37.3 「モチロン、悪党を倒すためだ」
「君がジェイクスか。話は聞いてる」
雨の降る中、署の軒先でその男に会った。
名を裸足のヒポネメスと名乗った。
七英雄の一人だそうだ。
「ヒポネメス? 聞いたことがねえな。見たところ、靴も履いているようだし。もっと有名な奴を寄越せ。鳥人間とか鎧男とか」
やけに筋肉を誇張するようなぴったりとしたラメ入りのスーツを纏い、周囲から浮きまくっている。
構造色といったか、緑のような金のような妙な色合いだ。
その服はいったい何でできてるんだ、ということが気になって仕方がなかった。
右肩と額に金色の装具を付けている。防具なのか装飾なのか判らないが。
――ヒポネメスは、一見してフレンドリーな奴だった。
「七勇者としては七番目――一番新しくてね。引退した明晰のアサムの代わりに四年前、南方の戦場で見いだされたのだ」
「勇者が戦場をちょろちょろしてるとは噂に聞いたが、リクルートしてたのか?」
ヒポネメスの隣にいたフィルが「ジャック」と小声で呼んだ。
そのままジェイクスの肩を掴んで、ヒポネメスから遠ざけられる。
「お前こそなんでここにいるんだ。休暇のハズだろ」
「一応、警部の顔を立てて三日だけ休んでやった。休暇中でも刑事は刑事だ。――ハンクスには言うなよ?」
ジェイクスはそう答えて、傘の下から若い勇者のほうを振り返った。
「あいつのほうこそ何なんだ。勇者なんかが何をしにきた」
小声で訊いたつもりだったが、勇者には聞こえていたようだ。
勇者は胸を張って、一点の曇りもなく答えた。
「モチロン、悪党を倒すためだ」
***
生還した被害者オリビア・ハゼスは警察病院に収容された後、意識が一時的に恢復した。
だが聴取の最中に再び意識が混濁し、危険な状態となった。
聴取も進んでいない。
「悪党の顔は?」
「見ているはずだが、そこまで聴取が進んでない。意識がなきゃ、覗くこともできないからな。読み取れたのは、途中までの足取りだ」
フィルがそう答える。
車はジェイクスの運転で、オリビアの住む最下L層へと向かっていた。
「勇者っていうのは――なんだ、志願してなるのか? 試験とか?」
街角を曲がりながら、ジェイクスは世間話を振る。
「他の勇者は知らないが、おれはスカウトだ。欠員が出てね」
「アサムとかいったか? そっちも知らねえが」
「戦闘向きじゃなかったからな。明晰の二つ名を持ち、未来を予見できたらしい。高齢で引退したと言われているが――本当は違う」
「おっと、こいつはただの世間話だぜ。面倒な話は御免だ」
ジェイクスがそう止めると、ヒポネメスは快活に笑った。
しかしフィルは興味がありそうだった。
「なぁ、一番強いのはどいつなんだ?」
「七勇者のボスさ。あれは神憑りだ。彼以外なら――ソウィユノかな」
「ソウィユノ?」
「無欲のソウィユノ。アサムと同じく裏方だけど――あいつだけは敵に回したくないね」
「俺はゴアだと思ってたね。空飛ぶんだろ? 信じられないぜ」
「あーあー。皆そういうけど。彼はあれで、翅の接合が脆いのかな。三百メートルも飛ぶ間に、かなりの確率で取れちまうんだ」
話している間にもどんどん子供じみた口調になってゆく。メッキが剥げ易いのだろう。
車は最下層へ降りる狭い石階段の近くで停めた。
これより下は車で移動ができない。
「無駄話は終わりだ。車を置いてL層は歩きだ」
大小さまざな石を打込接に詰んだ階段だ。
