□32 動員令
ヒレンブランド城の謁見の間、といえば高い天井とそれを支える太い石柱、シャンデリアなんかもあったりすると想像するかもしれないが、それは幻である。金持ちのオムニ教会でもない限り、高度な数学理論を応用した優美で丈高い天井構造などお目にかかれないし、シャンデリアは高度なケイ酸塩加工技術……即ちガラス工芸がなくては作れないからだ。この世界ではないものねだりだ。
極めて地味な謁見の間には、メトセラ処置を受けているにも関わらず短期間で老けたように見える領主、フレート・ヒレンブランドがいた。その対面にはヨウを含む数人の将校が、椅子に腰掛けている。
領主の話は長かった。侵攻軍に参加しない将校とはいえ、同室するヨウ以外の全員が、イウビレオの顛末ついてはある程度知っている。ということは、領主は専らヨウのために説明してくれたのかもしれない。
「……以上だ。質問があるかな」
将校が顔を見合わせ、そのうちの1人が領主に質問する。「領主様御自らのご説明いたみいります。我々は軍人として呼ばれているので、言葉の装飾を取り払わせて頂きます」
領主は小さくうなづいた。
「皇帝の勅命による動員と仰いましたが、当領の拠出はいかほどになりますか?」
「要請兵員数は1200、今月半ばまでだ」
壊滅前のヒレンブランド連隊の数を上回る数字に、将校たちはたじろいだ。
「しかし、当領の連隊配属の将校はまだ誰も帰還しておりません。それがいつになるのか、まだ誰にもわかりますまい。帰還した魔術師たちを吸収しても、新たな連隊に充分な魔術小隊を編成できません。また、休養期間も必要でしょう」
領主は片手を軽く振る。「いや、魔術師は考慮せずともよい。スリミアの総司令部の判断では、先の戦いから帝国本土に帰還する者は期待しないよう、指示があった」
「まさか。彼らのほとんどが本当に……」謁見の間にしばし沈黙が下りた。「なれば、歩兵だけで新たに1200名の連隊を編成せよと仰るのですか」
とはいえ、魔術師なしの歩兵連隊など、補給線の護衛や治安維持には使えるが、モンスターとの大規模戦闘にはとてもではないが使えない。魔術師のいない帝国軍など、肉と野菜のないスープのようなものだ。つまり白湯だ。
ヒレンブランド連隊は、帝国辺境領北部タイル軍として、周辺領連隊と連合し新たに北部第2軍を編成する。総兵力は紙切れ一枚で集めた、白湯のごとき歩兵が6000名余りの予定。ヨウの隣に座る補給担当の尉官は、疲れたように静かに頭を振っていた。正規軍も傭兵も出払っているというのに、いまさらまともな歩兵が集まるわけがないと考えているのだ。
「帝国防衛のために残置された既存の30個歩兵連隊を中心に、総兵力35万の歩兵から成る防衛軍を、今後15日以内に組織する」
領主の言葉は時間に死刑宣告を下した。前触れもなく全世界が凍結して、重い静寂が謁見の間に降りた。誰かが咳払いをすることで、再び時間が動き出した。
皇帝の帝勅により、各領主には帝国全土で必要なだけの市民を徴兵する権利が与えられた。これまでも、半ばおおっぴらに行われてきた歩兵の強制徴募に、お墨付きが与えられたわけだ。とはいえ、35万という数字は、帝国臣民の20人中1人に近い膨大な数だった。
補給担当将校が、おずおずと手を挙げた。「よろしいでしょうか。新たに徴兵する兵の武器・防具の手当てに問題があります」
“問題がある”とはまた、控え目な表現だった。実際のところ武器はわずか、防具はほとんどないはずだった。将校らはそのことを正直に領主にぶつけた。「どうやって戦えばよいと仰るのですか」「既に帝国西部辺境領では歩兵が散々に打ち破られつつあるとの噂を耳にしております」「では、我らが参じたところでテクサカ軍を押し留めることは困難だろう」「ごもっとも」「帝国800万の民が団結すれば、必ずやテクサカを打ち破ることが……」「馬鹿な、絵空事だ」
口々に話しはじめた将校たちに向かい、領主が咳払いをする。そして、おもむろにヨウに視線を向けた。「皆しずまるのだ。我らにも勝ち目はある」
勝ち目はある。帝国軍の敗北をある程度織り込んでいるかのような、その表現は、不吉に耳に残る。「武器掛少尉、ヨウ・ニシミヤのことは知っているだろう」
将校たちが、一斉にヨウに視線を向けた。将校たちの多くは、うさんくさいモノに対する目つきでヨウを観察している。
「彼の考案した新しい武器が、対テクサカ防衛戦の切り札となる。そう私は確信している。新しい武器による新しい戦術については、餅は餅屋という。ほかでもないそなたたち軍人に開発をお願いしたい」
