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□40 強襲降下

 いつもなら洗濯物を干してある窓々は鎧戸を閉め、街路には数人の歩兵以外に誰もいない。皇帝の居城近くだというのに、どこかうらぶれた路地の奥に、ヨウの作業場である、木造の古びた倉庫があった。名目上は「帝国造兵廠スリミア第2工廠」という大層な名前がついているが、それはおそらく書類上の必要性からなのだろう。

 倉庫には、つい先ほどまで塩素ガスが詰まった危険な瓶が積んであったが、今それが確かにあったことを示すのは、地面に刻まれた円形のくぼみだけだった。それらの容器は、既に気球に乗って敵の頭上にデリバリーされたはずだ。

 帝国の優秀な職人の手を借りて造った急造の電解ガス製造設備が天井近くまでそびえ、異臭を放つ鉛電池、硫酸貯蔵設備、倉庫の片隅にある小さな鍛造炉、ガラス加工設備が所狭しと並んでいる。ほとんど全て、あり合わせの材料で作り上げたものだった。だが、それらは立派に機能しているのだ。このファンタジー世界でも。自然の振る舞いについての知識――すなわち科学は、究極的に普遍的なのだ。

 戦争はいよいよ首都スリミアにまで押し寄せてきた。事ここに至り、ついに何もすることがないという状況におかれて、ヨウは落ち着かない気分をかみ締めていた。ここ数ヶ月ではじめての手持ち無沙汰。長い間、剃る暇もなかったために無精ヒゲがうっすら覆うアゴは、機械油で汚れていた。

いま、工廠の職人たちの大部分は市内の家族のもとへ帰っている。一方、肩書き上は副工廠長であり、軍制上はなんと大尉にまで登りつめていたヨウには、行くべき場所がどこにもなかった。生真面目な職人たちや、国家防衛の念に燃える将校たちと親しくつきあう余裕もなかったから、ヨウが誰かの家に誘われることもなかった。

 ヨウはデスクの引き出しから、汚れたバックパックを引きずり出した。木箱に腰かけて、日本から履いてきたブーツに視線を落とす。そしてポケットから携帯を取り出し、懐かしい世界の断片をディスプレイに呼び出した。妹の千華。一昨年、高尾山で撮影した写真だった。

追憶にふけるのを邪魔したいのか、携帯がしつこくピーピーと警告音を発している。電池が切れかけているのだ。パチンと携帯を閉じ、底面の充電端子に、デスクの下から引っ張り出したケーブルをつないだ。ケーブルは木箱に納められた鉛蓄電池に接続している。針金を丸めて自作したクリップが蓄電池の端子に触れると、小さな火花が散った。 

携帯の充電ランプが灯ったのを確認し、ヨウは小さくあくびをした。やることもないので、仕方なく遠く響く臼砲の射撃音に耳を傾ける。定期的な射撃音は、聞きようによっては眠気を誘う単調さだ。どうやら、ヨウが製法を伝授した黒色火薬は、立派に仕事をしているらしい。

 「ふんふんふんふんふんふふふーん~♪」それは、うろ覚えの交響曲第9の、へたくそな鼻歌。第4楽章部の特徴的なパートを繰り返し口ずさむ。「Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund! Und wers nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund」

 市内で防衛にあたる男女20万人。対するテクサカ軍は、この数ヶ月でかなりの数を討ち減らしたものの、60万は下らない。

 ――さて、どちらが勝つだろうか? 

 ヨウは無責任な感想を抱いた。帝国軍には、ヨウが製造を手伝った数々の新兵器がある。一方のテクサカ軍は、魔王本人が前線まで来ているらしい。皇帝陛下からの情報だから、おそらく間違いないのだろう。

 そのときふと、ヨウの耳が聞きなれない音響を拾った。それは、鉄や火薬が織り成す遠雷のような重低音――クラシックの落ち着いたアルトやテノールに似た、それではない。もっと、こう、鋭く磨かれ、物質の限界を試すテクノロジーの、切れ味鋭い音響だった。それは、そう、例えるなら、ヨウの世界の大富豪が使うような、プライベートジェットの甲高いエンジン音に似ていた。

 その音響に耳を澄ませる。だが、一瞬の気まぐれだったのか、確かに聞き取ったように思えたテクノロジーの音を、ヨウは取り逃がした。

 しばし固まったあと、ヨウは顔を上げた。倉庫の床に落ちた影が、正面入り口に誰かが立っていることを告げていた。視線を向けると、逆光のなか、見覚えのあるシルエットが入り口のドア枠に背中を預け立っていた。シルエットは手を掲げ挨拶する。

