□41 サイン
強固なデフレクトをかすめて、灰色の航空機――おそらく垂直離着陸機――が燃えながら墜落した。金属的な残響が、足下の土を通して伝わってくる。
ヨウは片目を開け、抱きついている人物にささやいた。「怪我はなかった?」ヨウの鼻先に接したカリカの頭は、シャンプーなど使ってるわけないから自然な髪の香りがした。カリカは力を込めた腕を解こうとしない。ヨウは戸惑ってしまう。「あー、ごめん。正直悪い気はしてないけど、そろそろ離してください」
「馬鹿野郎、何やってるんだ、死ぬところだったんだぞ」カリカの激情を押し殺した声音は、最後の方には、半ば泣き声になっていた。
ヨウはますます戸惑い、上を向いたり、左右を確かめたり落ち着かない。
ついさっきまでスリミア第2工廠があった土地は、すっかり更地になっていた。僅かに倒壊しそこねた柱が、何かクジラ的な巨大な動物の骨のように、突っ立つばかりだ。
カリカはヨウの頭を抱き寄せていた。「なんで、お前はこんなに行動力があるんだよ。無茶苦茶だよ」
空高く吹き飛ばされた屋根や梁が雨のように降りしきるなか、カリカとヨウ2人が独占するデフレクトの中はだけは、静寂に包まれていた。「ヨウ――」
カリカが何かを口に出そうとしたとき、デフレクトの片側が猛烈に輝き、波打った。
「な!?」「おわあ!」
皮膚が焼け焦げるような熱気に驚いて、ヨウとカリカは抱きついたまま、飛びのく。それは攻撃魔法だった。強烈な光輝がカリカのデフレクトで四方に飛び散り、近隣の建物を焦がす。
熱気の蜃気楼の向こう、荒廃した通りの先に人影が現れた。サインだ。彼女がとんでもなく怒っていることは容易に想像できた。
「ちょ、違います、魔王様」とカリカが叫ぶ。
ヨウはカリカの横顔を眺めた。どうやら彼女の声は、普通なら届くはずもないサインのもとへ、ちゃんと通じているのだと、ヨウは直感した。
返ってきたのは、底冷えする魔王の怒声だった。「貴重なアエロプをよくも壊したわね。裏切り者ども」サインの言葉は、ヨウのいるデフレクト内にも明瞭に響く。「デフレクトを解きなさい、まとめて殺してあげるから!」
カリカが慌てて補充用のトラクトを探して、舌打ちする。「クソ、持ってなかった」
今度は、強烈な攻撃魔法がエリアスのデフレクトを直撃した。サインの放つ攻撃魔法は、他の魔術師の火炎魔法とは異なり、薄紫色だった。しかも、トリプティックを超えるほどの威力のようだ。ほどなく、、3度目の攻撃魔法が、ヨウたちのデフレクトを直撃する。
「クッ」カリカの苦し気なうめきが、サインの強さを物語っていた。あの強烈な攻撃魔法を3連発。それも魔力補充なしで! カリカのこめかみを冷や汗が伝った。「ウォルカをブートしている気配があるから、あたしたちのと同じ系統の攻撃魔法のはずなのに……この強さ、べらぼう過ぎる」
悠然と歩いて近づく魔王は、4度目の攻撃魔法を放つために手のひらをヨウたちに向けた。カリカが絶望の色をまとったうめきを漏らす。「もう・・・・・・これ以上……」
サインはエリアスとカリカのどちらを先に片付けるか決めたようだ。彼女はヨウたちに、掲げた手の先を向けた。「とどめだ!」
ヨウは走馬灯が走るのを待ったが、一向にそんなものは現れなかった。それどころか、「とどめだ! とかいうセリフは敗北フラグなんだよなあ」などと悠長にも考えていた。果たして、やはり彼女のセリフは敗北フラグだったのかもしれない。カリカとエリアスが、ほぼ同時にある一点に視線を向けた。濃厚な土ぼこりに霞む街路の一角に、人影と魔術発動時特有の感覚が出現したからだ。サインの背後、皇帝の居城の方角だった。
サインの注意がそれた僅かな隙に、エリアスがデフレクトを解いてカリカと合流した。2人の魔術師ペア。これは攻防備えた魔術戦闘の基本形。
