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40.ランデブー(西暦二一八五年九月一三日酸欠三時間前、二〇分前)

「おや、通信だ。誰だろう? 今は、エウロパの裏側だから通信できないはずなんだが…… まあいいか」

 エウロパの表側であれば、ラグランジェポイントL1の通信中継衛星を経由して一〇ギガヘルツ帯短距離通信が使える。ところが、裏側では、通信中継衛星がないから、電波が届かないはずである。リュウイチは不思議に思いながら回線を開いた。

『こら、リュウイチ、何をやっている!』

 いきなり甲高い怒声がインカムに入ってきた。しかも、大音量である。

「ちょっ、声が大きすぎ! もっと普通にしゃべってくれ!」

 リュウイチは思わずヘルメットに掌をあて、耳をふさごうとした。もちろん、耳をふさぐことはできない。

『ドラゴンフルーツのクルーとしてあるまじき勤務態度!』

 どうやら、相手の女性はかなり怒っているようである。リュウイチはアイコンタクトで音量を下げようとして、モニターで通信相手を知った。ゴスロリメイド服を着た少女が映っている。

「メイファン! どこ行っていたんだ? 木星周回軌道に放り出されたって噂だったけれど、大丈夫か?」

『勤務中は船長と呼びなさい』

 口角を上げて答えたのは半年前にリュウイチを改造救命ポッドで送り出した船長である。

「はい船長」

『よろしい。ところで、私の眼前でちち繰り合うとはいい度胸だな』

 モニターの中の薄い胸の少女は腕組みをし、こちらを見下ろすようにふんぞり返っている。かなり怒っているようだ。

「船長は今どちらに?」

『すぐ近くだ』

 リュウイチはカタリナの腰にやった腕をびくりと振るわせた。

 宇宙での『近い』ほど、曖昧な言葉はない。ある者は、公転半径四二万キロメートルのイオと木星を『近い』といい、ある者は、四〇億年後に衝突するアンドロメダ銀河を『近い』と評する。それでも、文脈と状況を把握して、どのくらい『近い』かを察せられなければ一流のスペースエンジニアとは言えない。

 リュウイチがカールから聞い時は、メイファンは推力のない救命ポッドで木星周回軌道に乗ったと推定されていた。万に一つの可能性でエウロパ周回軌道に乗ると言われていた。

 彼女が行方不明になった直接の原因は通信の不通である。長距離用の二〇〇ギガヘルツ帯通信が不通だったのだ。ところが、今、リュウイチのインカムに繋いでいるのは短距離用一〇ギガヘルツ帯である。

 エウロパの表側であれば、上空一万三〇〇〇キロのラグランジェポイントL1に滞留する通信中継衛星のアンテナがリュウイチ達を追尾してくれるからイオと通信が可能であるが、今は、エウロパの裏側だから、通信中継衛星は使えない。中継せずに直接通信していることになる。

「つまり、短距離通信の範囲内ということですか」

 見通しで数十キロメートル以内。宇宙においては極めて『近い』と言っていいだろう。

『そう、望遠鏡でリュウイチ達をしっかり観測させてもらったわ』

「覗きだなんて、はしたないわね」

 カタリナが会話に割り込んできた。

『リュウイチを助けるために、探していたんだから、仕方がないじゃない』

「仕方がないですって?」

 カタリナの口調に険がある。

『こっちは、あいにく長距離通信が壊されて使えないからイオの助けも得られない。受信だけはできたからリュウイチの軌道情報は正確だけれど、レーダーもGPSもない救命ポッドだから自船の正確な位置がわからない。互いの位置を確認するには工夫が必要だった』

