↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラブ・ジェムノット~エピソード0 - とても儚げで美しい男性に一目惚れしてしまった~  作者: (さ)くま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/6

第1話 沈む心の輪郭

いきなり女性との話で始まりますが、エピソード0はBLです。

佐伯誠は、結婚生活の最後の一年を思い返すことができなかった。

思い返そうとすると、胸の奥がきゅっと縮むような痛みが走るからだ。


妻の美咲は、穏やかで優しい人だった。

怒鳴ることも、感情をぶつけることもない。

静かに笑い、静かに話し、静かに寄り添う。


周囲からは「理想の夫婦」と言われた。


佐伯自身も、その言葉を否定できなかった。


ただ──子供の話題になると、胸の奥が軋んだ。


美咲は自然に「子供が欲しい」と言った。

その声は柔らかくて、未来を信じている響きだった。


佐伯も「そうだね」と答えた。

そのたびに、心の奥で何かが沈んだ。


沈んだものは、嘘だった。


佐伯は、自分の本質を隠して生きてきた。


自分は同性のパートナーを求めていたこと。

でも、同性のパートナーを到底探せない、当然選べないこと。

その弱さを、結婚生活の中でずっと押し殺していた。


美咲の前では「夫」でいられた。

仕事では「課長」でいられた。

家族の前では「長男」でいられた。


でも──誰の前でも「自分」でいられなかった。


嘘を抱えて生きると、心は少しずつ沈んでいく。

沈んだ心は、ある日ふと、浮かび上がれなくなる。


ある夜、美咲が静かに言った。


「誠くん……

 あなたの心がどこにあるのか、

 時々わからなくなるの。


 ……とても苦しそうに見える。」


その声は、

責める響きではなかった。

ただ、佐伯の苦悩に気づいた人間の、誠実な問いだった。


佐伯は返事ができなかった。


美咲は続けた。


「私ね、誠くんのことが好きだよ。

 でも……

 あなたの心が、

 私に向いていない気がするの。

 それが、怖いの。」


佐伯は、

胸の奥がぎゅっと縮むのを感じた。


美咲は泣いていなかった。


怒ってもいなかった。

ただ、静かに真実を見ていた。


「誠くんは、私を

 嫌いになったわけじゃないよね?」


「……違うよ。」


「じゃあ……


 誠くんの心は、どこにあるの?」


その問いは、

佐伯の嘘を静かにほどいた。


自分の心はどこにも向けないまま、

ただ「夫」という役割を演じていた。


美咲は、佐伯の沈黙を見て、

ゆっくりと息を吸った。


「……誠くん。

 私、あなたの心を縛りたくないの。

 あなたが苦しそうにしているのを

 見るのが、一番つらい。」


その言葉が、佐伯の胸に深く刺さった。


壊れていない幸せを壊すことになると分かっていた。

美咲を傷つけたくなかった。

自分が悪者になることも分かっていた。


それでも──


自分の心がどこにも向けないまま

生き続けることが、もう限界だった。


離婚は穏やかに進んだ。


争いはなかった。

ただ静かに、

終わった。


美咲は


最後まで優しかった。


「誠くんが悪いわけじゃないよ。

 でも……


 あなたの心が

 どこか遠くにあるように感じて、

 私、どうしていいかわからなかったの。」


佐伯は何も言えなかった。


壊れていない幸せを壊した罪悪感が、胸の奥に沈んだ。


その罪悪感は、

離婚届に判を押した瞬間、

静かに形を持った。


佐伯の心は、その瞬間、静かに崩れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。