「ヨウ、よかった、無事だったのね」エリアスがヨウの腕に触れた。その瞬間、エリアスが立ち上げたデフレクトの表面に、濃淡が生じた。「あっ、いけない」エリアスは再びデフレクトに意識を集中した。
一方、裏切り者の機を見た素早い行動に、サインは舌打ちする。彼女は攻撃魔法を中断し、逆に真紅の防御シールドを立ち上げる。
それを目撃したカリカが、サインのデフレクトに視線を固定したまま、感嘆したように言う。「魔王様はまるで、はじめからウォルカとテルミヌスを両方ブートしていたみたいだ」
聞き耳を立てたヨウに、カリカが続けて言う。「あんなに早く切り替えられるはずがないんだ。あれが魔王の力なのか」深刻な表情でつぶやくカリカの横顔。
ヨウは別の可能性をもてあそんでいた。「デュアル・ブート?」
「え?」
「いや、なんでもない」この世界のものとは異質な魔術を操る魔王、より優れた魔術――ある技術において優れるものは、多くの場合、その技術の礎となる原理に、より深く通じている者のはずだ。サインは、このファンタジー世界を覆う、魔法と見誤らんばかりに発達した科学の秘密を握っているに違いない。
サインの向こうが現れたのは、長身で金髪碧眼の男。平和だった頃の1990年代の日本だったら、“王子様”とか呼ばれてアイドルになっていそうな美男子だった。男も気がついてヨウたちに笑顔を向ける。
「あの人は・・・・・・」ヨウがつぶやく。
彼は片手を挙げ、ヨウに仕草で挨拶をした。その優美な動作は、「やあ、ニシミヤ青年。先日はどうも、ご機嫌いかがか?」と語っていた。
「ブランクさんだ」彼は確か、皇帝陛下がヨウの新兵器を見学に来た際に、汚物まみれで現れた人だった。皇帝が汚れ一つない衣服なのに対して、酷い有様だったのが記憶に残っていた。もっとも、汚物だらけだとしても、彼は皇帝陛下の推定1万倍は異性(もしくは同性までも)を惹き付けただろうが。
サクス・ブランクは、さっと表情を硬くしてサインに視線を転じた。彼は抜け目なくサインを頭からつま先まで眺め、彼女と数語、言葉を交わした。だが、彼らの交渉は早くも決裂したようだ。ブランクは手を一振りすると、素早く攻撃魔法をブートした。
カリカとエリアスは視線を合わせた。共に死線をくぐった経験の賜物か、瞬時に無言の合意に達する。
「やりましょう」エリアスが進み出る。
カリカはニヤリと笑みを浮かべた。
ブランクがどれほどの攻撃魔法を放つかはしらないが、これに便乗しない手はなかった。このチャンスを逃せば、とりあえず魔王に誤解されたまま、なぶり殺されるに違いない。そう覚悟したカリカも攻撃魔法の準備に入った。ウインクして、ヨウに向かって傭兵らしく簡潔に説明する。「この一撃を逃せば、魔力残す意味なんてないでしょ。あたしとエリアスも全力で攻撃する」
ブランクの腕から、強烈な光輝が漏れる。おそらくは相当に強力な――トリプティック。
エリアスの腕先、その空間からも三条の光がほとばしる。トリプティックだ。
そして、カリカは・・・・・・一瞬迷った挙句、うめきをあげながら同じ輝きを放つ。無理して張り合う必要はないにも関わらず無茶をするカリカに、エリアスは非難めいた視線を向けた。蛇のように巻きつく3条ずつの光輝が、サインに集中する。
光輝が一点で交差した瞬間、そこから爆風が吹き過ぎた。服の裾をはためかせる焦げ臭い匂い、喉の奥がチリチリ痛む窒素酸化物の異臭。その爆煙の向こうを、攻撃した全員が息をつめてうかがった。
――いた。
「チッ」カリカが舌打ちした。
爆煙を割って現れた赤いデフレクトは、変わらぬ真紅の光を放っている――が、様子がおかしい。赤い球体は震え、おぼろげなサインの影がその中で倒れる。デフレクトはすぐに明滅して消えた。爆発の熱風冷めぬ爆心地に横たわるサインの背中からは、細く煙が上がっている。
