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□42 目覚め

 冬の夜に凍える寒さで目を覚ましたことが、誰にでもあるだろう。まさしく、それだ。心臓を締めつけるような寒気が手足の先から流れ込んで、目覚める気力さえ阻喪させる。痺れたように無感覚な腕に、ふと何かが触れた。肘の内側を圧迫する何か。腕の一部が急に熱を持った。それに勇気付けられて瞼をこじ開けると、視界には万華鏡じみた七色の光彩が、ぼんやりと踊っている。

 ――ここは?

 耳元で柔らかな声が囁いている。その声に集中しようとしても、含意は指の隙間をすり抜けて去ってしまう。再び肘の内側が圧迫される。今度は、腕から針が抜けていくのを感じることができた。

体の芯から凍らせていた寒気は徐々に去り、ぼやけた視界がクリアになった。鼻先に迫った透明な板には霜が降り、そこに映されたグラフやデータの羅列をにじませているのがわかった。

 「ごごぱ・・・・・・」ここはどこだ、と言ったつもりが、喉から漏れたのは怪物のようなしわがれた声。幾度か喉をごろつかせて、やっとまともな声を出せた。「だ、誰か、いますか」返事はない。警告音と中性的な落ち着いた声が、耳の裏から話しかけてくるばかりだ。

 やがて、ガラスに映されたインジケーターがグリーンの色を示した直後、ヨウを閉じ込めていた箱が音もなく開いた。箱内部の冷たい空気が暖かい空気と触れ合い、重たい霧が漂う。ヨウは上半身を持ち上げようとして、背中全体が髪の毛のように細い繊毛で箱とつながっていることに気付いた。「なんだ、これ」腕にも、首にもそれは生えていた。ちょっと力を入れると、それは苦もなく千切れ、ひらひらと力なく箱の底に落ち着いた。

 ――ここは、どこだろう。スリミアの工廠にいたはずなのに。

 記憶があいまいなことに苛立ちながらも、ヨウは体を点検し、すぐにおかしなことに気付いた。

 ――歯の詰め物がない?

 子供の頃に治療したはずの奥歯にあった、ホンモノの歯と詰め物の、僅かな違和感が消えていた。自分の鼻を、目を、頬を指先で確認した。それは、記憶にあるヨウの顔とまったく同じだった。いや、同じじゃない。小学生の頃に切った、眉のところの小さなハゲが治っている。体のあちこちを点検すると、中学の頃に傷ついた手のかすかな古傷もきれいさっぱり消えているのがわかった。

 とりあえず箱の外に出て、自分に何が起きたのか確かめようと考えた。ここで唐突に、自分が全裸であることを認識した。何か隠すものを探すが、何もない。箱から足を床に下ろし、自分の膝を不安げに眺めた。歩けるのか、確信はなかった。棺のような箱に腰かけ、周囲を確認する。ここを室内と呼ぶべきだろうか。通路沿いには、同じような棺が数十個も並んでいた。

 と、そのとき、ヨウの左右にある箱が冷気を漏らしながらゆっくりと開きはじめた。ほんの1エルほどの距離を隔て、薄れゆく白煙の中から現れたのは、上半身を起こした――カリカだった。小麦色だったはずの肌が、余りにも白くなっているから一瞬混乱したが、確かにカリカだ。彼女は、ぼんやりと曇った瞳をヨウの方に向け、緩慢な微笑みを浮かべた。もう一方の棺では――案の定と言うべきか――エリアスがヨウの存在に気付いたところだった。半ばまどろみに浸ったエリアスの顔に、子供のような笑みが浮かんだ。

 「・・・・・・どうも」

 ヨウは股間を両手で押さえながら、遠慮がちに月並みな挨拶をした。

 そこに、もう一人の人物が現れた。「なんだ、もう動いているのか」その声の主は――サイン。いつの間に入室したのか、ヨウが気づいたときにはそこにいた。混乱した記憶の闇から、怒りの表情を浮かべた彼女の顔がフラッシュバックした。

 ――殺られる。

 とっさにヨウは両腕でボディーを守ろうとするかのように身構えた。だが、サインはヨウに病院着のような服を差し出し、首を振ってニヤニヤ笑いを浮かべる。

 「お前たち、隠さなくていいのか?」

 「え?」次の瞬間、エリアスとカリカが自分の格好を自覚し、ヨウも自覚した。「あ……」

盛大な悲鳴が沸き上がった。その悲鳴に隠れて、サインも笑い声をあげた。それは華やかで裏表ない、これから先に続く関係の、祝福となるべき明るい笑いだった。ヨウは混乱しつつも、サインには自分を害する意思がないことを悟ったのだった。



