42.4 「アタシは世界中の人を殺したい! 皆に恨まれて、世界中の人に殺されたい!」
ホワイトローズは、青い空を眺めていた。
草原の丘。
駆け抜ける風は素肌を優しく撫でる。
彼女は一糸纏わぬ姿であった。
それでも、彼女はその風の優しさを感じることは二度とない。
風はただ耳の奥でごそごそと不快な音を立るだけだった。
耳。痒。
右目と左目でバラバラに見えていた視界は戻り、折れた骨はやや繋がり、かき集めた手足も接合しつつある。
(――ああ、こんな気持ちなんだなぁ)
――バラバラにされるのって。
(でもまた使いすぎちゃった。どうしよ。怒られる)
――あのヒトに。
まさか一日に二度もバラバラにされるとは思っていなかった。
骨など何度砕かれたか数えきれない。
イグズスを小さくしたような大男に棒で叩かれ、列車に跳ね飛ばされ、全力で走るうちにもあちこちの骨が砕け、挙句列車から落とされた。
(最後のは結構効いたな。アタシも本気だったのになぁ)
でも、とホワイトローズは考える。
自分なら、列車の速度を落とした。
そうすれば自分は、線路に体を擦り付けゆっくりとミンチになっただろう。
あいつらはまだまだ甘い。手ぬるい。
でも、と再考する。
――アタシに痛覚がないって知ってたら、イマイチか。
彼女はもう、他者に与えた痛みの僅かとも、自分で感じることはないのだ。
それは彼女に、リミッターの外れた青天井の戦闘技術を齎したが――同時に彼女から全てを奪いもした。
遠くから、車の重たい駆動音が聞こえてきた。
車はすぐ傍の道路で停止した。
ドアの開く音がする。
「おいっ! あんたどうした! こんなところで、裸で! 怪我してるじゃねえか!」
「……別に」
「喋れるのか!? 誰にやられた! おい! 大丈夫か!」
大丈夫なわけないじゃん。頭、悪。
「すぐ病院に――いや、市警か? いやいや病院だよな。待ってろ!」
男は彼女を抱えると、車に連れ去ろうとした。
「おじさん――」
「何だ、どうした!?」
「――剣」
「剣?」
ホワイトローズは指差した。遠くに落ちた彼女の剣を。
「あ、ああ、剣」
後だ後、と言って男は彼女を車に乗せる。
おそらくウィロウに向かう途中だった、貨物を積んだ大型トラックである。
――車かあ。そういや車って、使ったことないな。
犯行に便利な乗り物だった。
(よくお父さんが、アタシを乗せて死体を捨てに連れてってくれた)
――さっきの列車は良かったなぁ。興奮した。
そう思う一方で――あのノヴェルって子とか――が妙に慣れてるのが気に入らなかった。
もしかすると自分が知らないだけで、他の子は皆、日頃から列車で遊んでいるのかも知れない。
そう考えると腹が立った。
そもそも勇者になってからというもの、他の勇者は世界中あちこち行って活躍しているのに、自分はそうではない。
ずっとアレン=ドナに囲われ、たまに呼ばれたかと思うと便利に使われるだけだ。
あのヒトは、自分が好きではないのかも知れない。必要だから置いておくだけなのではないか。
あのヒトは、きっと自分が好きなのだ。必要だし、大事にしてくれるのだ。
こんなにいい子にしているのに。
彼女は、車の高い窓から外を眺める。
剣を拾って、男が戻ってきた。
男は運転席に座ると、助手席の間に剣を立てかけた。
「あとこれ、あんたのか?」
男が手渡してきたのは小型の通信機。
彼女にはそれが何かははっきりと判らなかったが――ピンとくるものはあった。
黒服の男たちが使っているのを見た。
「お嬢ちゃん、名前は言えるか?」
「は?」
「名前だよ、名前。あんたの名前」
「アタシ? アタシは――慈愛のホワイトローズ。七勇者。その相方。有名じゃん?」
