31.4 「ようこそ、そしておかえりなさい、ミランダ・ヘイムワース」
大きな扉はジャックの邸宅のものにそっくりだった。
切り妻屋根の上の大きな十文字――写真で見たやつだ。
古そうに見えたのは木材が不揃いなせいで、よく見ると実は建物としてはそこそこ新しい。
パッと見、普通の聖堂と違うのは馬小屋が併設されているのと、花壇のかわりに野菜畑だってことくらいだ。
扉から出てきたハゲ上がった中年男と、ぼさぼさ頭の男がオレ達をまじまじと見る。
不思議と例の認識術を使わないようだ。
眼をじっと覗き込まず、靴やら服やらに追剥染みた視線を投げかけ――。
「ヘイムワースさんですね。お話は伺っております。神と人の我が家へようこそいらっしゃいました」
ハゲたほう言って、二人は柔和に笑った。
二人が全く同じタイミングで相好を崩したので、少し不気味に思ってしまう。
「長旅でお疲れでしょう。どうぞ中へ。馬は捧げ物として承ります」
ぼさぼさ頭の男が馬を連れて行くようだった。
誘われるまま中へ入ると、入ったところは酷く殺風景な礼拝堂だった。
長椅子が並べられ、疎らに人が座っている。
ハゲの先導に従って礼拝堂を通り抜け、奥の扉から外廊下へ出た。
ちょっとした東屋といった風情の屋根ががあって、そこを基点に四つの長細い建物が外廊下でつながっている。
つまり上から見れば、寺院の形まで十字なわけだ。
しばらく通ってない学堂っぽい。
オレ達はそこを右へ進む。
外廊下はすぐにテラスの一部になり、そこのテーブルに二十人くらい――まぁ沢山の人たちが座っていた。
お茶やお菓子の類は全くない。
テーブルの上に出ているのは、細長い本だけだ。
向かい合って座る者はなく、それぞれ隣り合って椅子をくっつけている。
やっぱり街の食堂や喫茶店とは違うんだとオレは思った。
着ているものも質素で、白い布を纏っただけ。サンダルを皮ひもで足に括りつけている。
テラスの下はちょっとした庭みたいな区画になっていて、その先にさっきの馬小屋が見えた。
テラス自体は長細い建物――棟にくっついている。
その棟には扉がいくつも並んでいた。
そのまま一番端につくと、先導のハゲがその扉を開けた。
「こちらです。ちょうど最後の部屋に空きがございました。お二人で使ってください」
なんだか宿無亭みたいなことを言うなぁ、と思ったが――。
「えっ!? 二人で!?」
ミラが、男の死角でオレの尻を抓り上げる。
「ありがとうございます」
顔を見ると、優しげな笑顔を讃えたその顔はまるで皇女様だ。
優しいだけでなく、これまで歩んできた気苦労とそれゆえの深慮を窺わせる――っていうか誰だなんだお前は。
普段のミラとはまるっきり別人。これが潜入中のミラだ。
「必要なもの、そして我らの手引きの帳面は机に。世俗の汚れを落としたら、皆に挨拶をしましょう」
「畏まりました」
「そして――今日は本当に良かった。ようこそ、そしておかえりなさい、ミランダ・ヘイムワース」
***
オレの前で全く躊躇なく粗末な白い布に着替えて、ミラはうんざりした顔をした。
いつものミラに戻っている。
聞こえるか聞こえないかの声で、「なんだこりゃ。だっせえ」とぼやく。
「壁がクソ薄い。気を付けろよ」
この部屋は四人部屋らしく、二段ベッドが左右にそれぞれ一脚ずつある。
でもそのうち片方には木箱が山ほど詰め込まれていた。
あとは部屋の奥に文机と椅子が一セット。
「ああ――それにしてもマジですげえ。今のも認識阻害なのか」
「今のは違ぇ。ちょいと昔を思い出して演技しただけだ」
「それにあいつ、ミラを見て『おかえりなさい』って――」
それな、とミラは素っ気なく言い、机の引き出しから二冊の細長い本を取り出す。
「お前のぶんな」と一冊をこちらへ投げた。
ミラは乱暴に足を組んでそれをぺらぺらと捲った。
「――こっちは予習した通りの内容だぜ。今の件、話してやってもいいが小声で話すのも気が滅入る。後ででいいな」
オレは頷く。
本の後ろは空白だと気付いた。それで本であり、帳面でもあるのか。
「こりゃ布教用じゃなくて信者用。ここに生まれてから使った魔術を書くんだと」
「認識阻害も? 大変じゃないか?」
オレは書くことがないから楽だ。
「真面目に書くバカがいるかよ。明日までに適当にそれっぽく書く。怪しまれないようそろそろ出るぞ」
ミラに連れられて部屋を出ると、さっきのハゲに出くわした。
「おっと、もうよろしいですか。外のお洋服は出しておいてください。こちらで処分しますので」
ささ、こちらへ――と男は先に立って歩き出した。
「礼拝堂で皆がお待ちです。申し遅れました。私はサマス。本寺院の、寺男のようなことをしております」
寺男が何か、オレには判らなかった。
今回オレに与えられた名前は「ノウウェル・アリー・ヘイムワース」。
ミランダの遠い分家の親戚という設定だ。偽の身分もさすがに官製ともなると「ビル・アントン」よりはしっかりしている。
「寺男といってもご安心ください。私も皆と同じ求道者。家族です。困ったことがあったら、何でも相談に乗ります」
だから寺男が何か知らないって。
それを聞く前に、またさっきの礼拝堂に戻ってきた。
一つの長椅子に八人。
通路を挟んで左右に五列だから、丁度八十人ほどになるわけだ。
「皆様。異教の者の手から、この者らを救い出すことができました。ともに真理を目指す新しい家族です」
