなく、もっと深刻な事情があったのではないか?

 彼が魔女として告発した人物の中に、自治区の民衆ばかりか、司教まで意のままに操る絶大なカリスマ性を持った、女王のような人物、それも、本物の魔女のような力を持つ女性が、本当にいたのではないか?


 クラマーが著作に挙げた魔女の特徴、

 刺されても痛みを感じず、

 水の上に立ち、

 空を飛ぶ、ような、

 本物の魔力を持つ人物が、本当にいたのではないか?


 教会が魔女裁判を本格的に行うようになったのは、クラバーの報告を受けて調査したところ、本当にそういう人物の存在が確認され、その人物こそ、キリスト教、人類の敵である、と認識したからではないか?

 だからこそ教会は、どれだけ無実の被害者が出ようと、本物の魔女を滅ぼす為、残虐非道の魔女狩りを続けたのではないか?


 教会が危険と断定した魔女はその一人だったのでしょうか?

 当時、本物の力を持った本物の魔女はヨーロッパ全土にたくさんいて、各地でリーダーを務める特に力の強い者が数人いて、更にその上に君臨する絶大な力を持つ魔女の女王がいました。

 本気を出した教会の追求に、さしもの魔女たちも捕らえられ、火炙りにされていき、魔女のリーダーたちは女王を守って逃亡しました。

 魔女狩りは200年に渡って続きました。当然その間に女王は代替わりした、と、普通なら考えられますが、普通に寿命がつきて死ぬような魔女ならそれほどの長い期間教会が血眼のなって行方を追ったりしないでしょう。

 長い逃亡生活の中、親衛隊の魔女たちも一人減り、二人減り、すっかり少なくなってしまいました。

 自分を滅ぼすまで教会は決してこの狂気の討伐作戦をやめることはないだろう。

 そう考えた女王は、自分を慕う魔女たちと、自分を恐れる教会と、両方の納得できる妥協案を自らの肉体で示しました。

 彼女は高い魔法技術によって自らの肉体を物にし、そこに魂を固定したのです。

 自らを永遠に保つと共に、自発的な活動を放棄し、所有者に力を与えるアイテムとなりました。

 しょせん聖職者などといっても物欲、名誉欲に駆られた俗物です。純粋な力が手に入るとなれば、それを所有したいと思うのが当然です。

 こうして魔女側と教会側で話がまとまり、女王は密かに教皇に譲渡され、そうしてようやく狂気の魔女狩りは収束していきました。


 その後、女王の魂のこもったアイテムがどうなったか?

 時の権力者から、次の権力者へ、富と栄光と、そしてそれにつきまとう不幸を与えながら、永遠の存在である彼女にしてみれば人間の栄光の時間など笑ってしまうほどあっけなく短く、次から次へと所有者を変えながら現代に至っても当時そのままの姿で存在し続けていました。

 それが彼女、

 類い希な魔力で自ら生き人形というミイラになった、


 マリーでした。


 現代、人々の信仰心は薄れ、時の権力は教皇の手を離れました。

 永遠の魔女の伝説は迷信として忘れ去られ、ここでマリーは教会との契約を打ち切り、自由になったのです。

 自由になった彼女でしたが、それまで累々と溜め込んだ人間憎悪と、退屈で、ちょっと羽目を外し過ぎて、あげくの果てが、この有様です」


 長々と説明してきた館長は優雅に笑った。


「ご心配なく。この人形にもう悪さをする力は残っていません。ケースに閉じ込めて鎖でいましめているのは、ただのもったいぶった飾りです」


 不気味な焼けこげ人形にまつわる長い長いお話だったが、見学者は館長の美貌とチャーミングな語り口にすっかり心奪われて時間を忘れていた。しかし。

 焼けこげる前の、美しく優雅だったマリードールを知る者が彼女を見たら、ぞっと戦慄しないではいられなかっただろう。

 館長は白い肌をしたヨーロッパ人で、輝くゴージャスなブラウンの巻き毛をして、宝石のようなグリーンの瞳をしていた。


 彼女は今、完全に自由だった。



 終わり

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