市でもっとも古く、苔むしている。
――オリビアはL層テンダーロイン通り1991の自宅からここを上って第一層へ出た。
それは辛うじて認識術で読み取れた、事件当日の足取りである。
それを逆に辿る。
階段を下りると、広めの通りがある。
マーケット通りだ。
右へ行けばダウンタウンへ行けそうだが、右手はすぐに封鎖されており通行はできない。
通りには半分は小さな屋台がずらりと並んで、残りはゴミだった。
暗く、臭い。
傘を打つ雨だれがボツンボツンと大きくなっていた。
ここには空もないのに、上階の隙間から雨だれは落ちてくる。
「酷いところだ。戦線を思い出す」
そう言いつつ、ヒポネメシスはなぜか誇らしげである。
「俺たちは刑事だってツラが割れてるが……あんたは離れないほうがいい」
「被害者の女性はこんなところで何を?」
「何をって――住んでたんだ」
「住む? ここにか?」
ははは、とヒポネメスは白い歯を見せる。
他には誰も笑わなかった。
「オリビア・ハゼスは十三日夕方、二層にある十番街病院を予約していた。テンダーロインからマーケットを南下し、さっきの階段にまで来た」
L層は広大だ。
マーケット通りはその半分ほどまで通じており、丁字にぶつかる通りがテンダーロイン通りだ。
テンダーロインに住むということは、L層の住民の中では比較的まともな暮らしをしていたことになる。
「ハゼスに家族は?」
「父母兄弟が居たが皆散り散りになっている。施設、刑務所、戦争、病死。ごく平均的な市民だな」
「ハゼスは、一層に出たあとどこへ向かった? 認識術で読み取れていないか?」
ジェイクスがそう訊くと、フィルは首を横に振る。
「そこまでは読み取れていない。テンダーロインからここを通って上に出たところまでだ」
「テンダーロインにも一層へ通じる階段があるよな。十番街病院からなら、そっちのほうが近い。なぜガイシャはそっちを通らず、こっちへ来た?」
「さぁ。そういう気分だったとか――」
「十三日は昼から深夜まで雨だった。気分で遠回りなんかしない。まっすぐ病院へは行かず、途中でどこか――」
「おっと失礼」
不意に背後からヒポネメスの声がして振り向くと、脇道から飛び出してきたであろう子供とぶつかっていた。
子供は「気を付けろデカブツ!」と叫んで走って行った。
「ははは。育ちの悪い子供だ」
「おい、勇者さんよ。財布はあるか」
ヒポネメスはポケットを探り「ない! 財布がない!」と騒ぎ出した。
「それでも勇者か? 財布は諦めろ。もう追い付かない」
子供は屋台の向こうの暗いバラックに飛び込んで、とっくに消えてしまっている。
少しの間そこを睨んでいたヒポネメスは――笑顔で言った。
「――そうか? 特別に見せてやろう。これが勇者の力」
そう言うとヒポネメスは、持っていた傘をフィルに渡した。
それから靴の踵に指を突っ込んで脱ぐと、それもフィルに押し付けた。
裸足である。
おいやめておけ、とジェイクスが止めるのも聞かず――走り出した。
それは普通の走りとはまるで違う。
バッタのような初速。
風を巻き起こすような速度で飛び出したかと思うと、跳躍し、L層の天井に足を付け、天井までもを走り出す。
「な――」
そのまま屋台をいくつも超え、バラックのうちの一つの屋根をズドンと突き破って――着地したようだ。
続けてドカンドカンとバラックが数件倒壊し、住民たちが叫び始める。