 「よっ。有名人」

 「はい?」

 「はい? じゃないだろ。もっと感動しなよ」

 「あ、ああ、そうだな。ごほん、ワオ、驚いた!」

 「30点」

 「低いな、ずいぶん」そこには、懐かしいアーマーをまとった傭兵がいた。「やっぱり生きてたのか、カリカ」

 「当たり前じゃない。で、ここには・・・・・・」カリカの背後から、エリアスが現れた。

 「ご無沙汰しています」そう微笑むエリアスは、少し痩せたようだった。

 「よかった。いつか会えるような気がしてたんです。でも、今までどこに?」

 エリアスはその質問に表情を硬くした。「エリアス?」彼女は何かを振り払うかのように、軽く首を振った。「最初に伝えないといけないですね。ええと、あの……」

 もじもじするエリアスの代わりに、カリカが答えた。「あたしらテクサカに亡命したの」

 ヨウは疑わしげな目つきでカリカの表情を観察して、次いでエリアスの顔に視線を向けた。「まさか、本当に? 亡命ってあの亡命ですよね」

 「……ええ」とエリアス。「最初は客員として。でも帝国に刃向かう以上、亡命するのがけじめです」

 ヨウにはとても信じられなかった。あのいろんなものへの忠誠心の塊のようなエリアスと――まあ、さほど予想外でもないカリカが――帝国を裏切るなんて。

 「で、お願いがあるわけ。あんたテクサカでも有名人なんだけど、あっちに亡命しない?」ちょっとお茶しない? とでも言うように親指で背後を指すカリカ。

 ヨウは言葉に詰まった。「え、えと……断るよ僕。カリカ、エリアスまで、どうしたんです一体。まさか、テクサカに人質か何かとられてて、帝国に背けと命じられたりしてるんじゃ……」

 エリアスは哀しげに首を振った。「いいえ、いいえ、そんなことは。でも、帝国が存続する限り・・・・・・いえ、正確にはスリミアの要塞教会を自由にできない限り、私たちの世界は滅びてしまうのです」

 「滅ぶって・・・・・・」ヨウが混乱していると、別の声が割り込んできた。

 「もっと詳しい説明が聞きたいか?」エリアスとカリカの背後の空間がゆらめいて、長身の女が現れた。あからさまに悪者風のあみあみボンデージ、黒のタイトスカート。用途不明のベルトにはトゲトゲが生えている。そのあからさまに偽悪的なセンスには、どこかで見覚えがあった。

 ヨウはこめかみに指を当てて考えた。ちょっとばかり頭痛もし始めていた。「えっと、どこかでお会いしたような気が……」

 「ええ、会っているわね」毒々しくルージュを引いた唇が、艶妖な微笑みを形作っていた。女は左手に蛇のように巻いた装置を撫で、頭上を見上げる。天井が高い倉庫の何もない空間に、ぽっかりと映像が現れていた。そこには、誰かの視点から見た暗い路地が移っている。その視点は、歩いているかのように上下にゆれていた。

 ヨウは映像を仰いだまま、思わずうめいた。「こ、これ、立体映像――?」それとも魔法の一種なのだろうか。いや、そうではないだろう、とヨウは否定した。こんなスマートな情報処理系の魔術があるなど、クワナで接触のあった魔法教授の教授からも、一度として聞いた事がなかったからだ。

と、突然、ヨウが視界に飛び込んできた。髪の短さから察するに、数ヶ月前の映像のようだった。「思い出した。あのときの」

 「そう、あのときの美女がわたし。あのときは手に風穴あけてくれてありがとうね」

 「いや、あれは僕が開けたわけじゃ――」

 ヨウの抗議を無視して、美女は倉庫の中を見渡した。異臭を放つバッテリーの群れを目にすると、ふんと鼻を鳴らした。「あれは電解装置? ずいぶんと苦労してつくったみたいね」

 ヨウは息を呑んだ。装置の正体をあっさり見破るなんて、このファンタジー世界の人間では初めてだった。硬い声で女に言う。「あなたは一体、何者ですか?」

 気付けば、エリアスとカリカは跪いて頭を垂れていた。女は計算された一拍の間を挟んで、こう答えた。「わたしは並び立つ魔王、サインと呼ばれている」

 「まおう?」この短い単語の意味を、ヨウはつかみ損ねた。「魔王!?」

 「あんたが邪魔してくれなければ、今頃スリミアは我々の占領下だったでしょうね。まったく、このマッドサイエンティスト!」

 マッドサイエンティスト・・・・・・その甘美な響きにしばし陶然とするヨウに、サインは少々怯んだ。「ちょっと、念のために警告しとくけど、ほめてないから。この世界の“魔法”をバードガースでやったように利用するなんて、とんでもない悪い子だって言っているの!」

 「あ、すみません」とヨウ。

 「すみませんじゃない。せっかくの大金をかけた帝国分裂工作が水の泡じゃない。まったく、最初に会った時点で始末しとくべきだった」

 ヨウの背筋を冷たいものが走った。

 その戦慄を察知したのか、サインは言葉を足した。「ふん、いまさら殺したりしないわよ。その代わり、あんたには一緒に来てもらうわよ。色々聞きたいこともあるし。特に“地球”についてね」

