26.4 「こちらにおわすが大皇女様、四代パルマ皇女アリシア様にあらせられる」
その数日前。ノヴェル達が図書館で調査を始めていた頃。
――ウェガリア市街。
ハックマンはその日の集荷に間に合わず、集荷所前のポストに悪態をついた。
書いた記事を支局に送る為だった。
分厚い記事の束はポストには入りきらず、解いてまとめ直すか貨物として出すほかない。
鉄道が復旧したと聞いて、書き溜めた記事をまとめて来たのであるが――。
またロ・アラモから馬車で出直す気にもなれず駅前に宿をとった。
酒場で夜まで自堕落に過ごし、宿に戻る。
裏路地の安宿は殺風景でその上この雨だ。娼婦の一人も歩いていない。
四階の自室の窓に腰かけて軒下の外を見ていると、少し離れた店から何やら人が出てきた。
――あそこは……?
来るときに通りかかったが看板も出ていなかった気がする。
どうも珍妙な集団だった。
厳つい鎧男と仮面をつけた小男。そして男か女かもわからないような髪の長い、体中から妙な紐だか鎖をぶら下げた者――他に派手なドレスの少女までいる。
否が応にも興味を惹かれた。
よくよく見ると、仮面の男は勇者だ。
すると厳ついほうの男は――。
(戴冠の――メイヘムか――?)
その鎧は知られたような美しいものではなく、職人がこの世のあらゆる責め苦を込めたように禍々しかった。
ツンツンとした髪の毛は伝え聞く限り隣国の皇帝のようでもあるが――ディオニス二世は死んだと聞くし、他人の空似であろう。
(ん? いや、あ――あの男は――!?)
見覚えがある。
ハックマンは手探りで懐のペンを探した。
***
あーもう発狂する。あと十秒で気が狂う。
そしたらでっかい声で叫んでやろう。
オレがでっかい声をば出したなら、この張り詰めたガラスみたいな空気はパッキーンと割れて、壁だか柱だかわからんようなやけくその書架が倒れて縦横無尽の足場を巻き込んでこの世界はぶっ壊れてしまうだろうけれど、この鉄の床と壁だけは最後まで残って、鉄の塊になった冷えた太陽と一緒に――。
「だいぶ参ってるようだな」
ノートンが哀れっぽく言う。
オレは螺旋階段を上がりながら、ようやくこの地獄から抜けられるんだと知った。
すげえ。足音がする。
数分前、オレが正気を諦めた頃、地下にメイドがやってきたのだ。
「大奥様がお会いになるそうです」
「大皇女様が!?」
書庫からは出ていたのにやっぱり大声を出すのが怖いのか、ノートンは極小の声で驚いた。
そうしてオレは外に出ることができたわけだ。
オレは石造りの書庫の入り口を振り返って一瞥した。
二度とごめんだ。
雨はすっかり止んでいた。
こちらへ、と誘われて小さな家の横を回り込む。
そこから裏へ回ると――真っすぐな地平のように開けた庭があった。
星屑にも似た高山植物が花咲く美しい庭だ。
奥には何もない。塀すらない。
崖と、その向こうの空が真っすぐに見える。
ただ一つ。
庭には、小さな四角い白い石がひとつだけ置いてある。
まるで墓石だ。
「ノヴェル!」
呼ばれて振り返ると、小さな家のところに一脚のティーテーブルがある。
そこにミラと見知らぬ婆ちゃん、そして人間離れして綺麗な女の人が腰かけていた。
御所には先代皇女がおわすはずで、それならあの美しい人がミハエラ様のお母さんなのだろうか。
ミラ! と応えながらオレ達はテーブルに駆け寄る。
テーブルにはティーセット。そして焼き菓子。
お婆さんが柔和な笑顔で言った。
「今朝オーブンで焼いたのよ。遅れていたお客様がお見えになるっていうから」
すみませんとオレは謝って、この淑女っぽいお婆さんは誰だろうと考えた。
「ノヴェル君。こちらにおわすが大皇女様、四代パルマ皇女アリシア様にあらせられる」
「だ、大皇女様!? 大皇女様が!! クッキーを!? 朝から!?」
やめてよ、お婆ちゃんみたいだわ、と大皇女様は笑う。
大皇女様は退位したかつてのパルマ皇女。そして――四代? ミハエラが十何代かで、ええと――計算が合わなくないか?
どうぞお座りになって、と静かに言われ、オレは椅子を引いて力なく座った。
「聞いているわ。あなたがノヴェルちゃんね。若い頃のゾディにそっくり。会いに行けなくてごめんなさい。クッキーをどうぞ」
ああ、どうも、とクッキーを一口齧ってから、オレはふと思った。
若い頃のマーリーンにそっくり?