「あの野郎! なんて無茶を!」
ジェイクスとフィルがその方向へ走って追った。
瓦礫となったバラックの、その最前にまで駆け寄る。
酷い土埃で前も見えない。
その瓦礫を掻き分けて出てきた勇者・裸足のヒポネメスはその右手に財布を取り戻していた。
「あーあ……おれの財布……」
逆さにして傾けた財布から、だばだばと血が流れ落ちる。
「お前、その血――」
「あ、ああ。君たち殺人課だったか? 大丈夫、たぶん死んではない。それに――」
ヒポネメスは嗤った。
「あのガキが悪いんだ。――おれの靴は?」
***
――あのヒポネメスって野郎。
ジャックの頭にはあの邪悪な嗤いが目に焼き付いている。
こうして繰り返し夢に見るほどだ。
その場は、救急スタッフとの間で「スリだ」「やりすぎだ」と押し問答になったヒポネメスを収めて仕切り直した。
救急スタッフはもちろん怒り心頭していたが、この風変わりな若者が勇者だと説明を受けるとそれ以上は何も言わなかった。
――あの勝ち誇ったような顔――忘れるもんかよ。
ジャックはナイト・ミステスの船室で起き、暫くはそうしてベッドに腰かけていた。
やがて水をしこたま飲むと部屋を出、まだ薄暗い甲板まで歩いた。
そこにはミラがいた。
「早いな。時差ぼけか?」
「ジャック。酷い顔だぞ」
「ああ。どうも夢見が悪くてな」
「あの夢か」
「そうだ。ブリタに近づいてるせいか、いつもよりずっと鮮明だぜ」
ジャックは、ミラが相槌に詰まっているのを見て追い打ちをかけるように言った。
「ミラ、一つ聞かせろ。なぜ、ハックマンのことを黙ってた」
責める意図はなかった――と言えば嘘だ。
以前にノートンとも話して、ミラに悪意のないことは理解している。
それでも聞き手次第では、責められていると感じるような訊き方がある。
ミラは困ったようにジャックを見返していたが、やがて観念したように答えた。
「そりゃあ……お前が前みたいになるのが厭だったからさ」
意外な答えだった。
「前? 俺は何も変わっちゃいない」
「いいや。変わったね。お前は復讐の鬼だった。復讐のために、何を犠牲にしても構わない、そんな風に思ってたろ」
「い――今だってそうだ」
――問い詰めるどころか逆になっちまった。
「違う。ノヴェルだ。ノヴェルって奴に会ってから――お前は少し変わった」
「どう変わった」
「なんていうかさ――わかんねえよ。あたいだってハッキリ気付いたのは最近だ。ノヴェルがいなくなって、必死に探すお前を見ていたら、そうだと確信したんだ」
ノヴェルが連れ去られて。
――俺は――毎日どうしていた?
判らない。とにかく必死だった。
何も思い出せない。夢に見ることもないだろう。
同じ必死でも、『仕立て屋』を追い続けたあの頃とは違う。
ジャックは、夢の中で何度も過去の自分に話しかけた。
ミラのいうように、少なくともその頃の自分には聞く耳があったように感じるからだ。
「あたいには――お前は自分の重荷を、あいつと少し分け合った。そんな風に見えた」
「俺は、あいつに何も話してないんだぞ。あいつも何も聞いて来ない。それで何を分け合ったっていうんだ。分け合える訳はないし、分け合うつもりもない! あんな思いをするのは――」
俺だけでいいんだと言いたかった。
だが現実にはジャックだけでは済まなかった。済まなかったからこうして旅を続けている。
「お、俺だけで――」