 サインを先頭に、柔らかい照明が照らす通路をヨウたちは歩いていた。

 「なんで同じ部屋にしたのです? おかげでこんな形で――と、とにかく、酷いです!」相手が魔王だというのに、エリアスは怒りと恥ずかしさに任せて噛みついた。

 「まだ機能しているスリープ装置が、あの部屋にあるだけしかなかったんだから仕方なかろう」サインは振り返りもせずに、悪びれもせず答えた。

 「それじゃ、ヨウと覚醒時間をずらしてくれてもよかったのに・・・・・・」なおもカリカはブツブツ言い募る。

 「まあいいじゃないか、裸くらい。はっはっは」サインは作為的な磊落さで笑った。

 「よくありません!」エリアスとカリカは同時に否定した。

 「そもそも、人体の細胞は2年程度で全部入れ替わるだろう。細胞レベルで見れば、昨日と今日のお前たちは別人だよ。恥ずかしさも明日までさ」

 「そんな境地にはたどり着けませんよ」というヨウの突っ込みに、エリアスとカリカもうなづく。

 「カリカやヨウは年端もいかない若造だからわからんでもないが、エリアス、お前は100歳を超えているだろ? 私がその歳の頃には羞恥心なんかとっくになくなっていたぞ」

 「確かに100歳は100歳ですけど、わたしは、そのぉ――」と言葉を濁す。

 「そんなことより、お前たちを起こした理由を聞きたくないのか?」

 「あの、ヨウの治療が済んだから起こしたのではないのですか?」

 サインは鼻の頭を掻いた。

 「まあ、それもある」

 「治療?」ヨウは首をひねった。

――治療ってことは、何か怪我でもしたのだろうか? 確か僕はスリミアの工廠にいて――。

「ああ!」

 カリカがその大声に驚いた。「びっくりした。どうした急に」

 「そうだ、サインとエリアスたちが対決して、僕はあのとき――」

 サインが肩をすくめて言う。「ニシミヤ青年よ、それはわたしの大切なアエロプを壊した日だな」

 「ああ、あれはその・・・・・・」

 サインはかぶりをふった。「もうよい。40年も昔のことだしな」

 「40年?」ヨウがサインに聞き返した。とんでもなく聞き捨てならない。

ヨウの背後で、エリアスとカリカも表情をこわばらせて顔を見合わせていた。

 いずこともしれない目的地目指し、ずんずん歩くサイン。唐突に立ち止まり、ヨウを振り返った。「ああそうだ。あの日から40年以上過ぎている」どこに手を触れたわけでもないのに、サインの行く手にある金属の壁が、音もなく開いた。その向こうに広がるのは、何もない草原。ゆるやなか丘陵の間を川が流れ、地面には黄色い小さな花が風に揺れている。

 草原に数歩踏み出して振り返れば、ヨウたちが通ってきた通路は、丘陵の中腹に開いた、岩の隙間だった。無造作に草原に座ったサインから少し離れて、ヨウたちも腰を下ろした。エリアスとカリカは顔を見合わせ、ヨウに語るべき話をどちらが受け持つのか、無言で推し量ろうとしているようだった。

 結局、エリアスが先に口を開いた。「ヨウ、あなたはスリミアでのことをどれだけ覚えていますか?」エリアスの表情は真剣なものだった。

 数瞬の沈黙の後に、ヨウが答える。「さっき思い出しましたよ。サインが怪我をして、それを助けるために使い龍が降りてきて。そして建物が僕たちに崩れ落ちてきた」

 エリアスは小さくうなずく。「そうね。あの崩落にわたしたちは巻きこまれた。あのとき魔力を使い果たしていたし、なにしろ防御することもできなかったのよ」続けて、「カリカは大怪我をして、あなたは・・・・・・死んだわ」

 「死んだ!?」ヨウはとっさに自分の首で脈拍を確認した。「僕が死んだ?」すぐに、自分が生屍になったわけがないことに思い至って、首から手を離した。

 「わたしがついていながら、ごめんなさい。治癒魔法はあなたには効かないし、そもそも魔法でも治癒できるような怪我じゃなかったわ」エリアスが記憶のもたらす痛みに耐えるかのように、ぎゅっと目をつぶる。「だから魔王様に頼んで――ああ、エルモ様の方ね。彼に頼んでテクサカの魔王城に運んでもらったのよ」

 「そう……だったのか」ヨウの心に、40年という数字が踊っていた。「結局、僕は故郷を――」ヨウの言葉は尻すぼみにフェードアウトした。滅びかけていた故郷は、いまごろはわずかに建物の基礎のみ大地に痕跡を留めるだけの、廃墟になっているか――もしくは勝手に助かっているだろう。いずれにせよ手遅れだった。自分が必死になってしてきたことは無駄だった。ヨウは、体育座りした足の間で、無心に伸びる草の穂先をじっと眺めた。

 サインがいたずらっぽい笑みを浮かべ、余計な事を口走る。「わたしの怪我も酷いものだったけど、お前はいわば挽肉だった。だからウチのコールドスリープ装置でフル・メディカルを受けさせたわけ。特別にね」

 「そんなに酷い怪我だったんですか」

 サインがヨウにウインクした。「お前は幸運はだった。わたしの機嫌がもうちょっとでも悪かったら、生ゴミとしてダストシュートに捨てていたわ。ああそうそう、フル・メディカルのお代はツケにしておくから」サインがヨウの背中を指先ですーっと撫でた。

 「うわっ何するんですか」

 「ふうん、確かに近くで見るとかわいいかもね。この子たちが、お前が目覚める時に一緒にいたいだなんて訴える気持ちもわからないではないな。だから、私の粋な計らいというやつで、この子たちもコールドスリープさせてあげたわけだ。ついついウルッときちゃってね。実に健気。私の若いころそっくりだよ」

 カリカが歯切れ悪くいい訳した。「確かにヨウが“棺”に入ってすぐに、あたしたちも入れてもらった。でもあたしは別に、帰る実家もないし。エリアスがヨウの願いを叶えるのを、公平な立会人としてね――」

 「カリカ、あなたちょっとずるい?」

 「んん? いや、だからその。あ、そうだ。あたしたちメガマウスの後遺症を治療するために棺に入ったんじゃない! うっかり忘れてた。いやーあたしってばお茶目な早とちりをしちゃったみたい」


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