当然ながら、領主の言葉に反論が相次いだ。ヨウはその一つ一つに応じる代わり、つい数時間前に領主と打ち合わせしたパフォーマンスを披露することになった。人を騙すようで気が乗らないが仕方ない。
反論を手で鎮め、領主はヨウを指名する。「ニシミヤ少尉」
領主の視線を受け止めたヨウは、おもむろに立ち上がり、ベルトに差したグロックを手に取った。そして、部屋の隅で鈍い光沢を放つ装飾品のプレート・アーマーに向かって2発発射した。乾いたパンパンという音と同時に、鳩胸のようになった鉄の胸甲に穴があいた。将校たちの足下に黄銅の薬莢が転がる。部屋には、大音響のあとの不自然な静けさが満ちた。
ギャラリーの将校たちは、不安げにヨウの手の中にある黒い物体に視線を向ける。「今のは魔術か?」「でもなんか違くない?」「ウォルカをブートした気配がなかった。これは――」
ヨウが答える前に、領主が答えた。「違う。魔術ではない。ニシミヤ少尉は魔術師ではないからな。単なる人の技だ。威力は見ての通り。この“銃”を少尉が我々にもたらしてくれる。わかるか、もたらしてくれるものの一つにはテクサカに対する勝利も含まれる。全ての歩兵がこの武器を持ったと考えてみたまえ」
もちろん、今ヨウが手にするような高度な火器を製造することなど、この世界では絶対に無理だ。でも、嘘も方便という考え方もあることだし、ヨウは黙っていることにした。そもそも、将校たちを説得させるために、ヨウを小芝居に巻き込んだのは、領主の方だった。
「ニシミヤ少尉は、フェンリルを用いない、ポピュロス通信に代わる通信手段をも、実現すると約束してくれた。フェンリルでなくても我々全員がお互いに状況をやり取りできるようになる。これにどういう潜在的な利用価値があるか、考えてみて欲しい」
将校たちは半信半疑の面持ちだ。
「だから、だからだ。今から諸君らにはニシミヤ少尉の新兵器開発に協力してほしい。とはいえ皇帝の命令には服さねばならない。諸君のうち今から読み上げる者は、本日から兵の徴募に当ってもらう。それ以外の者は少尉の指示に従うこと」
将校たちは顔を見合わせるばかり。たたみかけるように領主は彼らの背中を押す。
「先日、スリミア・オムニ教会の有する宝物、アロンの杖から、来るべき防衛戦に帝国が勝利するという御宣託があった。我らの最終的な勝利は確実だ。だが勝利への道筋は決して平坦ではなかろう。信仰は時に試練によって試されるのだ。試練には我らの最上の献身をもって答えようではないか!」
◆
一昨日のこと。ヒレンブランド領主と面会したヨウは、大荷物を手にしていた。城の警護役たちが、大いに警戒して、ヨウを取り囲んで詰問したのも無理はない。彼が持っていたのは、なんだか酸っぱい匂いを放つ、大きな棒状の物体その他もろもろ。怪しさ満点だ。
実のところ、中身はレモン的な果実の搾汁と紙の筒、高純度の銅を加工した銅線、亜鉛板、銅板、鉄釘、それに銅線を紙で巻いて糊で固定した手製の電線、そして厚紙製の板。勘の良い人なら、これが何を実現できるかわかるかもしれない。
ヒントはマルコーニ。――そう、火花送信機&受信機だ。果実の搾汁が満ちた容器を10個ばかり直列でつないだ(起電力推定9~10ボルト)の電池が電源になる。
この原始的な使い捨て電池から供給される電気は、釘と銅線から成るコイル(バーアンテナ)に流れこみ、コイルは電磁石になる。そして、鉄でできた接点を離した瞬間、コイルの電場に蓄えられたエネルギーが接点に高電圧を発生させ火花が散る。つまり、コイルはごく単純な昇圧装置としての役割を果たしている。発生した火花は電波バーストとなって、送信機の接点から放射状に、電波が発信されるのだ。簡単な仕組みだ。
もっとも難しいのはスピーカーだったが、とりあえず元いた世界のイヤフォンで代用している。スピーカーは永久磁石が手に入らなければ、製造できない。受信機は長大なワイヤーアンテナが必要である点以外は、送信機とほぼ同じ構造になるから、製造は難しくない。もっとも、銅線はこの世界では高価なものだから、製造コストはかなりかさむだろう。
こんな原始的な無線装置だが、地球においても20世紀初頭までは、最新の装置だった。実際、タイタニック号が沈没寸前に放った救援無線も(出力は違うが)同じ原理で作動する火花送信機だったし、日露戦争でバルチック艦隊発見の報告を打信したのも、艦載火花無線送信機によるものだった。
