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39.星の上のダンス(西暦二一八五年九月一三日酸欠六時間前、三時間前)

 十分な睡眠から目覚めたリュウイチ達は暇を持て余していた。緊張から解放されたのはいいのだが、何もすることがないのもつらいものがある。ここ数日は、振り返るには早すぎるし、その前の通信は、思い出というには色褪せすぎて今更語る気にもなれない。要するに二人で醸成した時が少ないのだ。実際に対面したのが三日ほど前であるから、これは致し方ないだろう。

 二時間ごとにエウロパ表面に異常接近するが、マッターホルンをかわした時に比べれば、スリルはない。サンドスラスターの軌道は少しずつ昇交点を変えながら、エウロパの上空をくまなく覆うはずであるが、二人が酸欠で死んだ後の未来を考えても面白くはなかった。そんなわけで、貴重な残り時間を無為に過ごしていた。


「酸素の残量はあと六時間か」

 リュウイチはヘルメット内のモニターをチェックして言った。

 人間は酸素を消費し二酸化炭素を排出する。宇宙服の背には酸素を供給する酸素ボンベと二酸化炭素を回収するフィルターが装備されている。リュウイチ達はエウロパの研究室で回収した酸素ボンベを装備しているが、これが最後の一本で、これが尽きれば窒息する。

「六時間?」

 カタリナは自分の宇宙服のモニターに示された三時間という残量を見て、わずかに首を傾げた。リュウイチの残量よりも随分すくないのである。もちろん、人によって消費量が異なるから、リュウイチとカタリナで残り時間が違うのはおかしくない。

「カタリナも似たようなものだろう」

 カタリナの方が体重が軽い分、消費量も少なく、自分よりも幾分かは長生きするとリュウイチは考えていた。

「ええ、まあ」

 カタリナは、酸素残量が少ない原因を思いついたが、今更、リュウイチに言った所で、心配をかけるだけだと思い直し、黙っていることにした。

「まあ、先のことを考えても仕方ないんだけれど…… やれる時にやれることをやっておこうと思うんだ」

 制御盤に表示された時刻を確認したリュウイチが言った。

「やれることって?」

「もう少し軌道を上げておこうと思うんだ」

「もう周回軌道に乗ったからいいんじゃないの? それにどうせ私たちは長くないのだから何をやっても無駄な気がするけれど」

「うん、俺達のことはいいんだけれど、このサンドスラスターの軌道を少しでも永く保つには、近エウロパ点が近すぎるんだ。エウロパは完全な真空ではなく、水蒸気濃度が結構濃いから、このままだと、減速して、いつかは落下する」

「落下するとまずいの」

「一応、放射性物質を載せているからな。昔、二〇〇年ぐらい前の昔のことだけれど、地球で高濃縮ウランを燃料にした原子炉を積んでいた人工衛星があったんだ」

「原子力電池じゃなくて原子炉?」

「そう。それが地上に落下したんだ」

「それで?」

「人的被害はなかったが、あちこちに破片が飛び散って大変だったらしい。それに比べれば、ここにあるプルトニウム238は半減期が九〇年と短いし、落下した時の汚染被害はだいぶましだとされている」

「でも、エウロパは無人だし、だれも文句は言わないんじゃないかしら」

「確かにね。まあ、たまたま、動物が触って、突然変異を起こす心配もないしね。それに、影響という意味なら太陽からの放射線の方が圧倒的だろうし」

 カタリナは何かが引っかかったが、目の前の心配が勝った。

「ここにあるのよね。大丈夫なの?」

 カタリナは座っているサンドスラスターを指さした。

「放射線は心配しなくていい。出るのはα線だし、今は薄い鉛で完全に遮られている。それでもエウロパに落下してそこら中にばら撒かれるのは気持ちが悪い。だから、軌道をもっと高い所に上げて、一〇〇〇年ぐらいは落ちなないようにしておきたい」

「そうは言っても燃料はもう使い切っちゃったわよ。どうするの?」

「燃料はないことはない、というか、実は何でもいいんだ」

「何でもいい?」

「そこはサンドスラスターの面目躍如といった所さ。もともと衛星の土を食ってプラズマにして噴き出すのがこサンドスラスター01の役割だ。つまり、こいつは、口に入ったものは何でも熱して液体、そして気体にして燃料にしてしまうんだ。定格の十分の一以下の燃料消費率なら、それこそ金属でも燃料にしてしまう」