皆がオレ達を見ている。
「素晴らしい奇跡です。神のお導きにより、この地に、そして私たちの家に、ヘイムワースの御息女が戻られました。この喜びを、何と表現すべきでしょうか」
「神に感謝を。私たちの家族に感謝を」
家族に感謝――。
この人たちがどれほど家族のつもりなのかは知らないが、ノートンによれば何組かは本当の家族のはずだ。
だからその言葉は、予想外にオレの心に刺さった。
最前列の婆ちゃんが、にこにことをオレを見て笑っている。
――悪い人達ではなさそうだ。
ふと、そこでオレは妙なことに気付いた。
オレたちが今立たされてる場所――そこは本来なら女神像のある、礼拝堂の一番神聖な場所のはずだ。
そこに何も置かれていない。
この礼拝堂には、礼拝の対象がないのだ。
(祭神不明の――謎の宗教団体――)
今更ながらオレは、ノートンが言っていた言葉の意味を知りつつあった。
***
簡単な挨拶を済ませてから、オレ達は他の信者の間を歩いて席に座る。
「がんばろうな!」
「君達も家族だ!」
「よく戻ってくれた!」
信者達は口々にそう労ったり励ましたりしながら、中央の通路を歩くオレ達に沢山の花弁を投げる。
先を歩くミラがどんな顔をしているのかは見えないが、例によって完璧な演技をしているのだろう。
オレも少し頑張らなきゃ――。
「どうも! どうもありがとう!」
そう返したものの、反応はいまいちだった。
その謎の儀式――冊子によると通過儀礼というらしい。本当に通過するだけとは――を終えると、人垣の中から一人の女性が飛び出してきた。
「ミランダ! ねえ! 本当にミランダなの!?」
ミラは腕を掴まれ、驚いた様子でその女性を見た。
歳の頃はおそらくミラと同じくらい。二十代後半かそこらで、頬や顎に少し骨ばった印象がある。
でも陰のある美人だ。
「――まさか、あなた――オフィーレア!?」
ミラは目を見張って、そう言った。
「十年ぶり、いえ、もっとかしら!?」
「そうよミランダ! 私、あなたのことを探して――いえ、この話はやめましょう。私たちもう、本当の家族になれたんだし」
「え、ええ――そうね」
オレは気付いた。
ミラの表情がほんの少しだけ強張った。
そのときミラの完璧な演技に、本当に僅かな皹が入ったのだ。
***
教団の生活について詳しいことは明日ということになった。
夜になり、慎重に外の様子を窺いつつオレ達は寺院を離れた。
ジャックと合流するためだ。
潜入はうまくいった。
もっと質問されたり、身体検査されるかと思ったのだがそんなこともなかった。
「ジャック――いるか」
『ああ、もう二時間も待ったぜ。合図を送る』
ちらちらと、森の中で人工的な光がちらついた。
炎ではないようだ。
『電球の明かりが見えたか?』
「見えたぜ。そこを動くなよ」
ミラがそう言って闇の中を動く。
すぐにジャックに合流した。
「これが通信機。念のため二人ぶん渡しておく。使える時間は限られてるからな。無駄に使うんじゃねえぞ」
「おおっ、前に借りたときよりも小型だ」
「こいつならこの布きれみたいな服の下に入れてもバレねえ」
「普段は隠しておけよ」
オレ達から伝えられる大した情報は、今のところない。
どうやら前評判通り、彼らは謎の教団だということ。
でも悪者ではなさそうなこと。
あとはサマスという男が世話をしてくれていること。
そして一番驚いたことと言えば――。
「中に、あたいの幼馴染がいた。アレンバラン男爵の娘だ」
「貴族の娘がこんなところに?」
ノートンの話ではアレンバラン男爵は随分前に死んだはずだ。
アレンバラン領は長子によって引き継がれた。
「オフィーレアには兄がいた。貧乏貴族の末娘なんざ、貰い手がなきゃどこに売られてても不思議はねえよ」
暗くてミラの表情は読めない。
貴族出の娘。今は地元の宗教団体に――。
それってミラの境遇と同じじゃないか。
「なら、その二人がここで再会しても、別に変じゃないんだな?」
「あたいは――そういや約束してたな。話してやる。あたいの親父は医者だった。人気があってな。昔は良かったもんさ。だがお袋の病気を治せなくって――すっかりおかしくなっちまったんだ」
身内の恥――とはいうが、ミラの口ぶりはそんなじゃなかった。
淡々と、まるで御伽噺をするように語った。
「親父はすっかり変わって、女神を憎むようになった。そりゃ確かに神様なんてもんは気まぐれで}傲慢さ。お前らはよく知ってるだろ」
「だがミラ。ここの連中もそうだが、神を捨てて何を信仰するんだ? 俺だって信心深くはねえが、なんやかんや神様のお陰で魔術を使えてるわけだろ? 臍さえ曲げなきゃご利益があるだろうに」
「そんなことあたいが知るか。とにかく親父は、女神と魔術、医学も憎むようになっちまった。それで――当時は知らなかったんだが――」
ミラはそこで言葉を切った。
ややあって、こう言った。
「この団体を作ったのは、あたいの親父だ」
なんてこった。
妙に話が簡単だと思ったら――ミラは創始者の娘?
「教祖ってことか?」
「そこまで知らねえよ。妙なことに手を染めてたのは知ってた。親父はどんどんおかしくなっていって――まさか、まだ残ってる奴がいたなんてな。しかもこんなにデカくなりやがって」
おかえりなさいとは――そういう意味だったのか。
(すみません、本稿間違えて朝5時に公開しちゃいました)
次回更新は明日15:00頃を予定しております。