エリアスやカリカを助け、彼女らが守ろうとしていたものを守るために、自分は何ができるのか。それを考えたとき、テクサカの魔の手からオムニ帝国を守ることが、この世界でヨウにもできる唯一のことだと気付いた。ヨウ自らが、あてどもなくエリアスたちの姿を求め、オムニ領西方のアクターボをさ迷い歩くわけにはいかない。あっさり死ぬのがオチだろうから。それより、彼女らの帰る場所を守るべきだった。だから、領主のもとを訪れた。
はじめはヨウの持ち込んだ装置の効果に半信半疑だった領主は、無線装置が火花を発して作動すると、目を剥いた。この装置の持つ潜在的な軍事的・経済的可能性に気付いたのだろう。送信できるのはモールス信号のような長短の信号だけだったが、応用方法はいくらでも考えられる。
ヨウとしては、この未完成も甚だしい装置を持ち込むには勇気が必要だった。だが、いま勇気を示さずにいつ示せばよいのかわからなかったのだ。幸いにも、ヒレンブランドの領主は、柔軟さと先見の明の持ち主だった。他の予定をキャンセルしてまで、領主はヨウとの面会に数時間を費やし、ヨウのする説明に熱心に耳を傾けてくれた。
無線通信、火薬製造、製鉄。どれ一つとっても実現には困難が伴う。主に資金面で。資金面の問題はカネのあることろに掛けあって引き出すしかない。教会は論外だから、必然的にヒレンブランド領主が第1のパトロンになる。
エリアスとはあまり似ているところがない領主の顔は、メトセラ処置されたときの年齢で固定されている。実年齢は優に130歳を越えているに違いなかった。
「ニシミヤ少尉、その“黒色火薬”がそなたの主張どおりの性質を有するとすれば、確かに武器への応用が可能だろう。だが、その“硝酸カリウム”とやらをどうやって手に入れるのだ」
ヨウは領主の示す記憶力の素晴らしさに舌をまいた。一度言っただけの聞きなれない単語を、いとも簡単に覚えてしまうのだ。実に侮れない人物だった。「“土硝法”という手法を用いる心積もりでおります。この方法では、硝酸カリウムは人間や動物の排泄物から得られます。排泄物から染み出した硝酸カリウムを抽出するには、大きな寸胴鍋と熱源、そしてたくさんの人手があれば可能です」この方法で、ヨウの世界でも何世紀にもわたって黒色火薬を作っていた。
「本当にそれだけなのか? 特殊な魔術は必要ないと?」
「製造過程ですさまじい臭気にさらされるので、匂いに耐えられる作業員を探す必要はありますが」
領主は笑った。「まあ、それは心配なかろう」
「硝酸カリウムが手に入れば、あとは木炭と硫黄を配合すれば完成です。まずはこのような」ヨウは領主に提示した銃を指した。「小銃ではなく、私がいた世界では“大筒”と呼ばれていた“先込式鍛造砲”を造れましょう」
「ふむ……それは少尉がいう“技術的な問題”のためか」
「はい。鋳造法は無理なので、コストがかかる上に強度上の問題も孕んだ方法ですが、鍛造で作成するしかありません。小銃の製造は、その次の段階になるでしょう。もっとも、帝国の優秀な刀剣の製造技術があれば、ライフリングなしの、先込め式滑腔銃――即ち“マスケット銃”が製造可能かもしれません」
「で、カネと人手があれば、それら少尉の世界の技を、我らも使えるというのだな」
ヨウはちょっとばかり考えてから、正直に答えた。「はい、確実ではありませんが、この世界でも再現できると思います」
「ははは、そうか。少尉、そなたは交渉事には慣れていないようだな。私のもとに儲け話を持ってくる山師連中は、決して“できると思う”とは言わない」
「は、はあ」
「わかった、ニシミヤ少尉の提案に賭けてみよう。いや、感謝するのは早いぞ。提案の発起人として、少尉にはこれから苦労してもらわんといけないからな」領主は、自分のあごに親指を押し付け、考えを追いながら、独り言のように喋った。「今は確かに大変なときだが、だからこそ物事を大きく進めるには良い時期かもしれん。それにな、皆が困っている時の方がカネには困らんものなのだ。いや、本当だぞ」
機械的にうなづくしかないヨウ。
「我が娘には悪いが、我が軍の大敗から、ひとかけらの果実をもぎ取らせてもらおう。これから将校を集めた善後会議がある。少尉にはそこで一芝居打ってもらうことにしよう」そう言うと、領主は、あの懐かしい世界で製造された銃のグリップをつまんで、ヨウに差し出した。「こいつが効果的だろう。魔術師は力を信奉するものだ」
ヨウに異論はなかった。