「とんでもない悪食ね」

 カタリナは笑いをこらえながら肩をすくめた。


「おっ、カールからの通信だ」

『こちら、トライデント作戦本部、カールだ。さっき相談された件だけれど、計算してみた。五〇キログラムだ。時刻は今から二七分後』

「わかったありがとう」

『それじゃ、幸運を祈る』

「了解」

 そう言って、リュウイチはカールとの通信を切った。

「何? どういうこと?」

「カタリナの寝ている間に、円軌道に修正するための最適条件の計算をカールに頼んだんだ」

「それで?」

「答えは、最高高度に達した時に五〇キログラムの燃料を使えばいいらしい」

「その五〇キログラムってどうするの? まさか私の体とか?」

「ははは、さすがに、それはないよ。色々と要らないものがあるだろう」

「要らない物? この太もものぜい肉とか?」

 カタリナは自分の太ももを指さした。

「いやいや、それは必要なものだよっ、という冗談はさておき、例えばツールとか」

 リュウイチが見せたのはツールが沢山刺さったツールベルトである。ドライバーやら、スパナやら、それで頭を叩けば痛そうな金属が沢山ぶら下がっている。

「でも、それじゃ足りないわよ。待って、私が持ってきたデータキューブとか」

「データキューブ?」

「拝水儀式の音声データが大量にあるのよ。映像データは教団本部にあるけれど、音声はエウロパにしかないのよ」

「そういえば、音声は配信していなかったな」

 カールが苦心して音声を復元していたことをリュウイチは思い出していた。

「色々と恥ずかしいセリフも入っているから…… 消しておきたいのよ」

 音声が配信されないのをいいことに、リュウイチへの思いが祈りの中に入っていたりするから、これが他人の手に渡れば、かなり恥ずかしい。

「あっ、そういえば、忘れていた!」

 リュウイチはエウロパに置いてきた改造救命ポッドに他人には見せられない映像が色々入っていたことを思い出した。しかし、今となってはどうしようもない。

「何、リュウイチも処分したいキューブがあるの?」

「いや、まあ、その~ カタリナの気持ちもわかるよ。よし、それは、燃料にしてしまおう。でも、まあ、それじゃ、とてもじゃないけれど五〇キログラムにはならないだろうから、もっと他の物も探さないといけないな。そうそう、あれなんかいいんじゃないかな?」

 リュウイチはごまかすために早口でしゃべった。

「あれって?」

「蓄電池。高密度格子ひずみ蓄電池だ。一ユニット一二五キログラムで、二ユニットはエウロパに置いてきたが、もう二ユニットがまだここにある。このうちの一ユニットを少し分解すれば、五〇キロ分を外すことができたはずだ」

「簡単に分解できるの?」

「ちょっと時間がかかるかもしれないけれど、分解自体は難しくない。そうさなあ、二〇分もあれば五〇キログラムだけ取り出してもとに戻せると思う。幸い、一ユニットは電気が空だし、危ない作業じゃない」