「やった・・・・・・のか?」カリカが半信半疑の様子で誰にともなくたずね、そして、身を強張らせ叫んだ。「まだだ。何かの魔術が発動しているぞ!」
その警告に、ブランクが真っ先に対応した。片手を挙げ、攻撃魔法の呪文を唱える。
エリアスは、サインが発動した魔術の感触にたじろいだ。サインが“超越した場所”との間に開いたバイパスから導きつつある魔術が、これまで感じたこともない魔力の色彩を帯びていたからだ。「気をつけて、13神の、どれか未知の神でブートしているわ!」その声は震えを帯びていた。
サインが地面でうごめき、ぎこちなく片手を伸ばした。彼女は地面に片頬を押し付けた格好のまま叫ぶ。「フェ・チーレ!」
すると突如、対峙する者たちが皮膜で包まれたかのように、静けさが落ちた。シュンッ。何かが空間を走り、ヨウは肺の中にぽっかり空洞ができたように感じた。
――空気が、ないっ。
キンと耳が痛み、足がもつれた。ヨウはパニックに陥ろうとする心を、どうにかなだめる。
ヨウの視界の隅で動きがあった。地面に倒れたのは――ブランクだった。彼はうつ伏せに倒れているが、おぞましいことに――その肉体は、彼が地面の窪みにでも半ばめりこんでいるのでない限り、あり得ないほどの薄さになっていた。彼の見える部分の金髪はきれいなままだったが、その身体全体から滲むように、血液が周囲に広がってゆく。
やがてサインの片手がパタリと地に落ち、緊迫した静けさが去った。サインはうつ伏せのまま、ぴくりとも動かない。
それを見届けると、ヨウはブランクのもとに走った。そして、彼の身体に恐れていた通りの致命的な変化が起きているのを見て取った。「半分に――ぶったぎられてる」
「死んでいるの?」エリアスは蒼白な顔で、生前美しかった分だけ今となっては恐ろしいばかりの死体を見やった。心は見たくないと拒否するのに、死骸には一種の魅力があって、そうしたものを強く拒む者の目ほど、強烈にひきつけるのだ。
カリカは油断なく短剣を抜いて、サインの傍らに立った。今度こそ、サインからはほんの少しの魔力の波動も感じることはできなかった。躊躇して周囲を見回し、ヨウの上で視線を止めるカリカ。
「待って」ヨウはカリカを呼び止めた。
彼女はぎこちなく足の重心を移し変え、ちょっとだけ楽な姿勢をとる。
素人のヨウが見ても、サインの怪我が相当にヤバイものなのは、一目瞭然だった。髪は焦げ、皮膚は赤く腫れている。僅かばかりの合成素材製っぽいエナメル加工の服――というかコスチュームは、焼けてボロボロになっていた。重度のやけどだ。ヨウはカリカを振り向いた。「回復魔法をかけてくれないか」
「せっかく倒したのに、助けるのか?」
「いやいやカリカ、助けないわけにはいかないよ。皇帝陛下を亡き者にして、帝国を滅ぼして、それでもやりたいことがあるんでしょ? それに、この人を死なせたら――」
ついつい成り行きで戦ってしまったが、そんな場合ではなかったのだ。カリカは額を押さえ、うめいた。「そうだよなあ。裏切った以上、帝国にも帰れないし、このままでは二重スパイと勘違いされて、テクサカからは追っ手がかかる。“彼”は、半身を失ったと知れば、きっと狂気のようにお怒りになるだろうし」
ヨウは足下で苦しげにうめく大柄な女性を注視した。心臓が緊張と期待で高鳴る。
――魔王。こいつは使えるかもしれない。明らかに科学に明るい謎の人物。それでいて、この世界の“魔術”を使える。彼女は、ひょっとすると、僕の望みを叶える鍵になる……。
「では、わたしが」ブランクの死体に惹かれる意識を引き剥がし、進み出るエリアス。サインの傷ついた体に意識を集中する。そして、すぐに眉をしかめた。「おかしいですね」エリアスの声に焦りが混じる。カリカも不安そうにサインを見下ろしている。
「治癒魔法が効かない。こんなに手ごたえがないなんて、まるでヨウの時と・・・・・・」