は? と、今度は男が言った。
***
オレたちはイレザーヘッド駅で降りた。
アルドゥイーノに手を借りてバリィさんを下ろし、駅向かいの工場の駐車場へ向かう。
駐車場には、その筋の車でいっぱいだった。
「人手が要るだろ? お前らは三人。こっちも三人出す。払いはファンゲリヲン持ちだ」
アルドゥイーノたちと握手し、彼らを見送る。
あまり別れを惜しむ時間もない。
バリィさんは、アルドゥイーノが車で病院まで連れていってくれることになっていた。
中型の無線機を肩から提げ、繰り返し時折ノートンを呼び出すが――今のところ一度も応答はない。
「俺たちも行こう」
ブーマンが用意してくれた黒い車に乗ろうとしたときだ。
通信機が反応した。
「ノートンさん!? ノートンさん!!」
『――君。ノヴェル――ノー……だ――グマが――』
電波が悪いのか、とにかく音声が聞こえにくい。
「ノートンさん! 大変だ! スティグマがロンディアへ向かってる! アトモセムだ! 女神を追い出せ!」
『――がまずい――早く――ノヴェ――っていうんだ? ――とにかく』
――!?
今何か、明らかにノートンじゃない声が聞こえた。
「ノートンさん、そこに誰か――」
『ありがと――か? 混線――遊ぼうよ――を変えるんだ!』
混線と、そう言ったか?
でも混線ってどういうことだ。列車はフルシを目指し、南へ走り去った。
ノートンとオレ以外に、誰がこの通信を?
「何、何を変えろって――!?」
『チャンネ――周波数――難しいことわかんなくってぇ――』
「周波数はいくつだ! もう一回言ってくれ!」
『――は?――』
今の声。口調。
はっきりと判った。
ホワイトローズだ。
オレは中型の卓上通信機を車の座席に押し込み、小型通信機のほうへ持ち替える。
「お前――どこで通信機を」
『北。北』
北のほうを見ると、一台の大型トレーラーが街道をこちらへ走ってくる。
異常な速度だ。
「ジャック! ホワイトローズだ! あいつがまた動き出した!」
『――きゃはは――!! せいかーい!!』
ジャックとミラは身を低くして車体に隠れながら眉を顰める。
「どうして奴が通信機を持ってる」
「奪ったか拾ったか――とにかくまずい! くそ! スティグマとアトモセムがロンディアにいるって喋っちまった!」
「あたいらは六人だ。方々に散ってクソ女を殺す」
「どうやって!? っていうか無理だ! あいつは不死身だ!」
殺してみなきゃわかんねえだろうが! とミラは怒鳴る。
「どうやってそれをやるかだ。列車をぶつける? 悪くない。だが動かし方は判るか?」
「運転ならあたいができる。機関士をつけろ。上手く誘導すりゃ、ここの退避路線で奴の裏を取れる。ポイントは――」
だからお前はどうしてなんだ。
「機関士の要らないやり方を考えろ。いいか、こっちにも車がある。連絡橋を跳ね上げろ。奴だけ下に落とす。俺たちはジャンプして向こうの橋へ――」
「おめえは運に頼らねえやり方を考えろ!」
「喧嘩してる場合か! 来るぞ!!」
三人の黒服も困惑している。
その向こう――駐車場の壁が粉々に吹き飛んだ。
唸りを上げてトレーラーが突っ込んでくる。
オレたちのいる、駐車場へとだ。
「バレてる! 散開! 分かれて逃げるぞ!」
「ブーマンの三人は俺に続け!」
「おいジャック! 卑怯だぞ三人も!」
助っ人を従えて走り出すジャックに、オレは叫ぶ。
『人手が要るんだ』
イアーポッド越しにジャックは答えた。
大体こういうときに狙われるのは――こっちなんだ。
トレーラーの運転席で、裸のホワイトローズが笑っていた。