 リュウイチはいつになく饒舌に語るとプラスドライバーをベルトから抜いて見せた。ドライバーには漂流防止のひもがついている。

「よし、それじゃ早速始めるぞ」


 分解した蓄電池から五〇キログラム分が取り外され、カタリナのキューブと共にサンドスラスターの燃料投入口に入れられた。

「GPSの高度は七〇〇キロ。上昇速度が間もなくゼロになるわ」

 カタリナが携帯GPSの数値を読み上げた。

「よし、時間も丁度いい。燃料溶解を始めるぞ。アーク放電開始!」

 リュウイチがスイッチを入れると、燃料投入口が閉じられ、放電が始まる。プラズマが作られ、燃料が溶かされていく。制御盤上の測定値が徐々に上がっていく。

「電圧よし、電流よし、中性圧力は正常範囲内。燃料供給系準備よし! カタリナの方はいいか?」

「いいわよ」

「今回は、投入した燃料が尽きるまで噴射するからそのつもりでいてくれ」

「了解」

「よし、三、二、一、噴射!」

 イオンエンジンの後端から赤い炎が出て、長い尾を伸ばしていく。普段の青白色とは異なる色だが、燃料が違えばプラズマの色も変わるから異常ではない。

「水平速度、徐々に上がっています」

 きびきびとした口調でカタリナが報告する。昔取った杵柄である。彼女も、かつては一人前のスペースエンジニアだったのだ。

「推力は、定格の三五パーセントで安定」

「水平速度、一六〇〇キロ超えました」


「残燃料ゼロ、噴射自動停止。GPSはどうだ」

「高度六九八キロメートル、水平速度一七〇〇メートル、鉛直速度はプラス一〇メートルで、わずかに上昇しています」

「よし、ほぼ円軌道に乗ったぞ。この高度なら減速はほとんどないだろう」

「成功ね」

「ああ、ここで放熱パネルを展開しておこうと思う」

 サンドスラスターの制御盤を見ながらリュウイチが言った。

「どうして?」

「原子力電池がメルトダウンしないようにさ。今は蓄電池に充電しているからいいけれど、それが一杯になった時に電力の行き場がなくなるとまずいんだ。熱の形で放出するようにしておけばいい。まあ見ていてくれ」

 リュウイチが制御盤を操作すると、サンドスラスターの胴回りに一二枚の細長いパネルが開かれる。そしてそれが徐々に赤熱していき、総出力○・一メガワット、電熱器百台分の熱が放出される。

「熱いから触らないように」

「ふーん。まるでオレンジ色のデイジーみたいね」

「デイジー?」

「キク科の花の名前よ。長い間花が咲くことから、長命菊と呼ばれることもあるわ」

「なるほど、確かに俺たちが死んだあとも、エウロパの周りをまわり続ける。オレンジ色の光を放ちながらね」

「永遠に?」

「残念ながら永遠ではない。さっきも言ったように、燃料のプルトニウム238の半減期は九○年だから、九○年後に光量は半減し、一八○年後には四分の一になる」

「原子力電池も永遠ではないのね。同じね、花も、人間も」

「人間も?」

「人は、いつかは死を迎える。早い人もいれば、遅い人もいる。だけど死は皆に平等に訪れる」

「例外もあるんじゃないのか? カタリナみたいに老化がしない人もいる」

「違うわ。私の場合は、時が止まっていただけ。心が止まっていただけ。だけど、リュウイチと会って、心と時が動き出したのよ」

「そうなのか?」

 カタリナは笑みを浮かべて頷いた。

 カタリナはリュウイチとこうしていると幸福感に包まれるのだ。それがどうしてなのか今までわからなかったけれど、ようやく彼女は理解した。

 カタリナは巫女として四○年以上をたった一人で過ごしてきた。ペンギン型AIのジュダスが居たが、ジュダスは人間ではないし、役割は執事そのものだった。だから対等ではなかった。だけど、リュウイチは違う、二人で協力してここまで来た。もちろん、リュウイチが助けに来てくれなければ、今頃は氷漬けになっていたから、そういう意味では対等ではないかもしれない。だけど、ここまで来れたのは対等な二人が居たからだ。

 もちろん、巫女になるよりもはるか以前、父の下で働き、トラオの恋人であった頃に、誰かと協力して何かをやり遂げた経験はあるし、その記憶もある。ただ、取り戻した経験は、知識としては頭にあっても、体が覚えていないのだ。それに比べて、ここ数日の体験は、地球の草の匂いを嗅いだ時のように鮮烈である。

「私達はあと数時間の命かもしれない。だけど、私達よりも早い人もいれば、私達よりも遅い人もいる。私達が特別なわけじゃない。大事なことは……」

 カタリナはリュウイチに出会ったことに感謝こそすれ、後悔は微塵もなかった。だから、押しつけの教団の言葉を使いたくなかった。

「あれ、続きは?」

 リュウイチが押し黙ったカタリナに続きを促した。

「拝律の教えなら、『生きて虚数エントロピーを生み出し宇宙に律を広げよ』となるのだけれど、そういう気分でもないわ」

「おいおい、巫女がそんなことでいいのか?」

「たまにはいいのよ。羽目を外したって」

「ということは、『大事なことは』の続きは」

「続きは、そうね……」

 カタリナは、しばし悩んで口を開いた。

「大事なことは、最後までリュウイチと一緒にいること」

「えっ、ま、まあ、そりゃ、当然というか、こうなっては他にしようがないしなあ」

「もう、リュウイチってデリカシーがないというか…… しょうがないわね。覚悟しなさい!」

「覚悟って?」

「私、カタリナ・プラントルは、リュウイチ・タニヤマへ……」

 カタリナは大きく息を吸い込んで黙り込んだ。

「俺に?」

「け、け、」

 カタリナが顔を真っ赤にしている。

「あっ、あれ!」

 リュウイチは、カタリナのセリフを遮って天を指さした。指さしているのは木星の夜側である。

「オーロラだ!」

 南極の辺りに緑色の王冠のようなものが見える。

 木星の強力な磁場は激しいオーロラを作り出す。赤外からX線に至るまでの様々な波長で発光し、その見え方も様々であるが、人間の目には、青く見える時と赤く見える時がある。