「それじゃ、どうやって俺たちを見つけたんですか?」

 リュウイチが柔らかな口調で問うた。

『サンドスラスターの放熱パネルの光よ。千キロ離れていても二等星と同じ明るさがある。いい目標だったわ』

「それで俺達を望遠鏡で観察したってわけか」

 メイファンは、リュウイチ達を望遠鏡で視認し、抱き合っているのを見ているということなのだろう。

『正解! さすが、私のクルーだわ』

「で、結局、メイファンはどこに居るんだ」

 口調がぞんざいになる。船長と呼べと言われたことも無視している。

『二〇キロメートル後方だ。ランデブーするぞ』

 リュウイチは小さなため息をついてカタリナとの抱擁を解いた。さすがに二〇キロメートルなら一〇〇倍の光学望遠鏡を使えば、リュウイチ達の大きさは地球から見る月と変わらない。

「しかし、いったいどうやって、この逆行軌道に乗ったんですが、俺達の軌道が定まってまだ一〇時間もたっていませんよ。魔術でも使ったんですか? それともこの軌道に乗るのを予知していたとか?」

 メイファン・グェンは、重力の魔術師という二つ名を持っている。コンピュータで計算した軌道よりも、効率のいい軌道を見つけたという伝説があるぐらいである。

『単純な事よ。順行にも逆行にも、あらゆる周回軌道に対応できるようにラグランジェポイントL2に待機していたのよ』

「なるほど、そういうことか」

 ラグランジェポイントはエウロパ重力圏と木星重力圏の分かれ目であり、そこからエウロパ側に落ちれば、エウロパ周回軌道にのることができる。順行だろうと、逆行だろうとどんな軌道傾斜角だろうと、エウロパ側に落ちる時に選ぶことができる。ラグランジェポイントは、いわば山の頂のようなものであり、東西南北どちらの方面にも行くことできる。

「だからと言いて、この軌道まで降りてきて、ランデブーだなんて…… しかも自船の位置が分からない状態でランデブーなんて、ほとんど不可能だよ」

 ランデブーは七つの座標を合わせなければならない。四つの座標を合わせなければならない衝突よりもはるかに難しい。衝突の場合は二つの物体が同じ位置に同時刻に存在していればいいから、位置の座標が三つ、時間座標が一つで、合計四つの座標が重なった時に起きる。ランデブーの場合は、互いの相対速度もゼロにしないといけないから、さらに速度の座標三つを合わせなけれならない。

 イオにいるスタッフの支援なしに、しかも自船の正確な位置情報なしにランデブーをするなど正気の沙汰ではないが、重力の魔術師という二つ名を持つメイファン・グェンだからこそできたのだろう。リュウイチはひとしきり感心していたが、一つ見逃していたことがある。それは、決めた軌道を可能とするハードウェアである。

『おしゃべりは後まわしよ。今、減速している最中で、二五〇秒後にランデブーするわ。目標相対速度、秒速二メートル、目標距離九〇〇メートル』

「了解」

 リュウイチはカタリナにサムズアップを見せた。これで二人とも助かりそうだっと思ったのだ。カタリナは青白い顔で微笑んだ。後から考えれば、この時すでに、カタリナの宇宙服の酸素供給量が減り始め、二酸化炭素濃度が上がり始めていたのだ。

 カタリナの方が先に酸素が枯渇するとは夢にも思っていなかったリュウイチに気がつけというのは酷であろう。


「なんて船なんだ! 改造救命ポッド1も酷かったけれど……」

 リュウイチは常識外れの船を茫然と見上げていた。全長六○○メートル余り、直径は五メートル。燃料を消費する前なら全長はもっと長かったはずだ。とてつもなく長い船、細長い船である。

 眼前の船は、化学エンジンの炎を徐々に絞りながら滑るようにやってきた。やがて炎が完全に沈黙する。

『酷いって、どういうこと? このスレンダーな船型、ほれぼれするわ。それに改造救命ポッド1よりも対称性がいいわ』

 リュウイチがドラゴンフルーツから別れて使っていた改造救命ポッドは、化学エンジン一基と凍結燃料からなる燃料補給船の船首に救命ポッドをひっつけ、その先に少量の凍結化学燃料とイオンエンジンを積んだサンドスラスター01を載せていた。メイファンの船はある意味よく似ている。構成は、端から、化学エンジン、凍結化学燃料、救命ポッド、凍結化学燃料、化学エンジンであるから対称性はいい。ただ、異様に細長いのと、船首船尾の両方に化学エンジンを一基ずつ備えているのが非常識である。前進するためのエンジンと後進するためのエンジンを前後に備えた前輪後輪駆動車のようなものである。