小型通信機を肩と首に挟んで、ステアリングを握っている。
オレは全力で逃げだした。
慌てて工場のドアを開けるが――記念日で休業中の工場は、どの扉も施錠されている。
「開かない!!」
『駅まで戻れ! 駅構内なら車では追ってこられない!』
駅までは――広い通りを越えなきゃならない。
恰好の的だ。
駐車場を広々と使って後輪を流し、トレーラーがこっちを向いた。
――見つかった。
オレはまた走り出す。
工場の広いシャッターの前を駆け抜ける。
振り向くとそこにはトレーラー。
猛スピードでこちらへ向けて走ってきた。
停まっていた工場の車をバキバキと押し退けながらだ。
オレは空のコンテナを通り抜ける。
抜けた、と思った瞬間背後でコンテナが潰された。
周囲に逃げ隠れする場所は――ない。
必死に走って箱の上に飛び乗り、そこから駐車場の外壁を乗り越える。
そこはどうやら広い搬入口だ。
降りたシャッターが並んでおり、地面も若干傾斜している。
そこを真っすぐ走り抜けると、今越えてきた壁を突き破ってホワイトローズのトレーラーが現れた。
「くそ!」
オレはまた全力で走る。
すると、上から黄色い鋼鉄の爪が降りてきた。
その根元は、同じく黄色い鉄骨に繋がっており――どうやらそれは、奥にある重機の腕だ。
船にあるクレーンと似たもの。
運転席にいるのはミラだ。
その爪が、走ってきたトレーラーのキャビンを破壊する。
砕け散るフロントガラス、跳ね上がる屋根――。
トレーラーは左にずれ、オレのすぐ脇を掠めて通り過ぎる。
「ミラ! 助かった!」
『バケットホイールエクスカベーターに比べりゃなんてことねえよ! その調子で駅まで誘い込め!』
ミラはすぐに運転席を降り、工場の屋根に上ってその奥へ消えた。
オレも工場を回り込んで駅を目指す。
トレーラーは隅のコンテナに突っ込み、運転席のホワイトローズは落ちた屋根を退かしている。
『狙撃ポイントについた』
「ジャック! どこだ!」
『駅だ。通信機を使え。奴を操車場まで誘き出せ』
「誘き出せって――どうやって!」
『得意のおしゃべりでなんとかしろ。慌てなくていいぞ』
「慌てるだろ!!」
三対一だからって余裕かましてる場合じゃないだろう。
相手は世界最悪の殺人鬼、そして不死身の勇者だ。
オレたちみたいなのが百人いようと絶対に敵わない。
まぁ逆に言えば――焦っても仕方ないのか?
『どぉ? 愉しんでる?』
これはホワイトローズだ。
オレは通信機のスイッチを入れていた。
「愉しんでない――と伝えたかった。さっきまでは。でも今はなんていうか――考え方を変えた」
『へえ。それって楽しいってこと?』
「どうなんだろうな。判らない。判らないけど、少なくともオレたちはツイてる。オレたち三人はお前を、殺したい。特にお前を、どうあっても殺さなきゃならない」
オレは、停まっているトレーラーのほうを見ながらなるべくゆっくり歩く。
本当なら走り出したいところを我慢して。
『それってさ、つまりアタシと同じとか言いたいワケ? 全ッ然。全ッ然違うね! ところでこの通信機ってヤツ? これマジやばくない?』
奴の姿は見えない。
声だけだ。
オレは駅前の、隙だらけで殺風景な大通りを横切る。
上下左右に注意して――。
「――何? あ、ああ、そうそう、ヤバい。マジで」
通りを渡り切り、物陰に背中を潜めて――安堵した。
『……』
「おい! いきなり黙るな! なんか言え!」
『いやさー……なんていうか、思ったのと違うなって。アンタ、ウチらの仲間皆殺しにしたんでしょ? もっとアタシのこと判ってくれるかと思って』
