25.4 「わかんねえ」
鉱山の立坑を、ゴンドラはゆっくりと下へ向かっている。
下から誰かが呼んだとしか思えない。
すべての道はこのメインの立抗に繋がっている――ノートンはそう言った。
つまりそれは――落ちて行ったイグズスも下層側でこのメイン立坑に辿り着く可能性があるということだ。
気付いたときには遅かった。
下を向くとゴンドラの床の金網の間から透けて見える、一際明るくライトアップされたその区画で――。
イグズスがこちらを見上げていた。
今まさに袋を入れた籠を水没させて息の根を止めるようにだ。
――くそ、やるしかない。
オレは高さを確かめないようにして、ゴンドラの柵を越えた。
風が囂々と下から上へ吹き抜ける。
ドーンとまた音がした。発破は続いているのだ。
広々としたその空間で、イグズスはハンマーを構えている。
――やるしかない。
いくぞ。
オレは――ゴンドラから飛んだ。
「ギャッ――」
オレの声じゃない。鞄に入れたあの首の声だ。
オレは飛び降りた先で何回か無様に横回転して、手にした通信機と鞄を落とした。
おそらくここは鉱山もかなりの下層。もう首の出番もない。
イグズスはハンマーを振り下ろす。
オレは飛び降りた衝撃で脚が痺れ、少しも動けない。
――くそっ……ここまでか。
しかし――ハンマーは外れた。
オレのかなり横の鉄の床を叩き壊した。
「――!?」
「ぶあああああっ……! むぐうう!」
重そうに両手でハンマーを持ち上げる。
その腕も足も、かなりふらついていた。
イグズスも――かなり参っているのだ。
無理もない。如何にイグズスとはいえ、あの銑鉄は堪えたのだろう。
奴を覆った鉄の鎧も、奴を強めているというよりは奴の強みを封じているように見える。
しなやかさも、強靭さもない。ただデカくて硬くて不格好な巨人。
でも――そうだとしてオレに打つ手がないのも明らかだ。
ここは地の底。光は遠く、手を伸ばしても届かない。
出口は次々爆破されている。
力でこの巨人に敵うはずもなく、ゴンドラに乗れば追撃される。
今度こそ詰みだ。
「イグズス」
「あああああああっ!!」
またイグズスはハンマーを大きく振り上げると、その重さにつられてよろめいた。
ふらふらとしたまま大振りをかまし、ハンマーヘッドは宛てどもなく壁を叩き壊した。
と、その崩れた壁の奥に部屋がある。
――なんだ?
しかし逃げ込むとしたらそこしかない。
オレは痺れた足を騙し騙しどうにか立ち上がり、何度も転びながら殆ど這うようにして、その崩れた壁から部屋に転げ込んだ。
「イグズス! 聞いてくれ! イグズス!」
返事はハンマーの一撃。
壁の穴が少し広がって、暗かったその部屋がやや明るくなる。
――ここは、ここはなんだ。
途轍もなく巨大な黒板。学堂にあるやつのざっと八倍ほどだ。
平らな机が幾つも並び、壁際には無数のキャビネット。
何かの実験室だろうか。
そしてひときわ異質だったのは――ガラスケースの中の円盤状のケーキだ。
何かの液体に浸されているように見えた。
「ぶおおおっ! ぶおっ!」
外からイグズスの声がした。
部屋を気にしている余裕なんかはない。
「イグズス! 降参だ! オレにはもう打つ手がない! ――話そう! お前も、どうせオレを殺すんなら、何か言いたいことがあるだろう!?」
「ぐううううううっ」
「それともそこの首と話すか!? ファンゲリヲンの作った生首と!」
イグズスは黙った。
オレは話しながら、その部屋の中を使えるものはないか探し回る。
「チャンバーレインの爺さんから訊いた! 巨人を助けてる人だ! お前たち巨人に何があったか、色々なことを」
「……」
「本当に、同情する。でも――お前は勇者だ。もう大勢殺した! A50の乗客も――彼らがお前に何をした!? とてもオレには、お前を許すことはできない!」
オレは何が言いたいんだ。
支離滅裂だ。でもどれも本当のことだ。
イグズスを許すことはできない。壊滅の勇者は、罪のない人間を殺し過ぎた。
でも目の前のこいつは、本当にあの勇者なのか? 本当のイグズスは、溶鉱炉に落ちて死んだのじゃないか?
