27.2 「九時間。カウントダウン開始だ。避難計画はどうなってる」
同日午前十一時。
ベリル沿岸を包囲したモートガルドの船団は宣戦布告を行った。
宣戦布告は宰相リカルド・アンバーランドの名で行われた。
民間人の退避のため、九時間後の攻撃開始を予告した。
***
「九時間。カウントダウン開始だ。避難計画はどうなってる」
「外交局の仕事ではない。だがどこに聞いても同じことを言うだろう。まず民間人と皇女陛下を逃す。そうすれば安泰だ」
「どうだかな」
歩きながら二人が話していると「ジャック! カーライル!」と声がした。
見ると後ろから皇女ミハエラが走ってくる。
「ほうらお出ましだ」とジャックは言った。
「カーライル! 市民退避の手筈はどうなっていますか!?」
「内務局のゼットがお答え致します。運輸局のハムバッカとも緊密に連絡を取り合っており、シドニア王は非常に協力的です」
「ジャックはシドニアに何を?」と皇女は疑いの目を向けてきた。
「何も。でもオルロ氏を置いてきた」
ドアを開けると、円卓に官僚が勢ぞろいしていた。
殆どはシドニアの人事で急に任命された者だが――。
(確かに、あいつには人を見る目があるのかもな)
ジャックはそう思った。
「皆の者ご苦労。パルマ皇女ミハエラです。こちらはジャック・トレスポンダ。わたくしの意向で、特に危機管理の相談役になってもらっています。先日のモートガルド海事、ドラグーン襲撃、前民王誘拐事件でも対策を指揮していただきました」
どうも、とジャックは軽く挨拶しつつ、「最後は失敗したがな」と小声で付け加える。
「失礼ながら皇女陛下。我々の疑問をクリアにさせていただけますか」
「どうぞハムバッカ」
「国家の一大事。非常にレベルの高い事案です。我々長官がおります上、部外者のトレスポンダ氏をコンサルタントとするお考えについてお聞かせ願えますか」
「宜しいです、ハムバッカ。ジャックは対勇者のスペシャリストです。勇者が関わっている可能性のある案件では、彼の意見を参考にしています。クリアですか?」
「極めてクリアです。非礼を謝罪する、トレスポンダ君。よろしく」
いいっていいって、とジャックは握手を交わす。
今回ジャックが警戒している勇者は敵側ではない。
(お前らの親玉のことだとは言えねえよな)
「始めましょう。まず市民の避難計画について。ハムバッカ、ゼット」
「はい。まず今朝の第一報より、既に老人や家族世帯を中心に退避を進めており、退避先には協会加盟宿のうち――」
会議は始まった。
***
その数日前――ウェガリア市街。
(なんてこった、あの男は――!)
四階の窓枠に腰かけながら、ハックマンは懐のペンを探した。
そのとき、窓枠に置いていた原稿をまとめた小包に触れてしまった。
小包は窓枠から転がり――雨の裏路地へと落ちた。
「――!」
下にいた怪しい男達はおそらく全員が勇者だ。
彼らは落ちてきた異物に気付いて機敏に振り返った。
仮面の男がこちら側へ寄ってくる。
(まずい――!)
ハックマンは脱兎の勢いで手荷物をまとめ、寝室から転がり出る。
反射的にだ。
動物的勘というほかない。
事件の匂いを嗅ぎつけたこれまでの彼なら「やあ勇者様がた、こんなところで何を?」とやらかしていたに違いない。
だが列車を壊されイグズスに追いかけられ、勇者というものに対して彼自身の言葉で言えば「洒落にならない危なさ」を認めるようになったのだ。
(逃げないと殺される)
残りの小包を掴んで小さな鞄に放り込み、肩にかける。
弾みで鞄の脇ポケットから飛び出したペンを拾って、口に咥えた。
一旦部屋の出口に向かうが、思案して扉に耳を付けると――廊下の奥から足音がした。
人数はまでは判らない。
彼は振り返って窓へ走り、窓枠に掴まって外壁へ飛び出す。
四階だ。下へは逃げられない。
だが外壁に水平な段差がある。
それを足場に慎重に壁を伝って隣の部屋まで行くのだ――。
コンコン、とノックの音がする。逃げだしたばかりの自分の部屋だ。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせ、どうにか隣の部屋まで辿り着くが、雨戸が硬く閉ざされておりペンを差し込む隙間もない。
――くそっ。
自分の部屋から聞こえる音は、バンバンと扉を叩くものになっていた。
ハックマンは急いで更に奥の隣を目指す。
――やがてドアが破られた。
「どこだ」
「居らぬな。もぬけの殻だ。本当にこの部屋なのだろうな」
「拙僧は見た。窓ではないか。外を探せ、メイヘム」
「四階であるぞ。我らとは違うのだ」
――諦めてくれ!