「そんなことないって! オレと、お前は結構近いんだよ。理由が違っても、ほら、オレだってお前殺そうとしてるし、実際何人も殺したし」
『違うんだよナ~……』
何が。
何が違うっていうんだ。
「理由なんかなんだっていいんだ! どの道、良い人殺しなんかないだろ! オレだって爺さんが死んだとき、悲しかったけど、ならじゃあ復讐するかっていったら――」
ノヴェル! とジャックがイアーポッド越しに叫んだ。
『誘導しろと言ったんだ! お前が誘導されてどうする!』
気が付くと――オレはふらふらと今横切ったばかりの通りに出ていた。
――危ない。
『敵に呑まれんな、ガキ』
オレは自分の頬をひっぱたく。
「とにかく、オレたちは皆、お前をよく知ってる。理解者だ。この世界でたった三人。話し合お――」
『そう! それ! まずさ、アタシはね、嫌いだから殺すんじゃないの。邪魔だから殺すこともあるけど、好きだから殺すの。この人いいな~って思ったら、殺しちゃう。アタシもその人に殺されたい! でもアンタたちは、アタシを何度も殺せる。それってすごくない?』
「――ちょっと、なんていうか」
まずい。
返事ができない。
こいつが何を言ってるのか、オレにはわからない。
『だって、アンタたち、アタシを殺すために何年も準備してきたんでしょ? それってもう愛じゃね? 素晴らしいよ。アタシの撒いた種が、痛みが、花になって戻ってくるの。アタシは世界中の人を殺したい! 皆に恨まれて、世界中の人に殺されたい!』
――頭がくらくらしてくる。
比喩じゃなく、本当に、眩暈がする。
オレは足取りがふらふらと覚束なくなり――吐きそうになりながら駅舎の壁に手を突く。
「――じゃあ、じゃあなんでお前は死体を継ぎ接ぎなんかしたんだ。放っておけば死ぬのに!」
『だって。ま、色々ね。パーツを取ったら死んじゃったとか。それにそのままじゃアタシを殺せないでしょ』
オフィーレア。
なぜかその名が蘇る。
「し、死霊術は」
『はぁ? あんなのダメダメ。痛みは、安息への片道切符じゃなきゃ。彼岸に落ちて体だけ動くなんてサイテー』
「お前は――どこだ。どこにいるんだ」
オレは駅舎を回り込みながら、辺りを見渡す。
壁の向こう、工場の屋根の上、コンテナの端。
姿が見えない。
ホワイトローズ――お前はどこにいるんだ。
本当に此岸に――いや、ここにいるのか?
オレは駅のホームの下を通って操車場にたどり着く。
周辺から丸見えだ。
ただひとつ、操車場にはさっきまでなかったものがある。
ウィロウから避難する途中で切り離された最後尾車両――ホワイトローズに屋根から切り裂かれた車両でもある――それがどういうわけか、操車場の真ん中に置かれている。
わざとらしい。
おそらくこれが、ジャックたちの仕掛けた何らかの罠だ。
「ジャック、ホワイトローズの本名は何だ」
『ダリアだ。生名ダリア・ギルバート』
オレは小型通信機のスイッチを入れる。
「ダリア。オレが言いたいのは――お前は好きで人を殺してるっていうけど、お前が『仕立て屋ギル』としてやったことと矛盾するだろ。お前は、なんで死体を継ぎ接ぎしたりしたんだ。おかしいだろ」
『あー……それ聞いちゃう? 黒歴史』
黒歴史。
それってどういうことだ。
『嘘嘘。別に変じゃないでしょ。アタシは人が好き。人を知りたい。人を造りたい。完璧な人を。死んじゃったのは失敗――だと思ってた。戦場に立つまではね』
「完璧な――人」
『誰だって自分がないもの、欲しいでしょ。でもさ。ただ与えてもダメ。やり方があってさ。アタシはそれを見付けた。アタシは戦場で本物のカミサマに逢って、アタシはアタシになったの』
だめだ。オレには、こいつの言うことが判らない。