亡霊だと言われてもオレは信じる。むしろそうであってほしい。
子供達から伝え聞いたイグズスの姿だってそう。
イグズス、一体お前は、何者なんだ。
何のために生きて、何のために生き返った?
ひっくり返した箱の中に、無地の色つきの布があった。
光を遮る分厚い布だ。青か紺か、ここの照明では元の色さえ判らない。
何かないか、何か――。
黒板。チョーク。くそ――一か八か。
「潰滅の勇者! お前のしたことをオレには許せない――でも――そう、『生まれ変わり』って信じるか?」
***
昨日、ハックマンは救助された子供達にあれこれと質問をぶつけていた。
配慮のないその姿はあまり褒められたものではなかったが――。
子供達がイグズスとの会話について話したとき、否が応にもオレは聞き耳を立てていた。
巨人は誕生日を祝わない。
生を呪っているからだ。
でも、イグズスは誕生日の祝い方について何度も細かく聞いたのだという。
初めは「わかんねえ」としか言わなかったが、繰り返し話すうち――イグズスは目を輝かせて聞いていた。
***
入って来いよ、とノヴェルは言った。
「イグズス――。聞いたぜ、お前らには誕生日を祝う習慣がないんだって。生まれてくるのは悪いことか?」
イグズスにはもう話すことはできなかったが、片目と耳は生きていた。
イグズスは一歩、その部屋に入る。
ハンマーを握り、あの気障りな小人を叩き潰してやるつもりで、だ。
勿論生まれて来ることは悪い――そんなこと、イグズスには骨身に染みて判りきったことだ。
骨の欠片ひとつ、血の一滴すら残さない。
フルパワーで叩けば、もうこの世のどこを探しても、あいつの痕跡は見つからないのだ。
生をなかったことにできる。
それが自分の反生殖主義だ。
「――だよな。お前ならそう言うと思ってたよ。そうでなきゃ、無意味に奪ってきた命の勘定が合わないもんな」
「ぐるるるがふっ! がふっ!」
「ああ。生きることは辛ぇよ。オレを見ろよ。オレだって人並じゃない。オレは魔力がからっきしなのに、大賢者の孫なんだって責任だか重圧だかがあるんだと。まったく、やってられない」
「ぶしゃしゃしゃっ、ぶおっぶおーっ!」
「可哀そうに。オレは死にたいとは思わない。そこがお前との違いだ。死にたいけどやるべきことがあるわけじゃない。だから――お前が可哀そうだ」
「……」
自分は誰の生をもなかったことにできる。
それなのに、誰も自分を無に帰してはくれない。
――なぜ? おれがでかすぎるから?
「生きてりゃいいことがあるなんて言わない。不幸って奴はしつこい。でも――たとえ不幸だとして、生まれて来ることの未来を祝うことって難しいか?」
未来を奪われることは――時として死よりも苦しい。
将来を悲観して戦火に身を投じる子供たちを、イグズスは沢山見てきた。
それを葬ってきた。闇から闇へと。無から無へと。
何が悪い。
おれはすべきことをした。
何が誕生日だ。
そんなものは知らない。知らなかった。
自分がいつ生まれたのかなんて考えたこともない。考えたこともなかった。
「……ぶおおっ――ぶおっ」
教えてやるよ。おれ達勇者の使命は――。
だがそのとき――黒板に書かれた文字がイグズスの目に入った。
それを見て、イグズスはすべてを悟った。
『ハッピーバースデイ』
そうか。
おれは生まれたんだ。今。
「オレを潰す前に、祝わせてくれ。お前は、生まれ変わった。祝われるのって悪い気分じゃないだろ?」
イグズスは唸る。
(馬鹿かおまえ)
また低く、今度は少し長く唸る。
(生まれ変わっても巨人は巨人。ずっと巨人だ。おれたち巨人に、誕生日なんか)
「オレ達小人は、こうやって誕生日を祝う」
「ぐぅぅぅ……ぶふう……ぐるるるる……」
知ってるぞ。石のケーキだ。
だがな、そんなのガキどもの遊びだ――あのガキどもも、何が良くって小人の真似なんかするのか、わからねえ。
知ってたか? 本物のケーキは小麦と砂糖でできてて甘えんだとよ。
それを大勢で祝う。ケーキはなんでか皆で分けるんだと。
知ってたか? 生ってのは、祝われる奴だけのものじゃねえんだと。
教えてやりてえ。――誰に?