「なるほど、反転するタイムロスを嫌ったんだ。さすが、船長!」

 前進と後進を同時に行うことはないから、宇宙船の機能としては、化学エンジンは一基で十分である。ただ、この場合、加速方向を逆にしようとすれば、姿勢制御スラスターを用いて反転しなければならない。反転には、それなりの時間がかかるし、技量も必要である。実際、リュウイチは改造救命ポッド1で、さんざん反転の訓練をさせられた。

『わかる。わかるのね。この双端エンジンの良さがリュウイチにもわかるわよね!』

 わが意を得たとばかり、メイファンが興奮している。できるだけ身軽にして、できるだけ少ない燃料で軌道を遷移させる従来の航法とは真逆の発想である。しかし、短時間でリュウイチ達にランデブーするためには、複雑な推力シーケンスを間断なく実行しなければならないから、双端エンジンというのは最適なのかもしれない。これがあれば、地球上の乗り物のように加速と減速ができる。

「さすが、船長です」

『でしょう!』

 メイファンが自慢そうに薄い胸を張った。

「それじゃ、先へ進めましょう」

 リュウイチはいつまでもメイファンの自慢に付き合っているわけには行かない。残りの酸素は少ない。

『そ、そうね。いいわ。相対速度、距離を正確に測れないのが問題だけれど、後は、リュウイチに任せていい?』

 ほんの少し、肩を落としてメイファンは返事をした。もっと、褒めてくれると思っていたのだ。

「俺の方でアプローチすればいいですよね。大丈夫です。速度も、距離もサンドスラスター01で十分いけます。もっと遠い衛星に着陸させたこともありますから」

『任せるわ。私の方は、一応、受け止められるよう、船外で待機している』

「了解。サンドスラスター01、姿勢制御スラスターでアプローチします!」

 リュウイチはカタリナが命綱を短くしてサンドスラスターに張り付いているのを確認して、制御盤を操作し始めた。

「ロール調整メニュー、時計回り二〇度、いきます。三、二、一、オン」

 圧縮気体が噴出し、サンドスラスターの軸周りに回転が始まる。ゆっくりと回転が起き、そしてもう一度圧縮気体が噴出し回転が止まる。一連の動作がメニューとして登録されている。

「次は、一番、五番で横移動します。定格荷重で秒速三メートル相当。いきます。三、二、一、オン」

 今度はしばらくの間、気体噴出が続いた。

「よし、後は近づくのを待つだけだ。向こうまで九〇〇メートルとして、約三〇〇秒。いや、蓄電池重量が半分以下になっているから二割ぐらい短くて、約二四〇秒ぐらいかな。カタリナ、もう少しだぞ」

 カタリナに視線をやったリュウイチは、彼女の手がサンドスラスターから離れているのに気がついた。

 異常である。返事がないのも異常である。

「どうした! カタリナ、どうした!」

 リュウイチは命綱を伸ばしながらカタリナに近づき、ヘルメットを覗き込んだ。カタリナは眉間にしわを寄せている。

「頭痛。ごめんなさい。酸素がなくなったわ」

 囁くように声である。

「馬鹿な!」

「研究施設で見つけたボンベ。もともと充填圧力が低かったみたい」

「くそっ、二酸化炭素中毒か。どうして早く言わなかったんだ」

 酸素供給がなくなったことで、圧力を保つために、宇宙服は二酸化炭素吸収フィルターの作動を自動的に止めたのだ。そうなれば、二酸化炭素の濃度が徐々に高くなる。窒息よりも先に、二酸化炭素中毒が命を奪う。スペースエンジニアが最初に学習する内容であるが、ほとんど役に立たない知識である。そのような事態になった時に、そばに助けてくれる者がいることはほとんどないからである。

