あそこをペロペロすればいいんですね
廊下を華麗に歩く音が一つ。
窓からこぼれる朝の陽ざしを受け、前掛けのエプロンを靡かせ、意気揚々と一人の女性が、目を輝かせ朝のアルドレシア城、城内を歩く。
「朝ッ、今日も気持ち良くシーツが干せそうですッ」
そう叫ぶ声が廊下に反響する。
広大な城内部は、人が歩くには広すぎた。
元々魔王であり巨竜である城主ハルトディアが出歩くために設計された居城。人が歩くには尋常ではなく広く長く、また一つ一つの調度品も大きく造られていた。
まるで小人が城を歩くかのような光景の中、それでもメイドは一人せわしなく赤じゅうたんの上を歩く。
そして一つの部屋の前に止まると、少し身なりを整える。
そこは人が通るにはやはり少し大きな扉。
トントン
木の分厚い戸を叩けば、小気味いい音が廊下中に響き、メイドはにこやかな表情を浮かべて、ドアノブに手をかけた。
「麗しの朝!」
扉を開く音が部屋中に響き渡る。
「お嬢様、ミィアお嬢様ッ、朝ですッ。今日もとても気持ちいいですよッ」
そうして、元気な声でミィアの寝室に一歩を踏み出せば
「うにゅぅ……」
「うるせぇ……」
「ぎゃああああああああああああ! お嬢様の下にごみ虫がぁああああああ! ごみがついてるぅううう!」
そこには大きなベッドに身体を重ねて横たえる二人。
大声響かせ、女メイドは蒼白しきった顔で慌てて部屋の入口から飛び出すと、少女、ミィアの眠るベッドから大の字で眠る制服姿の少年を引っぺがした。
「いでぇえええ! え、親父!? 親父がいるの!?」
「ごらぁあああ!」
「ひぇえええええ!? 起きたら目の前に鬼の形相がぁああああ! ぱぱんより怖いですぅ!」
襟首つかまれ、床を引きずられるままに、相馬は同じく蒼白しきった顔で身体を持ち上げられて、額をゴツンと付き合わされれ、鬼の形相のメイドの顔を覗きこむ。
「ええええ!? え、何!? なんなの、ていうかおたく誰ですか!?」
「ワシはメイドのガウェインっちゅうもんじゃぁああ!」
「ひぃいいい! 格好いいお名前ぇ! とても女性とは思えませぇええん!」
「ていうかこっちが聞いとるんじゃこのごみ虫がぁ!」
「ええええ! すっごいどすの利いた声ぇ! お前男やろぉ!」
「お嬢様に手出すとは面白いわぁ! 何もんじゃ、答えんかいぃ!」
「ええええええ!? 俺呼ばれただけですよ、そこのお嬢様に連れ込まれて寝てただけですよぉおお!」
「お嬢様に連れ込まれたぁ!? おっしゃ殺して干物に変えたるぅうううう!」
「ぎゃあああああ!」
「どらぁあああああああ!」
「アバー!」
「てめぇは俺を怒らせた……」
「あ、あんたも……ノリいいな……」
真っ赤な血の海に沈みながら、事切れる最後瞬間に、相馬はそう呟くと、ガクリと赤いじゅうたんに顔をうずめて動かなくなった。
そして正気に戻ったメイドは、ハッとなって慌てて床にくたばった相馬を蹴飛ばし踏みつけると、ベッドに身体を丸めて眠るミィアの下へと駆け寄る。
「お嬢様、お嬢様大丈夫ですか!?」
「……ソウマ……ソウマ……」
「ああ、どこか悪いところはありませんか? 怪我は? 傷は? あれば私めがペロペロして治しますゆえ」
「ううん……」
「ああああ、あるんですね。わかります、じゃあおもむろにその真っ白なほっぺにペロペロを」
「やめんかミルドレッド」
「は、その声は!」
ベロォと長い舌を出して、眠る少女に近付いていたメイドはハッとなって身体を起こし慌てて後ろを振り返った。
そこには体格のいい初老の男が一人、血まみれの相馬を肩に抱えてメイドを見下ろしていた。
盛り上がった胸板。
マルタと思えるほどに大きな腕。
背丈は二メートル近くあり、白いワイシャツと黒ベストと長いパンツに包まれたその体躯はまるで熊と見紛うほどに大きく、堅牢に見えた。
手には革のグローブ。
腰には二本のナイフを差し込み、そこには執事姿の大男が立っていた。
掻きあげた髪は銀色に染まり、単眼鏡越しに戸惑うメイドを見下ろす。
その鋭く紅い瞳は、魔族特有の眼の色だった。
「フ、フェルトナ様……」
「ミルドレッド・ガウェイン。ワシはお前にこう言ったな。記憶しているか?」
「うう……」
「忘れているな、いや忘れようとしている。ならば教えよう。姫様のお世話をするのは昨日限りだと」
「―――――覚えています」
ションボリと観念したように肩をすぼめると、ミルドレッドと呼ばれた女性メイドはトボトボとミィアの眠るベッドから身体を離し、大男、フェルトナへと歩み寄った。
「……彼のものが今後は世話をするゆえ、我らメイド部隊は必要ない、と」
「そう言うことだ。お前はさっさと廊下の掃除でもしてこい。人間の体では掃除も時間がかかるだろう」
「でもぉ!」
「ごねるな。見苦しい」
「でもでも、今後ペロペロできなくなったら、私どうしたらいいのですか!? 誰をペロペロすればいいのですか!?」
「うちの城主でもペロペロしてこい」
「イヤです! 微妙に加齢臭が漂う上に、最近引きこもって部屋に夫婦ともどもネトゲばっかりするもんだから、汗臭いんです!」
「だからそれをペロペロして洗ってこい」
「私の舌を何と心得てるんですか!? 姫様をペロペロする為に存在しているんですよぉ!」
「飴でも舐めてくれ」
「お嬢様の食べかけの!?」
「引っこ抜いた方がよさそうだ……」
「じゃあ、今後そこに抱えているそこのヘタレロリコンが今後お嬢様の世話を!?」
そう言って肩に抱えた血まみれの男を指さすミルドレッドに、フェルトナは表情一つ変えず頷いた。
「そうだ。これから姫様が起きる三時間の間に、こいつがすべきことを全て教える」
「そ、そんなぁ……」
「だから、こいつに怪我をさせている暇もなければ、気絶させている暇もない。ましてやお前にかまっている暇もな」
「う、うう……」
「仕事を増やしおって。医療チームを呼べ。お前たちメイド隊の中からでもいい」
「り、了解です」
「頼りにしているぞ、ミルドレッド」
しぶしぶ踵を返して、部屋を出ていくミルドレッドの背中を見つめながら、フェルトナは安堵に肩を落とした。
「わからんでもないがな……」
「うう……オラオラはらめぇ……」
「――――忙しくなるぞ。坊主。たった独り、お前だけが頼りなのだからな」
「ん……」
「時間もあまりない。姫様にとっても、我々にとっても」
肩に担いだ男を横目に、複雑な笑みをにじませそう呟くと、フェルトナその体躯を背負い直して、眠るミィアに一瞥をくれたあと歩きだした。
「……姫様。必ずこの男は私が」