「――ダリア。どこだ。出てきて、直接話をしよう」
『無理。通信機気に入っちゃった。アタシ、話すの嫌いだと思ってたのに、コレ凄いね。話したくなる』
「ダリア!」
オレは、どこかで見ているはずのジャックに向けて首を振った。
『ねえ。こんな話知ってる? ――ヒトの顔には穴が七つありまぁす。でも、顔に穴がひとつもない人がいたんだって』
「えっ、何の話だ!? 七つ?」
目を二、鼻の穴を二、更に両耳を入れれば七つか。
『そ、そ。でもその人の顔には、目も口も。耳も鼻もなかったの。可哀そうでしょ? だからその人の顔に毎日、一個ずつ穴をあけて、目や耳を造ってあげます。七日目、最後に目の穴をあけたとき――その人はどうなったでしょーか?』
「よ、喜んだんじゃないか?」
『ブブー。不正解!』
ヒュン、と背後を風が通った。
なんだ――とグルリ全周を見渡す。
『ノヴェル!!』
ジャックが叫んだ。
足元が、靴の中がグチャッとした。
慌てて足元を見ると、オレの靴が――血まみれになっている。
ズボンも切れて脹脛がすっぱり切れて出血している。
「あ――ああああああっ!!」
オレはその場に崩れ落ちた。
切断は――されてない。
脚はくっついている。だが――切られた。
『大袈裟だな~。痛くないようにしたんけど。お話中だし』
「くっ――くそっ!! 滅茶苦茶痛えよ!!」
奴はすぐ近くにいた。
『ささ。答えてよ。喜んだ、は不正解。サイテーの答え。考えつくうちで、サイテー』
答えるな、とジャックが言う。
大丈夫、痛くて考えがまとまらない。
どこだ。
奴はどこから出てきて、どこへ隠れた。
『ノヴェル! 中央の車両だ! 奴はそこにいる!』
オレは傷口を押さえながら、車両を見上げた。
半壊した車両は、切り離されてそっくりそこに残されている。
――そうか。
奴が狙撃を避けてここに逃げ込むのを狙っていたんだ。
本当はオレがここへ奴を誘き寄せてジャックが狙撃し、そこへ追い込むはずだったが――。
奴はもうそこにいた。誘き寄せられたのはまたしてもオレのほうだ。
『奴は自ら鳥かごに飛び込んでくれた。ミラ!』
『オーライ』
倉庫から、煙を上げて二台の機関車が飛び出してきた。
丁度半分だけ残った壁が死角だったのか、ホワイトローズからはそれが見えないようだ。
音に気付いたホワイトローズが壁から顔を出そうとするところを、ジャックが狙撃する。
一台の機関車がぐるりと外側の退避路線を通って加速する。
ホワイトローズは欠けた車窓越しにそれを見た。
さらにもう一台の機関車は最短距離でこちらへ向かっている。
『ノヴェル!! 避けろ!!』
避けろと言ったって――オレは激しく痛む脚を押さえ、転がりながら線路から退いた。
ガン! と金属のぶつかり合う重たい音が響く。
僅かに残った連結部ドアの壁が完全に砕けた。
咄嗟に車両から逃げようとしたホワイトローズが、衝撃で転ぶ。
座席がいくつか転がり落ちて、残っているのは殆どシャーシだけだ。
車両は加速し、レールの上を転がり始める。
その先は合流ポイントだ。
ポイントを直進した直後を、迂回してきた機関車が追う。
機関車は、ホワイトローズを乗せたシャーシとほぼ等速に調整されている。
結合の瞬間、ガツンと激しくぶつかってやや機関車が跳ね上がりつつも――車輪をレールに戻して更に加速する。
その機関車からミラと、機関士役の黒服が飛び降りた。
『いいぞ! 火力の最大まで加速させる! ――ジャック!』
『了解! ノヴェル! 動けるか!?』
「うう、無理そうだ――」
『ならミラ、構内へ行け!』
ミラは駅構内に駆け込む。
ジャックは駅舎の屋根の上を走り、スコープ越しに機関車に狙いをつける。
