第6話 唯一無二の人
霧島と佐伯の話はまだ全然色々ありますが、エピソード0は本第6話にて完結です。
霧島のブースは、二年前と同じ静けさをまとっていた。
一面の森林、
温度は少し低く、空気がゆっくり流れている。
呼吸が自然と整う空間。
佐伯は、霧島の正面に座っていた。
胸の奥は静かに熱かった。
霧島が、少しだけ首を傾ける。
「……佐伯さん。
さきほどから、少しぼんやりされてますね。」
佐伯はゆっくり瞬きをした。
「ごめん。
……はじめてジェムノットに
来た時のこと、
思い出してたんだ。
2年…いや、そろそろ3年になるのかな」
霧島は何も言わない。
ただ、空気を乱さないように待つ。
佐伯は息を整えた。
胸の奥の熱が、
静けさの中で形を持ち始める。
「霧島さん。
……霧島さんを、選びたいんだ。」
その言葉は、
静けさの空間に落ちて、
ゆっくりと沈んでいった。
霧島のまなざしが、
ほんのわずかに揺れた。
揺れないはずの静けさが、
佐伯の言葉に触れて揺れた。
霧島は、すぐには返事をしなかった。
呼吸が、わずかに深くなる。
まなざしが、ほんの少しだけ濃くなる。
「佐伯さんは気づいてくれてると思います。
……俺は、
一人を選ぶのが怖いんです。」
佐伯は生つばを飲み込んだ。
しかし頷いた。
霧島は続ける。
「ここでは、
いろんな人の痛みに触れるでしょう。
揺れている人も、
沈んでいる人も、
泣きたい人も、
言葉にならない人もいる。」
「誰か一人を選ぶってことは、
他の誰かを選ばないってことでもある。」
「そして…
そういう数多の人に手を差し伸べることと
決別して選んだ人とでさえ、
別れが訪れてしまうじゃないですか。
…”選んだ人との別れ”ほど辛いことは、
そんなに多くないと思うんです」
霧島の声は静かだった。
でも、その静けさの奥には、
長い時間を経た“恐れ”があった。
「俺、怖いんです。
俺は…もう、すでに一人失ってるんです。
俺の…たった一人を…幼馴染を…」
佐伯は、少し笑った。
けれど今にも泣きだしそうな顔に見える。
胸の奥が、霧島の静けさに寄った。
「やっぱりそうだったんですね……
霧島さんらしいな。」
霧島がわずかに目を伏せる。
佐伯は静かに言った。
「霧島さんは、
選べなくていいですよ。」
霧島が顔を上げる。まなざしが、ほんのわずかに揺れた。
「……え?」
佐伯は胸の奥に手を当てた。
「霧島さんは、選べなくていい。
自分が選んだら
誰かを傷つけるかもしれない、
自分が選んだら
別れが来るかもしれない、
って、そんなふうに考えちゃう人だから。」
少し息を整えてから、言葉を落とす。
「だから──
俺が選びます。」
空気が、静かに震えた。
「霧島さんが誰も選べないなら、
俺が霧島さんを選ぶ。
“選ばれなかった誰か”のことまで、
”選んだそのあとの未来”のことまで、
霧島さんが背負わなくていいように。」
霧島のまなざしが、
深く揺れた。
揺れないはずの霧島の静けさが、
佐伯の言葉に触れて揺れた。
佐伯は続ける。
「俺は…
霧島さんに救われた側だから。
選ばれなかった、会えなくなった誰かの分まで、
“選ぶ責任”を、俺が持ちたい。」
マジックミラー越しでも見えそうな強いまなざしで。
姿の代わりに、揺るぎない言葉と声で。
佐伯がマジックミラーに近づいていく。
両手が霧島の顔の高さまでスッと持ち上げられた。
霧島の頬を撫でるように、
包み込むように、
そして、少し持ち上げるようにーー
見せつけるように、挑むように。
霧島のまなざしが、明らかに揺らぐ。
触れていないのに、
触れたように見える距離。
霧島は、静かに息を吸った。
「……佐伯さん。
それは、すごく危うい言葉ですよ。
…それと、その仕草は流石にちょっとずるいです。」
溢れそうな笑顔で。
鳥たちのさえずりが強くなる。
「知ってます。」
佐伯は笑った。
「でも、伝えたかったんです。
霧島さんは選べなくていい。
俺が、霧島さんを選びます。」
その瞬間、
二人の胸の奥の間の空気が、
はっきりと震えた。
ノッティング寸前。
霧島は、ほんのわずかに目を閉じた。
「……そんなふうに選ばれたら、
俺も、選ばないわけには
いかないですね。」
まなざしが静かに揺れた。
頬にうっすら朱がさしている。
佐伯は、
霧島の揺れを見て、
胸の奥が熱くなる。
「霧島さん……
俺は、あなたに触れられたいんだと思う。」
霧島のまなざしが、
さらに深く揺れる。
木々がざわめき、木漏れ日が、光がいっぱいにあふれていく。
鳥たちの鳴き声が、そこかしこからうるさいほどに聞こえてくる。
静けさを選んできた人が、
誰かの言葉で揺さぶられている。
その揺れは、“選び返す揺れ”。
霧島は、
ゆっくりと息を吐いた。
「……佐伯さん。
あなたが選んでくれたなら……
俺も、選びます。」
その言葉が落ちた瞬間、
二人の胸の奥が、
ほんのわずかに重なったように見えた。
触れていないのに、
触れたように見える距離。
それは、
ジェムノットで最も深い
“結び”の予兆だった。
霧島は続ける。
「……ノッティングは、
『自分と対等なたった一人になってほしい』
と、顧客からキャストに申し出る、
クラブ・ジェムノットだけの、特別の、静かな約束です。
法的な効力はありませんが、
ジュエルからの返答の可否に関わらず
ノッティング後、ジェムは二度とご来店を許されなくなります」
佐伯は息を飲んだ。
霧島は静かに言った。
「対等に、お互いがお互いに対して選び合う。
クラブ・ジェムノットの、
“最も強く深い結び目“を作る依頼です。」
「はい。
利用規約で承知しています。」
「……いいんですか?
ノッティングしたら、もう…
ここには二度と来られなくなってしまいますよ」
佐伯は、
胸の奥が静かに凪いでゆくのを感じた。
「かまいません。
俺は、
あなたとノッティングしたいです。」
霧島のまなざしが、
また、静かに揺れた。熱がこもる。
その揺れは、“選び返す揺れ”。
その熱は、最初の日に灯った想い。
二人の胸の奥は、触れないまま、
それでも確かに“結ばれて”いた。
それが──
霧島奏人と佐伯誠の
ノッティング成立の瞬間だった。
最後までお読みいただきありがとうございます!




