プロローグ まだ見ぬあなたへ
夜明け前の風が、塔の裂け目を抜けるたびに低く鳴る。
私は今、崩れかけた観測塔の最上階で、手帳を膝に広げている。天井に残された魔導灯が、息も絶え絶えの鼓動のように、淡い青を瞬かせていた。かつてこの光の下で、誰かが星の数を数えていたのだろう。窓の外では、名も知らぬ獣の遠吠えが、砂の彼方へ細く尾を引いて消えていく。
あなたがこの頁を開いているのなら、この手帳は長い眠りから覚めたのだと思う。ならば、まず挨拶を。
はじめまして。私はサフィ。歳を取った。膝は鳴り、朝は遅く、昔のように砂丘を駆け上がることもできない。それでも毎晩、こうして筆を取る。
この世界を、私は遺界と呼んでいる。
正しい名ではない。ただ、終わったはずのものが終わりきれずに残る場所を、ほかにどう呼べばいいのだろう。昼でも白く残る割れた月の片割れ。干上がった海の底に、船が傾いたまま並び、帆柱が風に歌う。砂に咲いた硝子の花は、触れれば祈りに似た音を立てて砕け、乗る者のいない魔導の列車は、今も決まった刻に、誰もいない駅で扉を開く。
どれも、かつて誰かが、確かに生きた証だった。
この手帳の最初の数頁は、角ばった、読みにくい字で埋まっている。私の字ではない。
あの人の字だ。
あの人はよく言っていた。「美しいから厄介なんだ」と。当時の私には、ただの偏屈に聞こえた。今なら、少しだけ分かる。美しいものは、人を立ち止まらせる。立ち止まった人間は、いつか、そこに根を下ろしてしまう。
そして、あの頃の遺界に、人はほとんどいなかった。私たちの歩いた道には、なおさら。
だから私はいつも、人に会えるかな、と思っていた。
あの人は決まって、面倒だ、と答えた。
その意味が分かるまでに、ずいぶん長い時間がかかった。
東の地平が、薄く白みはじめた。天井の魔導灯がひとつ瞬いて、静かに消える。夜明けだ。
これは、あの人が記し、私が書き継いできた記録。
宛先は、まだ分からない。
けれど、あなたに預けようと思う。
砂塵の、あの日から。
初投稿です。
描いてみたかった荒廃世界の放浪録。
再始動。よろしくお願いします。