「助かるとは思わなったし、リュウイチには一分でも長く生きてもらいたかった。ごめんね、そして、ありが……」

 カタリナが意識を失った。

「メイファン! メイファン、聞こえるか?」

 緊急事態において最初にすることは、助けを呼ぶことである。

「くそっ、返事がない! どうすればいい?」

 メイファンは丁度エアロックに入っていたところである。簡易エアロックであるから、電波が伝わらない。

「俺の酸素ボンベを付け替えるか。どうする?」

 航空機の緊急事態で客室に酸素マスクが降りてきた状況と似ている。親子の場合は、まず、親が酸素マスクをつけて、酸素を確保して動ける状態を確実にする。それから、親が子供に酸素マスクをつける。これを逆の順にした場合、子供に酸素マスクをつけている間に、親が気を失ってしまえば、子供が親に酸素マスクをつけなければならない。後者の方は子供に技量を求めるという点で悪手とされている。今回の場合は、酸素が確保できるまで、リュウイチはこのまま待つべきであろうか。それとも、リュウイチの酸素ボンベをカタリナに与えて、リュウイチが酸欠のリスクを負うべきであろうか。

 簡単な問題ではない。各時間ごとに酸素を確保できる確率、二酸化炭素濃度と時間を変数とする死亡または後遺症の確率、そして何よりも評価関数があいまいである。例えば、二人に後遺症を残るのと、一人が健常で一人が死亡するのとどちらがましであろうか? 後遺症の程度が軽ければ前者であろうし、重度であれば後者であろう。その線引きは容易ではない。最大多数の最大幸福と唱えても、それを定量化するのは難しい。

「ちっ、二酸化炭素はまずいよな。仕方ない」

 二酸化炭素中毒は、その濃度が高ければすぐに死に至る。リュウイチは背中に手をやり、固定テープをはがして、体の前に酸素ボンベを持ってくると。ボンベに刺さったチューブを一気に引き抜いた。ジョイントは気密を保ちながらもワンタッチで取り付け取り外しができる優れものである。しかも規格が統一されているから、大抵の宇宙服に合う。

 カタリナの背中のボンベを外して、放り投げ、リュウイチが使っていたボンベをつける。こちらもワンタッチである。

「これで、とりあえずはいい」

 本当にとりあえずである。リュウイチが宇宙服内の酸素を消費すれば、今度はリュウイチが二酸化炭素中毒になる。状況にもよるが数分間は持つはずである。

「メイファン、聞こえるか?」

『聞こえるわ。エアロックから船外に出た所よ』

「カタリナの酸素がなくなった。汎用酸素ボンベを持って出てきてくれ」

『意識は?』

「ない」

『まずいわね。二酸化炭素中毒ね。わかったすぐに船内に戻って取ってくるわ。エアロックを緊急作動させても三分はかかるわよ』

「了解。こっちは自力で着地する」

『了解』


 前方に横に長い船が見える。さすがに六〇〇メートルはあるから、横方向に外れることはなが、リュウイチ達の進路はやや下にずれている。こちら方向の幅、つまり凍結化学燃料の太さは五メートルであるから、何もしなければかすりもしない。細長い平均台に着地しようとしているようなものである。

「少し軌道修正だな。二番、六番を一秒間にセットして、オン!」

 ずれていた進路がほんの少し修正されるが、まだ足りないようである。このままでは、メイファンの船の下を通り過ぎてしまう。

「もう少し、修正した方がよかったな。だが、だいぶ近づいてきたから、先に逆噴射だな」

 宇宙で焦ってはいけない。リュウイチはごくりと唾をのみ込んだ。

「マニュアル通りならば手前五〇メートルで一端停止だから…… よし、今だ、三番、七番、噴射!」

 リュウイチは最初と同じ時間だけ作動させた。こうすれば、最初と同じ相対速度に戻るはずである。

「まだ、相対速度が残っているな。秒速二メートルぐらいか。げっ、姿勢制御用の燃料がないぞ!」

 どうやら、姿勢制御スラスター用の圧縮気体が底をついたようである。これまでは、イオンエンジン用のエウロパの氷を拝借して、昇温加圧して姿勢制御用の圧縮気体にしていたが、そちらを使いきったので、意外に早く燃料がなくなったのである。