 どうやら、ヨウに拒否権は無いようだった。

 サインがエリアスに命令した。「あんたたち、この坊やを龍に乗せて見張ってなさい。わたしは皇帝を始末してくるから」そう言い残し、サインの姿は光のゆらめきに滑り込んで、見えなくなった。

 ヨウはエリアスにたずねた。「マジで皇帝を暗殺するんですか?」

 エリアスは眉根を寄せ、苦しげな表情だ。助けを求めるかのように、カリカに視線を彷徨わせる。

 「仕方ないのよ――」

 「それではわかりませんよ。説明してください」 

 「ヨウと皇帝、どっちもテクサカにとって本当に危険な存在だと魔王様はみなしているんだろうよ。あんたらのどちらかが居なければ、この戦争はとっくにテクサカの勝利に終わっていただろうからな」カリカは続けた。「皇帝がいなくなれば、指揮系統が混乱する。あたしも全然知らなかったけど、あのドゥーガル皇帝は恐ろしくヤリ手らしいじゃない」

 ヨウはコクコクとうなづく。「ああ、そうだよ。とぼけた顔して、あの人は全部把握していると思うよ」

 カリカは冷酷に言い放った。「じゃあ、やっぱり抹殺しないとな」

 「抹殺……」 

 「ヨウにもすぐわかる。それよりスリミアが陥落したら、ここも地獄になる。今から魔王様の使い龍で脱出するぞ」

 「ちょっと待ってくれ、そんなことしないでくれよ。この工廠の仲間はみんな市内にいるんだ」

 「仕方ないだろう。傀儡化はスイッチを切るように簡単には収まらないから。この街は地獄になる。この際、大神殿のアルトゥリ・ムンディだけでも無事に手に入れば御の字だよ」

 意味がわからないサインの説明に、ヨウは奥歯をくいしばった。「冗談じゃないんだな」ヨウの敵意を含んだ声。だが、表向きの敵意の裏側では、こう祈っていた。

 ――エリアス……カリカ……嘘だと、冗談だと笑ってくれ。

 いかにも気が進まぬ感じで、カリカが代表して答えた。「ああ、本気だよ」

 そのとき、ヨウは彼女たちの悲痛な表情を帯びた目を見た。それで充分だった。まさに刹那と呼ぶのが相応しい接触によって、垣間見えた彼女たちの瞳の中に、ヨウは苦悩と逡巡を見て取った。サインとかいう自称魔王はともかく、エリアスとカリカがこんなことを望んでいるはずはない。そうヨウは確信した。彼女たちに対する温かい感情、信頼が心の奥底にじんわり広がるのを感じた。それでも。

 ――帝国を見捨てるわけにはいかない。

 室内を素早く確認する。巨大な電解装置のガラス容器が目についた。その刹那、ヨウは決断した。倉庫の近くには、衛兵の詰め所もある。異変を察知して、すぐに人がやってくるだろう。彼らを巻き込んでしまう前に決着するはずだった。

「OK、ノープロブレム。ついていくよ。その使い龍ってのはどこにいるんだ?」ヨウが軽い態度を示すと、明らかにほっとした様子でエリアスは手首の蛇柄バンドをそっと撫でた。ビリビリという不協和音が倉庫の屋根から響いた。

 「屋根の上?」

 やっぱり。屋根の上に使い龍は待機しているらしい。屋根のどのくらい上空なのか? これはかなり分が悪い賭けだった。

 「そう。ところで、いま魔術は使えるかい?」

余りにも静かなヨウの口調が、逆に不安を呼び起こしたのだろうか。エリアスが何か言おうとしてから、不審そうに眉をひそめた。

そのとき、ヨウは足下に落ちたバックパックに手を伸ばし、グロックをつかみ取った。

 「ヨウ、あんた」驚愕の声をあげるカリカに向けて、銃弾を放つ。いや、正確にはカリカの背後にある電解装置の陰極側に。そこにはアセチレンに次ぐ広い爆轟範囲を有する危険な気体が詰まっている。水上置換によって純度99%でトラップされた水素ガスが。

16発の残弾全てを打ち尽くす。ヨウたちが苦労して造った電解装置は崩れ、内部のガスが噴出した。 ガラス容器から漏れた水素は空気と混合して水素爆鳴気になっている。ここに僅かでも火気があれば――。因みに、部屋の片隅の鍛造炉の木炭は、まだ赤く燃えている。

「防御魔法!」ヨウは、水素爆鳴気の危険性に思い至らない2人に向かって叫んだ。ここで、ヨウは重大な事実に思い至った。エリアスとカリカは魔法で無事だけども――。「あ、ボク死んじゃうじゃん」

 そうつぶやいたヨウの顔が、白く輝く。彼の顔だけではない。カリカも、エリアスも、倉庫に存在する全てが、透明な燃焼炎の照り返しに飲み込まれた。理想的な水素爆鳴気は燃え上がり、超音速の衝撃波を成した。木造倉庫は内側から膨れ上がり、爆散した。


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