第1話 生きている、と思った朝
目を開けた瞬間、アルベール・モンフォールは、自分がまだ六歳の身体の中にいることに気づいた。
小さな手。伸ばせば届く距離にある低い天蓋。窓から差し込む光は、記憶よりもずっと眩しい。
――生きている。
そう思った瞬間、喉の奥から何かがせり上がってきた。笑いなのか、嗚咽なのか、自分でもわからない。
前世の最後に見た光景は、白い天井だった。消毒液の匂い。窓の外の曇り空。そして、痩せ細った指が自分の手を握り返す、あの弱い力。
「――ごめんね。私にずっと縛り付けてしまって」
エレノアはそう言って、目を閉じた。
違う。そうじゃない。僕は君に縛られていたんじゃない。僕自身が、君を選んでいたんだ。
そう伝えたかった。何度も、何度も伝えようとした。けれど、いつも肝心なところで言葉が足りなかった。優しさが邪魔をした。合理性が邪魔をした。ただ「大丈夫だよ」としか言えなかった自分を、アルベールは二度目の人生の初日から、もう悔やんでいる。
小さな手のひらを、じっと見つめる。
六歳。まだ何も知らない、何も持っていない年齢。だが今のアルベールには、前世で得た知識のすべてが残っている。医学書の一行一行。役に立たなかった治療法。効かなかった薬。そして――間に合わなかった、という事実だけが、鮮明に。
「坊ちゃま?」
乳母の声に、アルベールは我に返った。窓の外では、まだ夏の初めの陽射しが庭を照らしている。
この国のどこかに、まだ幼いエレノアがいる。今はまだ、あの弱々しい咳も、青白い頬も知らないうちに。
アルベールは小さな拳を握った。
前世では、間に合わなかった。
だから今度は――間に合わせる。
誰に言うでもなく、そう心に決めた六歳の朝だった。
◇◇◇
それから数年後。
モンフォール侯爵家の次男が、屋敷の書庫に籠っては医学書ばかり読んでいる、という噂は、社交界の片隅でひっそりと囁かれるようになっていた。
「跡継ぎでもないのに、医者の真似事とは。変わり者だな」
そう笑う者もいた。だがアルベール自身は気にも留めなかった。彼にとって重要なのは、貴族らしい振る舞いでも、社交界での評判でもない。
ただ一つ。
ヴァレンティア侯爵家の一人娘が、今世でも同じように、生まれつき身体が弱いという噂を耳にした、その日から。
――エレノア。
まだ会ってもいない少女の名前を、アルベールは静かに、確かめるように呟いた。