「まずいぞ、どうする?」

 このままだと横に長く広がった凍結燃料の下方をニアミスしてランデブーに失敗してしまう。少々失敗しても、メイファンの船の方に動いてもらえれば、ランデブーは不可能ではないだろう。ただ、メイファンの船は、小回りが利かないから、時間がかかる可能性がある。そうなれば、リュウイチが二酸化炭素中毒になる。

 サンドスラスターの姿勢制御用の気体を詰め直したい所であるが、氷が手元にない以上不可能である。もう一度蓄電池を分解してそれを燃料にしてイオンエンジンを動かしてもいいのだが、姿勢制御が使えなければ、サンドスラスターは前にしか進めない猪のようなものである。

「メイファン、聞こえるか? メイファン、聞こえるか?」

 リュウイチの呼びかけに応答はない。

「くそ、またエアロックか」

 メイファンは、またエアロックにつかまっているのだろう。

「よし、サンドスラスターは置いていく、俺の宇宙服のエアスラスターを使おう」

 リュウイチの宇宙服にはエアスラスターが装備されている。これを使えば、ある程度は自由に動くことができる。メイファンに頼らなくていい。

 リュウイチは、カタリナとの間に2本の命綱を渡すと、それ以外の命綱を外し、カタリナを背中に背負った。

「よし、飛ぶぞっ」

 リュウイチは、凍結化学燃料の下方約一〇メートルほどの所を通り過ぎようとしていた。

「んっと、その前に重心だ」

 重心を考えずにジャンプすれば、ジャンプしてもくるくる回転することになる。無重力で重心を把握するのは容易ではないが、訓練で克服できる問題であるし、通常ならば、リュウイチぐらいのスペースエンジニアには難しい課題でない。ただ、今は、カタリナという重量を背負っているし、両手がふさがっていて、両腕先のスラスターが自由に使えないという問題ある。慎重になるのは当然である。

「よし、今度こそ。それっ!」

 ゆっくりとサンドスラスターを離れる。

「ちっ、少し回転している!」

 リュウイチは両足のスラスターを使いながら、頭上にサンドスラスターが来るように慎重に方位を決め、回転を止める。その間に、リュウイチはどんどん船から離れていく。

「これでいいはず、前進!」

 相対速度がようやく負になり。リュウイチ達は船に近づき始めた。ところが、またもや回転が始まる。

「くそっ、焦るな焦るな」

 方位を決め、回転を止める。少しずつ、前進する。ほんの三〇メートルのほどの所にあるのになかなか近づくことができない。

「よし、あと、ちょとだ」

 凍結化学燃料は二〇メートル程先にあり、秒速三〇センチ程で近づいている。このままでは、燃料の下方三メートルほどの通り過ぎてしまうから、あと、もう一度スラスターをふかして進路を調整すればいいはずである。

「最後の軌道修正は…… んっ、馬鹿な!」

 リュウイチはエアスラスター用の圧縮気体がなくなったことに気がついた。推力がなければ真っ直ぐにしか進めない。

「まずい、このままだと三メートル足りない!」

 着地すべき凍結化学燃料のそばを奈落へと落ちていく、そんな未来で頭が真っ白になる。

『ごめん、待った? フル充填の酸素ボンベが見つからなくって、手間取ったわ。リュウイチ、どこに居るの?』

 メイファンが気安くインカムで話しかけてくる。

「船首近くだ。すこし黙っていてくれ!」

 リュウイチは、大きく息を吐きながら言った。軽い頭痛もする。二酸化炭素の濃度が上がり始めたのだ。

『どうしたの、リュウイチ』

 メイファンは船の真ん中あたりのポッドから出た所である。リュウイチ達のいる場所から二〇〇メートル程離れているから、すぐに駆け付けくれるわけでない。だが、エアスラスターがあれば、リュウイチ達を回収できるだろう。