「ゴッコだけどな。いつかお前が、本当に生まれ変わったら、そのときは――」
判らない。イグズスには何も判らない。
しかしかつて、盟友と呼べる友人たちと旅したときの安堵にも似た何かがあった。
イグズスが鉄を打ち、仲間が戦ったあの旅。
イグズスはそれを思い出していた。
――もしかしてそれって、楽しいっていうことなのか?
イグズスは部屋の中央に進み始めた。
その隙に、ノヴェルは音をたてないように部屋の出口へ回り込む。
イグズスはゆっくりと黒板のほうへ向かう。天井は高いが、それでもやや身を屈める必要がある。
ケーキがあった。
集落のガキどもが作っていた、石のケーキに似ている。
だがこれは――。
***
突然、イグズスが暴れ出した。
くぐもった声を捻り出して、苦しそうに頭を抱え、飛び上がって上半身を天井にぶつける。
「――!?」
ノヴェルは慌てて飛び退いた。
これは見たことがある反応だ。
そう、高炉で『砂漠の月』を見た時の反応――そして気が付いた。
広げた無地の布。
そこに置いた丸いケーキは黄色。
ノヴェルの目線ではわからなかったが、イグズスが真上から見るとそれは――。
イグズスの目にはモートガルドの国旗『砂漠の月』に見えていた。
「イグズス! やめろ! 違うんだ!」
イグズスはハンマーを振り回し、手あたり次第に破壊を始める。
天井が崩れ落ちてきた。
逃げるなら今しかない。もしイグズスが隙を見せればすぐに逃げるつもりでいた。
だがこんなことは望んでいなかった。
想定外だ。
ノヴェルは落ちて来る瓦礫を避けながら部屋から逃げ出した。
広い立抗に出、ゴンドラに飛び乗る。
「動け! 動け!」
スイッチを滅茶苦茶に押すと、ゴンドラは上がり始めた。
下からイグズスが暴れる音がする。
「くそ――もう少しで――!」
もう少しで何なのだ、と自問した。
あの巨人を少しでも救えるなどと、もしかして自分はそう思っていたのか?
いや、不可能ではなかったはずなのだ。
あの一瞬だけ見せたイグズスの反応――可能性はゼロではなかった。
しかしそれももう後の祭りだ。
立抗の壁では何らかの警告灯が真っ赤に回転して、けたたましいサイレンを鳴らしている。
壁から鉄の板が押し出されてきて、ゴンドラが上がった傍から立抗を封鎖してゆく。
これはどこの鉱山にもある設備なのか――?
一体何が起きているのか。
ゴンドラは最上部の出口に辿り着いた。
「ノヴェル君! 遅かったじゃないか! 早く脱出を!」
「ノートンさん! イグズスはこの一番下だ! ゴンドラで呼ばれて、奴のところまで落とされた!」
「ここも封鎖する! 上がって来られたら水の泡だ!」
ノヴェルはノートンに引かれて、外に出た。
あまりにも眩しい陽光に目が眩む。
ノートンは分厚い鉄の扉を閉めると、その閂を下ろした。
その直後である。
激しい振動が、一帯を襲った。
山全体が引き攣ったかのようだ。
ズウウウンと突き上げるような衝撃は、明らかに普通の発破ではない。
あまりの衝撃にノヴェル達はその場に伏せた。
「――地震か!? 地面が割れたかと思った――」
「いや――爆発か!? マーカス君、他の出入り口を確認してくれ……マーカス? マーカス君、どこだ」
ノヴェルは、振り返って今自分が出てきた鉄の扉を見て、目を見開いた。
「ノートンさん、扉が――」
なんだ、と振り向いたノートンも目を見張った。
鉄の扉が、高熱で煙を上げていたのだ。
第五章は次回シーズンフィナーレとなります。
次回は明日11:00更新予定。
お見逃しなく!