「勝手に背負いこむんじゃねえ」
話せとミラは迫る。
いやだとジャックは拒否するが、ミラは諦めない。
「そんなに知りたきゃ、俺の眼を見ろ。俺の記憶を覗かせてやる。気の済むまで調べればいいだろう!」
「ふざけんな! 馬鹿にしてんのか!? お前が自分で話さなきゃ意味がねえだろ!」
腹を括りやがれとミラは言う。
「途中までは聞いたぞ。お前はロンディア市警で、仕立て屋ギルって殺人鬼を追ってた。そいつが尻尾を出して、いよいよってときにヒポなんとかって勇者が現れて、お前は捜査から外された」
ミラの先導でジャックの記憶は悪夢に迫り、追い付く。
ジャックが捜査から外されている間、捜査がどれほど進んだかは怪しい。
足取り、交友関係、職歴、病歴――調べることはあったはずなのだが。
「ああ。一度はな。だがすぐに休暇を切り上げて、俺は相棒のフィルと、ヒポネメスを連れて捜査を続けたんだ。あの野郎は最悪だった」
そして、追い越した。
「ともかく俺たちはオリビア・ハゼスの足取りを逆に追って、彼女の自宅にまで着いた。俺が捜査から外されている間に、軽く身辺を洗った後みたいだったが――俺にはその内容は知らされてなかった」
***
オリビア・ハゼスは市の医療費控除申請を出していた。
十番街病院の他、ダウンタウンのクリニックにも毎週通っており、かなりの量の領収書を月次で清算している。
「なぁ、怪しいんじゃないか、刑事さん? ただの移民が、そんなに病院にかかるなんて」
ヒポネメスが物入れを眺めて愚にもつかぬことを言った。
「別に怪しくない。移民が医者に通ったらおかしいのか?」
言いたいことをフィルに言われて、ジェイクスは黙る。
懐中電灯で照らしながら、物入れや書架、戸棚を見ていた。
食器の量からして、ここには家族で住んでいた。
しかし戸棚も、その中身も夥しい埃とカビに侵されている。
テンダーロイン通り1991。
L層にあるオリビア・ハゼスの自宅である。
このあたりにしてはまともな家だが、近くを汚水のドブ川が流れており、湿度が酷く臭いもある。
「見ろよ、フィル。控除限度を超えた領収書がまだこんなに残ってる。薬局のもだ」
医者にかかるのはおかしくはない。
限度額は低く、ぎりぎりまで使うことも珍しくはない。
だが――ジェイクスが物入れからかき集めた未提出の領収書は数年分、テーブルの上に文字通り山ほどにもなった。
領収書には『治療費として』や『検診として』としか書かれていない。
「まるで重病人だったみたいだ。でも働いていたんだろう?」
「市の清掃業務だ。ハゼスが襲われた十三日には休みだった」
勤務態度は真面目。
十年間で遅刻は数えるほど。苦情もなく、無断欠勤の類は一度もない。
「病欠も殆どなかった。何科に通ってたんだ? 病院にも行って調べる必要があるな」
「おいおい、正気か刑事さん? 病気を調べるのは医者に任せておけよ。おれたちが捜すのはそいつの死体の残りだろ?」
「死んでねえ。意識が不明瞭なだけだ」
「同じことだろ? それにそいつにくっついてた手足、下半身、そういうのはどっから来たんだよ? それを捜さなきゃ」
「そうだな。どこから探す? 手始めにそこのドブでも浚ってきたらいい」
ヒポネメスをいなしつつ、ジェイクスは領収書の束を調べる。
ここにあの、オリビアが発見された薬局のものがあるか? 他の犠牲者と繋がりを示すものはないか?