なぜ大皇女様がうちの爺さんの――若い頃を?
オレはハッとして大皇女様の顔を見た。
大皇女様は、それはそれは懐かしそうに、柔和な笑顔を湛えていた。
「初めまして。わたくしはアリシア・パルマ。あなた方の言うところの、最初の勇者です」
****
「さて――『係る諜報二号議案の延長法案』――? いいよ。続けて。『労働局慰安旅行に於ける修正予算の議案』? どうでもいいよ、こんなの!」
どこの王様も本当にこんなことやってるの? 皆僕を騙そうとしてない?
思っているだけで、王としての彼はそのまま口に出したりはしない。
ただし「スペースモンキーズ」に対しては別だ。
巷で親衛隊と呼ばれるこの秘密警察組織には、正統王シドニアの超人的な恐ろしさを叩き込んである。
したがって彼らの前では王らしく振舞うという努力をする必要がない。
宰相も置かず臨時の長官人事を行い、物流、労働、軍事を中心に正常化を行っている。
常人には不可能なペースだ。それが可能なのは、彼が勇者だからだった。
「どうでもよいと仰いますが。是か非かはお決めになっていただけませんと」
「是か非かを!」
「是か非かを!」
スペースモンキーズは整列したまま、そう繰り返す。
やめてくれ、とシドニアは面倒くさそうに遮った。
「本気でどうでもいいことをそう迫られるのはあまり気分が良くないね。こういうことはコインで決めよう。2.5ダイムを」
スティグマは横に立つ腹心に、コインを出すよう手を広げた。
「――我が王シドニア。『2.5ダイム』とは」
「コインだよ。二十五セント硬貨」
腹心は首を傾げた。
スペースモンキーズの顔を見渡すと、皆真っすぐ前を向いたまま何も答えない。
シドニアは親指でコインを弾くジェスチャーをした。
何千回も投げたコインだ。親指の爪が、その重み、その硬度を覚えている。
「どうした。いつも投げてる銀色のアレだよ。本当にどうした? 小銭は持たない主義か?」
「我が王。寡聞ながら、そのようなものは見たことがありません」
「庁舎で死んでた市民から集めまくっただろ、君らが! ハマトゥを殺すのに投げまくったアレだよ」
連続百回裏を出し続けたコイン。
実はあれにはトリックがある。ただしそれは――常人には使えないトリックだ。
勇者だけに与えられた固有の能力、ジャックにはそれを応用して見せた。
彼の本当の能力が判らないようにだ。
「あ――もしかして、馬鹿にしてる? 僕を――」
滅相もない、と腹心は顔面蒼白になった。
整列した猿どもも皆怯えているが、誰も申し開きする者はない。
「滅相もございませぬ、我が王。しかしながら、我々ではご要望にお応え致し難く。他のコインを」
「あのとき少なくとも百個あったんだ。どこへ行った? 誰かジュースを飲み過ぎた者は? 君か? それとも君か?」
端から一人一人詰めてゆくが――誰もが瞳の奥に怯えを覗かせるばかりで、知らないふりをしている者は一人もいない。
「畏れながら」と一人が口を開く。
「我が国には現在まで二十五セント硬貨はございません。今後発行せよと仰せでしたら――」
「もういい!」
自分でも驚くほど大きな声が出て、シドニアは相手以上に驚いていた。
背を向けて考える。
――なぜ? なぜ二十五セント硬貨がないなどという?
沢山あった。ここに。
「僕は投げるときは2.5ダイムと決めていたんだ。無いはずはない」
背後で彼の親衛隊が少しざわつくのを感じた。
シドニアの中で得体の知れない不安が広がる。
ふと――思い立って踵を鳴らした。
タタン、と鳴る――はずだった。
ぺたんと気の抜けた音がしたのみ。
足元を見ると、彼特注のタップダンス用シューズがただの革靴になっている。
――なぜだ。
彼は振り返って、恐る恐る訊いた。
「君達、タップダンスというのを知っているか」
「――?」
全員とも、無言で首を横に振った。
「僕が躍るのも――?」
「我が王。あなた様が練習なされたのはタンゴです」
もういい下がれ、と命じてシドニアはよろめいた。
部下が引けると、彼は机の上にあったものを乱暴に床に落とし、空になった天板に肘をついて顔を覆った。
――なぜだ? なぜなかったことにされている?
2.5ダイムとタップダンス――僕が好きなものが、この世界から消えている――?
勇者・真実のセブンスシグマは全身から血が引くのを感じた。
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