第5話 まとめ籠の中の病
王都の医学院は、アルベールにとって前世よりも二年早い、十六歳での入学だった。
高位貴族の子弟が医師を志すこと自体、珍しい。しかも次男とはいえ侯爵家の人間が、貴族院ではなく医学院を選んだことに、周囲は一様に首を傾げた。
「モンフォール卿は、変わったお方だ」
陰でそう囁かれているのは知っていた。だが、気にしている余裕はなかった。
医学院の書庫は、王都でも屈指の蔵書量を誇る。過去数百年分の医学誌、症例報告、治療記録――アルベールが求めているものは、そのどこかに埋もれているはずだった。
目当ては、魔力枯渇症に関する記録すべてだった。
◇◇◇
「モンフォール、また書庫か」
同期の学生、ダミアンが呆れたように声をかけてきた。
「講義が終わったばかりだぞ。少しは休め」
「休んでる暇はないんだ」
アルベールは古い医学誌の束を抱えたまま、短く答えた。
「そんなに根を詰めて、誰かのためにでも?」
その問いに、アルベールは一瞬だけ手を止めた。
「……ああ」
「へえ。珍しいな、お前がそんな顔をするのは」
ダミアンは肩をすくめて去っていった。アルベールは、それ以上何も言わずに、再び紙面へ視線を落とした。
◇◇◇
魔力枯渇症――魔力が身体に必要な量を満たせなくなる状態を広く指す診断名。原因も経過も様々で、症例ごとの差異が大きいことは、以前から医学界でも指摘されていた。
だが、それゆえに、この病名は一種の「まとめ籠」になっていた。原因不明の消耗性の症状は、とりあえずこの名前で片付けられる。そういう傾向が、何十年も前から続いていた。
アルベールは、その「まとめ籠」の中身を、一つずつ引っ張り出す作業を続けていた。
症例A――魔石による魔力補充で、一時的に顕著な改善が見られた。しかし数ヶ月後、症状は元通りに悪化。
症例B――同様に魔石療法で改善。だが今度は数週間で再発。
症例C――魔石療法が効かなかった例。別の治療で偶然改善したが、原因不明のまま記録が途絶えている。
一件一件は、特に繋がりのない、ばらばらの記録に見える。
だが、アルベールには前世の記憶があった。エレノアが受けていた治療と、その後の経過。それと照らし合わせると、症例Aと症例Bの経過が、あまりにもよく似ていることに気づく。
――魔力を補充しても、根本的には治っていない。
それが、前世でエレノアの身体に起きていたことと、同じ形をしていた。
◇◇◇
休暇で屋敷に戻るたび、アルベールはエレノアのもとを訪れた。
十六歳のエレノアは、前世のこの時期と、ほとんど変わらない経過を辿っていた。時折、体調の良い日もある。だが全体としては、緩やかに、しかし確実に、悪化の兆しが見え始めていた。
「学院はどう?」
ベッドに半身を起こしたエレノアが、微笑みながら尋ねた。前世よりも顔色が良い日が多いのは、この数年、アルベールが魔石から少量ずつ魔力を分け与え、負担をかけない範囲で循環を促す――そんな付け焼き刃の処置を続けてきたからだ。根本治療には程遠い。良くて、悪化をわずかに遅らせているに過ぎない。
「順調だよ。今は、古い症例をたくさん読んでいる」
「私の病気の?」
「……うん」
エレノアは、少し困ったように笑った。
「そんなに根を詰めなくても、いいのに」
「根を詰めてるわけじゃない。ただ――」
アルベールは、言葉を選んだ。
「知りたいんだ。なぜ、こんなことが起きるのか」
それは半分、本当だった。だが残りの半分は、口にできなかった。
――前世で、君を失った理由を、今度こそ突き止めたい。
その言葉は、まだエレノアには言えない。
◇◇◇
夜、書庫に一人残り、アルベールは積み上げた症例の写しを、机の上に並べていく。
魔石で一時的に改善した症例。
魔力回路そのものに何らかの異常があったと推測される記述。
原因不明のまま、体系化されずに埋もれていった記録たち。
前世では、これらを繋げて考える時間も、知識も、地位も、アルベールにはなかった。学生ですらなく、ただ一人の幼馴染として、エレノアの枕元で無力に治療法を探し続けるしかなかった。
今世は違う。
医学院に籍がある。書庫への出入りも自由だ。何より、前世で見た「結末」を知っている。
――間に合わなかった、あの時とは違う。
アルベールは、古い症例報告の一枚を手に取り、じっと見つめた。
魔石による治療で、一時的に劇的な改善を示した患者の記録。だが、なぜそれが「一時的」で終わったのか、当時の記録者は何も考察していなかった。
――魔力が、足りていなかったわけじゃない。
そう仮定すると、いくつかの記録の辻褄が、奇妙なほど合ってくる。
まだ、確信ではなかった。ただの直感に近い。だが、前世では最後まで摑めなかった何かに、指先が触れかけているような感覚があった。
窓の外は、すでに真夜中だった。だが、アルベールに疲れはなかった。
――もう少しだ。
もう少しで、何かが見えてくる。
その予感だけを頼りに、アルベールは次の症例報告に手を伸ばした。