何か、何か手掛かりは――。
ふと、ジェイクスの手が止まる。
相変わらずヒポネメスは喚いていて、フィルはその相手に忙しいようだった。
その間でジェイクスは何かを見つけた。
符牒、暗示、パズルのピース。
それは、その時点では何も示してはいない。だがいつかどこか重要なポイントを示す――そういう類のものだ。
「フィル――これを見てくれ」
「後にしろ勇者! ――なんだ、ジャック? 何か見つけたか?」
〝高級服飾・カスタムスーツ おしゃれ ロイヤル・ギルバート〟
「おしゃれロイヤル――ギルバート。前にも調べた店だな? 怪しいことは何もなかった」
「先月だ。採寸してる。上りはいつだ?」
「十二日――襲われる前の日だ」
「仕立てた服はどこだ。どこにある。領収書は?」
フィルはクローゼットを開けて、中にある衣服を探す。
「古い服ばかりだ。それらしいのはない――。領収書は?」
「領収書も今のところ見つからない。待て、十二日、彼女は仕事だ。十三日に取りに行った可能性は?」
***
「――俺たちは、警察病院へ飛んで帰った」
「警察病院? 町医者でもその仕立て屋でもなくてか?」
「――ミラ、お前ならどうする?」
「ああ、まあ、そうだな。どちらにせよ、まずは外堀を埋めなきゃなんねえ。証拠の領収書を届ける足で、被害者に会うかな。服の件で何か思い出すかも知れねえし――」
ミラはそう答える。
犯人は『仕立て屋』とは呼ばれるが、医者と思われるほどの技術を持っていた。
被害者オリビア・ハゼスはその両方に関係がある。
犯行後すぐに刑事が来たら、どちらにせよ逃亡や証拠隠滅を図るのは明らかだ。
ジャックは溜息を吐いた。
「――その通りだ。ギルバートか医者かどちらかに犯人はいる。どちらか確信が持てなきゃ、普通はそうする。そこのところがあのクソ勇者には判らなかった」
ジェイクスとフィルが警察病院に戻るとき、ヒポネメスは『車を停めろ。下ろせ』と言い出した。
急用ができたというのだ。
ジェイクスたちは顔を見合わせ、『清々するぜ』と追い出した。
***
警察病院の集中医療室で、オリビア・ハゼスに面会していた。
「ハゼスさん――」
ハゼスは人工呼吸器を付けて、横たわっていた。
ジェイクスの呼びかけにも応じない。
医者は首を横に振る。
「一命は取り留めましたが、意識の混濁が続いています。稀に意識が戻ったような瞬間もあるのですが――何を言っているのかわからず、聴取できるような状態ではありません」
ベッドの反対側には、認識術を専門とする捜査官二名が控えていた。
「無駄は承知だ。世間話の種を拾った。話しかけてもいいか?」
どうぞ、と医者が横に避けて、ジェイクスに譲る。
ジェイクスはベッドサイドに腰を下ろし、落ち着いて話しかける。
「ハゼスさん。あなたのそのドレス、ぴったりですよ。よくお似合いで――」
すると――ハゼスはゆっくりと笑った。
「――でしょう――?」
「俺も家内にそんな服を仕立てたくってね。それはどこで?」
「――六番街――ロッテン通りの――お花屋さんの向かいの」
捜査官らは騒然とした。
ジェイクスは口の前に指を立て、「静かに」と示す。
「本当によかった。お子さんも無事に授かって」
「――夢のよう」
ハゼスは天使のような顔で笑う。
貧しい移民でも、事件の犠牲者でもない。本当のオリビア・ハゼスがそこにいる。
ジェイクスは――次の質問の前に大いに迷った。
今、ハゼスは夢を見ている。
幸せな夢だ。
次の質問は――彼女を現実に引き戻してしまうかも知れない。
ジェイクスはフィルを見る。
フィルは困ったような顔をしたが――すぐに頷いた。
「ハゼスさん。落ち着いて答えて欲しい。そのドレスを取りに行ったとき、誰かに会いませんでしたか? 声をかけられたり、寄り道をしたり」
「――さあ。誰とも」
「あなたの後ろを歩いていた人は?」
「――街には沢山人がいますもの」
「あなたは午後、病院へ向かわれた」
「そうでしたわ。ジャスティン先生ったら、難しいお顔をされて。なんとか子宮腫? なんだったかしら。もう忘れてしまいました。私にはこの子がおりますもの」