いきなり、エリアスの声が騒音に掻き消された。突然の熱風が、ヨウたちの間近を吹き過ぎたからだ。街路に並ぶ建物の輪郭が水面に映る影のように歪み、そこに銀色の垂直離着陸機が現れた。ほぼ同時に、轟々という逆噴射炎が耳を聾する。その突然の出現は、光学迷彩による不可視のマントが機体を包んでいたためであろう。それに、おそらく逆位相波を利用したアクティブ消音テクノロジーも使われていると、ヨウは推測した。
「サイン、無事かっ」拡声器を通した野太い男の声。機体のコクピットに、赤ヒゲのごついオッサンが垣間見えた。身を乗り出して、サインの名を呼び続ける。「サイン、サイン。貴様ら、何をした」
カリカがサクスの死体を指差して、あっさりと責任転嫁を図る。「あいつが攻撃魔法でやりました」
赤ひげオヤジがにらんだ方向に、翼面下部のガンポッドも連動して鋭く動く。
ブランクの周りには、慌てて駆けつけた皇帝居城の衛兵たちが、集まっていた。しかし彼らはあっけにとられ、及び腰に武器を構えるばかり。航空機など、見たこともないのだから当然だろう。
ガンポッドが衛兵たちの方向に首を巡らすと、彼らはギクリとたじろいだ。そして、ヒューンというかすかな回転音がガンポッドから漏れると同時に、衛兵たちは赤い蒸気を残し、瞬きする間に消滅した。一拍置いて、流れ弾を食らった後方の建物が、内側から爆散する。
赤ヒゲの操る垂直離着陸機は、くるくると生き物のように滑らかな動きで向きを変えては、周囲の敵に弾丸を浴びせる。金属の外皮をまとう龍、ファンタジー世界の住人なら、そう信じてもかしくないだろう。エンジンの咆哮は、龍の鳴き声さながらに、空気を引き裂いている。
しかし、目の前に現れた龍の迫力に打ち勝つほどの、気骨ある者がいた。緑青がふいた、教会の屋上に這い登った人物――おそらくヴィア魔道教会の魔術師――が、サンダーをお見舞いしようと手を掲げる。その瞬間、巨大な赤いゆらめきが機体を包んだ。それは、デフレクト。
ヨウの隣でカリカが口笛を吹いた。「使い龍は魔法が使えるのか」
紫電がデフレクトと教会の尖塔の間にひらめいた。その放電の直後、デフレクトは現れたときと同じようにふっと消え失せ、ガンポッドがひときわ激しく唸り、敵に報復する。爆発の炎が教会の窓という窓から噴出、教会の屋根は陥没し、サンダーを放った勇敢な魔術師もそこに転落して消えた。
一方、どさくさに紛れて誰かが放ったマスケット銃の弾丸が、機体の下部に命中して火花を散らす。それをデフレクトで防がなかったのは、弾丸が低威力で防御に値しなかったからか、それとも気付かなかったからなのか。もし後者だとしたら、この垂直離着陸機も破壊できるということだった。実際、不意をついた水素爆発で、ヨウは1機を撃墜している。この魔王の“使い龍”を始末するのは、不可能ではない。
映画の“戦国自衛隊”で、20世紀の先進兵器がすぐにその力を失ったように、オーバーテクノロジー兵器がわずかばかりあったところで、歴史の流れは変わらない。そのような兵器が役立つのは、今回サインたちがしたような、強襲降下のごとき奇策においてだけだろう。スリミア攻囲戦という、この戦争の最もフェータルな局面まで待った上で、帝国の中枢に殴り込んで皇帝暗殺を企てる。見事な作戦だったが、どういうわけか失敗しつつある。主にヨウのせいで。
全ての脅威を排除したと判断したのか、垂直離着陸機は燃え盛る建物を背景にして、ゆっくりとヨウたちの方を向いた。
「危ない!」エリアスの甲高い叫び声。だがしかし、恐怖を張り付かせた彼女の顔は、垂直離着陸機の方を向いてはいなかった。
自分の周囲が暗くなって、ヨウははじめてそれに気付いた。見上げると、建物の崩れ落ちた壁がおそろしくゆっくりと頭上に迫り、ヨウの視野一杯に広がって――そして世界はブラックアウトした。




