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□31 敗北の報

 西方の地で大敗を喫した帝国軍。その報はポピュロス通信で瞬く間に帝国全土に広まった。季節は初夏にさしかかりつつあり、ぽかぽかと暖かい。それなのに、帝国人民の多くは、「外に出ると大通りのど真ん中でモンスターに襲われるのです」といわんばかりに、なるべく家から出ないようにしているようだ。

帝国北部の都市……ヒレンブランド城下でも、通称“ウィスパー川西岸の戦い”が、目下最もホットな話題となっている。もっとも、ごく一部の僻地の農民やアクターボに暮らす世捨て人などは、このビッグニュース知らないかもしれない。他にはそう、部屋に引きこもっているばかりの人間とか。



 「おっ、お久しぶりヨウの旦那。もう昼だってのに欠伸なんかして。また徹夜? 大変ですねぇ。ええ、その件で先日頼まれた酢酸の納品にあがました。硫酸はまだちょっとアレでしてね。ああどうも、こちらに領収印を。どうも。いやあ、それにしても本当に世の中どうなっちまうんでしょうかねぇ」

 ヨウは、明るい日差しが降り注ぐ玄関先の眩しさに目をしばしばさせながら、のんびりとたずねた。「……え? なにかあったんですか?」 

 最近懇意にしている問屋のオヤジが、かすかに怪訝な表情を浮かべる。「何って、うちらの姫様が出征した例の合戦ですよ。まさか知らないわけないでしょう」

 「ええ、まあ。で、その合戦って帝国が勝ったんですか?」 

 あまりに流行遅れな質問に驚いて、オヤジはあんぐりと口をあけた。つっかえながら、彼はこれだけ言った。「ヨウの旦那、からかってるんで?」オヤジはヨウの姿を頭の先からつま先まで確認して、どうやら本当に知らないと信じることにしたらしい。手垢だらけの前掛けをもてあそびながら言う。「いつも工場にこもってないで、たまには外に出ないと。城壁の下の物乞いだって、一昨日には“ウィスパー川西岸の戦い”のニュースのことを知っていましたよ。旦那もいちおう軍人さんなんだから、知らせはきたでしょう」

 ヨウの胸に不吉色の疑念がわきおこった。「まさか負けたんですか? ヒレンブランド連隊はどうなりました?」 

 オヤジが情報を握っている者特有の、少しばかりもったいぶった態度をとる。「いやまあ、うちの連隊がどうなったかというレベルじゃないようですよ。大敗も大敗、史上最悪の負け戦ですからね、なにしろ。22万を数えた帝国軍のほとんどが、死ぬか捕虜になっちゃった。生き残ったとしても、アクターボを渡って帝国まで無事に帰れるとはとても思えませんね、あたしゃあ。あたしの取引先に息子さんを3人も軍隊に入れてる男がいるんですがね、もう何て声をかければいいのかわかりませんでしたよ」剛毛に覆われた太い腕に、あたかも血糊でもついているかのように、オヤジは前掛けで手を拭い続けている。

 「エリアス、いやエリアス様は無事なんですか?」

 オヤジはこころもち声を落とした。「風の噂ですがね、どうやらテクサカ軍に捕まっちまったようですよ。せっかく領主様もお元気になったのに、また跡継ぎ問題でゴタゴタするんでしょうかねぇ。この土地にゆかりもない遠縁が来たんじゃ不安ですよ。いや、それ以前にテクサカ軍が帝国にどんどん迫ってるらしいし。世の中どうなっちまうのか」そうつぶやいて、オヤジは盛大に溜息を吐いた。



 “ヒレンブランド工廠”という字面だけ見れば、立派な煉瓦造りの建物を想像するかもしれない。だが実際のところの工廠は、掘っ立て小屋より若干マシな、差掛け屋根の建物に過ぎない。この建物に強い雨風がふきつけてもパタリと倒れてしまわないのは、隣の鍛冶屋が支えになっているからではないかと、ヨウは疑っていた。

 連棟の建物だから、隣にはドア一枚でアクセスできる。ヨウはノックもそこそこに、鍛冶屋のオヤジの作業場に飛びこんだ。「アインブロックさん! アイン……失礼」

 ちょっとしたスイカ並みの乳を持て余していることで巷に知られたアインブロック婦人が、夫から慌てて離れるのを視野の端に捉えつつ、ヨウは速やかにドアを閉めた。しばらくして再びノックすると、不機嫌そうな呻き声で入室を許可された。

 「ヨウ君よ、最悪のタイミングでのご登場ありがとうよ」 

 「本当にすみませんです。悪気はなく……」ヨウは赤面して謝罪した。

 「まあいい。お前が試作するように依頼したアレ、もうできているぞ。すごいものだなあれは」とアインブロックは興奮気味にヨウの肩を叩いた。アインブロックは帝国の北国人によくある名前だが、彼は南国人のように浅黒く日焼けしていた。鍛冶屋特有の赤外線焼けだ。腕と上半身だけみれば、純粋ドワーフのように太く逞しい体つきをしている。仮に夜道で出会ったら、ちょっとこわいだろう。

 ヨウは彼の力強い腕に肩をつかまれたまま、ブロンズ製のスクリュー式バイス――つまり万力――の前まで引きずられていった。

 「まあ見てくれ、どうだ、設計図通りだろう。こいつがあれば、今まで2人がかりだった仕事も1人でできる。鉄ばさみ片手に苦労しなくてもいいんだ。いやはやまったく、スクリューってのは本当にすごいもんだな。ん、何か用か?」

 ヨウは、いまさっきの問屋との話をアインブロックに伝えた。

 「おまえやっぱりまだ知らなかったのか。そうじゃないかと思って、いつ気付くか賭けをしていたんだが、俺の勝ちだ」

 「何やってんですか。僕をネタに勝ったんなら、いくらかキックバックくださいよ」 

 「いやなこった。それにお前さん、俺のヨメさんのコレを見ただろう。俺の帳簿にきっちり貸しとしてつけとくからな」アインブロックは両腕で、ずりしと重い二つの鉄球の重量を、確かめるような仕草をする。

 「その借り、どうやって返せばいいんですか。それより、テクサカに負けちゃったって本当ですか」

 アインブロックの片眉が上がった。「そうらしいが……本当に知らないのか。ずっとこもりっぱなしだったからな。少しは外に出ろよ」

 ヨウは頭をかいた。「夢中になっちゃって」

 「夢中になれるものがあるのはいいことだ。それはそうとうちの姫様、消息がつかめないらしいぞ。城付きの連絡将校がケツでも蹴っ飛ばされたような勢いでスリミアの総司令部に確認に行ったらしい。領主様はかなり焦っておいでのようだな」

 領主であるエリアスの父親に、かつてお会いした際の印象だと、彼は極めて理性的かつ公平な人物に思えた。慌てふためく様はちょっと想像できなかった。だが、娘が行方不明ともなれば無理もないだろう。

 「ところでヨウ、お前さんもいちおう将校扱いだったよな。城に顔を出さなくていいのかよ」

 「あ……そうですよね」

 ――城でひょっとしたらエリアスやカリカの消息をつかめるかもしれない。それにおあつらえ向きにちょっとしたお土産もあることだし。プレゼンの機会として、今回の帝国軍の不幸は、ひょっとすると僕にとって良い巡り合わせかもしれないな。

 ヨウはエリアスの危機だというのに、微笑みが口元にこみあげてきた。まったく確信すべき根拠はないのだが、エリアスやカリカとはいずれ再会するという予感があったからだ。


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