30.5 「やがて帰還する、真の英雄達に――」
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早朝、ベリルの皇室宮殿には、詰めかけた人々が犇めいていた。
残った市民も、帰ってきた市民も、新しく市民となった海賊や亡命者も――。
皇女ミハエラを見上げていた。
「――こうして皆様にまたお会いできることは、私にとりまして無上の喜びです。今日この日を迎えるのに、戦い、耐えた全ての国民に感謝を申し上げます。また犠牲となった全ての者に哀悼と感謝を。私たちの道行きは、あなた方の犠牲の上にあるのです」
大皇女アリシア崩御の顛末はベリルにも齎されていた。
復帰した通信回線を使っての報告は膨大で、そのすべての事実確認には未だ時間が必要だ。
ただ大皇女の死――それは認め難くとも事実であった。
まだこの段階では国民には伏せられていた。
「モートガルド帝国の宰相リカルド・アンバーランドは無条件降伏を受け入れました。帝国が進めていたあらゆる戦線、また武力支配を講じてきた全ての支配地域についてもこれの停戦、講和、放棄に応じています。モートガルド帝国は、事実上消滅しました」
宰相リカルドは、ディオニス二世の生存を関知していた。
ディオニス二世、或いは勇者・戴冠のメイヘムとして知られた者は、ロ・アラモにて戦死した。
それが宰相リカルドの判断に強く影響したと思われる。
「一部で報じられているように、ディオニス二世が生存し、また戦死したという情報について我々は事実確認を急いでいます。ですがそのようなことがあったかどうかにはよらず、モートガルド帝国はもう存在しません」
皇室は公もまたその事実を関知している。
ディオニス二世が勇者として暗躍し、戦争を主導していたことも最早公然の秘密である。
国家間紛争には関わらないはずの七勇者が皇帝の立場でモートガルド戦役に加担していたこと、皇帝が七勇者のために自軍の兵力を供与していたこと――。
それらが明らかになるに連れモートガルド大陸においても、否、世界的に反勇者の機運は急速に高まりつつあった。
奇妙なことに、「オストン・チャンバーレイン」名でディオニス生存をリークしたディーン・ハックマンの死後も、オストン・チャンバーレイン名義の記事は出回り続けた。
記事はどれも正鵠にして、モートガルドとディオニスの実情に迫っていた。
ミハエラは、彼も勇者と戦った者なのだろうと思った。
***
勇者と戦った者は今だそこで、傷ついていた。
セシリアの病床。
ロ・アラモの街の診療所である。
「我々は暫くまだここに残ります。セシリアの傷が癒えるまでは」
「そうしてくれると助かる。ロ・アラモも、犠牲を出し過ぎたのでな。ベリルに着いたら支援物資を送ろう」
セスことセシリアは爆発に巻き込まれて重傷を負った。
幸い、命に別状はないとのことだった。
「――ロウさん。私のことはいいのです。ノートン室長とどうぞ、首都にお戻りください。ここのこともお任せください」
「何を言っとるか。お前はまたメガマシーンを弄りに行きたいだけだろうが」
最期の瞬間、メイヘムを追い詰めたのはイグズスのハンマーではなく彼女が見初めた赤いホイールローダーだった。
そのことを彼女は知らない。
診療所を出たノートンとミラも、やはり傷ついていた。
ノートンが信用した鼠駆除業者に裏切られ、結果大皇女を喪うことになった。
事件の詳細はノートン本人主導で捜査されることになるだろう。
「はぁ……」
ノートンとミラは同時に溜息を吐く。
「君もか」
「あんたもかよ」
ミラは子供達には裏切られたとは思っていない。
だがフィレム神には――裏切られたように感じていた。
***
「我々は、モートガルド後という新しい世界を迎えるのです。全てが変わるでしょう。モートガルド宰相リカルドはザリア領、及び巨人居住区域の自治と開放を我々に約束しました。我々は、今後二度とこの約束が反故にされることがないよう、力添えしてゆきます。今日このときより、ザリアの民は自由です。巨人は人間と変わらず、かの大陸にあっても同じであるとここに宣言します」
ザリアの民が沸いた。
数こそ多くはなかったがその声は力強く、また海賊たちも我がことのように喜ぶうち、歓声は無関係な国民にも広がっていった。
パルマ! パルマ!
ミハエラ! ミハエラ!