機関車はホワイトローズを乗せた車両を押し、どんどん加速してゆく。
このレールは、真っすぐ連絡橋へ向かう。
あの連絡橋は――跳ね橋だ。
その連絡橋が、少しずつ動き始めていた。
こいつはジャックの作戦とミラの作戦の、ハイブリッドだ。
***
機関車は速度を上げながら走ってゆく。
それをノヴェルは見ていた。
ジャックも上から、スコープ越しに機関車を監視する。
ノヴェルの理解した通り、これはジャックとミラのハイブリッド作戦である。
狙撃の間隔を考えると、狙撃だけでホワイトローズの動きを封じることは難しかった。
ホワイトローズをここから遠ざける方法――。
それは彼女を列車に乗せてしまうことだった。
丹念に計画を練る時間はなかった。実のところ、ホワイトローズが走行中の車両から逃げられるかどうかは、賭けだ。
『時速百キロで走れるといっても時速百キロで転べるかは別だ。今日、奴はすでに一度試してる。慎重になるはずだ』
ジャックはそう主張した。
コンセプトはシンプルだが、やることは複雑だ。
ホワイトローズを開けたところに誘き出し、車両に乗るよう仕向ける。
その壊れた車両が選ばれた理由は、切り離したはずのそれが惰性で走り続け、丁度いいタイミングで戻ってきていい場所で止まったからだ。
操車場の真ん中で止まったその半壊の車両を見て、ジャックとミラは顔を見合わせた。
『――これを使えってことかよ?』
『運命を感じるな』
それで大枠は決定した。
問題はそれをどうやって加速するか――機関車で押すにしても、いきなり高速で突っ込めば脱線してしまう。
機関車も充分加速するまで距離がかかる。
二台の機関車を動かすことで、ホワイトローズの注意を逸らしつつ、比較的確実に車両を加速できる。
このアイデアを計画したのはミラだった。
ここまでは上手くいった。
最後の仕上げはノヴェルに任せる予定だったが、負傷してしまった。
「ミラ、仕上げだ。六十度まで跳ね橋を上げろ。上がるか?」
『できるが、勾配が急すぎるぜ。五十で合図しろ』
線路の先――跳ね橋がゆっくりと持ち上がり始める。
降りてきた遮断器を破壊し、機関車は進み続けた。
ノヴェルは震える脚を叩いてその後を僅かに追い、腰の双眼鏡でその様子を見る。
ホワイトローズは――車両の床に伏せたまましがみついていた。
ノヴェルはそして――あることに気付いた。
(――そうか。やっぱりそうだ)
しかし今は関係ないことだ。
ホワイトローズを乗せた車両は、最高速に達して橋へ進入する。
跳ね橋の角度はおよそ五十度。
激しく揺れ、ホワイトローズは振り落とされそうになって床の上を滑り、いっそう強くしがみつく。
跳ね橋の角度はおよそ五十五度に達する。
機関車の最大勾配を越えて、急激に減速しつつあった。
ホワイトローズはその機会を逃さなかった。
大きく傾いた床で足を滑らせながら、立ち上がる。
速度はおよそ時速六十。
(――余裕。跳べる)
彼女は両足で立ち上がり、残った座席を足場に、飛んだ。
だがそこには――地面もレールもなかった。
その一瞬前、車両は跳ね上がった橋の突端から、遥か百五十メートル下の海峡に向けてラストジャンプをしたのだった。
「くそだ。マジくそ」
ホワイトローズは、海面へ叩きつけられる。
「マジで――」
次いで、彼女を鋼鉄の機関車が押し潰した。
それは一呼吸の間もなく――彼女を海中へと連れ去った。
Episode.42終了です。
もう三日くらいストックなしの自転車操業でつらいです。休みとっててよかった。
次回、
Episode.43 ナンバー・ツー
でお会いしましょう。
たぶん明日更新予定です。