メイヘムが窓から顔を出す。
上下左右に注意深く目を向けるが――ハックマンはどうにか建物の角を曲がり込んで死角に逃げ込んでいた。
「下にも転がってはおらぬ」
側面に回り込んだハックマンは、壁に取り付きながら更に隣の窓を目指す。
(――下を見るな、下を見るな)
暗くて高さはよく判らないが、下はどこでも冷たく硬い石畳。
死なないにしても大怪我は免れない。
どうにか隣の窓にまで辿り着き、窓を確かめると施錠はされていないようだ。
助かった――と思うのと同時に、窓の中、その部屋のドアが開けられた。
(――!?)
ハックマンは咄嗟に身を捩って隠れる。
半端な姿勢で停止した。片足だけで壁の突起に立ち、窓枠に掴まっているのも片手のみ。
その足も、膝から下がガクガクと震えている。
姿勢を戻そうにも、僅かにでも動いたら膝から崩れて落ちてしまいそうだ。
「――ここでもないな」
扉が閉まる音がした。
ようやくハックマンは姿勢を戻す。勇者は出て行ったようだ。
窓を開けて滑り込む。
薄く扉を開けて外を覗うと、勇者たちはまた別の部屋へ入ってゆくのが見えた。
(ああ、クソ――)
音がしないようゆっくりと扉を閉め、鍵をかけた。
ハックマンは紙を取り出し、咥えたペンを手に、物凄いスピードでそれを走らせる。
(あの男だ。声も聞いた。間違いない。官僚についていた鼠駆除業者――。しかしなぜ)
クソッ、とハックマンは紙を丸めた。
ダメなのだ。このまま書いても記事にはならない。
没にされるか差し止められるか、勇者関連の記事はお上がうるさい上に読者の目も厳しい。
少なくともパルマではダメだ。母国で記事になってもノートン達の目にはつかないだろう。
――どうすれば。
「――やはり飛び降りたのではないか?」
「さっきの部屋を確認したのは貴様であろう、ファンゲリヲン。貴様はアテにならぬ」
「ならば尊公が自分で確かめられよ」
――戻ってくる!
ハックマンは紙を畳んで、再び窓から出る。
雨が強くなっていた。
狭い路地を挟んだ反対側の建物、同じく五階建てくらいの建物には外壁を上まで伝う梯子があるのに気付いた。
「――鍵がかかっておるぞ」
「馬鹿な。さっきは開いた扉だ」
ハックマンは否応なく――しかし充分に逡巡し――飛んだ。
躰は激しく打ち付けられつつも、手は梯子を掴む。
咥えたペンを噛んで力を振り絞り、梯子に取り付いて上ってゆく。
屋上だ。
そこには粗末な木の小屋があって、雨を凌げる。
その軒下に滑り込み、一息つくとハックマンは再びペンを取り出す。
――そうだ! モートガルドで売ればいいんだ!
文面、構成、どうしたら売れて、どうしたら無視されないか。
勢いよくペンを走らせる。ひとつの壮大な虚構であっても、ほんの僅かな事実を伝えんが為に――。
――視線だ。
視線を感じてハックマンは顔を上げた。
冬の夜。雨。屋上。
そこには何もない。あるはずもない。
だが。
屋上の端よりもまだ先、人が立てる筈のないところで、端から顔を出して誰かがこちらを視ている。
それはゆっくりと上に姿を現す。
男とも女ともつかない。
長い髪――あれは、さっきの。
そんな勇者がいるのか? ハックマンは知らない。
七勇者のうち、知られているのは六人だけだ。
最後の一人は名前も姿も一切知られていない。
長く垂れた、無数の鎖。
その魔人は、文字通り宙に浮かんで姿を現した。
「ひいぃぃぃっ!」
ハックマンは反射的に逃げ出した。
逃げ場はない。
ハックマンは反対側の屋上の端へ向けて走った。
(あんなのに捕まるよりは――)
ハックマンは飛ぶ。
(マシだよな)
ハックマンは五階下の地面へ叩き付けられた。
ゴールデンウィークはもう終わりなのかな。
まだいいかな、ということで不定更新を続行します。