彼らが呼ぶその名こそ、この国の皇女だ。
「――静粛にと言わないでおきましょう。ですがその声は、ロ・アラモで戦った英雄達にこそ届けられるべきです。やがて帰還する、真の英雄達に――」
***
ディオニスを討った真の勇者の下半分は、未だ海中を北上していた。
「なぁノヴェル、上に戻らなくて良かったのかい。その、なんだ、よく判らんがマーリーンと話せるんだろ」
キュリオスの操縦幹を握りながら、ジャックがそう訊いた。
オレ達は、ロ・アラモへは戻らずにポート・フィレムを経由してベリルに戻ることにした。
爺さんと話したいことはあった。でもセスやフィレム神のことは、ミラに任せたほうがいいだろう。
ミラに口止めされているので、ハックマンのことはジャックには言っていない。
とにかく、リンが心配だ。
でもそれを言うのは、不安が塊になりそうなので口には出せなかった。
「ポート・フィレムやベリルだって心配だろ。戦争? シドニア? なんでそんなことになってるんだよ」
「ミーシャちゃんならもう親元に送り返したって言ったろ」
「変な深読みすんなよ! なんで戦争になんかなったんだって話!」
「――それな。まぁ元老院だ。元々は先王時代の貴族どもだからな。面白くなかったんだろう。皇室を倒すのに勇者と手を組んでた。それをメイヘムに利用された。シドニアは元老院の手先だったが、嫌気して勇者に寝返り、その勇者も寝返るつもりだ。国王になるんだとよ」
「大丈夫なのか?」
「ああ、シドニア――セブンスシグマは強い。講和文書も破棄して、新しい講和条件を作った。あの海男どもも、巨人どもも、自由だ」
「――そうか。そりゃよかった」
それで憎しみの歯車が止まるのか、オレには判らない。
でも少なくとも――大陸を覆った「死の王」の支配から、多くの巨人を救うことになるだろう。
きっとチャンバーレインの爺さんも、どこからか助けてくれる。
未来に希望が持てるってことはきっとそういうことだ。
「なぁ、ジャック。オレにも操縦させてくれよ」
「ダメだ。お前じゃ碌なことにならん。海底で迷子になったら責任重大だぞ。ポート・フィレムに寄港するんだろうが」
「お前だって操縦士じゃないだろ! なんでお前が操縦してるんだよ!」
――ジャック船長、海図が上下逆です、と操縦士が横から進言した。
「あ、ああ、逆? すると現在地は――」
「こちらキュリオス・ワン。ジャック船長が迷子になられた。全機浮上し、昼飯にしよう」
「あっ! こら! 勝手に通信をするな!」
***
「そして我が隣人。彼が今日この場にいらっしゃらなかったことは残念です。孤高なる王シドニアの力添えにも、私は感謝いたします。彼が恐怖を以って民を支配しようとしているという者もおります。彼が庁舎を占拠したことは事実です。多くの犠牲を出しました。ですが私は彼を国を統べる隣人として認めました。此度の戦争においても、彼は期待以上の献身をしてくれました。それに嘘はありませんし、私はそれを忘れません」
そうだ! そうだ! とシドニアシンパが声を上げる。
シドニアを王として認める者は急速に増えた。
反対に街を闊歩する彼の私兵は減った。あのオルロという男がシドニア傘下に加わってからだ。
それでもシドニアの起こしたクーデターの賠償のうち、金銭的な補償は皇室も入れて折半する形になっていた。
彼の私兵が街にいる間、市民らは表立って不満を訴えることができないでいる。
シドニアが無言を貫き、街を恐怖で支配し続けるのも――彼なりの責任の負い方なのかも知れない。
それはミハエラのやり方とは違っていたのだが。
ところで、シドニアを巡っては奇妙な噂がある。
モートガルドのドラグーンをたった一機で撃退したあと、宮殿周辺には墜落死したと思しきシドニアの死体が複数見つかったのだ。
だがそれらは検分される前にシドニアの私兵によって回収され、埋葬された。
立ち会ったオルロは鉄仮面のように無表情で、それについては決して何も言わなかった。
***
シドニア王こと真実のセブンスシグマは招かれていた。
しかし参列は叶わなかった。
それは前日の晩起きていたのだ。