「メイファン、そっちの宇宙服はエアスラスターを使えるよな」

『ごめん。ほとんどないわ。マイケル元船長に抜き取られたのよ。少しは補充したけれど…… って、リュウイチ、それを聞くってことは、ランデブー失敗?』

「いや、失敗じゃ…… 何とかする!」

『とにかくすぐ行くわ。三分後、いや二分後には行けると思うわ』

「了解」

 リュウイチはそう言いながら、急いでカタリナに向き合い、命綱を繋ぎ変えて、二人の間の命綱を一本にした。

「一本の長さは六メートルだから、合計一二メートルだ」

 そして、リュウイチは五メートル程先の凍結化学燃料をにらんだ。何もしなければ、もう一〇秒ほどで凍結化学燃料の端まで三メートルの所まで近づいて、その後は離れるだけのはずである。

「よし」

 リュウイチは意識のないカタリナを下方、燃料からは離れる方へ押し出した。

 反作用でリュウイチは上側、すなわち燃料側へ押し出される。もし、二人の重量が同じであれば、重心は二人の真ん中で、そのまま凍結化学燃料の端から三メートルの所を通過する。もし、その時に命綱が伸びきって一二メートルになっていれば、カタリナは凍結化学燃料の端から下方九メートルの所を通過し、リュウイチは、凍結化学燃料の端から上方三メートルの所、すなわち円筒状の燃料の真ん中あたりに着地する。

 両端に重りを結び付けた一二メートルの紐を放り投げて、直径五メートルの手すりに引っ掛けようとしている巨人がいると思えばいい。

「いいぞ、この調子で延びてくれ」

 リュウイチの手元を命綱が滑っていく。重要なのはタイミングである。二人の距離が十分離れる前に燃料の横を通りすぎてはいけない。逆に二人の距離が一二メートルまで離れて、命綱がピンと張ると、その反動で二人が逆に運動し始める、つまり、近づき始める。これではいけない。リュウイチは、命綱がピンと張らないよう、徐々に離れるスピードが減衰するよう、手と命綱の摩擦でコントロールした。

「よしいいぞ!」

 ほぼ命綱が延び切った状況で、着地できそうである。ただし、着地は頭からである。

「ドライバーだ、ドライバー!」

 そう叫びながらツールベルトからプラスのドライバーとマイナスのドライバーを抜き出して、両手に持った。

「三、一、 グぇ!」

 ヘルメットが凍った燃料にぶつかり、衝撃で一瞬、意識が飛びそうになるが、ぐっとこらえ

『ザッ、ザッ』と左右のドライバーを突き立てる。

 腰に付けた命綱がグンと引っ張られる。カタリナの重量がかかっているのだ。ここで、手を離すと二人とも円筒状の燃料から滑り落ちることになる。リュウイチは手と腕に力を入れ、歯を食いしばった。

 それが意識を失う前のリュウイチの最後の記憶である。


 メイファンは意識のないカタリナの傍に到着すると、まず、命綱を自分と間に繋ぎ、次に持ってきた酸素ボンベをカタリナの宇宙服に装着しようと、古いボンベを引っこ抜いた。

「でっ、ほぼフル充填の新鮮な酸素をつけてっと」

 持ってきたボンベを取り付けた。ワンタッチなのであっという間につながる。

「巫女のお嬢様はこれでよしと。さて、次は情夫と久しぶりのごたいめーん!」

 鼻歌でも歌い出しそうな機嫌のよさである。

 メイファンの目の前に、外したばかりのボンベが漂っている。

「古いのはどうせ空だろうし、要らないわね」

 メイファンは人差し指ではじこうとし、

「でも、宇宙ゴミは不味いわよね。一応、これでも船長だし、示しがつかないわよね」

 思いとどまって、それをベルトに挟み込んだ。


 宇宙ゴミにならずに済んだボンベがリュウイチの命を救った。

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