ジャスティン先生だ、医者をあたれ――とフィルが小声で他の捜査官に伝える。
「病院の前にどこかに寄られましたか?」
「はい――病院に行く前に、ギルバートさんの店へ」
「そこでドレスを受け取った。でもあなたの家にはドレスはなかった。それは誰かに――渡した?」
「誰にも渡したりするものですか。素敵な仕上がり。見たこともないわ。どこから? どうやって? 少し怖いくらい。でもそう、最高の――」
ハゼスはとろんとした目を何度も瞬いて、指を僅かに動かす。
ジェイクスはその指の動きに注視する。
その指は何度か中空をなぞって――それから自分の腹部を示した。
「最高の子宮です」
「――は」
今、なんと――とジェイクスは血の気が引く思いがした。
「それと長い手足。夢のようですの」
「……」
「おしゃれでしょう? もうお相手も必要ないの。でもほら、きちんとした家柄の人のものだわ」
「ハゼスさん、落ち着いてください。あなたは服を受け取りにその店に――」
「ええ、ええ。仕立ててくださいました。新しい体。ああ、もう私は、移民ではないのだわ。私の子もそう。正真正銘、この国の生まれ――女王の祝福を請けた体」
「ハゼスさん」
ジェイクスは立ち上がっていた。
眩暈がする。
「フィル、大至急手配を。ロッテン通りのギルバートの店に捜査員を回せ。狙撃手も配備しろ」
「逮捕か?」
「……うう、いや。この証言には証拠能力がない。裏を取れ。店を張るんだ。雇っている職人、出入りの業者、全員だ」
「了解」
捜査員らは全員出て行った。
後に残ったのはジェイクスとフィルだけだ。
正直なところ、足が動かなかった。
震えていた。
――新しい体を仕立てた?
――ばかげている。
自分の想像を打ち消すのに必死だ。
「――さすがだジャック。よく子供がキーになるって判ったな」
フィルが励ますように肩を叩いてきたが、ジェイクスはまだ震えていた。
「ああ。病院の名前でピンときた。どの病院も、不妊治療をしてる」
「そんなことよく知ってる」
「うちの女房も世話になったからな」
「ほんとか? そんな話初めて聞いた」
「言ってないからな。何年も病院通いだ」
「ヒポネメスじゃないが、そんな金がよくあったな。このハゼス氏に」
「――不妊治療は、控除じゃなく別の補助金がでる。年間もっと高額まで出してもらえるんだ。普通はそっちを使う。だから誰も――気付かなかった」
「ならなぜ彼女は普通の医療控除を申請してた?」
「知らなかったんだ。いや、誰も彼女に教えてやらなかった。医者も、税理士も、会計士も、役所の窓口も――彼女が移民だったから」
***
「――酷ぇ話だ」
「都会なんてそんなもんだ。特にロンディアじゃな。法外な税金を払って、誰もが食い扶持にあぶれてる。移民なんかに分けてやるぶんは残ってないんだろう」
「なんだよ他人事みてえに。お前ら市警だって税金で食ってんだろ」
予算が違う、とジャックは首を傾げてとぼけた。
「事実としてそうなんだから仕方ない。予算だからな。しかし不思議な言葉だ。役人ってやつは収入があるだけ予算を無駄遣いしちまうもんだって話はあるがな」
「聞いたことがあるな。なんとかの法則ってやつか」
「『バーキンズの第二法則』。だから市の財政はいつもあっぷあっぷ。だがハゼスに関して、財政難が弱者を排斥する口実に使われたのか? それはたぶんノーだ。誰も市の予算なんか見てもいない。俺たちは、単に彼女を気にしなかっただけなのさ」
――だからこんなに辛ぇ。
彼女が移民だから補助を知らされなかったというのも、その時点ではジャックの予想に過ぎなかった。
しかし後の捜査でそれは裏付けられることになる。
誰も彼女を覚えていなかったのだ。
彼女を覚えていたのは、領収書と職場のタイムカード、そしてピカピカに磨かれた床だけ。
「ハゼスは故郷を追われ、少なくとも十年はロンディア市民のために働いた。給料は払っても、市民は彼女を無視した。最下層の人間を無視し続けた。たった一人彼女を気にしてやったのが、あの異常殺人鬼だったなんて――」
まったくやり切れねえよな、とジャックは船の手すりに肘を乗せ、水面を眺めた。