 ただ、今、リュウイチ達の見ているオーロラはいつもと違う。

「珍しい色だな。殆ど七色と言っていいぐらいだ。いつもは単色なのに。これは多彩だ」

「しかも、色彩と形が波打っているわ」

 環状の構造がまるで意思をもつ生き物のように動いている。のたうち回る蛇のようでもあるし、無限の息吹を与えられた炎のようでもある。色は赤、黄色、緑、青、紫という虹色のグラデーションが周辺部から南極の方へと伝搬して行く。木星のオーロラの発光は水素によるものが主であるが、時として、イオの噴煙由来の成分、エウロパの水蒸気由来の成分が発光する。

「もしかしたら、これは『妖精の円舞』! 初めて見るわ!」

 カタリナがささやいた。まるで、息を吐いただけで消えてしまう小さな炎を前にしているかのようである。

「妖精の円舞?」

 リュウイチも小さな声で尋ねた。

「妖精が円陣を組んで踊っているように見えるかららしいわ。木星系開拓の始まる前に、一度だけ観測されたことがある。だけど残っているのは静止画だけで、動いている様子が記録されたことはないわ。今回のダブルインパクトでエウロパの水蒸気が木星へ届いたのが原因だと思う」

「妖精の円舞かー じゃ、俺たちも踊ろうか?」

 リュウイチがカタリナを見つめる。

「踊る? いいわね」

 カタリナは首を傾げてから頷いた。


 秒速一七〇〇メートルでエウロパを周回するオレンジ色の花。その上で宇宙服を着た二人が手をつなぎ向かい合う。リュウイチの片方の手はカタリナの腰に、カタリナの片方の手はリュウイチの肩に。体を寄せ合い、ゆっくりとスイングする。カタリナがリードする。

「これは?」

「チークダンスもどきかしら?」

 頬を合わせることからチークダンスと呼ばれるが、ヘルメットが邪魔をして頬を合わせることはできない。それでもダンスの中ではもっとも体が近い。

「ステップとかがあるんだったけ?」

「ないわ。ただ、こうして互いを感じていればいいの」

 そもそも踏みしめる地面がないから、普通のダンスをうまく踊るのは困難である。

「重力がないとダンスはできない?」

 リュウイチがカタリナのヘルメットを覗き込む。

「そんなことはないわよ。でも、競技種目としてあるのは、低重力下での月面ダンスだわ。確か、イオにもダンス教室があったと思うわ」

 カタリナが視線を合わせて答えた。

「イオかー」

 リュウイチが視線をそらした。イオは遠い。そもそも生き延びる可能性のない現状では、イオのことを考えるだけで虚しくなる。

「なんか、急にダンスがしたくなった」

「教えてあげましょうか? ブルースやルンバなら何とかなるかもしれない」

 無重力は決して不利な点ばかりではない。実際、月面ダンスと呼ばれる社交ダンスの種目があるぐらいである。ただ、リュウイチ達の場合は、命綱でサンドスラスターにつながったまま踊らなければならないから、スピンを多用する月面ダンスは無理である。

「まずは、ブルース。そしてルンバ」

 右回りナチュラルターンと左回りのリバースターンが同じ数になるようにして、命綱が絡まないようにする。激しい動きはできない。それでも二人は踊った。手をつなぎ、見つめあい、胸を合わせ、互いの存在を確かめる。

「このまま踊っていたいわ」

 ひとしきり踊った二人は、チークダンスもどきに戻った。

「そうだね」

 リュウイチが同意する。このまま、永遠に踊りつづけられたらいいのにと二人は思っていた。

 ただ、内心は微妙に違う。まだまだ、この世に未練のあるリュウイチ。最後に恋の花を咲かせ、巫女としてではなく、女として死ねると満足するカタリナ。共通するのは、宇宙服を脱いで肌を合わせたいという思い。二・七ケルビンの宇宙も、空虚な真空も、穏やかな鼓動も、なまめかしい息遣いも、すべてを遮断する宇宙服を脱いで、互いを確かめたいという思い。


 秒速一七〇〇メートル。オレンジ色の星に乗った二人がチークダンスを渇望する。

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