『これから勇者のボスが来て僕はお説教されるだろうね。きっと大事な話をするから、君は絶対に来てはいけないよ。来たらきっと命に関わる。ジャック君に知らせてもいけない――』
そうきつく言われていたが――サイラスは忍び込んでいた。
『まったく。あと一日遅れてくれたらよかったのにさ――』
その言葉が気になったからだ。
セブンスシグマが神経ガスを撒いたときはもう駄目だと思ったが――「それとこれ。肌身離さず持つように」と言われていたマスクとグラスを着けて凌いだ。
テーブルの下で小さくなって、彼は一部始終を見ていた。
――大変だ――。
正統王シドニアが殺されてしまった。
「はい。仰せの通りに」
「多くの勇者を喪った。聖域の調査も進んでいない。だが、彼の計算能力があれば大幅な省力化が期待できる。アレン=ドナへ配備せよ。任せたぞ」
「ありがたきお言葉――」
いや、死んだわけではないのか? 首を切断されどう考えても死んでいるが、勇者達の話からはどうもまだ利用価値があるように聞こえる。
とにかくジャックに――ジャックに知らせなくては。
***
ミーシャは一人、ポート・フィレムに戻っていた。
戦争になるからと諭されたからだ。
その戦争は昨夜一晩のうちに大勢が決した。
サイラスはシドニアの動きが気になるから残ると言ったが――言葉ほど警戒しているようにも見えなかった。
(しょうがないな、男の子は)
逃げた船団を追ってジャックも海に出てしまったし、一人残してきたリンのことも気になる。
疎開者や集まった冒険者で、ポート・フィレムはさぞ賑わっているだろう。
家に戻って酒類販売の免状が更新できなかったことを詫びると、両親は彼女を抱きしめた。
無事は伝えていたのだが――ベリルが立て続けに襲撃されて、さぞかし心配しただろう。
「アグーン・ルーへの止まり木」にも訪れ、サイラスはベリルで無事なことを伝えると、サイラスの父は激怒していた。
だが――心配は並みならぬ様子で、必死に涙を堪えていた。
ポート・フィレムは予想通りの大盛況であった。
敵船が沖を通っただの援軍が来ただのとそこら中で大騒ぎだ。
喧噪を抜けて下町へ戻り、宿無亭へ向かう。
裏路地へ入って、少し進む。
普通ではまず見つからない玄関に辿り着いた。
玄関を開ける。
「リンちゃん――今帰ったわ。留守にしてごめんなさ――リンちゃん!?」
リンが倒れていた。
バリィという常客の冒険者が傍らに跪いている。
「バリィさん!? これは――」
「わからねえ。様子を見ようと思って立ち寄ったんだがよ――俺が来たときにはもう――」
倒れているリン。呼吸が荒い。
だがその躰は――手足だけが大人のように長く伸び――しかも消えかかっていた。
***
「――今日この日、私たちが手にした勝利は、多くの犠牲と献身に立ちます。傷みを伴いました。多くを喪いました。それでも勝利は、ただの勝利です。それは決して我々だけのものではありません。以前、開戦のときに私はここで皆様にこう言いました。世界にこの神聖パルマ・ノートルラント王国が健在であると示すときだ――と」
皇女ミハエラは、右手を高々と掲げた。
「勝利に感謝しましょう。英雄を讃え、犠牲を悼みましょう。しかし戦いの勝利は、戦いの勝利でしかありません。モートガルド後の世界を、この新しい世界をどう善くしてゆくか――それが今より私たちの戦いです。私たちはまだ勝ったのではありません。しかし始めることができたのです。この始まりを祝いましょう。分かち合いましょう。皆々に栄光を!」
――これでいいのですよね、大祖母様。
その最後にぽつりとミハエラの捧げた言葉は、誰にも届くことはなかった。
聴衆は拍手に喝采でそれを掻き消してしまった。
それでも彼女は、群衆の中から大皇女アリシアが微笑み返してくれたように思った。
なんとか六章シーズンフィナーレを迎えました。
お付き合いに感謝。
巷では大ヒットマンガ「鬼滅の刃」が最終回を迎えてお祝いムードが漂う中、尻馬に乗って僕が祝われているような気分になれそうです。
先刻お伝えした通り、仕事の原稿に集中するため第七章は七月くらいになる予定です。
ブクマなどして暫しお待ちくださいますよう、お願いいたします。
それではまた第七章でお会いしましょう。